第04話 灰色の教室(2) 偽りの太陽
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シーレーンは、死んだ。
原油を積んだタンカーは一隻も来ず、国内の備蓄は日に日に底をつき、日本の電力網の「幹」であった火力発電所が、次々とその運転を停止していった。
だが、不思議なことに、政府も、メディアも、どこか楽観的だった。「クリーンエネルギーで、復興を」。そのスローガンの下、雲一つない青空に広がる銀色のソーラーパネル群が、日本の「新しい希望」として、連日報じられていた。
その日、シホとサクは、数日前に無事に出産を終えたママ友、アキちゃん親子を見舞うために、市内の基幹病院を訪れていた。
娘のユキちゃんは、早産による重い呼吸窮迫のため、NICU(新生児集中治療室)に入院していた。ガラス越しに見るユキちゃんは、あまりにも小さく、その口元には人工呼吸器の管が固定され、機械の力でかろうじて命を繋いでいた。「ピ、ピ、ピ…」という生命維持装置の規則的な電子音だけが、彼女が生きている証だった。
その、張り詰めた静寂が、唐突に引き裂かれた。
ブツン、という音と共に、NICUの照明が消え、非常灯の不気味な緑色の光だけが灯った。
全国規模の大規模停電。
「停電…!? でも、ここは基幹病院だから、非常用電源が…」
看護師が、血相を変えて部屋に駆け込んできた。
「ダメです! 備蓄していた非常用電源の軽油も、たった今、尽きました!」
その言葉に、アキちゃんの顔から血の気が引いた。彼女の視線が、ガラスの向こう、娘のユキちゃんに繋がる機械に釘付けになる。
モニターの表示が、次々と消えていく。
そして、「ピ、ピ、ピ、」と鳴り続けていた生命の音が、
プツン。
という短い音と共に、完全に途絶えた。
「まずい!」
廊下の奥から、ベテランの老医師が怒鳴りながら走ってくる。
「総員、NICUへ! アンビューバッグとアドレナリンを用意しろ! 急げ!」
医師と数人の看護師が、暗いNICUになだれ込む。老医師は小さなユキちゃんの側に駆け寄ると、間髪入れずに胸骨圧迫を開始した。
「呼吸確保! 気道クリア! バッグを寄越せ!」
若い看護師が差し出した手動式の蘇生バッグ(アンビューバッグ)を受け取ると、別の看護師がユキちゃんの口元にマスクを当て、医師の圧迫に合わせて空気を送り込み始める。シュコッ、シュコッ、という、必死の蘇生音だけが、暗闇に響く。
「どうして……?」
若い看護師が、涙声で、アンビューバッグを押し続けながら叫んだ。窓の外は、皮肉なほどの快晴だった。
「こんなに晴れて、太陽光はフル稼働しているはずなのに! どうして電気が来ないんですか!」
その、あまりに純粋な疑問に、老医師が、胸骨圧迫を続けながら、苦しげに、しかし燃えるような怒りを込めて、途切れ途切れに怒鳴り返した。
「逆だ、馬鹿者ッ! 足りないんじゃない…今のこの国には…電気が、余りすぎてい
るんだ!」
「え…?」
「電気はナマモノだ! 常に発電量と消費量を一致させなければ…送ることすらできん! そもそも…天候次第で発電したりしなかったりする太陽光のような不安定な電源を…国のエネルギーの主軸に据えようとしたこと自体が…狂気の沙汰なんだ!」
医師の額から、汗が噴き出す。その言葉は、蘇生措置で荒くなった息と共に、吐き出されていた。
「本来…常に安定して燃え続ける火力や原子力が、この国の電力網を支える『土台』であり、『主役』であるべきだった…。それを、政治家やメディアが『カーボンニュートラル』という耳障りのいい言葉に踊らされ…次々と座礁させた!」
シュコッ、シュコッ、と、蘇生の音だけが続く。
「震災で工場は止まり…電力需要は落ち込んでいる…。そこへこの快晴だ! 全国のソーラーパネルが一斉に発電し、需要を遥かに超える電力が、主役を失った欠陥だらけの電力網に一気に流れ込んだ! 結果…システムが自らを守るために、緊急停止したんだ! 分かるか!? この国は…間違ったエネルギー思想のせいで…自ら大停電を引き起こしたんだ!」
どれほどの時間が経っただろうか。数分が、数時間にも感じられた。だが、ユキちゃんの小さな体は、もはや何の反応も示さない。肌の色は、みるみるうちに生命の温かみを失っていく。
やがて、老医師が、絞り出すような声で言った。
「……やめだ」
看護師たちの動きが、止まる。
医師は、自らの首にかけていた聴診器を手に取ると、その冷たい金属の円盤を、ユキちゃんの小さな胸に、そっと当てた。
NICUに、絶対的な静寂が訪れた。誰もが、息を殺して、医師の表情を見つめる。医師は、目を固く閉じ、全神経を耳に集中させていた。だが、その表情は、次第に、深い絶望へと変わっていった。
聴診器を、力なく胸から離すと、彼はポケットから小さなペンライトを取り出し、ユキちゃんの瞼をそっと開いて、その瞳に光を当てた。反応は、ない。
医師は、深く、深く、頭を垂れた。
「……死亡、確認」
その声は、無念と、怒りと、そして、どうしようもない無力感に、満ちていた。
その、残酷な宣告が、引き金となった。
「いや……いやああああああっ!」
ガラスの向こうから、アキちゃんの、魂が引き裂かれるような絶叫が響き渡った。
サクは、母シホの背中に隠れるようにして、その一部始終を見ていた。
必死の蘇生もむなしく、音が消えた透明な箱の中で、小さな赤ん坊が、二度と動かなくなる瞬間を。母親の、耳を裂くような、魂の叫びを。
瓦礫の中で味わった「飢え」と、今目の前で命を奪った「エネルギーの飢餓」。
「在る」べきものが、「無い」だけで、世界はかくも容易く、残酷な地獄に変貌する。
彼の小さな心に、その絶対的な恐怖が、再び深く、深く、刻み込まれた。
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