共感能力に乏しい女が母を殺し、父を泣かせる話
こちらの作品はnoteにも掲載されています。
お前、人の気持ちってわかる?
そう言ってきたのは、14歳の時にはじめてできた彼氏だった。人の気持ちなんて、わかるわけがないと正直思った。だって、気持ちなんてその人だけのモノ。お気持ち表明されたってわからない。
そう言われたときだって、彼氏の飼っていた犬が死んだって泣いていただけ。私の飼っていた犬でもないし、なぜ私も一緒に泣いたり、慰めなくてはいけないの?10歳も越えてたなら寿命だと思う。かわいそうとも思わない。生き物が死ぬなんて当たり前だし。
俺のことが好きじゃないのかって聞かれた。それはそれ。これはこれ。結果的にその彼氏とは別れた。
やがて、私は社会に出るようなった。そこでも、人の気持ちがわからない奴、冷血女等々、私を中傷するあだ名で呼ばれた。なぜ、他人のために私があくせく感情を動かさないといけないのか。理解できない。仕事をミスしたのは私ではなく同僚で、その同僚がどうしようと泣いてた。けど、やってしまったのは仕方がないし、泣いたってどうにもならないでしょう。周りの同僚も囲って慰めたってミスは消えないのに、なぜそんなことするのか。無駄なのに。
学校も会社も人付き合いがすごく面倒くさい。ドラマや音楽の話しをしても、登場人物にも、歌詞にも共感して感動するなんて、私にはできない。おかげで、変人扱いからのいじめは耐えなかった。容姿だけは並み以上だったから、少しは男性と付き合ったけど、うまくはいかなかった。全部面倒くさくなって仕事も止めて、人との関係を絶った。私の娯楽と言えばクラシックを聴くとこ位になった。歌詞がないから共感を強要されないのがいい。
しばらく、ふらふら失業手当を貰いながら貯金でニートしてたけど、ある時掲示板で怪しい仕事を見つけた。
募集内容は【最期まで仕事をやり遂げられる方。急に消えても不審がられない方。一人でする仕事なので他人が苦手でもok。給料歩合制】
怪しさ満載だったけれど、一人でする仕事とというものに興味を引かれて応募した。いつまでもニートでいられないしね。
見事に採用された私の初仕事はサラリーマン風の年配男性を、できるだけ痛め付けて殺すことだった。まさか、仕事が殺人とは思わず動揺したが、殺ってしまえばなんてことはなかったわ。私の人生で関わりのない人間を殺してもなんの感情も沸かなかった。配偶者の名前を叫ぶ人、子供がいるんだと言って同情を誘って止めさせようとした人とか居たけど、だからなに?としか思わなかった。
どうも、私は自分が思っていたよりも共感能力が著しく欠如してるらしい。他人がどうなろうが可哀想と思わないし、そもそも興味がないし。
仕事に慣れてきた私は仕事場ではクラシックを聴くようになった。正直痛め付ける度にギイギイ叫ばれるのが耳に痛くて、鼓膜がいかれそうになる時もあって困っていた。ヘッドホンでクラシックを聴きながら、できるだけ痛め付けて殺す。これは、存外快適だった。殺される対象が何をしたのかなんて知らない。私は上司からの電話一本で仕事場にやってきて、用意された道具を使って仕事をするだけ。
膝に釘を打ち付けて、踵にはドリル、爪の間にまち針、簡単には死なないように注意を払いながら痛そうなところを責めていく。最初は元気に泣き叫んでビクンビクンと魚みたいに跳ねるけど、やがて涙と鼻水、涎を滴しながらどこか遠くを見つめて反応しなくなる。こうなってしまうと、殺そうとしても反応がないと依頼人からの反応も悪いと上司に聞いた。だから、元気なうちになるべく、たくさん痛め付けて元気なうちに殺す。慣れれば簡単だった。
1日に何人も殺す位には仕事に慣れた頃に、母親から電話が来た。内容は仕事は大丈夫か、体は大丈夫かという心配だった。母は私の共感能力の乏しさを小さい頃から心配して、学校や会社をすごく心配していた。電話口であれやこれやと話す母親に、仕事も順調で体も大丈夫だと返して電話を切る。娘だからという理由だけで、ここまで感情を動かせる母を純粋に尊敬する。きっと、私は自分の子供であろうと、ここまで興味を持てないと思う。
