鉄拳⭐︎聖女〜追放されたできそこないですが拳一つで最強聖女になりました〜
「――ティナ! そっちに行ったよ!」
「――了解!」
駆ける。
開けた草原。
ティナの背ほどもある草をかき分け走る。
目標はすぐそこ、手を伸ばせば触れられる距離だ。
ティナは拳に力を込めると、力強く振りかぶった。
「この村に悪さする子は、私が成敗してやるんだから!」
足を止める。
地面から足の裏を通り、手にまで力が流れるのを感じた。
これが聖女の力。
大地から力を得て、悪きものを滅し、大地を豊かにし、人々に癒しを与える。
「――聖女……パーンチっ!」
そんな可愛らしい名前とは裏腹に、二足歩行の狐のような魔物にティナの拳が当たると、ゴキっ、といういい音が辺りに鳴り響く。
それとともに狐の体が光だし、瞬く間に光の粒子となり消えていった。
まるで浄化されたかのような消滅方法を見て、隠れていた村の子どもたちが拍手とともに声を上げる。
「出た! 鉄拳聖女!」
「さっすがティナ! 拳一つだ!」
「その名前で呼ばないで!」
かあっと顔を赤らめた彼女こそ、名前をティナという。
王宮から聖女の力がないと追放されたできそこないの聖女。
……の、はずだった女性。
そう。
彼女は拳にのみ、神力を宿すことのできる。
――鉄拳聖女である!
「――っ、痛いっ! 痛いってば!」
「うっさいのよ、あんた」
黒々とした長い髪を引っ張られて、ティナはお仕置き部屋へと入れられた。
そこは窓が一つもない部屋で、孤児院の誰もが恐れる場所だ。
幽霊が出るとか虫がたくさんいるとか……。
とにかくそんな恐ろしいところに、ティアな行きたくなかった。
「やめて! アリス! やめてってば!」
「院長先生に許可はもらったわ。ティナがご飯をつまみ食いしたってね!」
「わ、私そんなことしてな――」
「知ってるわ。ただあんたがムカつくだけ」
まるでゴミのようにお仕置き部屋に放られて、ティナは慌ててドアへと駆け寄る。
暗いのは嫌いだ。
だから閉めないでと必死に駆け寄ったが、アリスは笑いながらドアを閉めてしまう。
「夕食はなしよ! 明日の朝までそこで泣いてなさい」
途端に中は光が一切差し込まなくなってしまい、ティナはドアの前で膝を抱えた。
耳にはアリスの笑い声だけが響く。
「――大丈夫、大丈夫、大丈夫」
目を閉じればそこは闇だ。
だから大丈夫。
寝ているのとなにも変わらない。
怖くない怖くない。
そう、自分に言い聞かせることしかできないのだ。
ハッと瞬きを繰り返したティナは、今見ていたのが過去の出来事だったことを思い出した。
あれはまだ七歳だった時のこと。
今はあの時より十年は経ったというのに、なぜあんなことを思い出したのだろうか?
そう考えて、答えはすぐに出た。
「ティナ。偽物の聖女め! たいした力もないお前を、これ以上王宮に置いておくわけにはいかない! さっさと消えろ!」
「ごめんなさいね、ティナ。――できそこないはいらないのよ」
同じ孤児院で育ったアリスは、つねにお姫様だった。
栗毛色のふわふわの髪に、金色に光る美しい瞳。
物語に登場するお姫様のような彼女は、大人になっても特別な存在だった。
彼女は聖女として王宮に招待されたのだ。
――ティナと一緒に。
微力ながら神力があるとして王宮に呼ばれたティナも、聖女としてその力の強化にとりくんでいた。
しかし王宮にきた時から素晴らしい能力を持っていたアリスと比べられて、できそこないの聖女まがいと呼ばれるようになってしまった。
それでも国のためと努力していたティナだったが、アリスに惚れた王子によって王宮を追放されてしまったのである。
昔からアリスはティナに対して当たりがひどく、いじめまがいのことをよくされていたものだ。
「まあ、でも。これでできそこないって言われなくてすむのなら…」
つねに一緒だったアリスは美しく優秀だったから、ティナはいつだってダメな方と呼ばれていた。
アリスが王宮に行くと聞いてやっと離れられると思ったのに、ほんの少しの神力のせいで聖女と呼ばれ連れていかれるとは、小さなティナには想像もできないことだった。
人の傷を治すことも、草木を育てることもできないというのに。
「――ま、やっと自由になれたってことね!」
とはいえやっと身の丈に合わない王宮暮らしと、聖女としての特訓から解放されたのだ。
ここは喜ぶべきだろう。
ティナは深い森の中でポイっと投げ出されたことにもめげず、スタスタと足を進めた。
「ひとまず住む家を探さないと。森の中なら自給自足ができるかもしれない。いっそ世捨て人として人生謳歌しよう!」
がははっ、なんて一人で笑っていた時だ。
ツンッとする香りがティナの鼻に届く。
「これ、なんの臭い……?」
「――そこに、誰かいるの!?」
子どもの声だ。
まだ幼い男の子の焦ったような声に、ティナは考えるよりも先に足が動いていた。
孤児院にいると自分より小さい子がいるのは当たり前で、子どもは守るものだと頭に叩き込まれている。
少し弱ったような声に、体が条件反射で動いていたのだ。
「――君! その傷どうしたの!?」
「……あれ? お姉ちゃんだれ?」
まだ十歳にもなっていないような男の子が、木の根に背を預けて座り込んでいた。
日に焼けたような濃い茶色の髪の間から血を流し、左目を閉じた状態のその姿にあわてて駆け寄る。
「村の人じゃないよね? どうしてこんなところに……」
「私のことはいいから! 痛い? 頭打ったの?」
「魔物に襲われて逃げてる途中で転けて怪我したんだ。
魔物ももういないと思うんだけど……足をやっちゃってさ」
そういう男の子の視線の先を見れば、左足首が大きく腫れていた。
確かにこれでは動くこともできないだろうと、ティナは自分の水筒を男の子に渡す。
「ひとまずこれを飲んで。意識はしっかりしてる?」
「え? うん……。頭を打ったっていうより、転けたときに木の枝で切っちゃっただけだから。それより足首がこんなんだから、近くの村から誰か呼んでほしくて」
男の子が話している間に、ティナは自分の長い髪を一つに結い上げる。
腕を伸ばし肩を回して軽くほぐすと、男の子の前で座り込む。
「はい、おぶってあげる!」
「――え、ええ!? い、いいよ! 俺重いもん!」
「重い……? 君くらいの子どもならよくおんぶしてたわよ。さあ! おいでませ!」
「…………ぅ、」
実際このくらいの子どもが怪我をすれば、ティナが背負って医務室に連れ込んだものだ。
だから余裕だと伝えたが、男の子は本当に嫌そうな顔をした。
しばしの沈黙ののち、渋々といったようすで背中に乗ったのを確認し、ティナはゆっくりと立ち上がる。
「村はそばなの?」
「……うん。村の近くまででいいからね?」
「遠慮は必要ないわ。家まで運ぶからね!」
「いや、それは――」
「さあ行くわよ! 舌、噛まないようにね!」
背中にいる男の子をしっかりと支えると、ティナはかなりの速さで村へと向かう。
「――ちょ!?」
「私体力には自信があるの!」
「そういう問題じゃない!」
男の子の上半身が若干のけ反っているのだが、走っているティナは気づかない。
およそ人のスピードでない勢いで走り出したティナは、あっという間に村にたどり着いた。
「――あれ? ここの村であってる?」
「……あ、あってる………………ぅぇ゛っ」
たどり着いたのは小さな村だった。
民家が二十軒くらい建っているだけの、こじんまりとした場所だ。
家も手作り感あふれる木で作られた家ばかりで、王都と違うのがよくわかった。
けれど人々の笑い声や子どもたちの楽しそうな声に、ティナはゆっくりと口端を上げた。
「いい村ね! とっても素敵」
「ただの村だよ。……まあ、ありがとう。それよりもう大丈夫だから下ろし――」
「家まで連れていくと言ったでしょう? その足で歩くなんて無理よ」
えっと……とティナはあたりを見回す。
すぐに洗濯している女性を見つけて声をかけた。
「すいません。この子山で怪我しちゃったみたいで……」
「え? あらヤダ! ちょっと! チャドが怪我したって!」
女性の大きな声に、村の人たちがわらわらとやってきた。
「本当だ。おーい! チャドが怪我してるぞ!」
「先生呼んでこい。あと……」
