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第04話 灰色の教室(5) 血の通った授業

皆様の声援が、三兄弟の戦いを未来へと繋げます。

ランキング上位を目指し、この物語を多くの人に届けるために、皆様の力をお貸しください!(↓の★で評価できます)


 その夜、ヤマト家の五人が眠る体育館の狭い一角。ロウソクの頼りない光が、壁に備え付けられていた古いホワイトボードを、ぼんやりと照らし出していた。

 ハジメは、憔悴しきった三人の息子たちを、その前に座らせた。


「今から、授業を始める」


 彼の声は、静かだったが、鋼のような意志が宿っていた。


「これから、なぜ南海トラフ巨大地震が、これほどまでに悲惨な『人災』となったのかを説明する。そして、お前たちがこれから戦うべき、本当の敵の正体を、教えてやる」

「テル。お前は、なぜ八百屋のおばあちゃんが死んだか、もう分かっているな」


 ハジメは、ホワイトボードに、一本の巨大な鎖の絵を描いた。そして、その横に、こう書き記した。


【貨幣の鎖】


「この国は、『政府の借金は、国民の借金だ』という巨大な嘘によって、自ら緊縮財政を行い、衰退するように仕向けられている。道や堤防を作るカネがないんじゃない。カネを使わないように、国民全体が思い込まされているんだ」


 ハジメは、テルが持ち帰った新聞記事――土建屋のオヤジの死を報じる小さな記事――を指さした。


「土建屋のオヤジさんを殺したのも、この鎖だ。復興のためのカネを『出さない』と決めた、見えない誰かの意志が、彼を殺した」


 テルは、唇を強く噛み締めた。


「……カネが、回らなかったから…ただ、それだけで…」


 その声は、怒りと無力感に震えていた。

 次に、ハジメはカイの方を向いた。その瞳には、深い共感の色が浮かんでいた。


「カイ。お前は、なぜタナカ巡査たちが殉職したか、なぜあの自衛隊が動けなかったのか、悔しくて仕方がないだろう」


 彼は、二本目の鎖を描き、こう書いた。


【軍事の鎖】


「勘違いするな。あの時、あの隊長は臆病だったわけじゃない。むしろ逆だ。彼は、自分の身がどうなろうと、国民を守りたいと、心の底から願っていたはずだ。お前は、見たはずだ。彼の、あの苦悶に満ちた表情を」


 カイの脳裏に、唇を噛み締め、血が滲むほど拳を握りしめていた、あの若い隊長の無念の表情が焼き付いていた。


「彼を縛っていたのは、恐怖じゃない。この国の、歪んだ『法律』という名の鎖だ」


 ハジメの声に、怒りが滲む。


「あの隊長は呟いていた。『法律に書いてない』と。その言葉通りなんだ。この国の自衛隊は、平時に想定された、ごく僅かな『してよいこと』しか法律に書かれていない。ポジティブリスト方式という、手足を縛るためだけの鎖だ。だから、暴動のような法律の想定外の事態には、何もできない。指一本、動かせない」


 ハジメは、ホワイトボードに、もう一つの図を描いた。

「普通の国の軍隊は逆だ。有事という、何が起こるか分からない状況を前提に、『やってはいけないこと』だけが書かれたネガティブリスト方式で動いている。それ以外は、現場の判断で国民を守るために行動できる。そして、彼らが最も恐れていたこと。それは、自分たちの行動が、軍事の特殊性を全く理解しない、一般の刑法で裁かれるということだ。彼が呟いた『犯罪者になる』という恐怖は、軍人の行動を裁くための軍法会議を持たないこの国の、致命的な構造的欠陥から来ている」

「国を守るための行動が、自分を『犯罪者』にするかもしれない。彼らは、常にその究極の自己矛盾を突きつけられている。彼らは、国を守るための『軍隊』としてではなく、決して牙を剥けないように去勢された『番犬』として、意図的に設計されているんだ」


 カイの拳が、ギリ、と音を立てて固く握り締められる。


「……犬、か。あんな、悔しそうな顔した犬がいるかよ…!」


 そして、ハジメはサクを見つめた。


「サク。お前は、瓦礫の中で、なぜあんなにもお腹が空いたのか、不思議に思っただろう」


 彼は三本目の鎖を描いた。


【資源の鎖】


「お前が体験した飢えは、ただの偶然じゃない。この国は、国民が生きるための食料やエネルギーを、海外からの輸入に頼り切るように仕向けられているんだ。お父さんが配給を手伝った、あのアトランティスからの支援物資。あれは、家畜の餌だった。我々は、自ら食料を生み出す力を奪われ、『飢え』を人質に取られているんだ」


 サクは、小さな声で呟いた。


「……ブゥ(ハンバーグ)、なぁーい…」


 母が約束してくれた、温かいごちそう。それが手に入らない世界の残酷さを、彼は思い出していた。

 ハジメは、一呼吸置き、息子たちの顔をゆっくりと見渡した。


「そして、これら全ての悲劇の根底には、もう一つの、もっと根深い鎖がある」

 四本目の鎖が、ホワイトボードに、禍々しく描かれる。


【技術の鎖】


「この国には、かつて世界をリードする技術があった」


 ハジメの声に、熱がこもり始める。彼は、研究者としての、魂の叫びを、息子たちにぶつけていた。


「世界最高の航空機を作る技術があった。だが、その翼は、アトランティスによって、七十年以上も前に、へし折られたままだ」

「世界一の半導体を作る技術があった。だが、その頭脳は、政治的な圧力によって、自ら考えることをやめさせられた」

「そして…」


 ハジメは、サクの目を、まっすぐに見つめた。


「ユキちゃんを殺したのは、停電じゃない。あの時、太陽光の電気は、余るほどあった。だが、問題はそこじゃない。電力網というのは、常に需要と供給のバランスを保つ精密なシステムだ。そのバランスを保つ『主役』であるべき安定電源を、この国は自ら捨て去り、天候に左右される不安定な『脇役』に全てを委ねてしまった。主役を失った舞台が崩壊するのは、当然の結末だ」

