#8 あいつの力を使ったのか
「おいおい、僕の扱いが酷くないか?」
目を閉じてすぐに魔女の刀がデカメロンの頭を斬り飛ばすはずであった。しかし、聞こえてきたのは別の装造武想が彼女の刀と衝突する音。
何者かが、この場に乱入してきたのだ。
「歩亜郎おにいちゃん!」
「乃鈴! どうやら最高にデリシャスなタイミングのようなのだ」
乱入者の正体はアンサーズの答想探偵、九十九歩亜郎であった。
「歩亜郎。お主、何故ここに?」
「今日、市役所で魔女の殺意を感じて、な。気になったから深夜徘徊でもしようと思って」
「わ、私の【世都内界】の中に、どうやって入ってきたっていうの?」
「良い質問なのだ。【想造力】を使った。お前の【世都内界】は美味かったそうだ」
「君の【最終怪答】にそんな能力は無いはず」
「誰も、僕の【想造力】とは言っていない。これは、オレの【想造力】なのだ」
「そ、そうか! あいつの力を使ったのか、歩亜郎!」
「その通りだ、メロン。離れておけ、お前美味そうな頭をしているから、喰われるぞ?」
「拙者の頭はヘルメットだ! 本物のメロンではない!」
「メロン、今のうちに」
乃鈴の肩を借り、魔女から距離を取るデカメロン。その間に、歩亜郎は自らの左手に着けていた黒い手袋を外した。掌には、歯が剥き出しの、大きな口が出現している。
「今宵の劇場はお前に任せるのだ、歩和郎」
瞬間。歩亜郎の左目が紫色に輝いた。
「【他重人格・人格交代】――【冥探偵】」
紅い探偵服が、紫色へ変貌していく。装造武想、ワイズマンが姿を消す。
「ようやくオレの出番かよ。さすがに待ちくたびれたっての!」
そして彼は、巨大な白縁の虫眼鏡を顕現した。装造武想――愚者ノ鏡、フールだ。
「君は」
「オレは環十村歩和郎! なぁに、ちょっとした人生の成り行きで歩亜郎と身体を共有する羽目になっただけの、食欲の狂人といったところだ!」
「身体を共有、ねえ。そっか、そっか。やっぱり、そこにいた――」
「(やっぱり? そこに、いた? 一体、どういう? 歩和郎、ヤツはお前の知り合いか?)」
「何のことやら――てめえはオレが喰らうぜ、魔女!」
歩和郎と名乗った人物が床を蹴る。速度が歩亜郎よりも劣るものの、装造武想を振り下ろしたときの破壊力は彼以上である。魔女はその全てを避けているが、床や壁は破壊され、瓦礫の山が増えていく。
「ああ! 貴重な蔵書が!」
「知るかよ! そこにあるのが悪いっての!」
デカメロンの口から悲鳴が漏れるが、歩和郎はお構いなしに虫眼鏡を振り回す。
「逃げるな、魔女! てめえの殺意、喰わせろよ!」
「私の殺意を? やれるものならやってみればいいじゃない」
魔女の瞳が灰色に輝く。想造力、想対性理論を使うつもりだ。この想造力は、使用者の殺戮的想像とアナムネーシス・ウイルスを反応させることで、その殺意を現実にする。
つまり、時間を殺そうと思えば、一時的とはいえ時間を止めることができるのだ。
「【想対性理論・解告状】。そのセオリーは時をも殺す」
「その殺意、いただきだぜ!」
歩和郎の瞳が、紫色に輝く。そして左手の掌を、正面に向けた。
「【喰乱壊答】! その答えを喰らえ!」
歩和郎が想造力を発動すると、一瞬止まりかかった時間の流れが、元の速さに戻っていく。
「私の殺意を、食べた?」
「ああ、そうだ! オレの【喰乱壊答】は食いしん坊だからなぁ!」
歩和郎の周囲に蔓延するアナムネーシス・ウイルスの濃度が高まっていく。そして、何もない空間に手を添え、拳銃を掴み取る。新たな装造武想だ。
「暴引暴食、【グラトニィ・トリガー】!」