「――チャド!」
一際大きな女性の声に、ティナは己の肩が勢いよく上がったのがわかった。
びっくりした……と、真後ろから聞こえた声に心臓が激しく高鳴っていると、先ほどよりも一層大きな声と共に女性が男の子の頭を殴りつけた。
「お前はまた勝手に森に入って! お母さん入るなって言ったでしょう!?」
「でも薬草とらなきゃ……」
「言い訳しない!」
ゴチっといい音とともに男の子の頭がなかなかの勢いで殴られて、ティナは思わずあわててしまう。
「あ、あの! 一応頭怪我してるようなので……」
「あなた……。本当にありがとう! 息子の命の恩人だわ!」
「いえ、そこまでのことは……」
「うちにきてお礼させてちょうだい! チャド! あんたは夜ご飯抜きだからね!」
強い。
母とはこんなにも強いものなのかと、ティナはグイグイと背中を押されて村の中に入っていく。
このままどこに連れて行かれるのかと不安になっていると、小さなお家へと案内される。
「ささ! 狭いところですがどうぞ!」
木の扉を開ければ、中は大きな一つの部屋だった。
全体的に荷物が多くごちゃっとしているけれど、なぜか嫌な感じはしない。
部屋の奥に小さなキッチンがあり、その前に四人ほどが座れる木のテーブル。
床には赤と緑の絨毯が敷かれ、その上には木で作られた人形が四、五個無造作に置かれている。
奥にも扉があるので、いくつか部屋があるようだ。
「……素敵なお家」
「汚い家でごめんなさいねぇ」
そんなことないと、ティナは夢見心地で首を振った。
小さい頃夢見たことがある。
もし両親がいたら、こんな暖かな家で眠るのだ。
ぎゅうぎゅうのベッドでおしゃべりして、眠れないティナにホットミルクを作ってくれる。
そんな夢を、見たことがあった。
「さあさあ! 座って座って! 大したおもてなしはできないけれど、これ食べてちょうだい」
出されたのはガッチガチのパンにじゃがいものみのスープ、それと豆を煮詰めたものだった。
王宮にいた時は肉や魚が食べられたが、環境のせいかあまり美味しいとは感じられなかった。
明らかに王宮よりも劣るはずの食事に、ティナは心が落ち着くのを感じる。
「……美味しそう。いいんですか?」
「もちろんよ! バカ息子の命の恩人なんだもの!」
「そんなに大したことはしてないんですが……」
ただ運んだだけなのに、こんなによくしてもらっていいのかと束の間考える。
だが目の前にいる女性があまりにも優しく微笑んでくれていたため、そんな杞憂はすぐに吹き飛んだ。
「……いただきます」
「はいどーぞ! それにしてもあなた見ない顔だけれど……。こんな辺鄙な村になんのようなの?」
パンをちぎろうとするがとても固い。
孤児院で食べていたのはもっと質の悪いものだったのに、王宮暮らしに慣れてしまっているのかもしれない。
力いっぱい引きちぎりミルクと一緒に口に放れば、なんだか懐かしい感覚に無意識にも笑みが溢れた。
「…………実は私王宮を追われまして」
「王宮!? あ、あんた一体なにしたの?」
「あー……そのぉ……」
なんだかこの人にはなんでも話してしまいそうになる謎の魅力がある。
包容力ともいうのかもしれない。
聖女の力がなさすぎて追放されました、なんて恥ずかしくて本当なら口にできないはずなのに……。
気づいたら全て話していた。
「――と、言うわけで……今無職の宿無しなんです……」
なんとなく気恥ずかしくて頭の後ろをぽりぽりとかいていると、目の前の女性はあんぐりと口を開いていた。
まあ目の前のずたぼろな女が王宮にいた聖女で、力が弱いからって追い出されたなんて、信じられる話じゃないよなとなんとなく気まずくなった時だ。
あたたかな温もりが、ティナを包み込んでいた。
「――つらかったわね。もう大丈夫よ」
「…………」
「あなたはがんばったの。ちゃんとがんばったんだから、自信を持っていいのよ」
なんだか胸がぽかぽかする。
この嬉しくて、でも少しだけ泣きそうになる感覚は一体なんなのだろうか?
「――ありがとう、ごさいます」
親がいたらこの感情に名前をつけられたのだろうか?
わからないけれどこの温もりが嬉しくて、ティナは女性を抱きしめ返した。
「…………あたたかい」
思ってたよりも追放されたことにダメージを受けていたらしい。
今後を思えば不安になっても当たり前かと、優しい温もりを堪能する。
「……えへへ。ありがとうございます! 元気になりました!」
「――そう? こんなんでよければいつだってやってあげるわよ」
「なんて大盤振る舞いだ!」
これを望む子どもがたくさんいることを、ティナは知っている。
だからこそその幸福を噛み締めていると、そんなティナを見ていた女性が手を叩いた。
「そうだ! あなたよければこの村に住んじゃいなさいよ!」
「――へ?」
「行くところないんでしょう? うちでよければ住んじゃえばいいのよ!」
「――…………いや、いやいや! そんな簡単に……!」
あまりにも突然すぎる展開に、ティナは慌てて否定する。
身元も知らない女を、そんなふうに軽々しく信用するものではない。
「いいのよ! どうせ見捨てられた村なんだから、人が一人増えたって誰も気にしないわよ」
「いや、でも……!」
「子どもは宝。この村全員の子どもって言ってもいいのよ。そんなチャドを救ってくれたあなたを、誰が拒否すると思う?」
そういうものなのだろうか?
困惑するティナをよそに、女性は握手を求めるように手を差し出してきた。
「ダリアよ。今日からあなたのお母さんだと思ってちょうだい。――いいわよね、チャド?」
ダリアが声をかけたほうを見れば、杖をつきながら歩くチャドがいた。
彼はティナをチラリと見た後、大きくため息をつく。
「母さんは言い出したら聞かないから諦めたほうがいいよ」
「――でも! さすがに迷惑じゃ……!」
「この村は人が減ってく一方だから、むしろ増えてくれるなら喜ぶ人多いと思うよ」
「そ、そんな感じ……?」
「お姉さんこそ、こんな廃れた村じゃ嫌なんじゃない?」
そんなわけがない。
確かに住んでいる人数は少なそうだが、パッと見ただけでもこの村に住む人たちは皆優しそうだ。
こんなところに住めたら幸せだろう。
……しかし。
「わ、私不審者だし……」
「不審者だけど命の恩人だよ」
「王宮追放されてるし……」
「びっくりしたけど、別にいいんじゃない? 追放されたってことは、もう縁が切れたってことでしょ?」
「………………聖女失格だし」
「それこそ気にしてないけど?」
ティナが気にしているところを言えば言うほど、チャドに綺麗に返されてしまった。
こうなってはもう、他に言うことはない。
むぐりと口を閉じたティナを見て、ダリアは手を叩くと立ち上がった。
「決まり! ティナは今日からうちの子よ!」
スタスタと足を進めたダリアは家のドアを開く。
するとどうだろう。
村中の人間たちが集まり、聞き耳を立てていたのだ。
「聞いてたでしょう? 今日からティナはこの村の子よ! 文句あるやついる?」
ダリアの声に周りはしんっと静まり返る。
その反応に、やっぱり無理だよなとティナが諦めかけた時だ。
「文句なんかねぇよ!」
「チャドを救ってくれたなら、この村の恩人だ! ぐだぐだ言うやつなんざここにはいねえよ! そうだよな!?」
そうだそうだと同意する声が響く。
みなが楽しそうに笑い合うその姿に、自分という存在が認められたのだと理解した。
「……ほ、本当に、いいん……ですか?」
「ここまで言わせて、お姉さん断れるの?」
「無理です!」
「じゃあ決定じゃない?」
決定してしまった。
まさかの、男の子を助けたら家ができたのである。
「……よ、よろしく……お願いします?」
「よろしくー!」
「いやぁ、若い子が増えて賑やかになるねぇ」
「ほんとほんと!」
こうして、ティナは新たな家を手に入れたのであった。
「おはようティナ。山菜がたくさんとれたから持っていきな」
「ありがとうございます! わぁ……! 本当にたくさん!」
「おはようティナ。悪いんだけどあとで薪を持ってきてもらえる?」
「かしこまりましたー!」
この辺境の村に住んでから、まだ一週間しか経っていない。
それなのにこの馴染みようは一体なんなのだろうか?
