第11話:静かなる介入(2) 深海のチェス
台湾海峡、東シナ海艦隊、旗艦『鄭和』(ていわ)。
広大なCIC(戦闘情報センター)は、これから始まる歴史的偉業への高揚感と、鋼のように張り詰めた緊張感に満ちていた。
艦隊司令官である趙元提督は、壁一面に広がる巨大なホログラム戦術マップを、鋭い目で静かに見下ろしていた。数百隻の艦艇を示す無数の光点が、台湾島を完全包囲する、緻密に計算された陣形を描いている。彼の表情に、慢心の色はない。あるのは、百年の宿願を背負う者だけが持つ、冷徹な覚悟だった。
「アトランティスの第七艦隊に、動きは?」
「ありません。依然、横須賀を出港する気配なし。偵察衛星の情報でも、空母打撃群は完全に停泊状態です」
副官の報告に、趙は静かに頷いた。
「重病の獣だ。死んだのではない。今は動けずとも、その牙はまだ残っている。我々の行動は、この獣が息を吹き返す前の、一瞬の好機を突かねばならん。時間は、ない」
彼の言葉は、アトランティスという覇権国の本質を正確に見抜いていた。CICの楽観的な空気が、引き締まる。
艦長の魏峰が、進言する。
「提督。日本の海上自衛隊も、今のところ目立った動きはありません」
その言葉に、血気にはやる若い参謀の一人が、抑えきれずに口を挟んだ。
「提督、失礼ながら進言いたします。なぜ我々は、作戦開始と同時に沖縄の嘉手納や横須賀の基地を弾道ミサイルで叩かなかったのですか?アトランティスの介入能力を初手で奪い、日本の自衛隊を陸に縛り付けるべきでは?」
その問いは、CICにいる多くの者が内心で抱いていた疑問だった。趙は、その若き参謀に侮蔑でも怒りでもない、まるで未熟な生徒を諭すかのような、静かな視線を向けた。
「君は、まだ戦争を『兵器の交換』としか見ていない。それでは二流だ」
趙はホログラムに手をかざし、台湾島の映像を拡大する。
「よく聞け。この作戦の成否は、軍事的な勝利にあるのではない。72時間以内に、台湾の『臨時政府』に『内戦は終結した』と宣言させる、政治的な勝利にあるのだ。我々の軍事行動は、あくまで『国内問題への介入』という形をとらねばならん」
彼は厳しい光を瞳に宿し、続けた。
「日本を攻撃した瞬間、我々の大義は『国内問題への介入』から、弁解の余地なき『侵略戦争』へと堕ちる。そうなれば、アトランティス国内の厭戦論者は沈黙し、『真珠湾の再来』として、国家の総力を挙げた報復が始まる。我々が最も避けたいシナリオを、自ら作り出す愚を犯すことになるのだ」
CICの空気が、彼の言葉の重みに凍り付く。
「さらに重要なのが『時間』だ。我が作戦は、アトランティスという民主主義国家が持つ、議会承認や世論形成という『政治的決定の遅延』こそが生命線。だが、日本への攻撃は、その時間的猶予を消し去る。日遠安保条約は、大統領に即時反撃の権限を与えるだろう。我々が作り出した『機会の窓』を、自ら閉ざすことになる」
そして趙は、嘲笑を浮かべた。
「そして何より、日本だ。今の日本は、飼い主が動かぬ限り吠えられぬ犬に過ぎん。憲法と安保に縛られ、政治的に去勢された国家が、アトランティスの許可なく動くことは万に一つもない。ならば、わざわざミサイルを撃ち込み、眠れる犬を起こし、飼い主に行動の口実を与える必要がどこにある?」
趙は再び戦術マップに視線を戻すと、力強く号令した。
「全艦隊に通達。これより、我々は、百年の屈辱の歴史に、終止符を打つ。作戦第一フェーズを開始せよ。揚陸艦隊『ダガー』、前進!」
彼が信じるのは、圧倒的な物量という「現実」であり、歴史の「機会の窓」を逃さないという、冷徹なまでの「決断力」。この合理的で緻密な計画の前に、いかなる障害も存在しないはずだった。
その頃、石垣島の地下司令室。
メインスクリーンに、一つの変化が現れた。万里艦隊の先鋒、揚陸艦隊『ダガー』を示す光点が、明確な意図をもって台湾本島へ向かい始めたのだ。
「……森田」
カイが、短く声をかける。
「はい、三佐」
天才プログラマーの森田悟が、コンソールを睨みながら応答した。
「敵揚陸部隊、最終侵攻フェーズに移行。作戦開始のトリガー条件を満たしました」
「……そうか」
カイは静かに頷くと、マイクを握った。
「全機へ、一方通行ブロードキャスト。作戦名『常闇』を発動」
「コード・シグナル、『天岩戸を閉じよ』」
森田がコマンドを打ち込む。司令部から放たれた暗号化された信号が、深海に潜む12の獣たちへと届けられる。それは、彼らの自律行動を開始させる、ただ一度の引き金だった。
カイは静かに告げた。
「――狩りを、始めろ」
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