第10話:八百万の神々の胎動(2) 国産AI『アマテラス』の思想
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数ヶ月後。
サクの研究室のドアが、遠慮がちにノックされた。入ってきたのは、カイの部下であり、天才プログラマーの森田悟だった。彼は、コミュニケーションに極度の苦手意識を抱えており、サクという、自分とは種類の違う天才を前に、どう接していいか分からず、常に居心地が悪そうにしていた。
「……三佐から、進捗の確認を、と」
森田は、サクと目を合わせようとせず、床の一点を見つめながら、ボソボソと言った。
「はい」
サクは、アンドロイド・モードで、短く答える。研究室の空気は、無機質で、冷たいままだった。
「その……三佐は、かなり、お急ぎのようで…」
「計算は、続いています」
「ですが、もう三ヶ月…」
森田が、焦れたように言い募った、その時だった。
サクは、おもむろに立ち上がると、壁一面を覆う巨大なホワイトボードの前に立った。そして、マーカーを手に取ると、子供のような拙いタッチで、神社の鳥居の絵を描き始めた。
その瞬間、彼のペルソナは、完全に切り替わっていた。
アンドロイドの仮面は消え去り、瞳は好奇心と創造の喜びにキラキラと輝き、その口調は、自分の発見を自慢したくてたまらない、無邪気な「わがまま大王」のものへと、変わっていた。
「森田さん! アトランティスのAIはね、ダメなんだよ! だって、一人の神様が、全部、命令してるんだもん!」
サクは、鳥居の絵の上に、ギザギザの雷を持つ、マッチョな神様の絵を描き加えた。
「この神様が、『右手よ、動け!』『左足よ、動け!』って、いちいち命令しないと、何もできないの。手と足は、自分で考えることを許されてない、ただの奴隷! これじゃ、動きがぎこちなくなるのは、当たり前だよね!」
森田は、そのあまりの変わりように、ただあっけにとられていた。
「だからね、僕が創るAI『アマテラス』は、自分では何にも命令しないの!」
サクは、楽しそうに、鳥居のずっと上に、にこやかに笑う太陽の絵を描いた。
「カイ兄から与えられた『願い(作戦目標)』を解釈して、『こんな風に、美しく、静かに泳ぐための楽譜』を創って、それを自分の手足である『小神』たちに、ただ、見せてあげるだけなんだ」
「楽譜…ですか?」
森田が、思わず尋ねる。
「そう! そして、この楽譜を演奏する奏者は、大きく分けて二種類いる!」
サクは、にっと笑うと、ホワイトボードに二つのグループを描き分けた。
一つは、巨大で力強い和太鼓の絵。
「まず、尾びれ『共振駆動フィン』を動かす、力の強いモーター制御AI『タヂカラオ』! 彼は、この楽譜に書かれたリズムとテンポを読んで、最大の効率で力強く太鼓を打ち鳴らし、前に進むための『うねり』を生み出す、最高の太鼓奏者なんだ!」
そしてもう一つは、無数の小さな鈴の絵。
「そして、船体『静の羽衣』に宿る、何百万もの『小神』たち! 彼らは、船体表面の人工筋繊維の一つ一つを司る、小さな鈴の奏者なの」
そこまで一気にまくし立てると、サクは不意に机の引き出しを漁り始めた。
ガチャガチャと音を立てた後、取り出したのは、透明な薄いケースに入った、極小のチップだった。それは、米粒よりもさらに小さく、まるで黒い砂粒のように見えた。
「森田さん、これ見て。これが『小神』たちの、物理的な肉体だよ」
森田は目を凝らした。顕微鏡が必要なほど微細な回路が焼き付けられているのが、辛うじて見て取れる。
「これは……汎用のマイコンチップですか? いや、構造が違う……」
「うん。これはね、既存のCPUやGPUみたいに、熱くて大飯食らいなシリコンの塊じゃないよ。人間の脳の神経回路とシナプス結合を、シリコン上で模倣した、ニューロモーフィック・チップ(脳型チップ)なんだ」
「にゅ、ニューロモーフィック……!? 研究レベルでは知っていますが、そんな最先端のものを、実用化レベルで……?」
森田の声が裏返った。
現在のコンピュータの主流である「ノイマン型」は、計算装置と記憶装置を行ったり来たりする構造上、処理速度に限界があり、消費電力も大きい。サクが手にしているのは、その限界を突破する次世代の鍵だ。
「こいつをね、船体の『皮膚』の裏側に、血管みたいに何百万個もバラ撒くんだ。既存のチップじゃ、そんなことしたら熱と消費電力で自滅しちゃうけど、こいつらは違う」
サクはチップを光にかざし、愛おしそうに見つめた。
「こいつらは『イベント駆動型』なんだ。信号(刺激)が来た時だけ、パチッて電気が流れる。人間が何かを感じた時だけ神経が発火するのと同じ。だから、何も起きてない時は完全に眠っていて、消費電力は今までのチップの数千分の一以下ですむ」
「なるほど……! 省エネと、大量配置の両立……」
「それだけじゃないよ。一番大事なのは『反射速度』だ。中央の脳(CPU)にいちいち『熱いよ』ってデータを送って、『手を引っ込めろ』って命令が返ってくるのを待ってたら、火傷しちゃうでしょ? でも、脊髄反射なら一瞬だ」
サクは、ホワイトボードに描いた「鈴」の絵を指さした。
「このチップたちは、中央の『アマテラス』にお伺いを立てたりしない。乱流の予兆を感じたら、その場のチップ(神経)が、反射的にピエゾ素子(筋肉)を動かして、鈴を鳴らす。だから、反応速度はマイクロ秒どころか、ナノ秒の世界に突入できる」