ティナ本人が頭を傾げてしまいそうになるほとウェルカムなこの村は、本当に小さく、そして貧しい場所だった。
毎日食べるものに困る日々だが、それでも山菜をとったり、近くの川で魚を捕まえたりしてなんとか食い繋いでいる。
そんな過酷な状況なのに、この村の人たちはあたたかくティナを迎え入れてくれたのだ。
なら恩返しをしなくてどうすると、ティナはもらった山菜とニ家族分の洗濯物を持って村を駆け回る。
「相変わらずの怪力だねぇ。怪我するんじゃないよー!」
「はーい!」
隣のお婆さんが腰を悪くしてしまい、代わりに洗濯してきたのだ。
なかなかの大荷物を軽々持ち上げ走るティナに、村の人たちも最初は驚いていた。
だがそれも最初だけ。
力持ちなティナの姿に、今では村の人たちは楽しげに笑うだけだ。
「ほい、おばあちゃん! 洗濯物持ってきたよー! ここに干せばいい?」
「あらティナちゃん、ありがとうねぇ」
「いえいえ! ついでですから!」
孤児院で子ども数人の相手をするというのは、体力とともに腕力も必要である。
あと脚力もだ。
とにかく力と体力が足りないと、それだけであっという間に子どもたちに取り囲まれてしまう。
なのでいつのまにか得た力だったが、この村では役立つようで大変うれしかった。
ありがとうと言われると思わず口元がニヤけてしまう。
ニコニコしながら洗濯物を干していると、それを見ていたチャドに声をかけられた。
「顔ニヤけてるぞティナ」
「うるさいわよチャド。ダリアさんから言われた薪持ってきたの?」
「今から行くんだよ。ティナも行かね? 明日珍しく雨みたいだから多めにほしいんだ」
あれだけ足が腫れていたのに、チャドはもう普通に歩けるくらいには治ったらしい。
素晴らしい再生能力だなと感心しつつ、なるほどと空を見上げた。
確かに晴々とした天気ではない。
まだまだ雨が降りそうな気配はないが、雲が広がってきてはいる。
明日あたり雨が降るならば、薪は多いほうがいいだろう。
ならばと、ティナは洗濯物をチャドにも渡した。
「じゃあこれよろしく」
「げぇ」
「チャドの仕事手伝うんだから、私の仕事も手伝うべきじゃない?」
「……しょうがねぇな……」
渋々といった様子で洗濯物を干し始めたチャドを横目で見つつ、ティナもさっさと用事をすませようと手を動かした。
黙々と洗濯物を干し終えて、二人は近くの山に入る。
「魔物がいるからあんまり奥まで入れないんだよな。美味いキノコとかたくさん生えてるんだぜ」
「ってことは奥に入ったことあるのね? ダリアさんに告げ口しちゃおうかなぁ」
「やめろ、馬鹿!」
ニヤニヤとしながら枝を拾うティナに、チャドが慌てて首を振た。
村のガキ大将であるチャドも、母親は怖いらしい。
さすが、母はつよし、である。
「――よし、一旦このくらいでいいかな?」
「いいんじゃね? まだ時間あるし、もう一回とりに――」
チャドがいいかけたその時。
少し離れたところから、なにやら騒がしい声が聞こえた気がしたのだ。
「……今、なにか声が……?」
「ティナ! 姿勢を低く、息を殺して」
チャドの様子が変わった。
明らかに警戒しているチャドの背中を見て、ティナは言われるがまま上半身を下げる。
呼吸の音をなるべく出さないよう気をつけつつ、先を歩くチャドの後を追う。
「……どうなってるの?」
「わかんねぇけど……。魔物かもしれねぇ」
「なら近づかないほうがいいんじゃない?」
「これだけ村に近かったら、ほっとくほうがあぶねぇよ」
確かにそうだ。
山の中とはいえ、少し行けば村にたどり着いてしまう。
魔物は鼻がいいものが多いと聞く。
下手に村に近づかれては、損害が大きくなってしまうかもしれない。
「でもいったいどうするつもり?」
「これ。山に入る時には必ず渡されるシケの実だ。これの臭いを魔物が嫌うんだ」
「そんなものがあるのね。じゃあそれを使って……」
「とはいえこれは燃やして煙を出さないと意味がないんだ。瞬時の時に使えないのが欠点なんだよ」
「なるほど……なんて微妙な性能……」
燃やして煙を出している間に、魔物にやられてしまうだろう。
だからこそチャドは冷静に魔物の姿を見てから行動しようとしているのだ。
そういうことならばと気をつけながら進むと、草むらの先で獣の唸り声のようなものが聞こえた。
「――ティナ、俺がこれに火をつけてあいつの目の前に投げる。だからその隙に……」
「――っ!」
チャドからなにか言われていた気がするけれど、ティナの耳には入ってこなかった。
草むらの先、そこに見えた光景に気がついたら走り出していたのだ。
「――ティナ!?」
チャドの声がする。
この行動がどれだけ無謀かわかっているが、無意識にも体が動いていたのだ。
昔から小さい子どもやお年寄り、弱っている人を見ると居ても立っても居られない癖が出てしまった。
大きな熊のような魔物の目の前には、血を流しぐったりとしている男性がいる。
それを見てしまったらもう、どうすることもできなかったのだ。
「――っ! コラァぁぁぁ! やめなさーいっ!」
大きな声を出せば、当たり前だが魔物はこちらを向く。
男性から意識を逸らすことに成功したのはいいが、これから先のことはなに一つ考えていない。
その時になってティナは『あ、やってしまった』と心の中でつぶやいた。
自分に魔物と対峙する術はない。
終わった……。
と青ざめた時だ。
魔物が大きく腕を振り上げ、その鋭い爪でティナを切り裂こうとする。
――グァァァァッ!
地響きのような唸り声と共に振り下ろされる魔物の腕。
あの鋭利な爪で引き裂かれては、ひとたまりもないだろう。
ティナは涙目になりながらも強く瞼を閉じたその時だ。
熱く力強いなにかに引っ張られた。
「――っ! 下がって……っ!」
「あ、あなた……!」
そこにいたのは倒れていたはずの男性だ。
白銀の長い髪を一つに結い、右目は銀、左目は黄色という一度見たら忘れない特徴がある。
そしてなによりもその美貌だ。
切れ長の目元には黒子が一つあり、それが彼の美しさを際立たせていた。
スッと筋の通った鼻梁に薄い唇。
全体的に鋭利な印象を与えてくる男性は、ティナを背にかばいながら魔物の一撃を剣で受けていた。
「――っ、ぐ、ぅ!」
「ち! 血が……」
目の前の魔物にやられたのだろうか?
左腹部から血を流している。
それを見て青ざめたティナを、己から引き剥がそうとさらに後ろへと押してくる。
「離れて――! 僕の後ろに……っ」
そうは言いながらも傷がつらいのだろう。
男性はぐらりと上半身を揺らすと、そのまま地面へ片膝をつく。
「大丈夫!?」
「――っ、こんなやつに……っ!」
それでもまだ魔物に向かおうとする男性を支え、なんとかその場を去ろうとする。
だがそれを許してくれる魔物ではない。
魔物は邪魔をされたと怒りをあらわにし、狙いを男性に絞ったようだ。
彼に向けて振り上げられた腕に、ティナはたまらず足を踏み出した。
「――なっ、君!?」
後ろから戸惑ったような声がする。
だがこれ以上男性に無理をさせるわけにはいかない。
とはいえティナに太刀打ちできる手段なんてなくて。
しかたないと前に出たのなら、せめて最後くらい華々しく散ってやる。
そんな根性でティナは拳を振り上げると、力の限り魔物をぶん殴った。
「いい加減に……っしなさーいっ!」
魔物の頭に拳骨を落とす。
――その瞬間までティナは気づかなかった。
己の拳が光り輝いていたことに………!
光をまとった拳が頭に当たり、魔物は悲鳴のような雄叫びとともに光の粒子となり爆散した。
「――………………え?」
「…………いったい、なにが起こってる?」
その場にいた二人とも、ポカンと口を開いて固まってしまう。
特にティナは拳を握りしめたまま、魔物が消えた場所を眺め続ける。
今いったい、なにが起こった……?
「――ティナ、いったいなにしたんだ?」
「……私にも、なにがなんだか…………」
草むらからチャドが出てきて、ティナの隣に立つ。
己の光り輝く拳を呆然と見つめるティナ同様、握りしめられている手を眺める。
「ティナの拳が魔物を粉砕した……」
「ちょっと! 言いかたってものがあるでしょ!」
「でも事実じゃん!」
「――……くっ!」
確かにその通り過ぎてティナは黙り込んだ。
未だ光の粒子を纏う己の拳を眺め首を傾げていると、後ろから苦しそうな声が届く。
「――君は、聖女だね……?」
「――あ! ごめんなさい! 今すぐ傷の手当てを……」
「……? 聖女なら治すこともできるんじゃ……?」
「あー……私できそこないなんで……怪我とかそういうの治せないんです」
申し訳ないとと頭の後ろを撫でつつ言えば、目の前の男性はきょとんとした顔を見せる。
そんな表情ですら整って見えるのだから、イケメンってすごいなとティナは感心した。
「…………なるほど。なんとなく理解できたよ」
「なにをですか? あ、というか怪我の手当てを……」
「魔物を倒した時も、人一倍驚いてたもんね」
「え? そりゃあ……。私の神力なんて微々たるもので…………」
「その認識は大間違いだよ」
男性はティナの目の前までやってくると、片膝を折る。
差し出された手に戸惑いつつも答えれば、男性はティナの手をとりぎゅっと握った。
「ほあぁ!?」
「手を握って。僕の考えが正しければ多分……」
異性に触れることになれていないティナは、手に触れられて思いきり肩を跳ねさせた。
心臓がバクバクと大きな音を立てる中、言われたとおり拳を握る。
すると男性はそのまま、その拳に額を当てた。
「――ぴっ!」
「ティナが変な声で鳴いた……」
あまりのことに直立不動していると、ティナの拳がふわりと光出す。
金色の粒子は男性の額へと向かい、傷がひどい左腹部が光に包まれる。
「――なに、これ……」
「…………やはり、僕の考えは間違っていなかったようだね」
光が落ち着き立ち上がった男性は、引き裂かれた服を捲りあげ、鍛え上げられた腹部をあらわにする。
「――きゃ!?」
「おお。……すげぇ鍛えてる……」
ティナは慌てて目元を手で隠しながらも、指をほんの少しだけ広げてその間から見てしまう。
チャドのいうとおり鍛えられた腹筋があらわになり、ティナは顔を真っ赤にしつつも見つめた。
「傷、綺麗に治ってるね。……やはり君は、とても強い力を持った聖女だ」
「え? でもそんなはずないです。……私、神力が少ないって、王宮から追放されたんですよ……?」
「少ない? そんなはずないよ。あれだけの深い傷を一瞬で治せるなんて、歴代聖女の中でもトップクラスのはずだよ」
「…………そ、そうなんですか?」
