タイトル未定2024/10/10 19:55
復活した幕府は『ネオ幕府』を名乗り、それから真の「公武合体」を成し遂げた。
また、陸海軍に浸透させていた勢力を通じて暴走傾向にあった軍へのコントロールを回復し、悪化しつつあった諸外国との関係の復旧にも成功した。
軍縮と同時に米国との関係性を深め近代化・工業化へと邁進した。
程無くして生起した第二次世界大戦の直接の戦場とならなかったこともあって、昭和二十年には米国に次ぐ経済大国の地位を確立するに至った。
『ネオ幕府』は復古主義的な政策も多く採用した。
東京を『ネオお江戸』と改名し、警察組織を奉行所に改めたことなどはその一例だろう。
また、市民生活に密着したものとして丁髷の復活が挙げられるであろう。
断髪令によって禁じられた丁髷であったが、我が国の武士の歴史に深く結び付く髪型ということで再興させられたのだ。
それ故、このネオ江戸においては、成人男子の約半分が丁髷を結っているとも言われている。
毎年、春になると『ネオ青山』にある鯔背な髪結処は新たなスタイルの丁髷を提唱し、テレビでは新たなスタイルの丁髷特集が組まれる。
丁髷を結うために必要となる鬢付油についても、様々なフレグランスを配合したものが販売されており、TPOに応じた椿油を使いこなすことが紳士の嗜みとも言われているのだ。
『ネオ青山』や『ネオ六本木』、或いは『ネオ銀座』に或る小洒落た髪結処にて丁髷を結い、四季折々のフレグランスを配合した新発売の鬢付油にて照りと薫りを出す。
それが『ネオお江戸』を闊歩する鯔背な男達のアーバンライフスタイルであった。
また、そんな彼らが身に纏うのは、大島紬の生地を用いたスーツであった。
伊勢屋清輝は当代随一の粋人として名を馳せていた。
六尺を超える長身に細マッチョな肢体、そして鯔背な着熟しは電子化された瓦版にて大きな評判を呼び、『ネオお江戸』の娘達の熱い視線を独占していた。
何より清輝は三つの丁髷を結っていた。
丁髷の艶やかさが男の官能さのバロメータであったこの時代において、黒く艶やかな丁髷を三つも結っている清輝のセクシーさは、『ネオお江戸』随一とも評されるものであった。
『ネオ銀座』に所在する清輝の天守閣タワマンの前には彼に懸想する尻軽娘どもが列を為しており、清輝は昼夜を違わず尻軽娘どもの欲情の滾りに応え続けていた。
そして、清輝が住まう天守閣タワマンの前に列を為していたのは尻軽娘どもだけでは無かった。
清輝の色香に誑かされた尻軽娘の元彼氏達が、復讐を遂げんと押しかけていたのだ。
『ネオ幕府』が採った復古政策の中には、仇討ちの合法化も含まれていた。
親兄弟を殺められたならば、その仇討ちは奉行所に届け出ることで許されていたが、己の連れ合いや恋人を寝取られたことについても仇討ちすることが許されていたのだ。
天守閣タワマンの最上階は清輝のフロアが占めていたが、そこには特設の部屋が二つあった。
一つは尻軽娘たちと事を為すためのプレイ部屋、そしてもう一つは復讐のために訪れた元彼氏達と相対するための決闘部屋であった。
その決闘部屋には一人ずつ招き入れられていたが、誰一人として生きて出てくる者は居なかった。
清輝に絶命させられ、哀れな物言わぬ姿と成り果て決闘部屋から搬出されるのが常であった。
ただ謎であったことは、清輝がその部屋に入る時、武器など何一つとして携えていないことだった。
決闘部屋へと招き入れられる元彼氏達は、物々しい具足に身を固め、関や備前の刀匠に鍛えさせた業物を携えているのが常であったにも関わらず、清輝は常に無手であった。
そして、事を終えて決闘部屋から出て来た清輝は掠り傷すらも負っていないのだ。
そんな清輝の裏の稼業こそが『事件屋』であったのだ。