第10話:八百万の神々の胎動(5) 歴史の歯車の軋み
令化二十九年、十月。
秋の長雨が、東京の街を、冷たく濡らしていた。
その冷気は、まるで、時代の終わりを告げる、挽歌のようでもあった。
アトランティス合衆国が、ついに、自壊を始めた。
三十年近くに及ぶドローン戦争の消耗、拡大し続ける経済格差、そして、もはや誰も信じなくなった「世界の警察官」という虚名。積み重なった矛盾が、ついに国家の許容量を超え、内側から、その巨大な体を食い破り始めたのだ。各地で頻発する州軍同士の衝突、大規模な暴動、そして、政府機能の部分的麻痺。かつての覇権国は、深刻な内紛の渦に、その身を沈めつつあった。
ランドパワーの巨龍、万里人民共和国は、その好機を、見逃さなかった。
彼らは、アトランティスの軍事的空白を、天の与えた千載一遇の好機と捉えた。
百年の悲願である、台湾統一。
そのための「最終軍事演習」と称する、事実上の侵攻作戦が、開始された。
台湾海峡を埋め尽くさんばかりの、数百隻からなる大艦隊。その威容を捉えた衛星画像は、絶望的な現実となって、東京・永田町へと、叩きつけられた。
首相官邸、地下。最高安全保障会議室。
そこに集った、日本の政治指導者たちの顔には、一様に、深い絶望の色が浮かんでいた。
「アトランティス第七艦隊、依然として、横須賀を出港する気配なし、か…」
防衛大臣が、絞り出すような声で呟く。
「もはや、彼らに、我が国を助ける余力も、意思もない、ということですな」
外務大臣が、力なく、応じた。
日遠相互安全保障条約。
戦後日本の安全を、七十年以上にわたって保証してきたはずの、その「鎖」は、皮肉にも、最も必要とされる、この瞬間に、その機能を、完全に、停止していた。
いや、もはや、それは、日本の手足を縛り、主体的な行動を許さない、ただの、冷たい重りに成り果てていた。
万策、尽きた。
誰もが、そう思った。
藤堂善信総理は、固く、目を閉じていた。額に深く刻まれた皺が、この国の宰相が背負う、耐え難いほどの重圧を、無言で物語っている。全ての選択肢が、目の前で、一つ、また一つと、無慈悲に消えていく。このまま、指をくわえて、地政学的な激変を、ただ見ているしかないのか。リムランドの最前線である、この国のすぐ隣で、戦火が上がるのを、ただ、甘受するしかないのか。
会議室は、墓場のような、沈黙に支配された。
誰もが、諦めと、無力感に、その魂を、浸食されかけていた。
その、時だった。
藤堂は、ゆっくりと、目を開いた。
そして、その視線は、まるで、暗闇の中で、一条の光を探すかのように、円卓の末席へと、向けられた。
その視線に、気づいた者が、何人かいた。
やがて、一人、また一人と、その視線の先を追い、会議室の、全ての意識が、その一点に、吸い寄せられるように、集中していく。
国防部会長代理、大和テル。
彼は、その視線を、一身に受けていた。
そして、誰もが息をのむ、その静寂の中、テルは、ゆっくりと、席を立った。
その所作には、極限の状況下にあるとは思えないほどの、絶対的な落ち着きと、揺ぎない自信が、満ちていた。
彼の瞳には、閣僚たちの顔に浮かぶ、絶望の色とは、全く無縁の、冷徹な光が、宿っていた。
それは、盤面の全ての駒の動きを読み切り、最後の一手を、静かに待つ、棋士の光だった。
テルは、一体、何を、考えているのか。
そして、何を、しようとしているのか。
誰もが、固唾をのんで、彼を見つめる。
歴史の歯車が、軋みを上げて、動き出そうとする、その予感が、重苦しい沈黙を、支配していた。
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