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第12話:財務大臣テル(8) 第三の矢、始動 ― 泥と栄光の採掘 (v2)

 テルノミクスの第三の矢が、放たれた。


 令化三十一年九月。消費税撤廃の熱狂もまだ冷めやらぬ中、国家財政の大動脈から流れ出した資金は、即座に実体経済への太いパイプを伝って、ある場所へと注ぎ込まれていた。

 日本海。能登半島沖、水深三百メートルの黒い海の底。

 それは、潜んでいた。

 全長百五十メートル。退役した大型潜水艦を徹底改造した船体が、漆黒の海中に溶け込んでいる。通常の潜水艦と異なるのは、艦底部に折り畳まれた巨大な多関節採掘アームと、艦内に充満するガス圧縮設備の存在だ。艦橋だけが海流を受けながら、じっと獲物を待っていた。

 その船には、名前があった。


 採掘実証潜水艦、『捕食クジラ』。


 サクが設計した最初のメタンハイドレート採掘プロトタイプである。

 艦内の制御室の隅に、白衣姿のサクが立っていた。干しブドウを無造作に口に放り込みながら、眼下のモニター群を睨んでいる。その隣で、体力自慢の現場エンジニアたちが緊張の面持ちで各計器に張り付いていた。


「クラオカミ、起動シーケンス、フェーズ三。採掘アーム展開を開始します」


 艦底から、重低音が響いた。

 ハッチが開き、そこから巨大な多関節アームが降下し始める。まるで海底に向かって伸びる、機械の脚のようだ。サクが開発した電磁アクチュエータ制御の採掘アーム。その動作は、見る者が思わず息を呑むほど、滑らかで、生物的だった。


「深度確認。海底表層、砂泥層まで二十メートル。目標堆積物に接触……」


 サクが、手元のコンソールを操作する。彼はいつものような飄々とした様子ではなく、真剣な眼差しでモニターを見つめていた。


「……いけ。食べて」


 彼の指先が、光るキーを叩いた。

 船底のムーンプール(開口部)から、巨大な多関節アームが深海へと伸びていく。

 テンションが走った。艦体が、軽く揺れる。

 従来の海底資源掘削といえば、ドリルで一点を穿つ垂直掘削が常識だった。だが、サクの設計は違う。

 アームの先端には、生物の顎を模したバケットが付いている。

 AI『クラオカミ』の制御下にあるアームは、泥に埋もれたメタンハイドレートの塊を、センサーで正確に識別し、まるで生き物が餌を啄むように、表層の塊だけを次々と掬い取っていく。

 必要なのはドリルによる「点」の破壊ではなく、広範囲をさらう「面」の捕食だ。

 これは、サクがかつて瓦礫の中で憧れた、ショベルカーの技術の究極の応用だった。

 モニターに映る海底映像――採掘アームのライトが照らし出すのは、白く輝く結晶の塊だ。外見は汚れた氷のようだが、その正体は、海底堆積物の中に眠る「燃える氷」。メタンハイドレート。

 AIの「クラオカミ(闇龗)」が、リアルタイムで地層の硬度と圧力を計算し、最適な捕食ルートを割り出しながら採掘を進める。まるで生き物が獲物を追うように、アームは白い結晶の群れに迫っていった。


「回収完了。ガス圧縮タンク、充填率八十二%。浮上に移行します」


 艦体がゆっくりと海面へ向かって上昇し始めた。水深三百メートル、二百メートル、百メートル――。

 波を割って甲板が海面に出た瞬間、艦尾のハッチが開き、発電設備へのガス供給ラインが接続される。採掘したメタンガスをガスタービンに通し、船上で直接電力を生成する。発電した電気は、艦底から延びる海底ケーブルで陸に送る――輸送コストゼロの直送電力だ。


 フレアスタックに、小さな炎が灯った。

 蒼白い炎。海底から汲み上げたメタンガスが、初めて空気に触れ、燃えている。


「……燃えた」


 老技術者の一人が、掠れた声で呟いた。研究室で白髪を増やしながら、三十年以上この技術の実用化に挑んできた男だ。その頬を、一筋の涙が伝った。そして、それにつられるように、甲板に立っていた老いたエンジニアたちの幾人かが、肩を震わせ始めた。


 炎は小さかった。量もわずかだった。

 しかし、その意味は、途方もなく大きかった。

 日本の海の底に眠る資源が、初めて日本人の手で採り出され、日本の空で燃えている。


 だが、現実は同時に、手酷い洗礼をもたらした。

 浮上後の発電工程で、既存のガスタービンをそのまま転用した動力系が凄まじい轟音と振動を発し、煙突から黒煙を噴き出し続けた。採掘効率も計算値の三分の一。得られるガスのコストは輸入LNGの倍以上。

 テルは甲板に立ち、その光景を無表情で見ていた。煤が舞い、硫黄臭い排気が鼻をつく。メディアのドローンカメラが上空を旋回し、その「醜い絵」を逐一撮影しているのが分かった。


「うるさいな」


 サクが眉間に皺を寄せて呟いた。


「金食い虫だ。美しくない」


 その言葉通り、『捕食クジラ』は確かに醜かった。赤字垂れ流しの失敗作としか映らない数字が、並んでいた。

 テルはそれを知った上で、甲板に立ち、燃える炎を見ていた。


「だが、これは最初の一歩だ」


 彼は静かに言った。風で髪が乱れるが、構わない。

 テルは弟の肩を叩いた。


「だが、今はこれでいい。泥臭くても、不格好でも、まずは『獲れる』ことを証明しなければならなかった。これは、百年かかる鎖を断ち切るための、最初の一歩だ」


 その夜のニュースは、予想通りだった。

「三兆円の税金が、黒煙と轟音に消えた」「環境破壊の鉄屑を海に浮かべるな」「テルノミクスは失敗だ」。野党は鬼の首を取ったように会見を開き、環境団体は座り込みを宣言した。翌朝の内閣支持率は、また三ポイント下がった。

 テルはその数字を見て、小さく頷いただけだった。

 痛みは、想定の範囲内だ。問題ない。

皆様の声援が、三兄弟の戦いを未来へと繋げます。この物語を多くの人に届けるために、皆様の力をお貸しください!(↓の★で評価できます)


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