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第11話:静かなる介入(4) 鉄の棺桶

 旗艦『鄭和』のCICは、数十分前までの統制された緊張感が嘘のように、パニックと、混乱、そして、得体の知れない恐怖に支配され始めていた。


「『ダガー』隊は航行不能! 通信途絶!」

「早期警戒艦『ウォッチャー』、完全に沈黙!」

「ミサイル駆逐艦、発射システムが物理的にロックされています! 原因不明!」


 次々と叩きつけられる、信じがたい報告。部下たちが冷静さを失っていく中、趙提督だけが、その場で凍り付いたように、巨大な戦術マップを凝視していた。


 一方、石垣島の司令室。

 森田の指が、キーボードの上を疾走していた。彼のシステムは、偵察衛星やELINTから送られてくる敵艦隊の客観的な状態変化を、AI『アマテラス』の行動原理と照合し、見えざる戦闘の推移を逆算推論していく。


「三佐! 『ダガー1』から『5』、衛星画像で航行停止を確認! AIの行動原理と一致。99.8%の確率で、睦月隊が第一次目標の無力化に成功したものと推定!」

「ELINT情報! 『ウォッチャー』のレーダー波、完全に消失! 如月隊の戦果と推定!」

「『シールド』級駆逐艦、7隻からの火器管制レーダー波が同時に途絶! 弥生隊の活動と推論されます!」


 カイたちが見ているのは、味方の位置ではない。敵という巨大な生命体が、端から麻痺し、死んでいく様子をリアルタイムで観測しているのだ。そして、その症状から、見えざる『零潜』たちの活動を、極めて高い精度で把握していた。


 趙提督の脳は、この異常事態を、猛烈な速度で分析していた。

(違う…これは砲撃でも魚雷でもない。これは『戦争』ですらない…)


 彼の背筋を、冷たい汗が伝った。

(まるで、精密な外科手術だ。我々の神経系だけを、一本、また一本と、寸分の狂いもなく切断されている。こんな芸当…アトランティスに可能か? いや、奴らのやり方はもっと野蛮で、傲慢だ。この手口は…もっと静かで、冷徹で、そして、恐ろしく正確だ…)


 彼の思考が、一つの、ありえない可能性に行き着いた。

(まさか…日本…? あの眠れる獅子が、我々の知らぬ間に、これほどの牙を…?)


 カイは、推論された戦況マップで、敵の混乱がピークに達したことを確認し、最後の一撃を加える。


「森田。フェーズ2移行。『アメノウズメ』を送信」


 その短い指令を受け、12機の『アマテラス』は、ソナーを欺瞞するための音響パターンを生成し始める。


 旗艦『鄭和』、ソナー室。

 ヘッドセットを装着した熟練のソナーマンが、眉をひそめた。海中の無数の背景雑音の中に、奇妙な「不協和音」が混じり始めたのだ。それは、まるで何百もの金属製の爪が、水中の岩盤を同時に引っ掻くような、耳障りで、神経を逆撫でする音だった。


「……ノイズか? いや、違う。指向性がある。何かが…来る…」


 彼の呟きがCIC(戦闘情報センター)に中継された、その直後だった。

 メインスクリーンに表示されていた戦術マップが、警告色である赤に染まった。

 無数の光点が、艦隊を取り囲む全ての方向から、同時に、そして凄まじい速度で出現したのだ。


「魚雷です!」


 ソナーマンの声が、絶叫に変わった。


「方位360度! 探知数、50…100…いや、計測不能! 数百です! 馬鹿な! こんな数はありえない!」


 CICは、一瞬にして蜂の巣をつついたような大混乱に陥った。


「どこから撃ってきた! アトランティスの潜水艦か!?」

「報告にないぞ! この宙域に敵性艦は存在しないはずだ!」


 副官の怒号が飛び交うが、もはや誰も冷静ではいられなかった。スクリーンを埋め尽くす赤い光点は、死の宣告そのものだった。それはもはや魚雷の接近ではない。赤い津波が、自分たちを呑み込もうとしているのだ。


 祈る者、家族の名を叫ぶ者、ただ呆然とスクリーンを見つめる者。誰もが、数秒後の死を覚悟した。


 光点が、艦隊に着弾する、まさにその寸前。

 ――プツン。


 全ての光点と、耳を劈くような金属音が、まるでテレビの電源が切れたかのように、何の脈絡もなく、完全に、消え失せた。

 CICは、死の淵から引き戻された安堵と、何が起きたのか理解できない混乱で、異様な静寂に包まれた。


「……誤探知、だったのか…?」


 誰かが、か細い声で呟いた、その時だった。

 再び、警告音が鳴り響いた。

 今度は、先ほどを遥かに上回る数の光点が、艦隊の真下、深海から、湧き上がるように出現した。


「また来た! 今度は下からです!」

「迎撃! 迎撃しろ!」

「ダメです! 兵装システムはロックされたままです!」


 再び、着弾寸前で、全てが消える。

 安堵する暇もなく、今度は海面直下から。次は右舷から。左舷から。

 現れては消え、消えては現れる、終わりのない死の宣告。それは、もはや戦闘ではなかった。人間の精神を、根本から破壊するための、計算され尽くした、残酷な拷問だった。


「もうやめてくれ!」


 若いオペレーターの一人が、ヘッドセットを床に叩きつけ、頭を抱えて泣き叫び始めた。その恐慌は、まるで伝染病のように、次々と兵士たちの理性を蝕んでいく。


 嗚咽と、絶叫と、意味のない命令が、CICの空間を地獄の不協和音で満たしていく。

 だが、その狂乱の中心で、艦隊司令官である趙元提督だけが、微動だにせず、スクリーンを凝視していた。

 彼の瞳に、もはや恐怖の色はなかった。


 彼は、ソナーに映っては消える無数の光点を見つめながら、己の完全な敗北を、そして、自らが信じてきた「リアリズム」という名の宗教が、音を立てて崩壊していくのを、ただ、静かに感じていた。


(これは…攻撃ではない。我々の脳に直接語りかけてくる、幻聴…いや、交響曲か。死と再生を、永遠に繰り返す、悪夢の交響曲)


 物理的な破壊ではない。精神の、完全な破壊。戦うという意志そのものを、根こそぎ奪い去るための、残忍で、そして……。


 趙元の唇から、無意識に、畏怖の言葉が漏れた。


「――美しい…」


(血も、怒号も、憎しみもない。ただ、絶対的な静寂の中で、敵の戦闘能力と意思だけを、完璧に奪い去る。これが、新しい時代の『戦争』…これが、我々が対峙しているものの、正体か…)


 彼は、ゆっくりと目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、万里の、百年の歴史。そして、自らが信じ、築き上げてきた、鋼鉄の艦隊。それら全てが、今、この瞬間に、過去の遺物と化したのだと、彼は悟った。


 旗艦『鄭和』の艦橋で、趙元は完全に戦意を喪失した。

 それは、恐怖によるものではない。

 自軍の完全な敗北と、国家の戦略が、自らの理解を超えた新しいパラダイムによって、根底から覆されたことを、この国で最も優秀な軍人として、誰よりも早く、そして正確に、受け入れたからだった。


 彼の降伏は、一人の軍人の敗北ではない。

 圧倒的な物量と、冷徹な国益計算に基づいた「旧時代の地政学」が、日本の三兄弟が創造した「静かなる非対称戦」という、新しい神話の前に、ひれ伏した瞬間だった。

皆様の声援が、三兄弟の戦いを未来へと繋げます。この物語を多くの人に届けるために、皆様の力をお貸しください!(↓の★で評価できます)


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