第09話:深海の設計図(5) 職人の魂
「待ってください」
天野が、思わず叫んでいた。彼女は、再び山田の前に回り込み、深く、深く、頭を下げた。
「お願いします。私の設計が、未熟なのは分かっています。ですが、このままでは、この国は」
山田は、足を止めた。だが、振り返ろうとはしない。
その背中に、カイが、静かな、しかし、心の底から絞り出すような声を、投げかけた。
「あんたの、その腕は、何のためにある?」
山田の肩が、ピクリと動いた。
「俺は、十七年前の震災で、たくさんの人が死ぬのを見た。守れたはずの命が、目の前で消えていくのを、ただ、見ていることしかできなかった。もう、あんな思いは、二度と誰にもさせたくない」
カイの瞳には、あの日の絶望と、そこから生まれた、鋼の意志が宿っていた。それは、いかなる理論も、理屈も超えた、魂の叫びだった。
「俺は、あんたのその腕が、この国が生き残るための、最後の希望だと信じている。もし、あんたが不可能だと言うなら、俺は、諦めるしかない」
山田は、ゆっくりと振り返った。そして、カイの目を、じっと見つめた。
その瞳の奥にある、純粋で、揺ぎない覚悟。それは、彼が若い頃、共に日本の奇跡的な復興を支えてきた、今は亡き仲間たちが宿していた光と、同じ色をしていた。
山田は、天を仰いで、大きく、長く、ため息をついた。そして、まるで悪態をつくように、頭をガシガシと掻いた。
「ちくしょう。血が、騒ぐじゃねえか」
彼は、天野から、ひったくるようにデータパッドを受け取ると、設計図をもう一度、今度は職人の目で、食い入るように見つめ始めた。
「ここの応力計算はどうなってんだ」
「素材の弾性限界は、理論値じゃなくて、実測値で出してるんだろうな」
専門的な質問を、矢継ぎ早に浴びせる山田。天野は、必死にそれに食らいつき、二人の間で、激しい技術論が交わされる。その真剣な対話の中で、山田は、この設計思想の奥深さと、その挑戦的なまでの合理性に、気づき始めていた。
やがて、山田は、工場の奥にある、古びた黒電話を、乱暴に手に取った。そして、受話器を耳に叩きつけるようにして、全国の仲間たちに、檄を飛ばし始めた。
「おい、俺だ。面白い喧嘩があんだが、乗らねえか? 相手はな、物理法則と、この国の未来だ」
その呼びかけに応え、数日後、横須賀の秘密ドックに、日本中から「変人」と呼ばれる超一流の職人たちが、次々と集結した。
プレス加工の神様。複合材成形の魔術師。ナノコーティングの第一人者。
彼らは、山田が見せた設計図に、採算も、名誉も度外視した、純粋な「挑戦」の匂いを嗅ぎ取り、それぞれの工具箱を手に、馳せ参じたのだ。
日本の「ものづくり」の、忘れ去られていた底力が、今、この地下深くで、再び一つになろうとしていた。不可能とされた「CFRP-ピエゾ複合積層材の一体成形」への、壮絶な戦いが、始まった。
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