確かにアリスが負傷した騎士を治しているところを見たことがあるが、半日はかかっていたはずだ。
それに彼女はそのあと倒れて、丸一日は寝込んでいた。
ということはつまり……。
「私……すごいの?」
「いやすごいだろ! 魔物ぶっ倒して人の怪我まで治してる……。どこができそこないの聖女だよ!?」
チャドからそう言われても、いまいちピンときていないところがある。
できそこないと言われ続けたからか、どうしてもその考えが頭から離れないのだ。
「本当に力が弱かったのよ。……なのに急にどうして」
「限定的なものだと思うけれど。――君の力は、拳にこそ宿るんじゃないかな?」
「拳……?」
ティナは改めて己の手を見る。
確かに握りしめていない手には、あの光は宿ってくれない。
もう一度改めて拳を強く握れば大地から力を感じ、手に光が集まってくる。
それを見て男性が立てた仮説が、真実の可能性が高くなった。
「……本当に?」
「なに疑ってんだよ。自分の力を自分が信じないでどうすんだよ」
「素晴らしい力だよ。誇っていいものだ」
「…………あ、ありがとうございます!」
自分の力か……と己の手を眺めていると、そんなティナの目の前でチャドが両手を叩いた。
「呆けてんなよ。木を持って帰らねぇと、母さんに叱られるぞ」
「――! そうだった! 急がなきゃ……!」
ダリアは怒ると死ぬほど怖い。
この間もチャドとふざけすぎて、ダリアに家から閉め出されたばかりだ。
またやったのかとからかう村人たちからの視線も痛くて、チャドとしょんぼり落ち込んだものだ。
締め出しの記憶も新しいうちにまた叱られたくないと、慌てて集めた木のところへ行こうとして、ふと足を止めた。
「あのぉ……。どうします? もしあれなら……一緒に行きます……?」
「…………いいのかい?」
「まあティナの命の恩人だし。村は人が増えればありがたいしなぁ」
「馬鹿。私みたいにずっと住むとは限らないのよ」
「あ、そっか。まあいいんじゃね? ひとまず村戻ってにいちゃん休ませてやろうぜ」
いくら治ったとはいえ、あれだけの傷を負っていたのだ。
体力的にもつらいだろうし、なにより洋服がズタボロである。
魅惑的な腹筋がチラチラと垣間見えるのは、あまりよろしくない気がする。
「小さな村ですけど、よければ一緒にきませんか?」
「…………そうだね。ご厄介になろうかな」
「にいちゃん傷大丈夫なら木、ちょっとでいいから持ってくんね?」
「こら! 病み上がりの人に肉体労働は……」
「もちろん。喜んで手伝わせてもらうよ」
そんなわけでティナたちは三人、村へと戻ったのだった。
男性の名前はレオナルド。
各地を旅しているらしく、本当は仲間も一緒だったらしい。
しかし魔物との交戦中に離れ離れになってしまい、一人旅を続けていた矢先にまた魔物に襲われてしまったのだ。
そこをティナが助けたらしく、仲間たちの動向がわかるまでしばらく村で厄介になりたいと言っていたレオナルドを、村人たちはあたたかく迎え入れた。
「ティナを守ってくれたようだし、私は人を見る目はあるんだよ。あんたは悪いやつじゃない。……それにティナが気になってるみたいだしね」
ぱちんっなんてウインクをしながら言ってくるダリアに、ティナは慌てて首を振った。
気になるか気にならないかでいえば大変気になるが、それを本人に伝える勇気はない。
だから黙っていてくれと目線で訴えたが、ダリアはにこにこと笑いながら洗濯物を干しに行ってしまった。
なんともいえない空気が部屋の中に漂う。
「…………」
「…………ひっ、ひとまず、村を案内いたしますです……」
「あ、うん。ありがとう」
絶対気を使わせた。
彼の反応からそれが手にとるようにわかってしまい、ティナは頭を抱えたくなるのを必死に耐える。
なんとか耐えに耐えて村の人たちに紹介したのだが、彼らが揃って口にするのが――。
「あんたがティナのいい人か」
だ。
行く先々でそれ言われれば、さすがのティナもごまかしが効かなくなってくる。
「気にしないでください……。本当にすみません……」
「いや。気にしない……というと失礼に値する気がするから……。光栄だよ」
「――…………」
それってどういう意味だろうか?
こういった駆け引きのようなことには疎すぎて、どう反応したらいいか困る。
緊張のあまり立ち止まったティナを振り返ると、レオナルドは優しく微笑む。
「君は命の恩人だ。……それに優しくて、かわいい。好かれて嫌になることなんて、絶対にないよ」
「ふ、ふおお…………」
「うわっ、また変な鳴き声だ……」
チャドからのからかいにひと睨み効かせつつも、ありがたいと彼のそばによる。
レオナルドのそばは心臓が痛い。
それに比べてチャドのそばは安心すると一息つけば、彼はなぜか不服そうに唇を尖らせる。
「別にいいけど。……なんかむかつく」
「なにか言った?」
「…………別に。それよりティナ、そろそろ畑行かないと」
「――は! 芋!」
今日はこの村で唯一採れると言ってもいい作物、芋の収穫を手伝うのだ。
力自慢体力自慢のティナは、大変重宝されている。
ゆえに遅れるわけにはいかないと足を進めれば、レオナルドも後ろをついてきた。
「芋を収穫するのかい?」
「そ。この村にある土ってあんまりいいやつじゃないんだよ。水も貴重だからそんなにたくさんやれねぇし。そうなると芋くらいしか育たないんだよ」
「この村の主食は芋です! なので今からせっせと芋を掘り起こします!」
畑に向かえばもう村人は作業を行なっていた。
ティナもクワを片手に畑に入っていく。
この村の大切な食糧だ。
ありがたく収穫しなくてはと、いそいそとクワを深く入れ土ごと芋を表面に出していく。
それをチャドが拾うとさっさとひと区画終わらせた。
「さっすがティナとチャドだ。お前たちがいてくれると収穫が早くて助かるよ」
「ふへへー! 美味しいお芋いつももらってますから!」
「この芋がないと俺たち暮らしていけないし。さすがにがんばるよ」
「おー! 頼もしいねぇ」
この村の人たちは貧しくても元気で優しい。
そんな人たちが大好きだからこそ、恩を返したいとがんばる。
そうするとがんばっていたからとまたなにか優しさを受けとるのだ。
最高のやりとりだなと、ティナはにこにこと楽しそうにクワを振り上げる。
「今日はマッシュにしよう。潰すのは得意だから!」
「ティナ料理下手だもんな」
「チャドに言われたくない!」
基本はダリアが料理してくれるのだが、一品くらいは作りなさいと言われて目下努力中なのだが、残念ながらあまり成果はない。
無駄に強い力がいつだって邪魔をしてくるのだ。
いつか小さくていいから自分の家を手に入れて、美味しいご飯を作ってゆっくりするなんていう、淡い夢はあるのだが残念ながら叶う気がしない。
「……私が結婚するなら、旦那さんが料理できる人じゃないと生活できないかもしれない」
「レオは料理できる? ……ってどうした?」
ティナの独り言に反応したチャドがレオナルドに聞くが、彼は土に触れることに夢中で聞いていなかったようだ。
しばらく乾燥した土に触れた後、ふむと顎に手を当てる。
「ティナは聖女の力の使いかたは理解してる?」
「へ? あ、はい。一応訓練みたいなのはしてたので」
力を強くすることともに、その使いかたも教わっていた。
なので頷けばレオナルドは優しく微笑みかけてくる。
「ならこの畑をどうすればいいか、わかるんじゃない?」
「この畑をどうすればって……あ!」
聖女ができることといえば、代表的なのは人の傷を癒し魔物を消滅させたりだ。
だがそれ以外にも、大地の滞りを解消できる。
「で、でも私一度もうまくできたことがなくて……って、そうか! 拳ね!」
「そういうこと」
訓練の時は一度もうまくいかなかった。
それはもしかしたら、拳じゃなかったからかもしれない。
ティナは改めて己の拳を見つめ、力強く頷いた。
「やってみる。村のためだもの」
「ちょ、なに話してんのか全くもってわかんないんだけど?」
「チャドはこっち」
困惑するチャドを引き寄せたレオナルドは、畑の前で仁王立ちするティナを見守りつつ質問に答える。
「聖女は傷を治したり、魔物を倒すだけが仕事じゃないんだよ。大地の乱れを正したりもできる」
「大地の乱れ……?」
ティナは拳を握りしめて、強く腕を振り上げる。
心の中で大地の精霊に願いつつ、足の裏から力が流れるのを感じた。
「ここの大地は本当はもっといい場所だよ。けれど淀みが生まれてしまって、土に力がないんだ」
「……やっべぇ。わけわからん」
今までとは明らかに違う。
ざりっと音を立てて砂を踏み締め、力のかぎり地面を殴った。
「簡単に言えば……ティナの力を使えば、この地は緑豊かな場所になる」
ドゴっと大きな音を立てて、地響きが村中に鳴り響く。
乾燥した荒れた畑の土は、地面の奥底にあった質のいい土と入れ替わる。
大地の精霊が力を貸してくれたのだ。
ティナの聖女の力に応えて……。
「――スッゲェ! 土がカサカサじゃねぇ! 湿ってて、めちゃくちゃいい土だ! ほら、ミミズもいる!」
「……本当にできちゃった」
「これだけの土地を一瞬で豊かにした……。過去最高の聖女でもできなかったことだ。――ティナは歴代最高の聖女だね」
手放しに褒められると流石に照れてしまう。
顔を赤くして俯くティナの隣にやってきたチャドが、ぼそりとつぶやいた。
「どっちかというと最強の聖女じゃね? 殴りかたが様になっているというか……。――はっ! 鉄拳聖女だ」
「それ次言ったら殴るからね」
「聖女に殴られたら俺も木っ端微塵になる?」
「君が魔物ならね」
じゃあ大丈夫だ、とまたしても不名誉なことを言ってくるチャドの頭を本気で殴ったら静かになった。
木っ端微塵にはならなくても、痛みはあったらしい。
悶絶するチャドを無視して、ティナは自分が変えた土に触れる。
「本当にいい土……。これならほかの植物も育つかな?」
「育つはずだよ。聖女が整えた土なら、どんな土より素晴らしい」
確かにこれなら芋以外もできるかもしれない。
そうしたらこの村で食べれるものが増えて、村人も喜ぶ。
こんなに嬉しいことはないと、ティナは深く頷いた。
「がんがん殴っていこう! この村のために!」
「真相知らない奴が聞いたらトチ狂った時思われそうな発言だ……」
「僕たちだけでよかった」
そんなわけで村は大きく変わった。
作物は芋以外にも小麦やその他野菜まで育つようになった。
しかもだ。
「ティナ、頼んだ!」
「まっかせて!」
握りしめた拳で出たばかりの小さな芽にほんの少し触れる。
するとどうだろうか?
