美味しそうな匂い漂ってくるそこは…
「乙女ゲームの主人公は正義を語り続けてはいられない」は、
毎週 水曜・土曜 20時に更新します。
無理矢理立たされて、また私は苦しくて痛い歩行をさせられ始めたのよ。
大きいお屋敷だから移動だって時間がかかるし一歩む度に全身から、
休ませてって声が聞こえて来るみたいだった。
ギュチュン、ゴリンって自分の関節から音が聞こえて来るみたいで。
その音は矯正具と骨が当たっている音みたいだった。
体の中から聞こえてくる骨が軋む音はもちろん私にしか聞こえない。
だから私の苦しさなんて関係なしに侍女達は私を歩かせ続けるのよ!
学習室から連れ出された私はそこで一度止められて侍女に話しかけられたのよ。
「ソフィア・ボルフォード公爵夫人候補?
学習室で時間をかけすぎてしまいましたね。
本来なら自室でお食事を済ませるつもりでしたが…
今からお食事を自室に運ばせるのはメイト達が可哀そうですね?」
そう私に同意を求めて来ていたのよ。
だったら…
だったらっ!そうなる前に学習を辞めれば良かったじゃない!
なに私の所為にしようとしてるのよっ!
私が学習を済ませた事にして、さっさとお食事を自室に運んでくれれば、
なんの問題もなかったじゃない!
「ぁっぁ」
「ええ!そうですよね。では今日は食堂でお食事を致しましょう。
その方が使用人達にお顔を覚えていただけで嬉しいですものね!」
必死に声を出して、私は悪くないって言いたいのだけれど、
私の口から出る声は擦れたうめき声だけ。
その言葉を勝手に解釈して理解した気になっているのよこの侍女は!
な、なにを言っているの?
今の私は苦しくて体中が痛いのよ?出来るだけ動きたくないのよっ!
食堂なんてこの広い屋敷の何処にあると思っているのよ?
今いるのは公爵家のプライベートスペースなのよ?
ボルフォード公爵夫人の執務室から私の執務室までだって、
結構な距離を歩かせられたのよ?
使用人達の生活スペースにある食堂になんてどれだけ移動すれば良いのよ?
駄目!絶対ダメよ!私は自室に戻るから夕食は持ってくるのよ!
今日は初日よ?
初日なんだから優しくするんでしょう?
「では、ソフィア・ボルフォード公爵夫人候補食堂まで行きましょうね」
「ぁっぁ!」
私は必死に首を横に振って否定して動いているのに。
また侍女がクッとっ片側の肘を優しく押すのよ!
それだけで長時間お腹に力を入れて椅子に座らせられっぱなしだった体は、
疲れ果てていて上半身は簡単に動こうとしちゃうのよっ!
抵抗できないから腰を簡単に捻る様に体が動かされちゃって、
お腹が苦しくなるどころか、矯正具が肌にめり込んでいるみたいで痛くなる!
その捻った体の所為でもちろん呼吸が出来なくなって、
息苦しくて我慢できなくなる私は自然と下半身と上半身を同じ方向を向くように、
動いてほんの僅かでも楽になろうともがいていたの。
極度の息苦しさと全身から訴えてくる痛み。
そして重た過ぎるパニエの所為で私は限界だった。
もう、もう動きたくない!
けれど、食堂に行くように促されている私の体は…
挟まれた侍女にスッと軽く肘を押されただけで動かないという反抗は!
私の意思は!もうこの体に反映されないっ!
どんなに休みたくても、僅かな空気を吸う為には侍女達の言う事を聞いて、
歩かないといけないのよっ!
私は与えられた言う事を聞いて素直に歩くって事をしないと、
その空気を吸う為の僅かな余裕は奪われて息をさせて貰えなくなる!
上半身の苦しすぎる矯正具が重たくてそれが倒れそうになるだけで、
また息が苦しくなってきて「正しい姿勢」で歩かなくちゃ、
息苦しさを与えられるって。つくづく思い知らされてるのよ。
ドレスだけを着せられた時にしていた、全身から出ていたギシギシと、
革の軋む音はもう、聞こえなくて。
私の「淑女の歩行」で聞こえてくるのは、布の擦れる音だけ。
上半身の矯正具は「正しく」私を固定して絶対に緩む事どころか、
軋む音すら聞こえない。苦しくなって時たま零れる私の小さな声は。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ、ぁっ、ぁっ」
歩く歩調に合わせて自然とこぼれる様になって来ていた。
けれど、全身から訴えられる痛みは私に苦悩の表情をさせて、
少しでも呼吸を楽にするために自然と半開きに開いた口は、
公爵家のプライベートスペースから出れば多くの使用人達に見られる事になる。
その表情を見た使用人達は皆不思議そうな顔をしていたのよ。
―なんで?あんなに苦しそうな表情をしているんだ?―
―ただ歩いているだけだろう?―
侍女に両側から腕を掴まれてお腹の前で手を合わせた「淑女の歩行」を、
させられ続ける私は上に羽織らされたケープの所為で、
苦しい矯正具を取り付けらているようには見えなくて。
何よりお屋敷にいる使用人達はボルフォード公爵夫人の、
歩く姿を見慣れているから「ドレス姿でただ歩いているだけ」の私が、
死にそうなほど苦しみながら歩いているなんて決して思わない。
「ソフィア・ボルフォード公爵夫人候補、歩く時は「優美に」「笑顔に」ですよ」
その言葉は今の私には悪魔の言葉にしか聞こえない。
表情を作っている余裕なんてこれっぽっちもないのよ!
歩いて呼吸するので今の私は精一杯よ。
けれど両脇で私をコントロールする侍女達は笑顔ですれ違う使用人達と、
すれ違うから私の表情と落差が激しくて…
それが更に周囲には不思議に見られているみたいなのよ。
時よりその足だって止めて息を整えたくなるけれど、
そんな事は肘と手を持つ侍女達が許さない。
同時に笑顔で私に話しかける侍女達は。
「大丈夫ですか?まだ歩けますか?」
「少々休憩しましょうか?」
なんて言って心配そうな言葉を他の使用人とすれ違う時に聞こえる様に、
言って来るのだけれど…
その言葉とは裏腹に決して肘を押すのを辞めてくれないのよっ!
掛けられる言葉は優しくて止まって良いとかいるけれど、
歩みを止めようとすれば肘にかかる力は一気に大きくなって。
私が止まる事は許してくれないのよっ!
「ふふふ。公爵夫人候補は頑張り屋さんですね」
「ええ!頑張り屋さんな公爵夫人候補に応えるために、
私達も一層努力しないといけませんね!」
ニコニコしながら私を勝手に「頑張り屋さん」に仕立て上げておいて、
勝手に周囲の私への印象を決められていくの。
頑張るって言ったって、どんな事にも限界はあるのよっ!
それでも歩き始めればもう顔を横に振っている時間は無いから。
私は必死に両足を動かすしかなかったっ!
「ぁっぁっぁっぁっ」
それしか言葉に出来ない私は、そのまま止まる事は許されず、
休むことなく歩かされ続けるの。
そうして進み続けた先、使用人達用として整備された区画に付けば、
私の鼻を香しい匂いが擽ってくれて食堂が近い事を教えてくれた。
使用人達が何人も出入りしているその入り口に扉は無くて、
中を見れば多くの人達が和気藹々と楽しい会話をしながら、
食事を進めていた。