第12話:財務大臣テル(10) セール街の指令
アトランティス合衆国。東海岸。
「セール街」と呼ばれる金融の心臓部は、日付変更線を越えてもなお、眠らない。
摩天楼の最上階、ガラス張りの会議室。アトランティス最大のヘッジファンド「ヴァルチャー・キャピタル」の首脳が、極東の国のデータを見ていた。
巨大なスクリーンには、テルの就任会見の映像が流れている。「消費税の完全撤廃」「金融緩和の継続」――そのナレーションが英語に翻訳され、字幕として表示されていた。
「奴隷の反乱だ」
ファンドの創設者、エリオット・グレイソンが低い声で言った。七十代の老人だが、その眼光は、若い頃のまま刃物のように鋭い。彼の手元には、日本の国債残高、外貨準備高、そして日銀の資産規模のデータが並んでいた。
「日本は百年ぶりに、鎖を外そうとしている。まずいな」
「焼き払いますか」
部下の一人が言った。グレイソンは少し考え、頷いた。
「『極東の実験場』が成功したら、困る国がある。我々だけじゃない。全てのベットを日本円のショートに集中させろ。国家ごと売り崩す。ラルに対して一八〇円の防衛ラインを突破させ、市場の論理でテルノミクスの幻想を叩き壊す」
グレイソンの指示は、翌朝東京が開くより前に、世界中のヘッジファンドへと伝達された。
東京外国為替市場。取引開始と同時に、円のチャートが揺れ始めた。
最初は緩やかだった。しかし、それはすぐに滝のような勢いになった。
一ラル=一二八円……一五〇円……一七〇円……
日銀のオペレーションルームで、担当者が血相を変えて電話を取った。
「売り圧力が止まりません! これはオーダーの規模が違います! 一国のファンドじゃない、複数のヘッジが連携している!」
氷室麗華は、その報告を受けても、ただ一点だけを確認した。
「長期金利は?」
「……〇・〇%で、維持しています」
「結構。為替は放置しなさい。それは私の管轄ではない」
チャートはさらに落ちた。
一ラル=一八〇円……
防衛ラインが、破られた。
一八五円……一九〇円……
テルは議員会館の執務室で、その数字をじっと見ていた。
彼は何も言わなかった。ただ、椅子の背もたれに身を預け、目を閉じた。
これは、予測していたことだ。
Jカーブの底へ、落ちる。国民が苦しむ。支持率が崩れる。だが、ここを耐えなければ、日本は永遠に変われない。
テルは目を開け、窓の外の霞が関を見た。夜の闇の中、財務省の庁舎に絡みつく黄金の蛇が、テルを見下ろして嘲笑うように、鱗を輝かせていた。
「……まだ終わっていない」
テルは低く呟いた。それは呪文のようだった。
チャートは、さらに滑落を続ける。
一ラル=二〇〇円を突破――
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