三話 『歯車』
地下道を通った三人は屋敷から離れた森の中を走っていた。
すでに屋敷からは爆音とともに黒煙が上がっており、中に残った人間がどうなったかを想像せざるを得ない。
「パパー!」
ブルーはいまだに父を呼び続けているがその声が届くはずもなく、ギンは必死に涙をこらえてレイラの体に縋りついていた。
「レイラ! パパを助けて、お願いだから! パパが死んじゃうなんで嫌だ!」
「申し訳ありません……私にははぐれとはいえ術師と戦う力がありません。それにお二人を守るのは旦那様から託された最後の命令です、ご理解ください……!」
藁に縋りつくような必死の懇願も聞き入れられることもなく、森をかき分けて前へ進んでいく。なんとかしたいという気持ちはあれど赤子の体では何一つ行動することができない喪失感は何と比べるまでもなく、絶望としか言い表せなかった。
「……ッ!?」
突然レイラの足がピタリと止まる。
先ほどまで泣きわめいていたブルーと俯くしかできなかったギンも急停止に反応して前方を確信した。
その目線の先には領民の一人――一時期屋敷内で料理人見習いをしていた男が片手に包丁を持って待ち伏せていた。
「ここを通ると思ってたぞ、貴族様の家には緊急時用の逃げ道ってのがあるんだよなぁ……つながる場所は人目につかない場所だろうからわかりやすかったぜ」
「似合わないですね、凶器が包丁というのは。大公爵にも認められる料理人になる夢はどうしました?」
レイラが二人を下ろして背後に隠し会話する。あちらは料理用の訪朝とはいえ凶器を持っておりレイラは丸腰で守る子供が二人もいる、どう考えても不利な状況だ。
「夢……? あぁあったさ! でもおめぇらのとこで学んだ料理は王都じゃ獣の餌にもなんなかったんだよ、毎日毎日こき使いやがって……! てめぇらどうせ俺のにはできねえって笑ってたんだろうがよぉ!」
男は最高潮に達した怒りのまま包丁を構えてレイラに向けて走り出す。避けようとすれば子供に当たるかもしれない中我が身を犠牲にしてでも二人を守ろうとするレイラの背中から――
「〈やめろ!〉」
ギンの必死の叫びが飛び出した。
すると全員、時が止まったように動かなくなった。まるでギンの"やめろ"という言葉を聞き入れたかのように今しようとしている行動をやめ、瞬時に状況を理解したレイラが男の包丁を蹴り飛ばし顎を蹴り上げた。
ガゴッと鈍い音がして男の首が折れ曲がり仰向けに倒れる。人間の体が真柄い方向へと折れ曲がる姿に反射的にギンはブルーを抱き寄せて目を塞いだ。
「見るなブルー、絶対に振り向くんじゃないぞ……」
ギンですらトラウマになりそうな光景に今にも吐き出しそうな胃の中身を抑えてなんとかブルーに目の前の時代を見せないよう必死になる。
ギン自身もできるだけ見ないように目を背けているとレイラが足早に駆け寄ってきて二人を抱き締めて持ち上げた。
「お見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ありません。お二人共私が良いと言うまで目を塞ぎ付けてください」
それからレイラが目を開けていいと言ったころ、体感でもかなり時間が立っていて見上げると屋敷をでた頃には頭上にあった眩い太陽が赤く染まり傾いていた。
「到着致しました、ここがおそらく今最も安全な場所――アートメイジ伯爵邸でございます」
三人の目の前にはところどころに蔦が垂れており、古く荘厳な雰囲気を漂わせる屋敷だった。
レイラに連れられるまま屋敷の門を通り庭に入ると、庭師らしき男が深々と頭を下げて立っていた。
年頃は十五、六の青年で庭師らしい道具を腰から下げておりまだ子供らしさを残した顔立ちで無邪気さを感じるが完成した礼儀正しさにギャップを覚える。
「お待ちしておりました、リックウッド伯爵様よりお話は聞いております。こちらへ」
案内されるままに広大な庭を通り玄関であろう巨大な扉の前まで歩くと次は扉の前に燕尾服を来た執事然とした格好の男性とメイド服の女性が立っており庭師と同じように頭を下げる。
「長旅でお疲れだと思います、お食事と湯浴みの準備が整っております」
執事が扉を開けると内装は巨大な玄関ホール、天井には豪華なシャンデリアがぶら下がっており外観からは想像もつかないほど上流貴族らしい家だ。ギンたちが住んでいた屋敷よりも広く、眩しい。
「まずは湯浴みを――」
そこからはとんとん拍子に事が進んでいった。
節操なく歩き回る使用人たちがいる中で風呂に入れられ、服を着替えさせられ子供でも食べやすい食事が並べられた食堂で椅子に座らされる。だがギンとブルーはいまだ喪失感に囚われたまま、もちろん食事も喉を通るはずがなく並べられている料理をただ眺めることしかできない。
「おや、お腹がお空きではありませんでしたか?」
「………………」
後ろで待機していた執事が話しかけてくるも何一つ返すことができない。いま二人の頭の中はたった数時間で起こったことの理解だけに全力を割いて、全力で逃げている真っ最中だった。
その最中食堂の扉が開き、全使用人――レイラも含めて頭を下げツカツカと足音を立てて食堂内に入ってくる。背後に気配を感じさせず立っている老人を背にした男は、まっすぐにギンの座っている席まで進みギンの顔を無理やり挙げて目を合わせた。
「だ、誰……?」
ニヤリと笑い男が答える。
「ハワード・アートメイジ、ドルド・リックウッドの腹違いの弟だ」
――外れた歯車に別の歯車が無理やり噛み合う、歪な運命の機械が再び回りだした。
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食堂を後にしたギン達三人はハワードと名乗る男に連れられ別の部屋のソファに座っていた。
