第05話 研鑽の十三年(5) 制御なき力
カイPVです。
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テルの言葉が終わった直後だった。
カイの革靴が、雨上がりの敷石のタイルの溝に残っていた水たまりを、パシャリ、と踏んだ。
その、湿った音を聞いた瞬間、カイの意識は、中学時代の、あの雨の日のアーケード街へと、引き戻されていた。
――友人を守るためだった。その思いに、嘘はなかった。
向かいから来た他校の不良五人。先に手を出してきたのは、向こうだった。友人のタケシの肩を突き飛ばした、あの瞬間に、自分の中の何かが、ぷつりと切れた。
思考ではなかった。本能が、動いていた。
リーダー格の男の鳩尾に、膝蹴りがめり込む。アスファルトに撒き散らせられる、酸っぱい匂いの胃液。残りの四人が、恐怖に歪んだ顔で、同時に殴りかかってくる。その全てを、スローモーションのように見切り、最小限の動きで避ける。一人の腕を掴んで関節を捻じ曲げ、もう一人の顔面に頭突きを叩き込み、最後の一人の足を払って、後頭部をコンクリートの壁に叩きつける。
十秒。おそらく、それくらいの時間だった。
だが、最初に倒した男が、ポケットからカッターナイフを取り出し、震える手で斬りかかってきた。
危ない、とタケシが叫んだ。
しかし、カイは、男よりも速かった。手首を掴み、ナイフを叩き落とし、その腕を、背中側に、ありえない角度まで、捻じ上げた。
ゴキリ、と、鈍く、湿った音が、自分の手に伝わってきた。
男の、絶叫とも悲鳴ともつかない声が、アーケードに響き渡る。
そして、彼は、最も見たくなかった光景を、見た。
守ったはずの友人タケシが、顔面蒼白になり、恐怖に引きつった目で、自分を見ていた。それは、感謝や賞賛の目ではない。理解不能な、制御不能な獣を見る、畏怖の目だった。
警察署の、冷たいコンクリート壁に囲まれた取調室。年配の刑事が、吐き捨てるように言った。
「お前は、友達を守ろうとした。だがな、坊主。やり方が、度を越している。相手は腕を折られ、全治三ヶ月の重傷だ。これは、もう『防衛』じゃない。ただの、一方的な『暴力』だ。分かるか?」
帰り道、父は、一言も口を開かなかった。
家に帰ると、ハジメは静かに、しかし、その目は、一切の揺らぎなく、息子を見つめていた。
「力なき正義は、無力だ。だがな、カイ。制御できない力は、ただの暴力だ。そして、暴力は、お前が本当に守りたいものとの間に、決して埋まらない溝を作ってしまうぞ」
父の言葉が、カイの心の最も柔らかい部分に、深く、深く、突き刺さった。彼は、初めて、己の力の危うさを、本当の意味で、理解した。
「あのままだったら、ただの獣だっただろうな」
カイは、水たまりに映る自分の顔を見つめながら、自嘲するように呟いた。
テルが、カイの肩に手を置いた。
「だが、お前は、その獣を、乗りこなした」
カイの脳裏に、古びた空手道場の、汗と木の匂いが混じり合った、あの空間が蘇る。
――師範である柳田は、小柄な老人だったが、その佇まいは大木のように揺らぎなかった。「突いてみろ」。カイは、鬱憤を晴らすかのように、渾身の突きを繰り出した。だが、師範は、それを水が流れるような動きで受け流し、カイの体勢が崩れた一瞬の隙に、その喉元に、寸止めで貫手を当てていた。カイが何をしたのか理解する前に、勝負は決していた。
「なっておらん。それは、ただ腕を振り回しているだけだ。怒りを叩きつけているだけだ。そんなものは、武ではない。ただの、獣の威嚇だ」
その日から、カイの修練が始まった。命じられたのは、ただひたすらに、型稽古だった。突き、蹴り、受け。何千回、何万回と、同じ型を繰り返す。それは、自らの内に荒れ狂う獣に、「武士道」という名の、強固な精神の枷をはめる作業だった。彼は、力を「放つ」ことよりも、「収める」ことの難しさと重要性を学んだ。相手の力を殺し、己の力を必要な一点にのみ集中させる。無駄な動きを削ぎ落とし、静寂の中に、必殺の機を待つ。
ある日、師範は、カイの演武を見て、初めて静かに頷いた。
「よろしい。お前の拳は、ようやく、壊すためのものではなく、守るためのものにな
った。その拳で、本当に守るべきものを、守るが良い」
水たまりに映る自分の顔は、もはやあの頃の、怒りに任せて拳を振るっていた獣の顔ではなかった。
カイは、前を向き、静かに言った。
「俺の武は、壊すためじゃない。守るためだけにある。俺たちの道を阻むものは、誰であろうと、容赦なく排除する。だが、その刃に、怒りを乗せることは、もう二度とない」
その横顔は、自らの力を完全に制御下に置いた、孤高の武人の顔をしていた。
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