5
「咲希、私は……」
私には悠都がいる。
婚約をして、来年の今頃にはここに、……咲希の傍にはいない。
それに、血が繋がっていなくても、一緒に育った姉弟だという事実は変わらない。
それなのに……
「分かってるよ、加奈子の言いたいことも。でも、気持ちを伝えたからには、あの男には譲らない」
いつものリビングで、テレビからはタレントの笑い声が聞こえてくる。
いつもと同じ場所にいるのに。
同じ物に囲まれているのに。
全部が遠いものに感じる。
頭が働かない今の状況でも、これだけは分かった。
私が何を言っても、咲希の気持ちは変わらないこと。
少なくとも、今すぐには無理だって。
「だから早く家を出ろって言ったんだ。黙って加奈子を祝福してるフリが出来たのに」
「…………」
何も言えなかった。
咲希の気持ちを知らずに、ただ悠都との仲を認めてくれていると思っていた私。
最近、咲希の距離感がおかしい事にも薄々気づいていたのに、深く考えないで、ただ目を逸らしていた。
慣れない近さに、ただ逃げるばかりで向き合うこともしなかった。
それは私が一方的に抱えていた後ろめたさが少なからず影響していたんだろう。
血が繋がっていないという事実を伝えられないのは、咲希との関係が変わってしまうようで怖かったから。
変わってしまうかもしれないと恐れていたのは、ただ何となくという感覚ではなく、咲希が私との間に置いていた距離感に対する違和感があったからなのかもしれない。
ずっと一緒だった咲希が離れていった時、───そう、彼が小学校に上がった頃は、私があんまりにも構い過ぎていたから、咲希は嫌になってしまったのかも、とか、思春期だから仕方ないとか。
その時々でそれらしい理由を当て嵌めては、自分を納得させてきた。
悠都との婚約を決めた時も、次の日にはそのことを咲希に伝えたけれど、今になって思えばあの頃からかもしれない。
それまで他人行儀なほどに私を遠ざけてきた咲希が、妙に近い場所で過ごすようになったのは。
いずれ居なくなると知って寂しくなったのかもしれない、なんて思い込んでいたけれど、実際には咲希の心情が変わったからだった。
何も知らない状態で咲希の気持ちに気付くなんて難しい事だけど、向き合っていなかったからこそ余計に分からなくて当然。
まさか弟に好意を持たれているなんて、誰が想像できるだろう。
でも、そんなことはただの言い訳でしかない。
きちんと話して、咲希が家族として大切だってことを、私から伝えれば良かっただけ。
必死に自分の気持ちに蓋をしていた咲希を追い詰めたのは、きっとそんな私なんだ。
「もう、片思いのままじゃいられない」
咲希の言葉は、重く心の奥深くまで沈み込んで、まるで私は有罪判決を下された被告人だ。
そう思った。
咲希の手が私の髪を梳く。
今、この状況でなければ、心地よさに目を閉じて、優しい咲希の手の動きを堪能しているはず。
少し前に戻りたかった。
咲希の気持ちを知らず、大切な弟のままでいられたほんの僅かに過去。
でも、戻れたとしても、それは咲希にとって辛いだけの過去に戻るという事。
咲希の気持ちは私に向いていて、私はそれを知らなくて。
きっと目の前の僅かな笑みさえ奪ってしまうのだろう。
「期限を決めよう」
和やかな空気のまま、真っすぐに私を見て咲希が言った。
「……期限って?」
「結婚式までに、加奈子が俺を好きになれなかったら、……弟に戻る」
ハッとした。
それは、私がたった今望んだものだろうか。
戻れないし、戻ってはいけないと思った時間のことだろうか。
でも、そうしたら私たちの関係は、……咲希の気持ちはどうなるのだろう。
嫌な予感に顔を上げると、咲希の目に捕らわれた。
強い、強い意志を込めた眼差し。
「その時は、二度と会わないけど」
「そんな……っ」
そんな条件、呑めるわけがないのに。
でも、咲希の目は私に何も言わせてくれなかった。
いくら血が繋がっていないと言っても、『家族』である私を好きになった咲希の固い決意が窺えて。
本当は嫌だって、答えなんて出したくないって我儘を言いたいくらいだったけれど、俯くしかなかった。
ねえ、神様。
幸せにしたい人を、幸せに出来ないときはどうすればいい?
大切な人を失いたくないと思うのは、私の我儘?
神様じゃなくていい。
誰か私に教えて下さい。
弟を幸せにしてあげられる方法を。