タイトル未定2024/10/10 19:51
それは昭和六年、西暦1931年のことだった。
その当時、日本の政情は混迷を極めていた。
第一次世界大戦後の不景気から脱却から出来なかった我が国は、その後に関東大震災に見舞われるなどして政治・経済ともに混乱の極みにあった。
閉塞した状況の打開を望む各種勢力の衝動が、かの『満州事変』を引き起こしたとも言えるのだろう。
そして、『満州事変』の処置を巡って政府に強い不満を抱いた陸軍は、事もあろうにクーデターを起こすべく蠢動していた。
所謂『十月事件』と呼ばれるものだった。
しかし、その『十月事件』は、陸軍が企図したものとは全く異なる形で結末を迎えることとなる。
明治維新の流れの中で生起した上野寛永寺での戦い。
新政府に不満を抱く旧幕臣が上野寛永寺を拠点として起こしたその戦いは大村益次郎率いる官軍により一日で鎮圧されたと言われている。
しかし、その戦いはあくまで偽装工作にしか過ぎなかったのだ。
彼らが新政府軍の主力を引き付けている間、旧幕府軍の主力は江戸の地下深くに隠された『秘匿江戸城』に軍資金や兵器を搬入していたのだった。
来たるべき再起の刻に備えて。
昭和六年十月のこと。
陸軍の急進派は東京にてクーデターを起こした。
皇居、首相官邸、国会議事堂、そして官庁街を占拠しようとした。
しかし、その時だった。
東京の各所から謎の軍隊が忽然と姿を現わしたのだ。
無人の野を征くが如き展開を思い描いていたクーデター一派は、謎の軍隊の急襲に為す術も無かった。
その謎の軍隊こそが、何時の間にか姿を消した旧幕府軍の主力であったのだ。
勿論、その装備は江戸時代のものではなく最新のものに更新されていた。
陸海軍に潜む協力者を通じ、最新の装備を入手していたのだ。
『秘匿江戸城』にて臥薪嘗胆と言わんばかりに鍛錬を重ね、戊辰戦争の雪辱を晴らすことを願い続けて来た旧幕府軍は精強極まりなかった。
また、個別の兵のみならず、その指導層は実に秀でていた。
そもそも旧幕臣は高度な教育を受けたテクノラート集団であり、その知見は実に秀でたものがあったのだ。
クーデター一派を事も無く制圧した謎の軍隊は、その代表を帝国議会へと送り込んで時の政府の無能無策振りを激しく糾弾した。
陸軍のクーデターを阻止することも敵わず、経済を立て直す目処も持たぬ政府はある決断を下した。
それは、旧幕府への政権返上であった。
世に言うところの『幕政復古の大号令』であったのだ。