第09話:深海の設計図(1) 確信の瞬間
令化二十八年、初秋。
横須賀基地の一室。ヤマト・カイは、一人、暗闇の中で思考の海に深く潜っていた。あの日、旧態依然とした戦術会議で絶望を味わって以来、彼は夜ごとこうして、この国を守るための、真の「刃」とは何か、と自問自答を繰り返していた。
壁一面に投影されたホログラムの戦術マップが、青白い光で彼の横顔を照らす。それは、地政学の冷徹な法則を、無慈悲なまでに可視化したものだった。
ユーラシア大陸の中央、広大なハートランドが、不気味な赤い光を放っている。そこから膨張するランドパワー、万里人民共和国の脅威。その赤い奔流が、太平洋、すなわちワールドシーという青い世界へと溢れ出そうとするのを、弓なりに連なる島々が、かろうじて防いでいた。
日本、台湾、フィリピン、南シナ海。シーパワー国家アトランティスが「第一列島線」と呼ぶ、この地政学的な防波堤、リムランド。その最重要拠点に、日本は位置していた。
カイの視線は、ハートランドとリムランドの間に広がる、東シナ海と南シナ海に注がれる。ワールドシーに出るための玄関口である、このマージナルシー(縁海)は、すでに万里の赤い光にほぼ染め上げられていた。沿岸部に、まるで赤い発疹のように無数に表示される、対艦ミサイルサイトのアイコン。そこから放たれる射程範囲を示す扇状の光が、マージナルシーの海面と上空を完全に覆い尽くしている。万里が近年、物量に任せて展開する無数の飛行ドローンは、その赤い支配圏をさらに強固なものにしていた。
「空も、海面も、完全に奴らの土俵だ」
カイは苦々しく呟く。これは、万里が国家の威信をかけて構築した、接近阻止・領域拒否、A2/AD戦略の完成形だ。アトランティスが誇る空母打撃群ですら、このミサイルの飽和攻撃の前では巨大な「的」に過ぎない。ましてや、日本の限られた戦力で正面から挑むなど、自殺行為だ。
彼の視線が、手元の端末に落ちる。そこには、彼が東大時代から書き溜めてきた、膨大な研究ノートのデータが呼び出されていた。画面には、生物の骨格図、流体力学の数式、そして、魚類と機械が融合したような、無数の潜水艇のスケッチが並んでいる。学生時代の、まだ青臭く、しかし純粋な探求心の結晶。当時はまだ、漠然としたアイデアの断片に過ぎなかった。
カイは、壁の戦術マップと、手元のノートを、交互に見比べる。
現実の、絶望的な地政学的配置。
そして、かつての自分が描いた、常識外れの理想。
既存の戦い方では、勝てない。いや、戦うことすらできない。
彼は再び、壁のマップに視線を戻した。そして、おもろむにレイヤー情報を操作し、空と海面の情報を、一つ、また一つと消していく。空母も、戦闘機も、ミサイル駆逐艦も、全てが消え去った時、そこには、全く別の「戦場」が、その広大な姿を現した。
日本列島を取り巻く、深く、昏い、海。
世界で最も複雑な海流がぶつかり合い、海底火山が連なる、起伏に富んだ三次元の地形。
その瞬間、カイの中で、二つの世界が、音を立てて繋がった。
現実の「課題」と、理想の「解答」が、完全に一致したのだ。
彼は、日本列島から南へ伸びる、伊豆・小笠原海溝の深い谷を、指でなぞった。さらに、沖縄トラフの複雑な海底地形を拡大する。そこは、光も、電波も届かない、絶対的な暗黒の世界。万里のミサイルも、アトランティスの衛星も、その支配力を及ぼすことのできない、手付かずの領域。万里のA2/AD戦略が及ばない、唯一の死角。
なぜ、迷っていた。
カイは、静かに目を閉じた。答えは、最初からここにあったのだ。
この国は、四方を海に囲まれた、単なる島国ではない。世界有数の、広大で、複雑な「深海」という名の、天然の要塞を、その足元に有しているのだ。
「戦場は、ここしかない」
彼は確信した。
「光も、音も、奴らのルールも届かない、俺たちだけの聖域だ」
その瞬間、カイの頭脳の中で、バラバラだったピースが、一つの完璧な絵図へと収束していく。日本の地理的優位性。「見つからないこと」を絶対条件とする、自らの軍事ドクトリン。そして、巨大な兵器ではなく、小型で精密な「部品」にこそ真価を発揮する、日本のものづくりの魂。これら全てを統合する、唯一無二の解答。
東大時代の漠然とした構想が、今、国家の未来を賭けた、唯一無二の戦略であるという、揺ぎない「確信」に変わった。単体で敵を圧倒する巨大な兵器は不要だ。必要なのは、この暗黒の要塞を縦横無尽に駆け巡り、決して見つからずに敵の神経だけを断ち切る、深海の「獣」の群れだ。
カイは、ホログラムディスプレイを消した。
部屋は完全な闇に包まれたが、彼の頭の中には、これから創造すべき「獣」の設計図が、寸分の狂いもなく、鮮明に描き出されていた。
彼は、すぐさま暗号化端末を手に取った。
天野ミキ、古賀治、森田悟。
選ばれし「はぐれ者」たちに、ただ一文だけの招集命令を送る。
「地下ドックに、集まれ」
日本の、いや、世界の海戦史を永遠に塗り替えることになる設計図は、十年越しの思索の果てに、今、静かにその全貌を現そうとしていた。
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