芽は一瞬で大きく育ち、実をつけるまでに至った。
これには村人全員で拍手喝采だ。
「すごいな! これがティナの……聖女の力なのか!」
「これがありゃ……俺たち裕福に暮らせるんじゃねぇか!?」
「――馬鹿! これはティナが好意でやってくれてるんであって、私たちから求めていいもんじゃないのよ! それに今更裕福に暮らしたからってなんだっていうのさ!」
「確かに! そりゃそうだ!」
豪快に笑う村人たちに、ティナも無意識に笑顔になっていく。
ダリアのお叱りをものともせず、作物に水を与えていく働き者の村人たちには、頭が上がらない。
やはりこの村は居心地がいいなと思っていると、ティナの隣にレオナルドが立った。
「素敵な村だね。もっとティナの力に依存してしまうかと思ったよ」
「私もちょっとだけ不安ではありました。……でもそんな考え持っていた自分を叱らないといけませんね」
この村の人たちは自分の力で生きていける人たちだ。
ティナができるのは、そのお手伝いをほんの少しするだけだ。
「さあ! まだまだ芽はたくさんあるんだから頑張らなきゃ!」
「僕も手伝うよ。これ持っていけばいいかな?」
「あ、はい。お願いします」
収穫された芋の入ったカゴをひょいと持ち、レオナルドはダリアの家へと向かった。
さすがにあの腹筋の持ち主だ。
このくらいは軽々と持てるらしい。
あの時に見た割れた腹筋を思い出し一人顔を赤くしていると、村に住む女性たちがそっと近づいてきた。
「それで? ティナは彼が好きなのよね?」
「ばっかね! わかりやすいじゃないの! この真っ赤な顔を見てみなさいよ。喋っただけでこれよ?」
「はぁ、いいわねぇ……。私にもそんな時代があったわぁ」
「今じゃ顔を合わせるだけで大げんかだけどね」
「違いないわ!」
楽しげなおばさまがたに囲まれながらも、ティナの目は遠ざかっていくレオナルドに釘付けだった。
「…………私ってそんなにわかりやすいですか?」
「ものすごく。初恋をビシビシ感じるけどどう?」
「…………だって、今までは年下の子どもの世話ばっかりで……聖女になってからは周りに馬鹿にされ続けて恋愛どころじゃなくて……」
「――はぁ、ティナ。だからこそここからは幸せにならないと。そうでしょう!?」
もちろん! と頷くおばさまがたに、ティナはうるうると瞳を潤ませた。
なんて優しい人たちなのだと感動しているその隣で、ティナに気づかれないようにこそこそと話すおばさまがた。
「こんなしけた村でこんな楽しいことないわよ」
「恋愛物語見てるみたいでドキドキするわぁ」
「美男美女カップルには是非ともくっついてもらって、我々の潤いになってもらわないと!」
そんな話をしているなんてつゆ知らず、ティナはせっせと芽を育てていく。
「そういえばレオナルドはかっこいいけれど、一体どこの誰なんだろうねぇ?」
「確かに。立ち居振る舞いが美しいからねぇ。少なくともあたしらみたいな庶民じゃないと思うよ」
コツンっと拳を芽に当てつつ、おばさまがたの話に耳を傾ける。
確かに言われてみればそうだ。
名前がレオナルドであること、仲間と旅をしていたこと、逸れてしまったこと。
そのくらいしか聞いていない。
彼の過去について詮索していないのは、聞いてほしくなさそうだったからだ。
「まあ下手に詮索して逃げられても困るだろう? これからじわじわと追い詰めて、ティナとくっつけるんだから」
「私そんな肉食獣みたいな方法で相手捕まえなきゃいけないんです……?」
「恋愛は食うか食われるかよ。先に食っちまったほうが後が楽なんだよ」
「惚れたほうが負けってやつね」
恋愛経験皆無なティナにとっては、想像もできない世界だ。
そもそもおばさまがたはこう言ってくれてるが、あのレオナルドがティナを相手にするとは思えない。
きっと彼はどこぞの王子様で、婚約者がいたりするのだ。
だからこの想いは黙っておいて、いつか消えてくれることを祈るしかない。
「そういえばガランが鹿を仕留めたらしいよ。久しぶりに肉入りスープが飲めそうだ」
「なんと! お肉ー!」
「ティナはまだまだお子さまだね。愛や恋より肉がいいみたいだよ」
「可愛いじゃないの」
「――ふんっ!」
「踏み込みが甘いよ。もっと足に力を入れて」
「――はあっ!」
「そう! いい感じだね」
どうやらレオナルドは剣術が得意らしい。
世話になっているお礼だと、チャドや村の子どもたちに剣術を教えている。
もちろん他にも炊事洗濯なんでもこなすのだが、この授業は子どもたちに大人気で、しまいには大人たちまで見学し始めていた。
今では村人総出で見守る一種の催しみたいになっており、ティナもまたそんな様子を見守っていた。
「それにしてもレオンは剣が上手だねぇ。なんというか、所作が美しいよね」
「わかるわ。野蛮な感じがしなくて……まるで舞を見ている見たい」
所作が美しいと、一つの動きも洗練して見えてくる。
村人たちから親しみを込めてレオンと呼ばれるようになったレオナルドは、普段の立ち居振る舞いすら美しい。
こんなに完璧な人がこの世の中に存在するのだなと、ティナはぽーっと見つめてしまう。
「この村の男たちも見習えばいいのよ」
「無理無理。それより子どもたちが騎士になりたいなんて言い出さなきゃいいけど……」
「どうしてです?」
騎士になりたいなんて素晴らしいことだと思うのだが、この村の人たちは違うらしい。
「この村はね、国から見捨てられたところなのよ。普通は村の入り口に騎士が立って、魔物から守ってくれるの。……でもこの村にはそれがない。それってつまり、守る必要もないと見捨てられてるってことでしょう?」
「……そうなんですね」
確かにティナがかつていた街では、よく騎士が巡回していた。
だがこの村にはそれがない。
小さい村だからかと思っていたが、そういうわけではないようだ。
「大した税金も納められない村だからね。……それでもとるものだけはとっていくんだから、笑えないよ」
「そんな村の出が、お貴族様に混ざって騎士なんてできると思うかい? どうせ試験で落とされて終わりだよ」
確かにあの王宮の惨状を知っていると、否定することは難しい。
ありえないと言えないことが、もう真実な気がしてきた。
「夢を見ることはいいことだけれど、それが理不尽に敵わないってのは悲しいからねぇ」
「……そうですね」
「――ティナ! こっちきて!」
そんな話をしていた時、チャドに呼ばれた。
剣術を学んでいる場所まで向かえば、レオナルドが迎えてくれる。
「よかったら一緒にどうかな? いざという時にいろいろできたほうがいいから」
レオナルドはそう言いつつ、こっそりとティナにだけ聞こえる声で囁く。
「正直ティナの力は強すぎる。いずれ国にバレるだろうし、そうなったら間違いなく王宮に戻される」
「――そんな!」
「だから身を守る術を学んだほうがいい。いざとなれば兵士たちを薙ぎ払っても逃げるためにね」
王宮になんて戻りたくない。
この村で生きていきたいのに、本当にそんな目に遭うことになるのだろうか?
