1 A・C・A【アブノーマル・チョンマゲ・アクション:非日常的丁髷活劇】
隅田川沿いの夜風はぬるりと生温く、肌に纏わり付くような重みは仄かな官能を醸すようであった。
嘗ては『東京』と呼ばれ、そして今は『ネオお江戸』と呼ばれているこの街。
夜の帳が街の彩りを黒へと沈める最中、ネオ湾岸道路を一台の黒やかなるオープンカーが疾駆していた。
その車のハンドルを握っているのは三十歳前後と思しき鯔背な男であった。
仕立の良い大島絣のスーツを纏ったその身体は細やかなれど確かな肉付きを感じさせるものであって、その男の印象を敏捷なる黒豹の如きものとしていた。
その頭は、一際目を引くものだった。
青々しく剃り上げられた月代には丁髷が雄々しく鎮座していた。
その数は三本。
鬢付油をしっとりと帯びた三本の丁髷は、夜空の煌めきをそのまま封じ込めたかの如く黒やかで艶やかであった。
三本の丁髷を煌めかせる男の名は伊勢屋清輝。
『事件屋』と生業とする当代随一の強者である。
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この『ネオお江戸』の治安は、言わずと知れた奉行所が担っている。
江戸の昔は南町と北町の二つの奉行所で事足りていたものの、明治、大正、そして昭和を経て発展したこの町の治安を二つの奉行所で担うことは到底叶わぬものとなっていた。
それ故、昭和の御一新以降は『青龍・朱雀・玄武・白虎』の四奉行所態勢が採られていた。
嘗てはお白州にて奉行が司っていた裁きについても、現在ではAI奉行が導入され、過去の膨大な判例などの蓄積されたデータに基づき公平且つ迅速なる裁きが行われていた。
街の治安を守る実働部隊たる岡っ引きについても機械化・電脳化が進められていた。
嘗て名声を馳せた伝説の岡っ引きである『黒門町の伝七』或いは『神田明神の銭形平次』をモデルとした人情派AIを搭載した岡っ引きロボ部隊が導入され、『ネオお江戸』の治安を担い続けていた。
『ネオお江戸』の街中にて岡っ引きロボが不逞の輩を見出したならば、その者を超電磁十手にて瞬く間に昏倒させて高張力高分子カーボンワイヤーにて緊縛し、その罪状を超々高速暗号化WiFiにてAI奉行へと転送する。
AI奉行は刹那の内に裁きを下し、それを岡っ引きロボへと転送する。
軽い罪状の場合、岡っ引きロボは咎人の額へとナノマシン刺青を施す。
『犬』や『猫』、或いは「河童」といった刺青を額に施された者を街中にて見掛けたことがあるかと思うが、それは咎人たる証なのだ。
勿論、ナノマシンの刺青であるので、罪状によって定められた期間が経過したなら刺青は自動的に消滅するようになっている。
なお、極めて重い罪状の場合は、その場にて打ち首獄門に処せられることもある。
『山田浅右衛門』をモデルとした獄門ロボが振り下ろす超電磁日本刀にて斬り落とされた罪人の首は血を吹き出すその前に瞬間的に炭素され、ネオ日本橋にて半永久的に晒し首とされる。
斯様にして、科学の力にて『ネオお江戸』の安寧は守られているのだ。
然れど、如何に世が移ろおうとも、奉行所の目を盗み悪事を企てる輩は決して絶えぬものなのだ。
大泥棒として知られた石川五右衛門は『浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ』という句を処刑に臨んで遺したが、それは桃山時代の昔から変わらぬ世の真理なのだ。
また、如何に岡っ引きロボが高性能なものになろうとも、それも所詮は神ならぬ人の造りしものに過ぎない。
必ず何処かに欠点が存在する。
その欠点を突いて目を欺く方法は遅かれ早かれ必ず編み出され、巧みに悪事を働くものは必ずや存在する。
また、如何に無謬たるAI奉行と言えども、その上に立つ『ネオ幕府』の役人が罪状判定パラメータに手心を加えようものならば、その裁きに歪みが生じてしまう。
悪しき者が『ネオ幕府』の役人を賄賂や色食にて籠絡して手心を加えさせるといった例は枚挙暇無いというのが実情となっている。
それ故に、裁かれることのない『悪』は必ず世に在り続けるのだ。
斯様にして正しき裁きの網を掻い潜ろうとする卑劣なる『悪』を、夜陰に紛れて血祭りに挙げ冥府魔道へと叩き落とし奪衣婆の手へと委ねるのが、所謂『事件屋』であるのだ。