「おい歩和郎! それはやめろ! お前の食欲が止まらなくなる!」
「いいじゃねえか! 喰い足りねえからな!」
「世知崎真矢の悲劇を繰り返すつもりか! 的当の想いを踏みにじるつもりか!」
「知るかよ! オレと歩亜郎は悪よりも悪い悪を目指している! これくらい余裕!」
歩和郎は銃を構え、指を引いた。銃弾が飛び出し、それは大きく旋回すると歩和郎の左手の掌――大きな口のようになっている場所を貫いた。
歩和郎の食欲が増大していく。彼もまた現解突破を行うつもりだ。己の答えを超越し、想像を次の段階へ移行させようとしている。だが、それはもう止めることができない食欲を、周囲に撒き散らすことを意味していた。
「これは、ちょっと。かなり、不味い状況かな」
「想像しろ! 劇場の創造を! オレは答えを、喰らう者なり!」
彼の周囲、その景色が紫紺の劇場へ姿を変える。歩和郎の世都内界が具現化し始めているのだ。それは魔女の世都内界を上から喰らい始めている。すぐに現状を把握した魔女は、己の世都内界を解除した。自らの心の中の世界を守るためには、これしか方法が無かった。
「【現解突破】! 【喰い尽くす晩餐解劇場】――」
「なんてね。君の、負け」
「何! ぐがっ!」
福音の詩とも称される現解突破の詠唱を終えた歩和郎が、直後突然腹を押さえて苦しみだす。今にも食欲を解放し、魔女の殺意を喰い尽くそうとしていた彼が、何故。
「歩和郎! どうした!」
「知るかよ! 腹の中でワケわからねえモンが踊り狂っている!」
「私の殺意を食べすぎたようね。内側から君を殺そうと踊っているのよ」
「ちっとも、デリシャスじゃねえ!」
「発想は悪くなかったと思うよ。でも、ね。食べた後のことを考えるべきだったね」
「ちっ! おい歩亜郎! 交代だ!」
歩和郎の瞳が紅く輝くと、彼はそのまま倒れこんだ。探偵服の色は紅に戻っており、先ほどのような飢えた表情ではなく、無表情に近い顔を浮かべている。歩亜郎に戻ったのだ。
想造力、他重人格は内側の魂と、外側の魂を入れ替える希少な能力を持っている。彼らはそれを使って交代していた。最初に魔女の世都内界に侵入できた理由は歩和郎が喰乱壊答を使ったから。それで世界の境界線を喰い尽くしたのである。
「おぇぇぇ、気持ち悪い」
「歩亜郎! しっかりしろ!」
「あいつの食欲なら、魔女の殺意を喰い尽くせると思ったが。おぇぇぇ」
今にも嘔吐しそうな歩亜郎を見て、魔女が心底不愉快そうに笑っている。愉快で、痛快で、それでもやはり不愉快な感情を魔女は抱いているのだ。それもそのはず、彼女にとって殺意とは己の理論、つまり答えのようなモノでありそれを否定されたのだから、不愉快に思う気持ちは理解できる。
「そこまで嫌がることないじゃない。私の殺し愛を拒絶するつもり?」
「拒絶はしないのだ。なんとか僕なりに消化してみせる。おぇぇぇ」
「歩亜郎おにいちゃん、ちょっと格好悪いの」
「(乃鈴の言う通りだな! かっこ悪いぜ、歩亜郎!)」
「歩和郎のせいだろう! 僕のせいにするな!」
「毎度思うが、奇妙な光景だな。一人で二人というものは」
「はぁ、はぁ……おい、魔女」
なんとか態勢を立て直し、歩亜郎が立ち上がる。そしてワイズマンを顕現すると、魔女を見据えながら言い放った。
「あのクリスマス・イブの夜、僕を歩和郎と間違えて襲撃したな? 何故、間違えることになったのか、答え合わせをしてもらうぞ!」
「へえ、じゃあポアロくんは答えを出せたの? 私が、何者であるかという答えを」
「そうなのか、歩亜郎!」
「ああ。魔女の正体には見当がついている」