だがもし本当にそうなってしまったら、確かに力は必要だろう。
――この村を守るために。
「――そういうことなら、お願いします」
「もちろん。でもティナに教えるのは体の使い方だ。君の力は拳にこそ宿るからね」
「な、なるほど……」
グッと両手を握りしめて、胸の辺りで高さをキープする。
右足を前に、左足を後ろに下げてレオナルドと向き合う。
「いいね。そのまま腰を下ろして、重心を下に。――そう。ティナはセンスあるね」
「さすが鉄拳聖女」
「チャド! 言わないって約束でしょう!?」
「鉄拳聖女ってなぁに?」
「実はティナって……」
村の子どもたちにあれこれ話すチャドを睨みつつも、レオナルドとの稽古も忘れない。
残念ながら彼は避けるだけのようだが。
「――うん、いいね。ティナはやっぱりセンスがあるよ」
「ほ、本当!?」
「もちろん。素晴らしい生徒だよ」
そんなふうに褒められると嬉しくて口角が上がってしまう。
「えへへ。ありがとうございます」
思わずニヤついてしまったティナを見て、レオナルドは優しく微笑んだ後にふと動きを止めた。
彼のどこか悲しそうな顔に、ティナもまた拳を下げる。
「レオ……? どうかしましたか?」
「……ティナは王宮から追放されたんだよね? 神力がないって」
「そうです。お前はできそこないだ! って。ぽいっと捨てられました」
「…………聖女は他にもいたって聞いたけれど」
「アリスですか? 優秀な聖女だと、王子さまからもよく褒められてましたよ」
今思い返すとたぶんだけれど、アリスと王子は恋人なのだろう。
親密な関係なのが見てとれた。
そういったことに疎いティナでも気がついたのだから、周りはもっと早くに知っていたのだろう。
もしかしてティナが追放されたのも、自分を嫌っているアリスのせいでは……と一瞬疑ったがすぐに頭を振った。
さすがに王子ともあろう人が、そんなことで聖女候補を追放なんてするはずがない。
きっと本当にティナに力がないと思われてのことだろう。
実際拳ではないティナの力は本当に弱い。
「――あの馬鹿。王族としての仕事もまともにできないのか……?」
「なにか言いました?」
「いや。――ごめんね」
「なにがです?」
「……なんでもない」
よくわからない会話だ。
なぜ謝られたのか理解できなかったが、レオナルドはそれ以上聞いてほしくなさそうだったので追求はしなかった。
人には聞かれたくないことの一つや二つあるだろう。
子どもたちを笑顔にできる、優しいレオナルドのことだ。
きっとなにか事情があるのだ。
「――! そうだ、レオ。今日の夜ご飯も肉が入るらしいですよ! 最高ですよね……!」
「…………ティナはあたたかいね。まるで毛布みたい」
「もうふ……? 私そんなにもふもふしてます?」
「うん。もふもふであたたかい。……抱きしめて離したくなくなる」
なんだかすごいことを言われた気がする。
大きな目をこれでもかと見開いたティナの瞳を、真正面から見つめるレオナルド。
なんだか徐々に近づいている気がするんだが、と思いながらも逸らすことができない。
吐息が頬を掠める。
輪郭がぼやけるほど近くにある顔を、じっと見つめてしまう。
――もしかしてこれは……キス、というやつではないだろうか……?
どうすればいいのか全くわからないが、少なくとも目をつぶることだけは知っている。
ならまずは目をつぶろう。
そのあとはきっと、レオナルドがうまくやってくれるはずだ。
そうだと信じて目をつぶった時だ。
ティナの腰のあたりに小さな衝撃が走った。
「ティナがチューしようとしてるー!」
「邪魔してやれー! 全員泥だんご装備!」
「やれー! 投げろー!」
「――あ、あんたたち……っ! こらー!」
せっかくいい雰囲気だったのに、子どもたちに投げられた泥だんごのせいで背中が冷たい。
近くにいた子どもを捕まえると、抱き上げてくるくると回ってやる。
するとどうだろうか?
逃げ回っていたはずの子どもたちがこぞって自分もやってくれと近づいてくるのだ。
子どもの扱いには慣れていると、片っ端から捕まえてはくるくると回してやる。
これはお仕置きだと言いながら。
「こらー! ごめんなさいっていうまで回り続けるからねー!」
「ごめんごめん! 謝ったんだから許してよー!」
「次はわたしよ!」
「俺が待ってただろー!」
「喧嘩する子はやらないわよ」
ごめんなさいと一斉に子どもたちが謝れば、それを見ていた大人たちも笑い出し、楽しげな雰囲気があたりを包む。
その心地よさにやはりこの村が好きだなと思いつつも、ティナの心には少しだけ不安が混じった。
このままこの村で暮らしていたい。
ずっと、静かに……。
――しかし、その願いは脆くも崩れ去ろうとしていた……。
村はどんどんと豊かになっていった。
食料が多くとれるようになったため、近隣の村に売ることまでできるようになったからだ。
だが村の人たちはみな貧しかった時のことを忘れることはなく、毎日汗水垂らしながら働いていた。
そんなある日のことだ。
突然周りの村に売るくらい作物ができるようになった村を怪しみ、見に来る人が続出したのだ。
するとあっという間にティナの話は広がっていき、恐れていた事態が起きた。
「――この村に聖女さまがいるらしいな」
そう告げてきたのはこの国の騎士だ。
なにやら偉そうな騎士は突然数名でやってくると、土仕事をする村人を見て鼻を鳴らした。
「薄汚い奴らめ。聖女さまを隠していたようだが、そこまでだ! 我々が聖女さまをお迎えにあがった!」
そう声高らかに告げる騎士たちを、村人たちはポカンと眺める。
彼らはティナの過去を知っている。
ティナをできそこないと王宮から追放したのはあちら側なのに、気づけばなにやら村人たちのほうが悪者扱いだ。
彼らを代表してダリアが騎士たちの元へと向かう。
「隠してたって……、あの子を追放したのは王子さまだろう?」
「追放? なにをおかしなことを言っている? 草でも食いすぎて頭まで沸いたのか」
失礼な物言いをする男を咎めることなく、同調するように笑い声を上げる騎士たちを、村人たちは冷めた目で見る。
「なんだっていいけどね。あの子はもうこの村の子だよ。勝手に連れて行こうとしないでおくれ」
「――貴様っ! なんだその口の利き方は!」
騎士は鞘ごと剣をとると、ダリアの頬を勢いよく殴った。
突然の暴行に悲鳴が上がる。
「ダリア! あ、あんたなんてことを……っ!」
「聖女さまは国でお守りするということが決められている! それをこんなちんけな村に住む女ごときが口出しするんじゃない!」
「――なるほどね。そうやってあの子も馬鹿にして……捨てたのかい」
殴られ倒れ込んだダリアは、他の村人の力を借りて立ち上がっていた。
殴られたほうの頰は腫れ上がり、口の中を切ったのだろう。
唇からは血が流れていた。
「あんな若い女の子一人放り出して……。普通なら生きていけるわけがない。のたれ死ねっていってるようなもんじゃないか」
「先ほどからわけのわからないことを……。もうよい。村人全員捕まえろ。――多少の暴力は大目にみる」
「――なっ! ふざけるな! どこまで国は腐ってるんだい!?」
騎士たちは剣を片手に村人に向かって歩き出す。
彼らの手は女子どもであろうとも容赦はなく、捕まえると次々と後ろ手に縄をかけていく。
「私たちがなにしたっていうんだい!? こんな……罪人みたいな扱いを受けるいわれはないだろう!?」
「聖女さまを隠していた。それだけで大きな罪となる。……処刑されないだけありがたく思え」
「…………腐ってやがるっ! お前たちも国も――全部!」
「今のは国に対しての侮辱ととっていいな。――見せしめに処刑しろ」
「ダリア!? やめろ! お前たちは一体なにを――!」
捕えられたダリアの腕を、両脇から騎士たちが掴む。
膝を着かせ上半身を前に出させれば、その前に偉そうな騎士が立つ。
手にはきらりと光る剣を持って。
「よく聞け! 逆らえばお前たちも同じ目に遭うんだと、よくみて――」
偉そうな騎士は最後まで言えなかった。
彼の腹に力強い拳がぶち込まれたからだ。
騎士の男は後ろに大きく飛び、そのまま地面へと突っ伏した。
「――あなたたち……っ! なにやってるんですか!?」
拳を握り締めたティナは、うずくまる男に向かってそう叫んだ。
たまたま山に美味しいキノコがあるとチャドとレオナルドと共に向かったのが悪かった。
たくさん採れたとホクホクで帰ってきたティナが見たのは、ダリアに向かって振り上げられた剣だ。
レオナルドも剣を持って走り出したが、それよりも早かったのはティナだった。
精霊の後押しとして追い風を受け走り込んだティナは、その勢いのまま騎士の腹を殴っていたのだ。
「――っ、…………あ? お、おまえ……っ、できそこないのティナじゃないか?」
「あなたなんて知りません! ダリアさんにしたこと、今すぐ謝罪してください!」
もちろん謝罪だけで許すつもりはないが、まずは謝らせなければ。
ダリアのほうを見れば、駆けつけたチャドによって助け出されていた。
ちなみにダリアを捕らえていた騎士たちは全て、レオナルドによって気絶させられている。
「――ま、まさか……。この村の聖女って……」
「私のことですがなにか?」
「……嘘だろ? できそこないだぞ? お前にそんな力あるはず……」
「私のことはどうでもいいです。今すぐ村の人たちに謝ってください!」
ダリア以外も怪我を負わされたものもいるようだ。
そう思うと怒りに顔が熱くなってくる。
この村の人たちはみな優しくいい人たちなのに、こんな理不尽があっていいわけがない。
そう怒りをあらわにしたティナに向かって、騎士の男は叫んだ。
「ふざけるな! ただのできそこないを探しにきただと……? こんな廃れた村にわざわざきたのに……!」
「勝手に来て勝手に問題起こして勝手に怒られても……困ります」
「――……う、うるさいっ! お前みたいな底辺な存在にそんなことを言われる筋合いはない!」
底辺とかできそこないとか今は関係ないはずだが、騎士はギャーギャーと騒ぎ立てる。
侮辱されたと騒ぎながら立ち上がると、騎士の男は仲間たちに大声で命令した。
「もういい。この村に聖女はいなかった! 全員処刑しろ! どうせこの村は国に捨てられた場所だ。我々が好きにしたってかまわ――」
またしても騎士の男は言葉を全て言うことはできなかった。
騎士の頰を鞘に納めたままの剣で、レオナルドが思いきり殴ったからだ。
彼は倒れ込む騎士の頰を、抜いた剣を突き立てることで軽く引き裂いた。
「お前は本当にこの国の騎士か? 私利私欲のために民を傷つける奴を、誰が騎士と呼ぶ?」
「――なんなんだ! おまえたちは……っ! 騎士である俺にこんなことをして――」
今度は叫ぶ騎士の逆頰に剣を突きつけ、先ほどよりも深く傷をつける。
いつも優しいレオナルドとは違う。
怒りを滲ませたその瞳を見た時、騎士ははたと動きを止める。
「……あ、あなた様は……っ!」
「もう一度言うぞ? 国を……民を守るべきはずの騎士が、こんなことをして恥ずかしくはないのか?」
騎士の体が小刻みに揺れ始める。
カタカタと音を立てて歯同士がぶつかる中、彼はか細い声でつぶやいた。
「…………れ、レオナルド王太子殿下……っ!」
「………………………………………………え!?」
ティナのすっとんきょうな声が村に響く。
今この傲慢な騎士はレオナルドをなんと呼んだ?
