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悠都とは、小、中学校が一緒だった。
初めから親しかったわけじゃない。
でも小さな町の学校だから、自然と同じクラスになることが多かった。
何度か隣同士の席にもなったし、同じ係の担当に就いたりもした。
だから悠都のことは良く知っていたし、他の同級生と比べても特に親しかったと思う。
悠都はクラスのムードメーカーで、スポーツも出来れば頭も良い、みんなの中心人物だったから、男子からも女子からも好かれていて、私が好きになったのも、周りの友達が好きだって言い始めたのに乗せられて、憧れのような気持から育ったようなもの。
違う高校を受験すると知った時、漠然と「ああ、もう会えなくなるのかも」と思ったけど、その時は実感なんてなかった。
だって進路が違うと知った時もいつもと同じように隣の席にいたし、数分後には一緒に笑っていたから。
でも、高校に進学してしばらく経つと、悠都への気持ちの大きさを自覚せずにはいられなかった。
それは悠都も同じだったようで、入学式から一か月後、悠都からの電話で呼ばれて久しぶりに顔を合わせた私たちは、どちらからともなく想いを伝え、付き合い始めることになった。
別々の高校だった私たちは、その状況に追いつめられるように想いを募らせた。
放課後になると毎日のように会い、離れている時間を埋めようと目の前の相手を求める。
傍にいられない時間があるからこそ、気持ちを誤魔化したり、疑ったりする隙もなかったんだと思う。
そんな日々を過ごした私たちは、高校を卒業すると同時に一気にその触れ合いは凪いでいった。
少しだけ距離を置きたい。
言葉は無かったけれど、お互いに心の中の何かを消耗しすぎていて、その当然の結果だった。
相手が好きで大切だと思う気持ちだけを残して、街を出て進学した悠都とは別の道、地元で就職することを選んだ私。
今いる会社は、その時に選んだ場所。
もう入社八年目の中間管理職だ。
会社から期待されるレベルも相応に高くなったし、新入社員の目標にもされている。
それが、悠都と付き合い続けた十年ちょっとで得た私の現実。
そして悠都は、大学院まで進み研究を続けて博士を目指している。
私と悠都を取り巻く環境は、今では随分かけ離れている。
それでも、私たちの関係が切れることはなかった。
周囲に宣言できるほどじゃないけれど、ふとした時に感じるくらいの幸せがある日常。
幸せだけど、一方では悩みもあった。
私たちが未だ二十五だと言っても、十年以上恋人の関係が続いてきて、出会いから数えれば二十年に近い付き合い。
だからこそ、たまに不安にもなる。
悠都との関係はマンネリ化していて、このままズルズルと付き合い続けるか、別れるか。
そこまで考えたことも一度ならずあった。
そんな矢先、今年の春先にプロポーズされた。
正直に言えば、もちろん嬉しいとも思ったけれど、どうして今って気持ちも大きかった。
これだけ長く付き合ってこられたのは、悠都と私の相性が良かったからだと思う。
明るくて、マイペースだけど周りに気の付くムードメーカー。
そのさり気ない優しさは昔から好きだった。
でも、超が付くほど優柔不断。
それに、大学院での研究はどれだけ時間があっても足りないって、忙しくて会えない理由をそう話していたのに。
少なくともあと二年は研究漬けのはずなのに、このタイミングで結婚の話が出るなんて誰が予想できるだろう。
このままの関係がしばらくは続いていくんだと思っていた。
それでもいいと思っていたし、半分は諦めてもいた。
そんな彼からのプロポーズ。
喜ぶより先に驚き、戸惑った私の気持ちは仕方のないことだと思う。
でも、やっぱり嬉しくて。
思わず涙が流れたのも、正直な私の気持ちの表れだった。
次の日一日は、仕事そっちのけで悠都との将来を考えて。
夜に会って、イエスの返事をして。
二人で泣いて、一度は預かってもらっていた婚約指輪を、今度こそ私の指に嵌めてもらった。
婚約したその日の、その瞬間の気持ちは、きっと一生忘れない。
結婚するにあたって一つ気がかりがあるとすれば、まだ高三の弟のこと。
年が離れているのは、私にとって継母である人の連れ子だから。
継母とは言っても、私にとっては実母と変わらない存在だった。
いつも楽しそうに笑っていて、穏やかで、柔らかい印象ばかりが残っている。
だから、弟が連れ子だという事実も最近知ったばかり。
弟は父との再婚後に産まれたし、当時まだ小学生だった私は、事実を知らされていなかった。
そんな疑いすら抱かないまま、私は社会人になって家を出てしまった。
父は自分の子ではないと知りながら、妊娠していた母との再婚を決めたらしい。
そのことを知ったのは、両親の死後。
私が二十一、弟はまだ十三の時だった。
その日は二人の結婚記念日で、もしも二人に遠慮して付いて行かなかったら、今やたった一人の家族である弟まで失っていたかもしれない。
車同士の衝突事故だった。
大型トラックとの正面衝突だったらしく、二人は苦しむ間もなく即死だっただろう。
そんな慰めにもならない事実を、事故後、駆けつけた病院で聞かされた。
お葬式の後、遺品を整理している時に父の古い日記を見つけた私は、何気なく中を見て。
偶然か、父の遺志だったのか、開いたそのページに弟のことが書かれていた。
弟、───咲希にはその事実を知らせていない。
当時、中学に入学したばかりの咲希は、隣で見ているのも痛々しくて。
お葬式の間、涙一つ見せず静かに私の隣にいた咲希。
二人の遺体は私が病院で確認して、決して咲希には見せなかったから、もしかしたら現実を受け止めきれていないのかな、なんて考えていたけれど、そうじゃなかった。
葬儀が済んで家に帰ってきた日の深夜、遺影の前で一人声もなく泣いている姿を見つけて、こっちの胸が握り潰されるんじゃないかと思うほど苦しくなった。
普段大人びた物腰の咲希だから、なおさら。
悲しくない訳が無いんだって、そんな当然のことを、その震える背中に思い知らされた。
そんな両親の死を乗り越えることで精いっぱいの状態の咲希に、追い打ちを掛けるようなことは出来なかった。
私だってショックを受ける事実だったのだから。
咲希にまでそれを背負わせるなんて出来ない。
今ならば、とも思うけれど、機を逃した言いにくい事というのも手伝って結局は言えないまま。
それに、もともと姉弟仲は良かったから、言わない方が良いのかもしれない。
そんな風に自分に言い訳をしながら、あれから五年近くが経つ。
お互いにお互いしか家族がいない私たち。
悠都を待たせることにはなってしまうけれど、せめて咲希が高校を卒業するまでは、入籍も式も挙げないでもらっていた。