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「そんなの簡単じゃない。咲希くんに、好きにはなれないって言えばいいんだよ」
目の前で、ゆうりが悪戯っぽく笑う。
お昼に待ち合わせた喫茶店は、路地裏の隠れ家のような佇まいに、少し年季が入ったレトロな雰囲気が洒落ていて、あまり知られていない穴場。
二人で会う時には、よく此処に来る。
ゆうりは、高校時代からの親友。
昔から相談事があると呼んでしまうけれど、毎回こうして来てくれる。
小さな悩みや愚痴、悠都とのことも。
今日はもちろん咲希とのことだ。
血の繋がりが無いことは、知ってすぐの頃にゆうりには話していた。
「伝える必要がないなら一生黙っておくのも選択の一つだけど、それってきっと加奈子が苦しいはずだからね。どうしようもなくなる前に、私に必ず言いなよ?」
それが、咲希には言えないと相談した時にゆうりがくれた言葉。
その言葉がずっと支えになってくれていた。
ここ最近の事を出来るだけ冷静に話し終えると、静かに聞いていたゆうりの開口一番の言葉がそれだった。
自分でも分かっているけど認めたくないことを、すっぱりと言い切ってくれる。
そういう所が好きなんだけど、その言葉に思わず俯いてしまった。
ゆうりの言う事は正しい。
姉として、咲希に言うべきことはそれしかないって。
血が繋がっていないことなんて関係ないって言うなら、そう答えるべきなんだって。
でも、そうしたくないのは何故だろう。
「咲希くんはあんたを諦めて、他に好きな子を見つけるでしょ。すぐには無理でも、他の人に目を向けるしかないわけだし。世の失恋した人はみんな通る道だよ」
悩む私に、笑いかけるゆうり。
視線を落としてストローを指先で摘まむと、コップの中身をくるりとかき混ぜている。
ベリーショートの髪に細身の体形のゆうりがすると、ファッション雑誌の1ページを見ているようだ。
ゆうりにはゆうりの悩みがあるんだろうけど、彼女のちょっとした仕草からは、いつもどこかゆとりを感じられる。
彼女から相談してくることはほとんどなくて、いつも聞き役になってくれるけれど、私なりにゆうりの力になりたいとは思っている。
以前そう伝えた時、ゆうりは笑って「頼られてる事実だけで私の生きてる理由になってるから、今はそれで充分」と言っていた。
いじめに遭っていたことをそれとなく聞いたことはあるけれど、今でもそれを引きずっているようには見えないし、実際に問題にはしていないと思う。
ゆうりが私に求めていることは、本当の意味では分からないけれど、今はそれでいいのだろう。
いつか彼女が求める時に傍にいる事が、私のやるべきことだと思っている。
高校で出会った時から、私とゆうりの関係はそんなふうに成り立っていた。
「二度と会わないって、本気なのかな……」
はあ、と溜め息が零れる。
ゆうりもきっと、私が背中を押してもらいたいだけだって、気付いているんだろう。
そうでなければ、きっといつものように精一杯甘やかされているはずだから。
私が不安なのは、咲希に二度と会えないと言われたこと。
たった一人の家族である咲希を、失ってしまうかもしれないこと。
「ねえ、加奈子。家族として咲希くんの幸せを願うなら、あんたも覚悟するしかないんじゃないの?」
ふと、真顔になったゆうり。
それは相談に対するアドバイスとかではなく、そうする他ないというゆうりの意見。
「やっぱり、それしかないのかな……」
私が漏らした言葉に大きく頷いている。
「加奈子の話を聞いた限り、咲希くんの決意は相当なものみたいだし」
頭のどこかでは分かっていた。
結局は、咲希と悠都、私がどちらを選ぶかなんだって。
二人とも、望む場所は同じで、分け合えるものじゃないのだから。
「幸い、あの子、顔は悪くないんだからさ、周りが放っておかないでしょ」
考え込んでしまった私に、ゆうりが明るく言ってくる。
きっとわざとだ。
私の悩みとズレているのも。
「それとも、加奈子も放っとけない?」
「心配だし、居なくなるなんて不安だよ、やっぱり。……簡単に悠都と秤に掛けられる位なら、ゆうりに相談してない」
ゆうりの挑発に、あえて真っすぐ答える。
誤魔化したところで逃げることなんてできない問題だから。
ゆうりの言う意味とは違うけれど、咲希を放っておけないのは本当のことだから。
「だね。時間はまだあるんだから、せいぜい悩みな」
苦笑するゆうりに小さくでも頷けたのは、相談して心が軽くなった証拠かもしれない。
「ねえ、いい機会だからさ、悠都とは距離を置いて、咲希くんに向き合ってみたら?」
ミルクティーを一口飲むと、私の方を窺う様に言うゆうり。
「うん……」とだけ返して考えてみた。
確かに、結婚式までは時間があるし、その後の生活などはすでに話し合っていて、ある程度決まっている。
悠都の部屋に一緒に住むことや、式の場所、身内だけの人前式といったことは決定済み。
つまり、悠都とは式まで進展はないという事。
もちろん、その間は会わないというわけではないけれど。
「どうせ、結婚するまでの間なんだし」
ゆうりの言葉が、私の思考を止める。
思わず顔を上げて、目の前の親友を見つめた。
「ゆうり、そんな風に言わないで。咲希とは、私が結婚した後もずっと家族なんだから」
きっと今の私の顔は、怒っているようにも見えるだろう。
でも、どこかで私自身も同じことを考えてしまっていた。
『結婚するまでに』咲希を説得できれば、それでいいんじゃないかって。
だから半分は自分に言い聞かせた言葉。
ごめん、と謝るゆうりに、私も同じ言葉を咲希に対して心の中で呟く。
「けど加奈子、咲希くんはそれを望んでないって事も、あんたは分かってなきゃ」
「…………」
何も言えなかった。
ゆうりの言う事はその通りで。
私と咲希の間に突き付けられた現実に他ならなかったから。