ぽかんと開いた口を閉じることもなく、ティナはレオナルドを凝視した。
確かに立ち居振る舞いが美しく、まるで王子さまだなんて思った時もあったけれど、そんな妄想が現実だったなんて……。
「お、王太子……? レオが……?」
「――貴様っ! 王太子殿下に向かってなんて無礼な物言いを……!」
「無礼はお前だ。――彼女は聖女だ。この国の誰よりも優れた」
「優れた……? しかしあの女は大した力もないはずで……」
レオナルドにひと睨みされて、騎士は慌てて口を紡ぐ。
これ以上の失態を犯したくないのだろう。
黙ってくれたのならこれ幸いと、ティナはレオナルドに詰め寄った。
「お、おおお王太子…………なの?」
「――……ごめん。ティナの話を聞いて……王族は嫌いかと思って……」
好きか嫌いかで聞かれれば確かに嫌いだ。
ティナを追放したのは王子なのだから。
けれどそんなことは関係ない。
「そんなの関係ないです! レオのこと好きですもん!」
ティナの叫ぶような声がこだました。
「――………………ごめんなさい。違います、その……そうじゃなくて、いや、そうじゃなくはないんですけれど私が言いたいことはそのっ」
最悪だ。
まさかの口からポロッと出てしまったせいで、告白のようになってしまった。
慌てて否定するも頭も舌もこんがらがってしまい、意味のない言葉だけを繰り返してしまう。
顔もどんどん熱くなって、真っ赤になってしまっているはずだ。
とにかく今は否定しなければと思うのに、当の本人であるレオナルドはなぜか肩を震わせて笑っている。
「本当に……ティナは可愛いね。そばにいると心があたたかくなるよ」
「――わ、私は……っ」
「そんなティナが僕も好きだよ」
「ぴゃ!?」
「その可愛い鳴き声もね」
これ以上恥ずかしいところは見せられないと、ティナは慌てて口元を隠した。
「黙っててごめんね。――僕は国王となるために、自分の目でこの国を見て周ろうと思って、護衛と一緒に旅をしていたんだ。でも魔物に襲われて逸れてしまい……そこでティナに救われた」
王太子であることは黙っていたけれど、それ以外は嘘偽りではなかったらしい。
ティナの過去を考えれば、自らが王族だと言いにくいのもわかる。
黙っていたことは少しだけ悲しいけれど、仕方のないことだと納得した。
「……わかりました。もう黙っていることはないですか?」
「…………実はもう一つだけある」
「なんです? この際だから包み隠さず言ってください」
レオナルドは考えるように視線を斜め上に向け、少ししてからティナへと戻した。
「ティナにこの国の聖女になって欲しいと思ってる」
「――……へ?」
聖女とは、あの聖女だろうか?
今幼なじみであり、ティナを追放したあのアリスの立場に、ティナを据えようというのか。
だがそれは……。
「わ、私で務まりますか……?」
「ティナで務まらなきゃ、誰にもできないことだよ」
レオナルドはどこか不安そうな表情を浮かべるティナの両手を、力強く握りしめた。
「ティナは歴代最高の聖女になれる。だから行こう。王宮へ――」
村にきた騎士たちは、レオナルドの命令でそのまま村の護衛となることになった。
騎士としては王宮で王族を守護するのが最高の名誉らしく、地方の小さな村を守るというのは不名誉極まりないらしい。
だからこれはいい罰になるようだ。
しかも監視役にあのダリアを付けたのだから、彼らは手を抜くことができないだろう。
少しでもサボろうものなら、ダリアは容赦なくレオナルドに告げ口するからだ。
しかも彼女の目がなくても、子どもたちの目がある。
彼らを掻い潜ってサボるのはなかなかの難関だ。
つまり騎士たちは努力をせざるをおえないというわけだ。
そんなわけで安心して村を出たティナとレオナルドは、無事王宮へと辿り着いた。
「…………兄上。生きていたんですね。護衛とわかれて生死不明だと聞かされていましたが……」
美しい白亜の城に憧れるものは多いのだろう。
柱には一つ一つに彫刻がされ、庭には美しい花々が咲き誇る。
幻想的なその場所は、ティナにとってあまりいい思い出がある場所ではなかった。
だからこそ思わず顔がこわばってしまうのだが、もちろんそれだけが原因ではない。
「――ティナ? できそこないが王宮になんの用よ?」
目の前にティナを追放した当事者二人が並んでいるのだ。
レオナルドの弟だという王子と、幼なじみで聖女のアリス。
アリスは目がチカチカするような豪華な装いで、ティナは瞬きを繰り返しながら口を開いた。
「いろいろあって……」
「はぁ? 相変わらず意味わかんないやつね」
本当に色々あったのだ。
だがそれを説明している時間はないだろう。
ティナはちらりと隣を見れば、レオナルドが王子と対峙していた。
「なるほど。僕が死んだと思って好き勝手していたのか」
「王族として正しいことをしただけです」
「正しいこと……? 一人の女性を追放することが? ……死んでいたかもしれないんだぞ?」
「……力ないものをわざわざ残す必要はないでしょう?」
王子はレオナルドがなにを言っているかわからないようで、軽く小首を傾げた。
「聖女の衣食住を支えているのも国の財源です。使えないものを切ってなにが悪いんですか?」
「切り方があるだろう。きちんと最後まで面倒を見るべきだ」
それに、とレオナルドはアリスに視線を向けた。
「国の財源を憂うのなら、聖女にあんな格好をさせるべきじゃない。彼女が付けているアクセサリー一つで、何人の民が飢えを凌げると思う?」
「彼女は国のために働いているのだから、これは正当な報酬です!」
「……もういい。考えかたが違いすぎるようだ」
レオナルドが軽く手を振ると、侍女が植木鉢を二つ持ってきた。
彼女たちはレオナルドの前にあるテーブルに置くと、さっさとその場を後にする。
「僕はティナをこの国の聖女にする」
「――そのできそこないを?」
「ティナが聖女!? ありえないわ! その子はなにもできないのよ!?」
「……そう騒ぐと思ったから用意させたんだ」
植木鉢を覗き込めば、そこには小さな芽が出ていた。
レオナルドは周りにいる人たちにも聞こえるよう、大きな声で宣言する。
「僕はここにいるティナをこの国の聖女として迎え入れる。――君たちは彼女が歴代最高の聖女であることの証人として、そこで見ていてくれ」
レオナルドはそういうと、ティナに向かって手を差し出した。
一瞬戸惑ったが彼の手に己の手を重ねれば、優しく握られ植木鉢の前に立たされる。
「そちらの女性も前へ。……今ここで、この芽を成長させてみせて。――それで全てがわかるから」
レオナルドからの提案に、アリスは鼻を鳴らしながら植木鉢に歩み寄った。
「その女になに期待してるのか知らないけれど、私の力を知って謝っても遅いから」
栗毛色の美しい髪をかきあげやってきたアリスは、自信満々に言うとレオナルドの前で鼻を鳴らした。
そして植木鉢の前に立つと、キラキラと輝く爪を見せびらかすようにしつつ手をかざす。
「私の力にひれ伏しなさい」
淡い光がアリスの手から溢れて植木鉢を包み込めば、周りからおお……っと歓声のようなものが上がる。
神力は本当に美しい光だ。
あれを見ているだけで心があたたかくなってくる。
自分の手から出ている時もだ。
ぽかぽかあたたかくて心地よい。
他の人のを見ているのもいいなと思いつつ、集中しているアリスを眺めること一分……。
「…………えっと……?」
なにも起きない。
植木鉢を覗き込むも、芽はうんともすんともいわない。
ティナはもう一分ほど待ち、アリスに声をかけた。
「…………アリス? ……なにをしているの?」
「はぁ!? あんたはわからないでしょうけどね、今こうやって芽に神力を――」
「もういい。そこまでだ」
レオナルドがそういうと、アリスがギョッとして彼を見た。
「なにがもういいの? 今私がわざわざ力を見せてあげてるのに」
「そう、みなわかるな? これが今の聖女の力だ。過去の偉大な聖女たちとは程遠い。……時代が進むにつれ、神力を持つものは少なくなり、その力も弱くなっている」
「――弱い!? 今、私の力を弱いって言ったの? 私こそが最高の聖女なのに!?」
アリスはレオナルドに噛み付くが、彼は気にしたようすはない。
淡々と話を続けた。
「だからこそ今、ティナが僕たちの前に現れてくれたのは神からの贈り物なんだ」
レオナルドはティナの手をとると、もう一度植木鉢の前へとエスコートする。
そして緊張で少しだけ力の入っているティナの肩を掴むと、その耳元で囁いた。
「ティナ、自信を持って。君はできそこないなんかじゃない。僕が保証する。――君は、最高の聖女だ」
その声がティナに強さを与えてくれた。
不安だった心が解きほぐされていくのがわかる。
今ならきっと、できる気がした。
レオナルドが認めてくれた自分を信じたいのだ。
ティナは植木鉢の前に立つと、そっと深く息を吐き出した。
「――あのできそこないになにを期待してるのかしら? 神力なんてほとんどないのに」
「兄上が恥をかくだけだ。高みの見物としよう」
なにやらいろいろ言われているようだが、あまり気にならなかった。
とにかく今は、レオナルドの期待に応えたい。
ティナは拳を握りしめると、コツンっと優しく芽に当てた。
「――は! なにやってるのよ。神力の使いかたも忘れたの? 両手のひらを対象物に向けて――」
――ボンっ!
