第3章
帰る頃には既に日が暮れていたのでオフィスには帰らず直帰することにした。
「よお、ちょっと飲んで帰らない?」有馬さんが駅に向かう途中で言ってきた。
「え? いいですよ。どうせ僕は一人暮らしで、夕飯を用意するのも面倒だから、ちょうどいいです」
「よし、じゃあ品川で飲もう。君も品川が通り道だろ?」
「はい、目黒まで山手線に乗り換えるんで」
「いい飲み屋を知っているから、そこへ行こう」
品川駅を降りて港南口を出た先の細い路地裏に入るとその居酒屋はあった。角地に建つ古びた木造の建物は他のコンクリート造りのビルとは違う趣きがあり目立っていた。店の入口を入ると有馬さんの顔を見た店員がすぐに声をかけてくれた。
「いらっしゃい! いつものとこね」有馬さんは馴染みらしく、僕たちは三階の個室のような小部屋に通された。靴を脱いで細い急な階段を上がる様はまるで江戸時代の長屋に迷い込んだようだった。
「こんな店がまだあるんですね」
「ここは古いんだよ。前の上司が常連で、もう二十年以上通っているって言ってたなあ。だから二十年以上は続いているんじゃないか。俺ももうかれこれ十年くらいは通っている」
二人で生ビールのジョッキを鳴らして乾杯した。
「あ、うまいなあ、この一杯。八雲君もいける口みたいだな」
「はあ、お酒は好きです」
「だろ。酒は人間が発見した最高なもののひとつだな」
「ひとつってことは他にもあるんですか」
「そりゃあ色々あるさ。人間の欲求は果てしない。例えば電気の発見もそのひとつだな」
「電気か。やっぱり有馬さんはエンジニアなんですねえ」
「でも君もエンジニアだったんだろ。なんで企画なんかになったの」
「前は商品の設計をしていたんですけど、あまりにも末端の仕事だったので、もっと商品を外から見てみたくて」
「まあな、大きい組織だと設計の仕事は細かい作業が多いからなあ」
「有馬さんはなんでここに来たんですか」
「俺も二年前まではテレビの事業部にいたんだけど、ちょっとつまんないなあと思っていたところに尾上さんに引っ張られたんだよ」
「尾上さんとはどこで知り合ったんですか?」
「社内の商品アイデアコンテストがあって、そこに俺が応募して尾上さんが審査員だったんだ。まあ俺の応募は入選しなかったけどな」
「何を応募したんですか」
「カメラを向けると人の感情が読めるセンサー」
「え?人の感情を読み取れるんですか?」
「感情そのものが読み取れるわけじゃなくて、体の温度の変化や脈の変化が離れていてもわかる。それで感情を推定するっていう物を作ったの」
「へえ、面白そう」
「でも全然感情まで読めなくて失敗しちゃった。まあそんなに簡単に人の気持ちが分かるわけがないよな」
「そうですよね」僕は納得し苦笑いをした。
「実は、そのときちょっと好きな娘がいてさ、その娘の気持ちがわからないかなと思って作ったの」
「結果はどうだったんですけ?」
「ダメに決まってるんじゃん。そんなもの作ったもんだから、気持ち悪がられて逆に避けられるようになっちゃったよ」
「大失敗ですね」
「その通り」有馬さんは口を大きく開けて大笑いした。その愛嬌のある目で笑う顔とアフロのようなくしゃくしゃな髪形で見せる表情が自分よりも五つ年上とは思えないほど無邪気な感じだった。
「これからロボットを作るんですか?」僕は気になっていたので聞いてみた。
「いや、まだロボットを作るかは決めてない。今日のアクチュエータは面白そうだからちょっと色々試してみようかな。何を作るかはそれから考える」
「ロボットなんて売れるんですかね?」
「おもちゃとしては面白いけど商売になるかはわかんねえな。尾上さんはいいと思っているみたいだけど」
「そうなんですか……」
「うちの開発テーマをこれから三か月位で決めるみたいだから、そこで検討するんじゃない? それこそそれがお前の仕事だろ?」
「はあ、そうですね」
それから焼き鳥や煮物などをつまみながら酒が進んだ。有馬さんは日本酒が好きだと言うので山形の日本酒を冷で頼んだ。この日本酒はしつこくない旨味があって、普段焼酎しか飲まない僕にも美味しく感じた。
「そんでさあ、八雲君はどんな商品を作りたいの?」だいぶ酔いが進んで有馬さんの口調も強くなっていた。
「まだ具体的な商品像はないんですけど、たくさんのお客さんが使ってくれて、お客の文化に影響を与えるような商品を作りたいですね」
「文化?」
「僕は学生時代、映画が好きで映画館にもよく通ったんですけど、学生だからあまりお金もなくて行ける回数も限られてたんですよ。そんなとき家にあったビデオレコーダーでテレビの深夜にやっているような映画を録りまくって観たんですよね」
「ふーん」
「テレビでも意外といい映画をやっていたんですよ、あの頃は。民法の深夜とか、後、NHKの教育テレビとか」
「確かにやってたな」
「そうやってほとんど毎日のように映画を観ていました。それが僕の心の中に沁みついてるというか、影響を受けてるんですよね。ビデオレコーダーのおかげだなと思うんです。ビデオレコーダーに感謝してるし、それを作った人に感謝してます」
「なるほどね、それが君の文化か」
「そうです。僕もそういう風に人の文化というか心に影響できるような商品を作りたいんです」
「いい心掛けだね」
「有馬さんはどんなのを作りたいんですか?」
「俺?俺はねえ、自分で面白いって思ったものだな。電気とかいじっているといろんなことができるじゃない。それが楽しいんだよ」
「僕は電気回路を作れないからなあ」
「子供のときラジオとか作らなかった?」
「科学雑誌の付録とかは作りましたよ」
「俺は子供のときから秋葉原に行って部品を買っては組み立ててさ」
「僕はさすがに子供のときは秋葉原には行ってないです」
「あとマイコンね。ボードマイコンとかにプログラム入れて遊んでた」
「僕もパソコンはやってました。マシン語とか入力したりして。大学の研究室では自分でマシン語を書いてましたよ」
「マシン語を書ければ上等じゃん」
「確かに自分の書いたプログラムで画面に絵とか出ると楽しかったなあ」
「そうだろ。俺は今もそんなことを楽しみにやってるの。要はおもちゃを作ってるようなもんだよ」
「いいですね。仕事でそれができて」
「なかなか認めてもらえないけどな。尾上さんが拾ってくれなかったら、今頃どこかで冷や飯食ってたと思うよ」
「なんか売れる物を作れるといいですね」
「そうだな。三年以内に物にしないとな。会社も気が短いから」
「三年ですか……」まだ自分で初期の開発から商品化をするまでの経験はなかったが、三年という時間は短いと感じ、そんな短期間でできるかなと僕は不安な気持ちになった。
僕たちはそれからも飲みながら語り続け、店を出たのは夜の十一時過ぎの終電ぎりぎりの時刻になっていた。