「それで? 私は誰だと思うの?」
「ああ。お前は雪上一無、だろう?」
歩亜郎は静かに、けれどもはっきりと、己の答えを魔女に突き出した。
「十年前に死んだはずだが、な。まさか生きているとは」
「へえ、そっか。それが君の答えだね?」
「ああ」
「歩亜郎、雪上一無とは?」
「お前たちが神社の手伝いをしている間に部室へやってきた依頼人、雪上一舞。魔女はそいつの妹である一無。僕はそう考えている」
「なんと、いうことだ」
「概ね合っていると思うが、僕の【最終怪答】で出せるのはこれが限界なのだ」
パチ、パチと音がする。
魔女が拍手をしているのだ。その音はどんどん大きくなり、激しさを増す。
「ぴんぽ~ん、正解だよ――間違っているけどね」
「何?」
「確かに私は一無だよ。雪上一無。でも、ね。私が私である証明には、ならない」
「何を言っているのだ?」
「知っているでしょう? 私、死んでいるよ? 十年前の、火災で」
魔女はケラケラと笑い続ける。仮面の下で、笑い続ける。今、彼女はなんと言った? やはり、死んでいる。魔女はすでに、死んでいる。では彼女は、一体。
何故、ここにいるのだろう。何故、笑っているのだろう。
シンデイルノニ、イキテイル。イキテイルノニ、シンデイル。
「そうか。そういう、ことか」
「どういうことだ、歩亜郎?」
「魔女は、僕と――僕たちと同じだったのだ」
「(要するに! ヤツもオレたちと同じ、あの計画の被験者!)」
「魂の、インストール計画。まさかここであの計画を思い出すことになるとは」
「何! では魔女は誰かの身体を乗っ取っているのか!」
魂のインストール計画。
元は、アナムネーシス・ウイルスの濃度が高い身体の部位を別の人間に移植することで、ウイルスの濃度を倍増させ、より高度な想造力を操る答想者を生み出すための禁断の計画だ。しかし、秘密結社ガイアコレクションによって、この計画が実行された。
その被験者第一号が、九十九歩亜郎。彼の左腕は環十村歩和郎という別の人物の左腕であり、それを移植した際、彼らの魂は想造力学の限界を超え、共存の道を歩むことになった。
「一無、お前まさか。あの火災には、何か」
「あーあ。せっかくの舞踏会が台無しよ。興が醒めてしまったわ」
魔女――一無がそう呟くと、踵を返し、図書館の出口へ向かって歩き始める。歩亜郎が追いかけるが、いつまで経っても彼女との距離は縮まらない。
「君との距離感を殺したよ。これで私には追い付けない」
「一無! まだ話は終わっていないのだ!」
「今日はもう、こういう気分なの。また殺し愛の気分になったら、きちんと舞踏会に招待してあげる。それまでは、誰かに殺されないように、ね? ポワロくん」
「(あン? オレがてめえ以外に殺されるわけねえだろ)」
「何を言っているのだ、歩和郎」
「(てめえには関係がないことだ。てめえはあの一舞とかいう女の尻でも追いかけていな)」
「どういう、ことなのだ!」
「あはは! じゃあね」
出口に着いた一無の銀色の短髪が、月明かりに照らされる。その直後、彼女は図書館から去り、残ったのは先程の戦闘が嘘だったかのように綺麗に整頓された図書館の本棚だけだ。きっと、一無が戦闘の痕跡を想造力で殺し去ったのだろう。
「あの女も、歩和郎のヤツも、一体何が、どうなって――」
「メロン!」
「どうした、乃鈴!」
歩亜郎が後ろを振り返ると、乃鈴がデカメロンの身体をなんとか持ち上げようとしながら、声を荒げている。デカメロンが意識を失ったのだ。先程の戦闘のダメージが大きかったのだろう。すぐに応急処置が必要だ。
「乃鈴、交代だ。メロンは僕が運ぶ」