と、まるでアリスの言葉を遮るかのように、突如として芽が成長したのだ。
植木鉢の中に木が生え、小さな青いリンゴがなっている。
レオナルドはそれを一つとると、アリスの前に差し出した。
「ティナの力は最高と言われた祖母を超えている。……彼女こそ、歴代最高の聖女だ」
「祖母を超える? そんなはずがない! あの女はできそこないで……」
「その目で見たことすら信じられないのか?」
「あんなの……でたらめでしょう!? イカサマよ! なんか……ま、魔法とか使ったんじゃないの!?」
アリスの言葉をレオナルドは鼻で笑う。
「確かに魔法はあるけれど、彼らは無機質のものにしか魔法はかけられない」
「……そうなの?」
初めて聞いた話だ。
そもそも魔法使いがいたことすら知らなかった。
「魔法の存在は隠されてるからね。――過去魔法使い狩りがあったんだよ。それを助けた我が国に、魔法使いたちは身を寄せている。その時の恩を返すためにね」
「そんなことが……?」
「悲しいけれど。……魔法は無機質なものにしか使えない。炎とか水とか。あとは移転魔法なんかもできる」
「すごい!」
「逆に生物に魔法をかけることができるのは聖女だけなんだよ。人間も動物も植物も、全部ね」
なるほどとティナは自分が大きくした木を見る。
確かに今までティナがやったことは全て生き物に関係していた。
と、そこまで考えてあれ? と首を傾げる。
「いい土になったのはいったい……?」
「あれは地中にいる微生物たちのおかげ」
「なるほど!」
確かにそれなら納得がいく。
そういうふうに役割分担されているんだなと頷くティナの隣で、アリスが大声を上げる。
「だからって……ティナが聖女なわけないわ! 力が弱くてなにもできない……できそこないのはずよ」
「ティナの力には条件があるんだ。――拳を握る。これだけだ。けれど条件があるってことは、それをクリアできれば得られる報酬も多いってことだ」
その報酬が他の人よりも多い神力なのだ。
レオナルドは改めてティナの手を握ると、周りの人にも見えるように腕を上げた。
「これより先は病に臥した国王に変わり、このレオナルドが全権を指示する。全ての国民はこの国の宝であり、僕はその全てを守ると誓う。――その第一歩がティナ、君だ」
「私……?」
「君にこの国の聖女になってほしい。……その力を使って、この国に住む人たちを救ってほしいんだ。――僕と一緒に」
この力を人のために使えるなんて、こんなに嬉しいこと他にない。
急ぎこくこくと頷いたティナに、レオナルドは優しく微笑みかけた。
「それから……もう一つ提案があるんだ」
「提案? 一体なにを……?」
レオナルドはどこか照れくさそうに少しだけ視線をさまよわせたあと、ティナをじっと見つめてきた。
「……歴代最高と言われた聖女は皆、王族と婚約を結んでるんだ。僕の祖母もそう。…………だから」
繋がったままだった手を持ち直すとレオナルドは軽く腰を折り、ティナの手の甲に優しく口付けを落とした。
「もしよければ…………僕の婚約者になってほしい。本当は今すぐにでも結婚したいけれど」
「………………………………へ?」
今レオナルドはなんと言った?
ティナに婚約者になってほしいと、そう言わなかったか?
さらには結婚したいと……。
「――はぇ!?」
意味がわかった瞬間、顔が真っ赤に色づいた。
なんなら頭から煙も出てた気がする。
それくらい熱くて心臓がうるさいのだ。
明らかに動揺しているティナに、レオナルドは探るような視線を送る。
「それで……どうかな? もし君がよければ、なんだけれど」
恥ずかしさのあまり頭は大混乱中だ。
けれど答えは決まっている。
「――もちろん! お願いします!」
レオナルドの手を握り返せば、彼は安堵のため息をついた。
「よかった。断られたらどうしようかと思ったよ」
「そんなこと――」
あるはずないと言おうとして、ティナはふと口を閉じた。
そうだ。
ティナには大事な場所がある。
もし仮にレオナルドのお嫁さんになれば、それはつまりお妃様になるということで、そうなったらこの王宮に住むことになる。
それは……。
「どうかした?」
「…………ごめんなさい。私、あの村にいたいです。……だから、そのっ」
あの村にはお世話になったのだ。
だからできるならずっといたい。
恋と恩。
どちらもとれたらいいのに……。
眉間に皺を寄せ、今にも泣きそうなティナにレオナルドは笑った。
「なんだそんなことか」
「そんなことって――!」
「言っただろう? この国には魔法使いがいる。彼らができることはなんだった?」
魔法使いができることは無機物に限られる。
炎を操り水を作り出し稲妻を走らせる。
あと教えてもらったものでできることと言えば……。
「――転移魔法!」
「そう。マーキングしたところになら一瞬で飛べる。……それで、どうする? 君が望めば村まで一秒だ」
「それは……断る理由がありません!」
ティナは走る。
村の近くの山の中。
木々を避けながらもスピードは緩めない。
近くで獣のような荒々しい吐息が聞こえ、拳を強く握り締めた。
キンっと剣がぶつかる甲高い音が聞こえ、もうすぐなのだと理解する。
ティナは走る。
走って走って走った先に、それを見つけた。
「――レオ!」
「今だ、ティナ!」
蛇のような魔物の牙を剣で防いでいたレオナルドの声に反応し、ティナは力の限り腕を振り上げた。
まるで飛ぶように地面を蹴ったティナは全体重をかけて拳を蛇へと叩きつける。
「喰らいなさい! 聖女――パーンチ!」
ドゴっと音を立てて拳の当たった魔物は、光の粒子となって瞬く間に消えていった。
それを物陰から見ていたチャド率いる子どもたちから、大きな拍手が上がる。
「いいぞー! さすが鉄拳聖女だ!」
「この国一番の鉄拳聖女ー!」
「その呼びかたやめなさいって言ってるでしょう!?」
恥ずかしすぎると顔を赤くすれば、それを見ていたチャドが一枚の紙を掲げた。
「でもほら。新聞にも書いてあるよ。『我らが鉄拳聖女様! 怪我をした子どもを見事救う!』って」
「なんでそのあだ名が広まってるの……!?」
はぁ、と大きくため息をつくと、そんなティナの腰をレオナルドが抱く。
「君だって一発でわかるあだ名だ。それに国民みんな気に入ってるよ。我らが王太子妃は素晴らしい拳を持っているって」
「……それ褒めてます!?」
「褒めてるよ。――みんな君が好きなんだよ。僕と一緒で」
「……えへへ。ならいいです」
「単純すぎない?」
チャドからなにか言われた気がするけれど、それはまるっと無視することにした。
「――あ! もう昼飯の時間だ!」
「急ごうぜ! 今日は肉の入ったサンドイッチだ!」
わーっと子どもたちが村に向かって走っていくのを、ティナとレオナルドは眺めていた。
この光景はいつ見ても幸せを運んでくれる。
「――じゃあ、行こうか。ご飯を食べたら王宮に戻らなきゃ」
「私も! マナーの授業があるんでした!」
「夜はまた戻ってこようか。最近放ってかれてるって、そろそろチャドがへそを曲げるかも」
「確かに。……じゃあ夜は村で過ごしましょう!」
ティナは自分がものすごく幸運なことを理解していた。
恋も恩も、どちらも手放さなくてすんだのだから。
それはとても幸運で、最高の展開だ。
「それじゃあ王太子妃さま。お手をどうぞ」
「ありがとうございます。王太子殿下」
両手を繋いで歩き出す。
二人の道が明るく、美しいものだと信じて。
鉄拳聖女は今日も人のためにその拳を振る――!