#56 今日はアガサクリス茶を少し混ぜてみた
的当からの指示を受け、土湖花野学園大学にやってきた葉子と鬼衣人は、振子が待つ研究室へ向かっていた。ああ見えて振子は霊魂研究の専門家であり、この大学の准教授だ。いまいち、その肩書きにはピンと来ていない葉子であったが、肩書きを理解できずとも、自分の親代わりを務めている振子の愛情というものは、いくらでも理解できているため、今回に限らず日本にいる時くらいは堂々と頼らせてもらおう。そう思った葉子であった。しかし――
「何これ」
「おぉ、葉子か。キートまで――何かあったのか?」
「なんかいつもより、研究室が綺麗ではないですか」
「まるでいつもは部屋が汚いみたいな言い方だな?」
「だから、そうだと言っているのよ! どうして急に綺麗になっているのよ?」
「熱でもあるのですか?」
「いや、違う。アタシのゼミに入るような変わったヤツなんだが――とにかく、その学生がアタシの留守中に掃除をしてくれたみたいでさ」
「学生さん? へぇ? 振子、ゼミを開講するような余裕があったの?」
「余裕はない。押しかけられたから仕方なくってヤツだ」
「今度、しっかりとお礼を言わなきゃね」
振子に着席を促され、葉子と鬼衣人は研究室内の椅子に座った。そして振子が淹れた紅茶のようなモノ――歩亜郎も大好きなインフィニ茶を飲んで、一息吐いた。
「なんか、今回は味が違うわね」
「今日はアガサクリス茶を少し混ぜてみた」
「僕はあまり違いがわかりませんが……」
振子はいつもどこでこれらの茶葉を手に入れてくるのだろうか――そう思った葉子であったが、冷静に考えたらこれら奇妙な茶葉を所持している人物は振子だけではなく、ベアーモール商店街の喫茶店店主たちや、アイザワークスの御曹司も茶葉を所持していた。葉子が知らないだけで、マニアの間では当たり前の茶葉なのかもしれない。
違法でなければ、良いのだが――
「違法でなければ、良い方――ねぇ」
「どうした葉子?」
「馬鹿兄貴の影響を受け過ぎたようね」
葉子は自身の脳内に浮かぶ歩亜郎のマヌケ面を掻き消すと、本題に入った。
「実は聖解の本について調べているの」
「聖解の本? ああ、鬼灯刑事が追っている事件に関係している、あの本のことか」
振子は学生によって整頓された棚から、一冊のフォルダを取り出した。今回の事件に関係している資料がまとめられているのだろう。それを振子は葉子に渡す。
「アタシは長い説明が得意ではないからな。知っていることは大体、これに載っている」
「ありがとう、振子」
「でも良いのか?」
「何が、です?」
「聖解の本を調べて、その先にある聖解に辿り着いたとして、お前たちは――それに向き合うつもりはあるのか、と聞いている」
「それって、もしかして――」
「ああ。特にキート――お前もまだ子どもだ。聖解の本に、夜炭喰人のことが記されてあった場合、辛くなるのはお前だぞ」
「そ、そうかも、しれません――」
「言っておくが、無理はさせないぞ。その前提を守ることができるのなら、調査の続行を許可しても良い――アタシはお前たちを信頼しているし、愛している。それ故に葉子と鬼衣人、二人に心の傷を蒸し返してほしくない」
「だ、大丈夫――大丈夫、だから」
震える鬼衣人の背中を、葉子が優しく撫でていく。すると、鬼衣人の呼吸が整っていった。しばらくその行為は続き、鬼衣人は大きく深呼吸をした後、十字架のペンダントを握った。
「落ち着き、ました――ありがとうございます、葉子ちゃん」
「ふぅ、本当はお前たち二人には調査してほしくない件ではあるが――人間、過去があって現在となり、未来へと進むわけだからさ――わかった。もう、これ以上忠告はしない」
「ありがとう、振子。アタシは――アタシたちは大丈夫よ。馬鹿兄貴もいるし」
「ははっ、歩亜郎が聞いたら泣いて喜ぶだろうな」
振子は二杯目のインフィニ茶を注ぎながら、葉子たちへ微笑む。せっかく良い話をしていたのに、インフィニ茶の二杯目を勝手に注がれて、少々気が滅入った葉子であったが、隣にいる鬼衣人は気にせずインフィニ茶を飲んでいるので、葉子も気にしないことにした。
カフェインの過剰摂取にならなければ良いのだが――自分の身体を心配する葉子。
「まあ、ゆっくりしていけ。研究室も綺麗になったことだしさ」
「振子が掃除したわけじゃないでしょ……ちゃんとその学生さんにお礼を言いなさいよ」
「へい、へい」
