第05話 研鑽の十三年(6) 机上の空論
サクPVです。
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銀杏並木を歩き続けていると、やがて左右の視界が開ける十字路に差しかかった。右手には、大学の知の殿堂である、荘厳な総合図書館が見える。そして、左手には、この国の産業を支えてきた知性が集う、工学部研究棟がいくつも並んでいた。
その建物を、サクは、まるで聖地を巡礼する信者のような、憧れの眼差しで見つめていた。
「僕の戦場は、ここだよ」
テルが微笑んだ。
「お前も、色々あったみたいだな。一時期、部屋に引きこもって、どうなることかと思ったぞ」
「…うるさいな、テル兄」
サクは少しむくれた。
「あの時の僕は、自分の作ったものが、世界で一番美しいって、本気で信じてたんだから」
サクの心に、高校二年生の、あの科学コンテストの、屈辱的な記憶が蘇る。
――壇上で、僕は、自信に満ち溢れていた。
震災で体験した、あの絶望的な光景。それを二度と繰り返さないために、僕は、僕にしか作れない、完璧なシステムを考案した。「AI制御による自律型災害救助建機群システム」。AIによって統合制御された無数の無人ショベルカーやクレーンが、人間のオペレーターよりも遥かに速く、正確に、そして安全に連携し、最も効率的に人命救助を行う。そのアルゴリズムの美しさ、ロジックの完璧さ。僕は、これで世界中の悲しみを一つ、無くせると本気で信じていた。
会場の聴衆も、審査員たちも、息を呑んで僕のプレゼンテーションに聞き入っていた。質疑応答でも、技術的な質問には、淀みなく、完璧に答えることができた。勝利を、確信していた。
だが、審査員長を務める元・大手建設会社の老技術者が、マイクを握った時、空気は一変した。彼は、穏やかな口調で、しかし、僕の理論の根幹を揺るがす、本質的な問いを、投げかけてきた。
「ヤマト君。君の理論は、実に素晴らしい。まるで、美しい交響曲を聴いているかのようだ。だがね、私は、君の音楽から、一番大事な音が聞こえてこないように思う」
老技術者は、ゆっくりと続けた。
「君のシミュレーションの世界では、瓦礫は、ただのポリゴンに過ぎない。だが、現実の瓦礫の下には、まだ息のある赤ん坊がいるかもしれん。君のAIは、その『命の重み』を、どうやって計算するのかね?」
僕は、言葉に詰まった。
「熟練のオペレーターはな、エンジン音の僅かな変化や、地面から伝わる微細な振動で、二次崩落の危険を予知する。五感の全てを使って、瓦礫の向こうの、声なき声を聞こうとする。その『勘』という、非言語的で、非論理的で、しかし、何よりも人命を救ってきたその『知恵』を、君のセンサーとAIで、どう再現するつもりだ?」
「君の理論は、美しい。だが、血が、通っていないのだよ」
壇上で、僕は、立ち尽くすしかなかった。それは、知的な敗北という名の、生まれて初めての、深い挫折だった。
「あの時、僕の世界は、一度、完全に壊れたんだ」
サクは、珍しく、真剣な表情で語った。
「でも、お父さんが、僕に、もう一つの世界を見せてくれた」
彼の記憶は、油と鉄の匂いが充満する、大田区の町工場へと飛ぶ。
――最初は、嫌だった。非効率で、非論理的で、汚い場所だと思った。だが、そこで働く職人たちは、僕の知らない「真理」を知っていた。
工場の社長は、僕の設計図を見て笑った。
「サク君。理論上は、この形が一番強度が出るんだろう。だがな、実際にこの形に削ろうとすると、金属が“鳴く”んだよ。ここに、どうしても応力が集中しちまう。これじゃ、すぐにヒビが入るぞ。ここを、ほんの少し、コンマ1ミリだけ丸くしてやるんだ。そうすりゃ、力がうまいこと逃げて、理論値より、ずっと長持ちするもんができる。これは、コンピューターじゃ分からねえ。鉄と、何十年も対話してきた、俺たちの指先だけが知ってることさ」
衝撃だった。
科学技術とは、美しい数式だけでも、熟練の技だけでも成り立たない。理論という「設計図」と、それを現実に創り出す職人の「魂」。その二つが融合して初めて、モノは、命を宿すのだと。
「僕は、あの場所で、本当の『ものづくり』の魂を学んだ。僕の理論は、まだ半分だったんだ。これからは、この大学で、残りの半分を、完璧にする」
サクは、工学部の研究棟を、決意に満ちた目で見上げた。その瞳には、もはや挫折の影はなかった。理論と現実という二つの翼を手に入れた、純粋なる創造主の光が宿っていた。
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