第18話 フロギストン、露見する
王国軍・間諜網拠点 ― 夜
古びたランプの下、クレアは厚みのある封筒から一枚ずつ資料を引き出した。紙には擦れたインクで「フェニックス計画」と記されている。ページをめくるにつれ、眉間に皺が寄った。
「……45年前の大戦の亡霊、か」
図面に描かれたフレームは現行機よりも異様に大型で、その心臓部には――フロギストン炉。
クレアは一瞬だけ、馬鹿げた戯曲を読まされた気分になった。
「フロギストンを使うエンジンだと?……まるでおとぎ話だな。これをそのまま報告したら、薬物検査を受けさせられるに決まってる」
思わず乾いた笑みが漏れる。
クレアもフロギストンという燃素が、はるか昔に否定された存在だと知っていた。
だからこそ、そんなものが存在するなどと今更報告を受けても、すぐには受け入れられなかった。そして、一定の教育を受けた人間ならば、誰しも物が燃えるのは酸素があるからであり、燃素などは存在しないということもわかっていた。
資料の端には、試験出力の数値と異常な発熱パターンが走り書きされていた。
対面の椅子に座るレオンは黙っていたが、クレアの指が「フロギストン」という単語をなぞった瞬間、視線がわずかに揺れた。
それは、彼が一度だけ体験したことのある熱――骨まで焼かれるような感覚――の記憶を呼び起こしたからだ。
彼はそのとき、敵の奇妙な兵器に撃ち抜かれ、視界を真っ白に染めた閃光の中で仲間を殺された。
皮膚を裂く痛みと同時に、耳鳴りの向こうで何かが脈動していた。
(あれが……フロギストンエンジンだったのか)
気がつけば、半壊したコックピットの中で血にまみれ、必死に這い出す自分の姿があった。
彼は無意識に左脇腹を押さえる。そこには今も鈍い痛みが残っていた。
「……あんたは笑ってるけど、俺はあれの威力を身をもって知ってますよ、大佐」
言葉は軽く投げたつもりだったが、声には僅かな緊張が混じっていた。
クレアの表情が引き締まる。
「すまなかったな。貴官をこの作戦に参加させたのは、その記憶が欲しかったからだが、辛いか?」
PTSDという言葉はないが、戦場から帰った兵士がその経験に悩まされ続けることは知られていた。
クレア自身も女としての人生を捨てることになった作戦は、今も彼女を苦しめているのだ。
「いえ、だからこそこの悪夢を終わらせたいのです」
レオンは拳を強く握った。
その横顔を見て、クレアは静かに頷く。
「いずれにせよ、同胞が命懸けで持ち帰った情報だ。上に伝えねばならん。我ら特務の役割は変わらん。関係者の拉致か、フレームの奪取……それが無理なら破壊だ」
特務の面々は、無言のまま小さく頷いた。室内に漂うのは、重く澱んだ決意の空気。
それから数日――。帝国本部では、持ち帰られた情報の信憑性が精査され、幾重もの承認印が押されていった。最終的な作戦の可否が決まるまで、現場は静かに次の動きを待つしかない。
そして三日目の夜。
宿舎の通信室で、短波受信機のオペレーターが顔を上げる。
「……暗号信号です。特務宛」
クレアが立ち上がり、端末に向かう。受信紙に刻まれた乱数表の文字列を照合し、解読キーを打ち込む。やがて白紙のようだった紙面に、命令文が浮かび上がった。
> 目標:フェニックス。奪取を最優先とし、困難な場合は完全破壊せよ。作戦行動は現地判断に委ねる。
クレアは読み終えると、無言で紙を折りたたみ、懐にしまった。
「――予想通りだ。行動開始だ」
特務の仲間たちは、それ以上何も言わず、立ち上がって装備の準備に取りかかった。




