第05話 研鑽の十三年(1) 剥き出しの地政学
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時代という名の役者が入れ替わり、文明という名の衣装が着替えられても、その広大な舞台で演じられる演目は、驚くほどに変わることがない。それは常に、一つの巨大な陸塊を巡る、終わりのない物語だった。
ヨーロッパ、アジア、アフリカ。三つの大陸が一体となったその威容を、かつてある地理学者は「世界島」と名付けた。世界の富と人口の大部分を内包する、文明の揺り籠にして闘争の舞台。彼の理論は単純にして明快だった。
「世界島を制する者が、世界を制する」と。
そして、その世界島の中心には、いかなる海洋勢力も直接その心臓を突くことのできない、広大な聖域が存在した。北を氷の海に、南を峻険な山脈と砂漠に守られた、大陸の内奥部。彼はそこを「ハートランド(心臓地帯)」と呼んだ。歴史を通じて、この安全な要塞からは、有り余る資源と強大な陸軍力を糧とする「ランドパワー」という名の巨大な力が生まれ、温かい海への出口を求めて、常に外部へと膨張する宿命を背負っていた。
令化の時代、そのハートランドの主は、万里人民共和国だった。眠りから覚めた赤い龍は、長年の経済成長によって蓄えた力を、ついに剥き出しの野心へと転化させ始めていた。その力は、歴史の法則に忠実な溶岩流のように、大陸の縁をなぞるように連なる沿岸地帯、すなわち「リムランド」へと、ゆっくりと、しかし確実に流れ出そうとしていた。
その膨張を、海の側から阻む者たちがいた。
南米大陸という離れ大島を拠点とし、強力な海軍力で世界の海上交通路を支配する「シーパワー」国家、アトランティス合衆国。彼らの国家戦略は、ランドパワーの海洋進出を、リムランドという防衛線で食い止める「封じ込め」に集約される。大陸から伸びる腕を、海の力で押さえつける。それは、歴史上、幾度となく繰り返されてきた、二つの力の宿命的な対峙だった。
令化十八年。
螺旋が、一つの特異点を通過する。役者は揃い、舞台の幕が上がった。ついに、その境界線で火花が散った。
戦場は、ヨーロッパの広大な平原だった。東ヨーロッパというハートランドへの玄関口を巡り、アトランティスが支援する政府軍と、万里が支援する反政府勢力との間で、内戦が勃発。だが、そこで空を舞ったのは、戦闘機でも爆撃機でもない。蜂の群れのように空を覆い尽くす、無数のドローンだった。ジャミングとスプーフィングが飛び交い、衛星通信という蜘蛛の糸を断ち切られたドローンが、操縦不能に陥って次々と大地に墜落していく。それは、どちらの兵士の血も流れない、しかし国家の生産力と技術力を削り合う、新たな消耗戦の始まりだった。
戦線は、西から東へと、まるで疫病のように拡大していく。
中東の灼熱の砂漠。ホルムズ海峡という世界の経済の喉元を巡り、アトランティス製の高性能無人戦闘機と、万里が支援する武装勢力の安価なドローンが、虚空のチェスを繰り広げる。
そして、南シナ海。万里が造成した人工島の滑走路から、翼に赤い星を描いたステルスドローンが、音もなく発進していく。彼らの任務は、アトランティスが築いた第一列島線という「海の万里の長城」に、風穴を開けること。その行動を阻止すべく、アトランティスの最新鋭無人哨戒機が上空からその動きを睨み、一触即発の睨み合いが続く。
ハートランドを制する者が世界を制す、
と古の戦略家は言った。
だが、後の時代の地政学者はこう喝破した。
「否、真の戦場は常に、その縁辺にある」と。
二つの巨大な力が宿命的に衝突する最前線、リムランド。その支配権を巡る闘争こそが、世界の運命を左右するのだと。
その頃、太平洋戦線の、絶対的な最前線。
リムランドの要衝中の要衝であり、ランドパワーが太平洋へ進出するのを防ぐ「最後の蓋」でもある、日本列島。その首都、東京は……。
奇妙なほどの、静寂に包まれていた。
それは、平和という名の静寂ではない。
国家としての心肺が、ゆっくりと停止していく、死の静寂だった。
ヤマト家の三兄弟が、絶望の淵から立ち上がり、それぞれの牙を研ぎ澄ませていた十三年間。それは、彼らの母国が、震災という深い傷からついに立ち直ることなく、自律的な回復能力を失い、静かなる死へと向かっていく、灰色の時代でもあったのである。




