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「こんな奴らが居たら、絶対に引くな」
私が一息吐くのを待っていたように、咲希が言う。
その視線の先は、テレビのバラエティ番組。
「おしどり夫婦」というテロップと一緒に、街頭でインタビューを受ける若夫婦が映っている。
きっと咲希のお気に召さないのは、あの見事なまでのペアルックに違いない。
私も、あんなに露骨な格好は遠慮したいけど……
「少し、羨ましいかな」
「えっ、本気で?」
私の呟きに、咲希が勢いよく振り向く。
「結婚してからも、それだけ相手のことしか見てないってことでしょ?すごい事だよ」
高校生の頃に戻りたいわけじゃないけれど、ひたすらに悠都を求めていた気持ちは、今はない。
テレビに映る二人が、カメラに向かってぴったりと寄り添う姿を見せつける様にしている。
大勢の人が見ると分かっていて行動するなんて恥ずかしいだろうし、もしかしたら演出の内なのかもしれないけれど。
やっぱり、少しだけ羨ましいと思う。
「俺だったら、絶対無理だ」
溜め息を吐いて、さも鬱陶しそうに咲希が言う。
その目はテレビに向いていて、いつもの澄ました横顔しか窺えない。
「ねえ、咲希は彼女いないの?」
話の流れで聞いてもおかしくない、絶好のチャンスだった。
でも、タイミングを待っていたからじゃなくて、今、咲希に聞きたくなったこと。
咲希にも隣にいて欲しいと思う存在がいないのか、知りたいと思った。
ゆっくりと私の方に向く咲希の顔は、少しだけ冷めていて、でも、その目には強い意志が見てとれた。
「いないし、作る気もない」
言葉自体は表情と同じく冷めているのに、私を真っすぐに射貫く視線が熱を帯びているようで。
思わず、顔を背ける。
「そう、なんだ……」
「好きな人ならいるよ」
私の声に被せる様に続いた咲希の言葉。
胸が騒めいて、ゆっくりと目を合わせる。
ついさっき背けた時と変わらず、真っすぐな瞳が私を映している。
周りの音が消えて、やけにゆっくりと、咲希の唇が動くのが見えた。
「俺の目の前に」
「……え……」
一瞬、時が止まったかのように錯覚する。
咲希の目が、私を映していて。
頭がうまく働いてくれなくて。
『好きな人』『目の前』
その言葉だけが、意味もなく頭の中を回っている。
理解したいけれど、心がそれを拒んでいるみたいに。
「俺と加奈子、血が繋がってないんだよ」
「……どうして……」
咲希にはまだ話していないのに。
あのノートも、私が隠してしまったのに。
どうして、知っているの?
聞くのが怖くて、言葉が出てこない。
咲希の口が動いて声を発するのを、ただ見ていることしか出来ない。
「母さんに言い聞かされてきた。父さんとお前に迷惑はかけるな。
……血が繋がってないんだから、って」
自嘲するように口元を歪ませる咲希。
母は優しい人だった。
そう、特に私には優しかった。
それが気を遣っていたからなんだと、今更ながらに知ることになるなんて。
どこか冷静な私が、そんなことを考える。
感情は追い付かなくて、涙が流れたことにさえ気付けていないのに。
咲希の温かい手が、私の頬を撫でた。
咲希が生まれた日のことを今でも覚えている。
八歳差の弟は、幼かった私にとってお人形と同じ感覚だったのかもしれない。
暇さえあれば構っていた結果、歩けるようになった咲希は私の後ばかり付いて回って、そんな私の溺愛ぶりに両親も苦笑いしていた。
身長は、咲希が中学校を卒業する前に追い付かれて、今では見上げるよう。
一緒に育ってきた。
色んな思い出を共有してきた。
でも、咲希のことを知らずにいたのは私だけ。
父が書き残していたのは、いつか私に伝える為だったのだろう。
何も知らずにいた私一人の為に。
「いつから……?」
いつから私は除け者だったの?
目の前の咲希に問いかける。
今度こそは涙が流れたのが分かった。
「言い聞かされたのは、小学校に入る前から」
咲希の手は大きくて、私の顔を楽に覆えてしまう。
その手が、優しく目元を拭っていた。
「好きだって思ったのは、婚約したって聞いた時」
私が口を開くより先に、咲希がそう続けた。
聞きたかった事じゃない。
でも、知りたい気持ちもある。
だから、静かに息を詰めて咲希を見つめた。
「聞いた瞬間、もう手遅れだって思った。……で、手遅れって何だろうって、考えてさ」
わざと明るく言っているのが分かった。
咲希を見ていたら、涙も止まってしまう。
それくらい悲痛な表情。
何がそうさせるのかは分からないけれど、咲希にそんな顔をして欲しくない。
そう思って、咲希の手に私の手を重ねる。
……と、触れる前に手を掴まれていた。
びっくりする間もなく、その手を引かれて体が密着する。
「自分の気持ちに気が付いたら、歯止めが効かなくなった」
「ん……」
項の産毛を撫でるような咲希の手の動きがくすぐったくて、小さく身じろぐ。
視線を上げると、今まで見たことの無い、咲希の思いつめたような潤んだ目が見つめ返していた。
その視線に捕らわれて、私の心まで切なく疼く。
咲希のその表情を初めて見た気がしたけれど、でも、妙な既視感もある。
それは、最近になってふとした時に見るようになった表情の中に隠れていたからなのかもしれない。
そう気付くと、顔に集中した熱が冷静でいさせてくれなかった。
「いつから好きかなんて、俺にも分からない」
きっと。
燃えるような瞳で見つめる咲希の感情が、私にも伝染してしまったから。