第03話 理不尽な死(4) 力なき正義
その夜、事件は起きた。
避難所の体育館にある食料倉庫で、大規模な略奪が発生したのだ。中心となっているのは、言葉の訛りからして、万里人民共和国からの移民労働者と思われるグループだった。彼らもまた、飢えと絶望の淵にいた。だが、その手段は、あまりにも暴力的だった。
体育館の隅、ステージの下の薄暗い空間は、カイたち子供たちにとっての最後の「聖域」だった。大人たちの恐怖と絶望から隔離された、小さな秘密基地。カイは、その場所の暗黙の守護者だった。
その聖域が、土足で踏みにじられた。
金目のものを探していた暴徒の一人が、子供たちの存在に気づき、怯えて泣き出した女の子が大事そうに握りしめていた銀紙の包みを、ひったくろうとした。それは、先日、用務員のスズキさんが「元気を出せよ」とこっそりくれた、最後のキャラメルだった。
カイにとって、それは単なるお菓子ではなかった。自らの「縄張り」を侵犯され、守るべき「仲間」が脅かされ、そして尊敬する「恩人」との絆の象徴を奪われるという、三重の屈辱だった。
「――やめろ!」
カイは恐怖を押し殺し、女の子の前に立ちはだかった。
「これは…俺たちの場所だ。出ていけ!」
その、子供の必死の抵抗が、暴徒の逆鱗に触れた。
「どけ、クソガキ!」
男が、角材を振り上げる。
「危ない!」
物音に気づいて駆けつけたスズキさんが、カイを突き飛ばすようにして、その前に立ちはだかった。
鈍い音。
スズキさんの頭から、血が噴き出した。彼は、カイの名前を呼びながら、ゆっくりと崩れ落ちていった。
「カイ……お前は……強く、そして……優しく、生きるんだぞ……」
「スズキさん!」
カイの絶叫が、体育館に響き渡った。
その直後だった。混乱の極みにある体育館に、希望の光が差したかのように見えた。
自衛隊の一個小隊が、駆けつけてきたのだ。カイは一瞬、「助かった!」と安堵した。あの暴徒たちを、この絶対的な力が制圧してくれる。
だが、現実は、彼の希望を無残にも裏切った。
自衛隊員たちは、暴徒たちと安全な距離を取り、武器を構えようともしない。ただ、拡声器を通して、まるで他人事のように呼びかけるだけだった。
「冷静になってください。武器を捨てて、投降してください」
その時、カイは見た。
部隊を指揮している若い隊長の顔を。その顔は、深い無力感と、怒りを押し殺した苦悶に歪んでいた。彼は、目の前の惨状から目を逸らすまいと、唇を血が滲むほど強く噛み締め、その手にした指示棒を握る拳は、わなわなと震えていた。
彼もまた、戦いたいのだ。守りたいのだ。だが、何かが、それを許さない。カイは、その隊長の口元が、誰にも聞こえないほどの声で、呪詛のように呟くのを、確かに読み取った。
「……動けん……。法律に、書いてないんだ……」
その、あまりにも無力で、滑稽な光景に絶望し、飛び出した者がいた。
カイが憧れていた、あの若い警官、タナカ巡査だった。
「警察だ! 全員武器を捨てろ! これは警告ではない、命令だ!」
彼は腰の拳銃に手をかけ、暴徒たちを牽制した。だが、自衛隊が動かないことを見た暴徒たちは
「こいつ一人だけだ、やっちまえ!」
と逆上し、一斉に襲いかかった。
タナカ巡査は応戦し、数人を投げ飛ばす。だが、多勢に無勢だった。
背後から、鉄パイプが彼の頭に振り下ろされた。
タナカ巡査は、膝から崩れ落ちた。彼は、薄れゆく意識の中、カイの姿を認めると、最後の力を振り絞って、にかっと笑った。
「……カイくん……悪を、やっつけ……たかったんだが……な……」
そして、動かなくなった。
カイは、その場に立ち尽くしていた。
自分を庇ってくれた、優しい恩人。
自分が憧れていた、正義の象徴。
その二つの大切な命が、目の前で、あまりにも無残に奪われていく。
そして、それを救えるはずの「力」は、ただ悔しさに拳を握りしめ、傍観しているだけ。
「う……ああああああああああっ!」
カイの喉から、獣のような咆哮が迸った。それは、悲しみではなかった。怒り。絶望。そして、無力な正義と、行使されない力に対する、殺意にも似た、どす黒い感情の奔流だった。
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