森田は戦慄した。
だが、プログラマーとしての論理的思考が、即座に一つの矛盾を検知した。
「待ってください。反射速度が速いのは分かります。ですが、『反射』だけでは、先ほどの『予測』と矛盾しませんか?」
森田は鋭く切り込んだ。
「『タヂカラオ(推進)』が生み出す巨大な衝撃波を消すには、衝撃が来る『前』に動かなければならないはずです。イベント(刺激)が来てから反応する『反射』では、絶対に間に合わない。かといって、常に待ち構えていたら『ノーマリーオフ(省エネ)』が成立しない……」
サクは、ニヤリと笑った。
「そこだよ、森田さん! だから『指揮者』がいるんだ」
サクは、指揮棒の絵から、無数の点線(信号)を鈴の奏者たちへと引いた。
「アマテラスはね、正確なリズムで『タクト(同期パルス)』という信号を、全身のチップに送り続けているんだ。チップたちは普段は寝ているけど、この『タクト』が来た瞬間だけ、パチッと目覚める」
「同期パルス……クロック信号のようなものですか?」
「似てるけど、もっと動的だね。チップは目覚めた一瞬だけ、手元の『楽譜(予測データ)』をチラ見するんだ。『お、次の拍でデカい波が来るな』って分かったら、衝撃が届くコンマ数秒前に、先回りしてピエゾを動かす。そして仕事が終われば、また即座に眠る」
「なるほど……! 『外部からの刺激』と『内部からのタクト』。この二つをトリガー(イベント)にすることで、予測制御と省エネを両立させていると……!」
「正解! 予測された波は『楽譜』通りに消し、予測外の乱れは『反射』で消す。この二段構えだから、どんなに激しく動いても、この機体は『静寂』であり続けられるんだ」
森田は息を呑んだ。
アトランティスのAIが失敗したのは、巨大な中央脳ですべてを制御しようとしたからだ。
だが、目の前の青年が創ろうとしているのは、機械ではない。
全身に神経を張り巡らせ、皮膚の一点一点が自律的に思考し、予測し、反応する。
「僕はね、この機体そのものを、一つの巨大な『脳』にしたいんだ。冷たくて、静かで、でも熱い血が通った、生きている脳に」
森田は、その完璧な内部調和の理論に、深く頷いた。だが、彼の思考は、プログラマーとして、当然の次の疑問へと至る。
「……分かりました。一つの機体は、それで完璧な音楽を奏でられるでしょう。ですが、12のオーケストラが、それぞれ別の場所で、どうやって協調するんですか? 互いの正確な位置も分からない深海で、どうやって連携を?」
「僕の仕事はね、そのための『ルール』を創ることなんだよ!」
サクは、まるで世界の秘密を明かすように、声を潜めた。
「個々の『アマテラス』はね、絶対に探知されない『魂の囁き』――量子相関音響通信で、自分の『気配』だけを、他の11機に、ずーっと送り続けてるの。会話じゃないよ、『僕は今、こっちを狙ってるぞー』っていう、すっごく単純な合図だけ。海の雑音に完全に埋もれちゃうくらいの、小さな小さな音でね」
彼は、ホワイトボードにカクテルパーティーの絵を描き加えた。
「うるさいパーティー会場で、友達とだけ分かる合言葉で囁き合うみたいなものかな。他の人にはただのガヤガヤ音だけど、合言葉を知ってる僕たちだけは、ちゃんと聞き分けられる。その合言葉の役割を、『量子もつれ』っていう物理現象にやらせるの。でも、この囁きも、遠くまで行くと雑音に完全に消えちゃう。だから、この『気配』が届くのは、せいぜい台湾海峡くらいの広さが限界なんだけどね」
「……なるほど。気配だけで、どうやって行動を決めるんですか?」
「『一番得する鬼ごっこ』のルールで動くんだ!」
サクは楽しそうに続けた。
「12人全員が、共通の敵(鬼)の地図を見ながら、『自分にとって一番捕まえやすくて、しかも他の子と獲物が被らない鬼はどれかな?』って、自分勝手に考える。みんなが自分にとって一番いい手を選ぶと、不思議なことに、ぶつからずに、自然とみんなで協力してることになるんだよ!」
森田は、言葉を失っていた。
ニューロモーフィック素子による物理的神経網。量子通信による限定的な存在証明。そして、ゲーム理論に基づく自律的協調行動。
目の前の青年がやろうとしていることは、単なるプログラミングではなかった。
それは、西洋的な、絶対神による中央集権的な支配とは全く異なる、東洋的な、あるいは、日本古来の、八百万の神々が共存し自律的に調和する世界の思想そのものを、シリコンチップの上に、再臨させようという、途方もない試みだった。
「だから森田さん。X-0の『体』も、手術が必要だよ。今までの中央集権的な配線じゃダメだ。このチップたちを全身に埋め込んで、神経網を張り巡らせてほしい。山田さんたちなら、きっとできるよね?」
サクは、チップが入ったケースを森田に差し出した。
それは、職人たちが作り上げた最高の「肉体」に、物理的な「神経」を通すという、ハードウェアの完全な再構築を意味していた。
森田は、その小さなケースを、震える手で受け取った。
「……はい。あの人たちなら、文句を言いながらも、必ずやってのけます」
森田は、目の前の、無邪気な「大王」に、畏敬の念を禁じ得なかった。
彼は、新しい生命の定義そのものを、創り出そうとしているのだ。
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