それから、数ヶ月経った仕事の日。私の今日の殺す相手は母だった。椅子に固定された母はガタガタ震えて涙を溢していた。なんで、私の母親がここにいるんだろう。
思わず、なんでと言葉を溢してしまった。私の声を聞いた母は俯きがちだった顔をバッと上げて、私の顔を見ると安心したように顔を綻ばせて助けてと掠れた声で言った。でも、生憎仕事だから、膝の皿に金槌を叩き込んだ。母は安堵から一辺して絶望の声を上げた。なんでなんでと繰り返す母。ヘッドホンをするのを忘れていた。母の絶叫が鼓膜を突き刺すけど、構わず仕事を全うする。母が痛い痛い痛い痛い、こんな辛いことはやめてと叫ぶけど止めない。自分でもここまで薄情だと思っていなかった。母のことは普通に愛しているつもりだった。他人に共感できる母が羨ましかったこともある。なのに、母を殺しても意外となんの感情も沸かなかった。私は人として大事なものが欠如していることを改めて実感した。
母を殺してから数日後。私は電車を5時間乗り継いで実家に帰ってみた。母がいなくなった家には寡黙な父が一人残されているはずだから。家に入ると思っていた通り父が一人で新聞を読んでいた。父は母など最初からいなかったかのように、振る舞う。
私は母はどこに行ったの?と聞くと、父はお前が一番知っているはずだ、と応えた。ドキリと心臓が跳び跳ねて、全身の毛穴が開いて汗が吹き出る感覚がした。なぜ、父がそんなこと言うのか。全身に汗が吹き出ているのに、反対に唇はカサカサに乾いていく。
父は私の様子を老眼鏡越しに見て、それからポツリと私が母を殺す様を見ていたと言った。動揺から黙りこくる私をよそに、父は淡々と語る。
母が友人の旦那を寝取って、何年も関係を続けていたこと。父の貯金に手を付けてブランド品を買い漁ったり、その男と旅行へ行っていたこと。裏で男と一緒に父を見下して罵っていたこと。私のことを心配してるふりをして金を送って貰う算段でいたこと。
父の口から聞く母の姿は、私の知っている母と違いすぎて飲み込めないでいると、父は母の不倫、貯金の使い込み、罵りのメッセージ、金の無心のメッセージの証拠をテーブルに並べた。それを見て気づいた。母を殺すように依頼したのは父なのだと。そして、母が苦しんで死ぬ様見たさに現場にきていたんだ。
父は私に辛くなかったかと聞いた。辛くはなかったと応えると、父はすまないと呟いた。何に対する謝罪なのかはわからなかった。父は目頭に指を当てて溢れそうな涙を止めていた。なぜ、父が泣いているのか理解できなかった。母を殺したことに対する罪悪感なのか、私に母を殺させてしまったことによる後悔なのか、人として大事なものが欠如している娘の姿に嫌悪しているのか。もし、普通の人だったら父が何に涙を流しているのかわかるのだろうか。
父の涙が止まるまで待って、その日は夕食を共にして一泊して帰ってきた。私は変わらず仕事を続けている。誰かから恨みを買った人間を。一度同僚と呼べる人間に会った。その同僚は私とは違い自殺の手助けをしていると聞いた。そして、ついこの間、人を殺す仕事をしている娘を持つ男の自殺の手助けをしたとも聞いた。私の父だと直感で思った。
私は再び実家へと帰った。実家に入ると家具類は全て整理されて、重要書類と遺書だけが残されていた。遺書には父の字で母への恨み言と謝罪、私への謝罪と将来を心配することが書かれていた。はじめて、他者を想って涙が出た。思えば、母の心配や愛情は上っ面だったかもしれない。14歳の頃の彼氏の涙も、犬が死んで俺可哀想でしょが明け透けだった。ミスした同僚を囲って慰めていた連中は影で、普通はあんなミスはしないとせせら笑っていた。私は共感に値する感情を持った人間が周りにいなかったから、共感できなかっただけだったと気づいた。
だけど、父は寡黙で分かりづらかったけど、遺書に書かれた文章を見れば母のことを本当に愛していて、私のことを本当に心配してくれていたのがわかってしまった。はじめて、他者の感情がわかってしまった。
私は前に会った同僚にコンタクトを取り、手助けをしてもらった。上司は私を評価していたらしく残念がっていたようにも思える。でも、父の心配を理解してしまったことで、仕事を続けるつもりが無くなってしまった。願わくば、次の人生では父に心配をかけないものであるように。