第09話:深海の設計図(3) 二つの模倣
カイは、ホログラムのスケッチを指先で操作し、その「獣」の心臓部を拡大した。究極の「省エネ」と「ステルス性」を実現するための、二つの生物模倣からなる、革新的な推進構想だった。
「この獣の心臓は、二つの模倣から成る。一つは『尾びれの模倣』だ」
カイは、イルカが力強く水を打つ映像を、設計図の横に表示させた。
「既存の水中ドローンは、モーターで直接フィンを動かす。燃費が悪すぎる。だが、イルカは違う。背骨の小さなしなりを、鞭のようにしなる尾びれで、巨大な推進力に変換している。共振だ。最小の力で、最大の結果を得る、宇宙で最も美しい物理法則の一つ。俺たちの獣は、機体の背骨に沿って配置した『脊髄モーター』が生む小さな振動を、胴体後半から尾部を構成する、柔軟な『テーパー構造フィン』で増幅し、力強い『うねり』に変える。これが『省エネ』の鍵だ」
その説明だけで、天野ミキの目は、技術者としての強い好奇心に輝いていた。だが、カイは、さらに信じがたい構想を続けた。
「だが、ただ静かに、効率よく進むだけでは意味がない。二つ目の模倣は『皮膚の模倣』だ」
彼は、フィンの表面構造を、ナノレベルまで拡大する。そこには、無数の微細な素子が、まるで生物の細胞のように敷き詰められていた。
「速く泳げば、必ず乱流が起きる。乱流は、音を生む。どんなに静かなエンジンを積んでも、船体が水を掻く音だけは、決して消せない。それが、これまでの常識だった。だが、イルカの皮膚は、泳ぎながら、その表面を細かく波立たせ、乱流が生まれる前に、その芽を摘み取っているという説がある」
カイは、天野の顔をまっすぐに見つめた。
「このフィンの表面には、無数のピエゾ素子を積層する。船体各所の圧力センサーが、乱流の兆候をマイクロ秒単位で検知し、AIが該当箇所のピエゾ素子を微細振動させ、渦の発生をアクティブに打ち消す。水が体に触れる音さえ、殺す。これが、完全な『ステルス』の鍵だ」
会議室は、静まり返っていた。カイが語っているのは、もはや機械工学の領域ではない。生物学、物理学、AI工学が融合した、全く新しい生命体の創造論だった。
沈黙を破ったのは、天野ミキだった。彼女は、天才的な整備士として、その構想の革新性を誰よりも理解していた。そして、誰よりも、その実現の不可能性を、痛感していた。
彼女は、自らの端末を操作し、膨大な技術的課題をリストアップしたデータを、ホログラムテーブルに表示させた。
「待ってください、三佐」
彼女の声は、かすかに震えていた。
「推進力を生むための、強靭なしなりを持つ構造。そして、乱流を殺すための、繊細で高密度な表面制御。この二つの機能を、一枚の複合材フィンに、同時に持たせるなんて。素材的にも、構造的にも、完全に矛盾しています。不可能です」
彼女の言葉は、プロとしての誠実さから来る、絶望の宣告だった。カイの描く理想は、あまりにも美しく、そして、あまりにも、現実からかけ離れていた。