部屋の中には無数の絵画や写真が飾られておりそのうち一つをハワードが額から外して双方を挟む机の上に置かれる。それは家族写真のようで父と母、兄弟らしき二人の男の子が写っている。
「アートメイジは母方の姓だ、いまは父の隠し子である私が継いでいる。こっちの男がドルドでこちらが私、一緒に暮らしていたのは十二の頃までだったな」
淡々と写真を指差し話し続けるハワード、だがギンたちは言葉をただ受け流しているだけ。突然現れた父の弟を名乗る人物に信用はなくブルーはいまだ上の空のままだ。
「兄のことは私も残念だ、私も数か月前に君たちを匿ってもらうかもしれないと手紙を受け取っていてね。力になれなかったことを悔やんでいるよ……兄はこれ以上なく優秀な――」
「そんなことはいい……」
ハワードの言葉をギンが遮り立ち上がる。
今までの虚ろだった表情とは一転してその目は怒りに満ち溢れていた。
「なんで助けてくれなかったんだ! 知ってたんだろ、ならなんで来てくれなかった! 兄弟なんだろ!?」
「落ち着くといいギン。私にも、いや貴族全体には立場というものがある、家族以外にも使用人や事業の従業員……当主というものは守るべきものが数万とあるんだ。もしわたしが兄の屋敷に赴いたとしてよくて両家は悪魔を匿ったとして爵位を剥奪される、屋敷内に術師がいたのなら最悪君たちも含めて全員死んでいただろう――兄は君たちだけでも助けるために私にわざと匿うことだけを頼んだんだ」
現実を突きつけられ納得できないまま引き下がるギン。見た目はまだ赤子同然だが中身は十八歳の青年、ハワードが言っていることは理解できない話ではなかった。
「勘違いしないほしいのは――私も兄を尊敬していた、これ以上ないほどにな。兄を嵌めた相手が目の前にいるのならどんな手を使っても殺してやりたい気持ちは同じだよ」
嘘じゃない。
先ほどまでの飄々とした態度とは違い真剣なまなざし、ハワードの手に握られた紅茶の入ったカップが今にも零れ落ちそうなほどに震えている姿を見てギンは今の言葉には嘘偽りが一切ないと感じた。
「じゃあ――」
「待て、その話は後でゆっくりとしよう。今は君は未来のことを考える必要があるだろう?」
次はハワードがギンの言葉を遮る。
確かに復讐をしたいという気持ちはあるが、父亡きいまブルーを守るのはギンの役目になっている。このまま体が子供の姿なわけでもなく成長と共にでなければいけない世界がある事も理解していたギンは双子とはいえ兄である自分がブルーの未来を支えなければいけなかった。
『僕ら自身がバレなければ……でも父さんの名前は多分もう使えない、僕らがこの先生きる道はあるのか? 別の姓に変えるの簡単なことじゃないしそもそもまともに社会性を身につけた年になるまでこの体で知らない世界を生きるなんて――』
「悩んでいるようだな、そんな君たちに提案がある」
いま一番頼りにできる存在からの提案、その言葉にギンはハワードとぴったり目を合わせる。
「私の名を貸そう、アートメイジ家はリックウッド家とのつながりを公表していない。なんせ私は隠し子だったからな、お零れの爵位を貰った弱小貴族の名でよければだが」
『確かにそれなら困ることはない、貴族の強い弱いなんて僕たちには関係ないし名前さえどうにかなればあとは――』
「やだ……!」
いままでずっと押し黙っていたブルーが屋敷に来て初めて喋る。明確に、涙ながらにハワードの提案を拒絶した。
「パパの名前だもん……お別れなんてしたくないっ!」
「ブルー、気持ちはわかるがそれだと――」
「絶対やだっ!」
表明した拒絶の感情と共にソファから飛び降りて扉に向かって走り出すブルーを、後ろに立っていたレイラが抱きしめるように受け止めた。
「離してレイラ! こんなところもう出てく!」
完全に取り乱したブルーを強く抱きしめて逃がさないレイラは、まだ暴れようとするブルーの頭を優しく撫でてハワードの目の見た。
「ハワード様……アートメイジ家の姓、私にもいただけないでしょうか?」
「ほう、兄の使用人とは言え一使用人が私の名を?」
さっきまでのギンに対する態度ではない、府警と言わんばかりの声色に怯むことなくレイラは続ける。
「旦那様から最後の命令を仰せつかっております――"義務を果たせ"と。私の義務はギン様とブルー様を守り育てること、であればこれから先私がこの子たちの母親役をしなければなりません」
「レイラ……?」
「本当の母のようになど到底言えた立場ではないのはわかっています。ですがこの子たちを旦那様から預かってからは本当の我が子のように育ててきました、ブルー様……私ではダメでしょうか?」
ブルーの目を見て思いを伝えるレイラ。
先ほどまで拒絶していたブルーも、レイラの目を見て涙と抱擁で返事をした――この人でいい、この人がいい。今頼れるのは貴方だけだと言葉にならない泣き声がそう物語っている。
ギンも人生としては短いながらも信用に値するレイラの申し出を心の中ではしっかりと受け止めていた。
「メイド、名は?」
「レイラ……姓はありません、幼少のころ旦那様に拾ってもらって身ゆえ。捨てる名もありません」
「面白い、確かに私では子供を育てることなどできんからな。ではレイラ・アートメイジの名を名乗ることを許そう」
「ありがとうございますハワード様、借りた名に恥じることのないよう努めて参ります」
ブルーを抱きかかえたまま頭を下げるレイラ。こうしてレイラ、ギン、ブルーという母と血も身分も繋がらずとも本当の愛情を持った家族が始まることになった。
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