第15話 王都到着
王都の城壁が視界に入る頃、日が傾きはじめ、空は茜色に染まっていた。商人を装ったクレアとレオンのキャラバンは、他のトラックに紛れてゆっくりと城門へ向かう。
「検問を抜けたら、東門近くの“白百合亭”に向かえ」――事前に受け取った暗号文の指示通り、二人は目的の宿屋に足を運ぶ。
店の奥の薄暗い一角、粗末な酒瓶を並べる棚の前に、一人の男が座っていた。粗布の外套をまとい、顔の半分を影に隠している。
「……久しいな、クレア大佐」
低く押し殺した声。帝国間諜網の王都担当、コードネーム〈ハヤブサ〉だ。
「肩書きはやめろ。今は商人のイザベラだ」
クレアは無表情で応じ、椅子を引いて腰を下ろす。レオンも隣に座るが、視線は周囲を警戒したままだ。
ハヤブサは小さく笑みを浮かべ、懐から一枚の紙片を滑らせた。そこには断片的な軍傍受記録が走り書きされている。
> “フェニックス”
> “国境方面から王都へ移送”
> “厳重警備”
「……無線傍受の頻度が上がっている。王国軍が最近やたらと“フェニックス”という単語を使っている」
クレアはその単語を、指先でなぞるように見つめた。
「フェニックス、ね……火の鳥を追え、ってことか」
口元にわずかな皮肉を浮かべ、彼女は紙片を折りたたむ。
レオンが怪訝そうに眉をひそめる。
「火の鳥……?」
「作戦暗号だ。これからは、この計画に関する全てを“火の鳥”と呼ぶ」
クレアはそう言い切り、間諜の男に視線を向けた。
「追跡できるか」
ハヤブサは短く頷いた。
「運ばれた先は王都軍工廠か、中央司令部のどちらかだ。ただ、どちらも軍の巣窟だ」
「なら、どちらも当たる。火の鳥は私が捕まえる」
クレアの冷たい声に、レオンは思わず彼女の横顔を見た。夕暮れの光が頬を照らし、刃のような冷徹さと、なぜか惹きつけられる強さが同居している。
ハヤブサは椅子を引いて立ち上がる。
「了解だ、大佐……いや、イザベラ殿」
その背を見送るクレアは、低く呟いた。
「火の鳥が、再び空を舞う前に――必ず掴まえる」
そして、翌日クレアとレオンは下見に出た。
王都の空は薄く霞み、冬の気配を漂わせていた。
クレアとレオンは、手を繋ぎながら石畳の大通りを歩く。
通りの向こうには、鉄と魔導の威容を誇る軍工廠。そのさらに奥には、巨大な尖塔を備えた中央指令部がそびえていた。
「……あちらが中央指令部ですね」
レオンが小声で呟く。
「視線は逸らすな。見物人に徹しろ」
クレアは微笑を浮かべつつも、目だけは鋭く周囲を観察していた。恋人同士を装う以上、立ち止まって地図を広げる真似などできない。
二人はゆっくりと大通りを歩き抜け、路地や建物の配置を記憶に刻みつける。
少し距離をとったところで、レオンは小さく笑みを漏らした。
「……こうして歩くと、本当に恋人同士のように見えますね」
「作戦中だ。忘れるな」
「はい。……ですが、悪くないと思いました」
クレアの横顔に視線を向けるレオン。その様子に、彼女は短く息を吐いた。
「その浮ついた感情が、現場で命を落とす原因になる。肝に銘じろ、レオン」
日が暮れるころ、二人は「白百合亭」と刻まれた古びた看板の宿屋に戻った。
一階は酒場になっており、カウンターの奥で無口な店主が樽を拭いている。
二人はカウンター席に並び、琥珀色の酒を注文した。
グラスを傾けたレオンが、少し頬を赤くして口を開く。
「大佐……どうしてご結婚なさらないのですか?」
「……唐突だな」
「いえ……大佐ほどの方であれば、惚れる男は多いと思いまして」
クレアは手元のグラスを一度置き、視線を琥珀色の液面に落とした。
「――黒氷峡谷作戦、知っているか?」
「噂程度なら存じています」
「あの作戦で、私は部隊を生かすために、女であることを捨てた」
レオンの眉がわずかに動く。
「寒冷地での長期潜伏、捕虜を装って敵陣に潜入した……任務を果たすために、私は女である自分を切り離した。戻ってきたとき、もう私は――」
クレアは短く首を振った。
「結婚など、考えたこともない」
沈黙が二人の間を満たす。外では雪がちらつき始めていた。
レオンは何か言いかけたが、クレアの横顔に浮かぶ微かな影を見て、酒を一気にあおった。