「そして、なぜ主役を失ったのか。それこそが【技術の鎖】だ。かつてこの国には、その主役を担う世界最先端の原子力技術があった。だが、その技術は政治的なプロパガンダや外国からの圧力によって『悪』とされ、衰退させられた。そして、その技術と共に、それを担うはずだった優秀な技術者たちも、活躍の場を求めてとっくにこの国を去ってしまった」

「結果として、今この国には、いざという時に頼れる『技術』も、それを動かせる『人間』も、どちらもいない。我々は自らの手で、未来を生き抜くための武器を捨ててしまったんだ。それこそが、この国を蝕む、最も深刻な病だ」


 サクが、顔を上げた。その瞳には、恐怖と、そして、それを上回る強い知的な探求心の光が宿っていた。


「……ビリビリ(電気)、なぁーい。あかちゃん、なぁーい…」


 あの老医師の言葉と、目の前で消えた命の光景が、サクの口から、断片的な、しかし本質を突く言葉となって漏れた。


「その通りだ、サク」


 ハジメは、強く頷いた。


「そしてテル、お前が見た、あの決壊した堤防。あれも、そうだ。この国には、世界一の土木建築技術があった。だが、カネがないという嘘の下で、その技術は安売りされ、骨抜きにされた。技術があっても、それを使う意志とカネがなければ、それはただのガラクタだ。この国は、自立に繋がる全ての重要な技術を、一つ、また一つと、自らの手で、あるいは見えざる手によって、断ち切られ続けてきたんだ」


 ハジメは、ペンを置いた。ホワイトボードには、四本の禍々しい鎖が、日本の未来を蝕むように描かれている。彼は、息子たちの顔を、一人、一人、ゆっくりと見渡した。その目は、深い悲しみと、それを焼き尽くすほどの怒りの炎に揺れていた。


「私は、ずっと考えていた。なぜだ、と。なぜ、この国には世界に誇るべき技術がありながら、それが国民を守るために機能しないのか。なぜ、真面目に働く者が報われず、善意が踏みにじられるのか」


 ハジメは、ホワイトボードに向き直ると、四本の鎖を、一本の太い線で、ぐしゃりと塗りつぶすように繋いだ。


「そして、分かったんだ。私は問いの立て方そのものを間違えていた」


 彼の声は、静かだったが、体育館の冷たい空気を震わせるほどの重みがあった。


「技術が、国を救うんじゃない。技術だけでは、誰も救えない。私の研究も、土建屋のオヤジさんの善意も、あの若い看護師の腕も、全てそうだ。その前に、必ず、越えなければならない壁がある」


 彼は、ホワイトボードの余白に、力強く、一文字ずつ刻み込むように書いた。


「技術の前に、経済。経済の前に、政治だ」


 その言葉が、ロウソクの光に照らし出された瞬間、三人の息子の心臓を、冷たい真実の刃が貫いた。

 八百屋のおばあちゃんを殺したのは、医療技術の限界ではなかった。道を造らないと決めた「政治」が生んだ「経済」の停滞だった。

 タナカ巡査を殺したのは、力の不足ではなかった。自衛隊の手足を縛り、行動を「犯罪」にする「政治」が決めた法律だった。

 土建屋のオヤジを殺したのは、彼の絶望ではなかった。復興のためのカネを流さないと決めた「政治」が引き起こした「経済」的殺人だった。

 ユキちゃんを殺したのは、停電という事故ではなかった。エネルギーの未来を見誤り、主役と脇役を取り違えさせた「政治」の、致命的な判断ミスだった。

 全ての悲劇が、そのたった一行の言葉に、収斂していく。

 テルは、唇を強く噛み締めた。その瞳に、憎悪の炎が燃え上がる。

 カイは、固く握りしめた拳が、血が滲むほど白くなっていた。

 サクは、ただ静かに、涙を流していた。

 ハジメは、震える手でタブレット端末を取り出し、最後の、そして最も残酷な真実を、息子たちに突きつけた。


「そして、これらの鎖が、今、この国の未来そのものを、静かに殺している」


 画面に映し出されたのは、厚生労働省が発表したばかりの、最新の人口動態統計の速報値だった。震災後の数ヶ月間、出生数を示すグラフは、ありえない角度で、抉り取られるように急降下している。


「経済的な絶望が、この国から未来そのものである子供を奪っている。専門機関の予測では、このままでは今年の合計特殊出生率は、史上初めて1.0を割り込むことが確実視されている。これは国家として、緩やかな自殺をしているのと同じことだ」


 次に、グラフが切り替わる。警察庁が発表した、犯罪情勢の月次報告。


「そして、これがもう一つの現実だ。日本人という共同体が静かに消滅していく一方で、社会の歪みは拡大している。カイ。お前が目撃した略奪は、氷山の一角だ。この最新データによれば、震災後、外国人による重要犯罪の検挙数は、前年同期比で3倍という異常なペースで急増している。我々は自らの国の中でさえ、安全に暮らせなくなりつつあるんだ」


 ハジメは、タブレットを置いた。そして、最後の鎖を描いた。


【思想の鎖】


「そして、これら全ての絶望を、我々に『仕方ない』と、諦めさせ、思い込ませている、最も根深い鎖が、これだ」


 それは、父親が息子たちに行うには、あまりにも残酷で、血の通った授業だった。

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