第12話:財務大臣テル(6) 貨幣が生まれる瞬間 ― キーストロークの魔法
日銀が金利という「防波堤」を築いたその裏で、財務省では、テルノミクスの核心である「通貨創造」が実行に移されようとしていた。
財務省本庁舎、特別オペレーションルーム。
日銀ネット(日本銀行金融ネットワークシステム)と直結された巨大なモニターの前で、テルは黒田事務次官と共に立っていた。
黒田は、緊張で掌に汗を握っていた。
これから行われるのは、彼が信じてきた「財政規律」という宗教に対する、背教の儀式だ。
「黒田さん。貴方はずっと『税金を集めてから、それを使う』と考えてきましたね? それが間違いの元凶です」
テルは、モニターに表示された複雑な資金決済フロー図を指差した。
「スペンディング・ファースト(支出が先)。政府が支出することによって初めて、民間にカネが生まれる。その瞬間を、今からお見せしましょう」
今回のモデルケースは、鹿児島湾の港湾整備事業。サクの『捕食クジラ』を運用するための拠点整備に対する、五〇〇億円の緊急財政支出だ。
「見ていてください。これが、貨幣誕生の瞬間です」
ステップ1:国債発行
オペレーターが操作を行う。
政府が五〇〇億円の国債を発行。市中のメガバンク「五菱東京銀行」がこれを引き受ける。
モニター上で、五菱銀行が日銀に持つ「当座預金」の数字が五〇〇億円減り、代わりに「政府の日銀当座預金」が五〇〇億円増える。
黒田がごくりと喉を鳴らす。
「まだ、民間の預金は動いていませんね。単なる銀行間での数字の移動です」
ステップ2:政府支出
「ここからです」
テルが頷くと、オペレーターがエンターキーを押した。
カチッ。
乾いた音が響く。
政府は、増えた日銀当座預金を裏付けに、五〇〇億円分の政府小切手(国庫金振込データ)を、事業を受注したゼネコン「鹿児島建設」の口座がある五菱東京銀行へ送信する。
ステップ3:貨幣の誕生(万年筆マネー)
五菱東京銀行のシステムが、政府からの通知を受信。
即座に、鹿児島建設の預金口座の数字を書き換える。
『残高:+50,000,000,000円』
「見なさい、黒田さん!」
テルが声を上げた。
「この瞬間、この国に五〇〇億円という新たな貨幣が『誕生』したのです!」
黒田は目を見開く。
「誰かから集めた税金ではありません。どこかから借りてきたカネでもない。銀行員がキーボードを叩いた(キーストローク)、ただそれだけの行為によって、無から有が生まれたのです」
ステップ4:決済と還流
最後に、五菱東京銀行は、振り込んだ五〇〇億円分の代金を政府に請求する(取り立て)。
日銀は、「政府の日銀当座預金」から五〇〇億円を、「五菱東京銀行の日銀当座預金」に戻す。
モニターに、最終結果が表示される。
五菱東京銀行の日銀当座預金残高は、最初の国債購入で減り、最後の決済で戻ってきたため、プラマイゼロ。
政府の負債(国債)は五〇〇億円増えた。
そして――民間(鹿児島建設)の預金通帳には、確実に五〇〇億円という富が増えている。
「銀行の金は減っていない。だが、民間の金は増えた。……これが」
黒田は、目の前で起きた錬金術のような、しかし厳然たる会計事実に戦慄していた。
「これが、信用創造……。これが、通貨発行権……!」
今まで教科書で知ってはいたが、実感として理解していなかったメカニズム。
政府が赤字を出せば出すほど、民間の黒字(資産)が増えるという、あまりに単純な真実。
「財源がない」という言葉が、いかに虚構であったか。
「そうです。我々は、キーボード一つで、民を救う力を持っているのです」
テルは、モニターの青い光に照らされながら言った。その横顔は、悪魔的でありながら、同時に聖者のようでもあった。
「出し惜しみをする理由は、どこにもない。……さあ、始めましょう。日本列島に、血を流し込むのです」
生まれたばかりの五〇〇億円は、直ちに鹿児島へ送金され、作業員の給料となり、資材の購入費となり、下請け企業の支払いとなって、乾いた大地に染み込む水のように、地域経済を潤し始めた。
それはまだ小さな一滴かもしれない。
だが、この水脈はやがて大河となり、日本中を駆け巡ることになる。
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