葉子の言葉に対して渋々返事をした振子は、誰もいない席に油揚げを載せた皿を用意し始めた。そんな振子を鬼衣人は不思議そうな顔で見つめている。
鬼衣人の視線に気が付いたのか、振子は何か思い出したような顔をして言った。
「ん? ああ、キートは会ったこと無いのか? いや、見たことが無いのか――暗狐」
「うぇーい!」
そのような掛け声とともに、誰もいなかった席に突然狐耳の少女が現れた。彼女は用意されていた油揚げを、嬉しそうに見つめて惚けている。彼女は、一体――
「暗狐だよ、暗狐。アタシが契約している付喪神だ。昔、メメント森廃教会に住み着いていたところを保護した。生前は狐だったみたいだが――今となっては、油揚げ大好きテンションアゲアゲ娘だ」
「いただきますっ!」
振子に暗狐と呼ばれた狐耳の少女は、手を合わせると早速目の前に用意されていた油揚げを箸で摘み、口に運んだ。そして感嘆の声を上げ、彼女の表情は笑みで満たされていく。
「んー! 美味っているねぇ!」
「暗狐、キートに挨拶しろ」
美味しそうに油揚げを頬張る暗狐に対して、振子が呆れている。振子はもちろんのこと、葉子も暗狐のことを知っているようであり、暗狐のことを知らない人間は、この場では鬼衣人だけなのだろう。鬼衣人だけが、突然の暗狐登場に困惑しているようだ。
「んー? あ、君はあの時の! 確か少年捜査官とかいう――」
「は、はい……桃下鬼衣人です」
「二人は一度警察署内で会っているはずだが、まあキートには見えていなかっただろうな」
「あー、あの時――僕の手を拘束したのが、彼女なんですね」
あの時、というのは――【クリスマス・クライシス】に関わる一連の出来事の内、鬼衣人が警察署内でゴシップ記事を読んでいた時のことを指しているのだろう。あの時、鬼衣人は何者かに両手を拘束され、パソコンを閉じることができなかった。両手を拘束した人物の正体は暗狐であったわけだ。暗狐は霊的存在であったため、姿を消すことができたのだろう。
「そういうことだ」
振子は霊的存在を操る想造力、【百霊夜行】を所持しているため、契約している暗狐を使役することができる。拡声器型の装造武想、覚醒拡声器【モーニングコール】で強制的に周囲の霊的存在を叩き起こすことも可能で、普段はそれらの力を用いて、悪霊退治をしている。
「それにしても暗狐を召喚するなんて、振子にしては珍しいわね。いつもは付喪神を無暗に顕現させないのに」
「暗狐にも協力してもらうためだ――暗狐、聖解の本について説明してくれ」
「え? え? 良いの? この子たちに話しちゃっても?」
「ああ、読神神社が――お前の故郷が危機だからな」
「そういうことなら――暗狐も協力するよ! ドルちんとコトちゃんのためにもね!」
「ドルちん?」
「コトちゃん?」
暗狐の口から、聞き慣れない人物の名前が出てきたことにより、思わずその名を繰り返す葉子と鬼衣人。しかし、振子だけはその名について知っていたのか、ティーカップを置いて説明を始めた。
「その二人は、暗狐が生前共に生活していた人間のことらしい。とても昔の話にはなるが、コトちゃんという人物は読神神社の初代巫女姫である読神言葉を指すようだ。しかし、ドルちんという人物の正体は未だに不明であり、誰のことを指すのかわかっていない」
「そりゃ、言えないよ! なんてったって、ドルちんは聖解の本を封印した男だからね」
暗狐の言葉を聞いた葉子と鬼衣人は思わず顔を見合わせる。
「な、なんか僕たち」
「滅茶苦茶、核心に迫っているようね」
「聖解の本は、この世の中のあらゆる問いに答えることができる能力を持った、コトちゃんの装造武想のことだけど――現在において、アナムネーシス・ウイルスの宿主であるコトちゃんが亡くなっている以上、誰がどんなに頑張っても当時の力は使えないと思うよ」
「だから、ガイアコレクションが本を狙う理由はわからないと?」
「そういうことになるよ」
「もしかして、ガイアコレクションの狙いは聖解の本自体ではなく、本の欠片ともいえる、宿主を失ったアナムネーシス・ウイルスを手中に収めることなのかもしれません」
「だとしたら、ウイルスの力を使って聖解の本を再現することが目的なの?」
「正確には何とも言えません。ですが、聖解の本を再現できた場合、ガイアコレクションにとって都合が良い聖解を導き出すことくらい、余裕でしょうね」
振子から受け取ったフォルダのページを次から次へと捲りながら、葉子と鬼衣人は聖解の本、そしてガイアコレクションの思惑について、思考を張り巡らせていくのであった。




