第7話 カーティス・クラルヴァインの提案
(結婚するつもりはない……? それは一体、どういうこと?)
婚約とは、読んで字のごとく『結婚』を『約束』するものである。
なのに、今、カーティス様は「結婚するつもりはない」とおっしゃった。それは矛盾している。
婚約しておいて結婚しなんて、普通は考えられない。
「……それは一体、どういう意味でございますか?」
驚き戸惑い、震える声を抑えてそう問いかければ、カーティス様は「そのままの意味だ」とおっしゃる。
……そのままの意味が分からないから、尋ねているというのに。そう思って私はむっとしてしまいそうになるけれど、その気持ちをぐっとこらえる。
今、カーティス様を刺激することは得策ではないわ。そうよ、落ち着くのよ、エレノア。
「……簡単に言えば、この婚約は表向きのものということだ。ほとぼりが冷めたら、この婚約は解消する」
カーティス様は紅茶を一口飲まれるとそうおっしゃった。
……それはつまり、世にいう『お飾りの婚約』とか、そういうことだろうか? もしもそうだとするのならば……カーティス様が私を選んだ理由がわかったような気がした。
未婚の令嬢だと、これはあまりにも酷な話だ。でも、私は出戻り娘。ならば、ショックは少ない。そう判断されたのだと思う。
「実は、母にいい加減結婚しろと迫られていてな。だが、俺は結婚をするつもりは一切ない。母にはそう説明したが、聞く耳を持ってくれなかった。挙句、ならばこっちで見繕うと言ってくる始末だ」
「……つまり、カーティス様のお母様を欺くための婚約、だと?」
「そういう受け取り方で構わない。それに、婚約解消の理由もそっちで勝手に決めてくれて構わない。俺の不貞でも、性格の不一致でも文句を言うつもりは一切ない」
涼しい顔をされたまま、カーティス様はそうおっしゃる。……欺くための、婚約。それは、想像が出来なかった。
けど、お飾りの婚約かぁ……。まぁ、ありかなしかと問われたら……あり、よね。
こちらにメリットがあるのならば、だけれど。
「お言葉ですが、私側には何かメリットがあるのでしょうか? 私は出戻り娘とはいえ、安くはありませんので」
紅茶の入ったカップを口に運びながらそう言えば、カーティス様は「報奨金は、出そう」とおっしゃった。その後、執事であろう人に契約書のようなものを持ってこさせる。
その契約書のようなものの中身を覗き込めば……そこに書いてある数字は、かなりの額。
(この金額だと、一般庶民の生活費の五年分に相当するわね……)
さすがは辺境をまとめる侯爵家の当主様と言うべきか。
とても太っ腹だった。これだけお金がもらえれば、ラングヤール伯爵家はさらに発展することが出来る。それに、辺境貴族と一度はつながりを持つことが出来るのだ。……ありね、この婚約。
「これで納得できないのならば、即刻帰ってくれ。新しい婚約者を探すからな」
ふんぞり返られたカーティス様は、契約書とにらめっこをする私に対し、冷たい声音でそう告げてこられた。
そのため、私は「……期間は、いつまでですか?」と問いかけてみる。
「そうだな……。ほとぼりが冷めるまで。長くても一年半と言ったところだろう。その間、ここで生活をしてもらうことになるが」
確かに、辺境と王都を行き来するのはかなりの時間のロスになる。
……一年半も、ここで生活をするのかぁ。正直なところ、不安は多い。けど、悪くはないかも。扱いがひどいのは、もう慣れっこ。
ならば、このお話――引き受けるに限る。
「承知いたしました。私、このお話をお引き受けいたします。こちらにサインでもすればよろしいでしょうか?」
「……あぁ」
笑顔で私がそう問いかければ、カーティス様は驚いたように返事をされ、執事にペンを要求されていた。
そして、そのペンを私に手渡してくださる。だから、私はそのペンで契約書にサインをした。
『エレノア・ラングヤール』と。
「これで、契約は成立ですね。では、よろしくお願いいたします、カーティス様」
「……あぁ」
私は笑みを深めてそう言う。
それに対し、カーティス様は「……まさか、この話を受ける奴がいたとはな」なんてぼやかれた。……無茶ぶりだっていう自覚、あったのね。
(確かに、私が出戻り娘じゃなかったら、引き受けなかった婚約だわ)
でも、実際私はただの出戻り娘なのだ。だから、そんなもしもの話はしない。しても、虚しいだけだもの。
「……ニコラ。エレノアを客間に案内しろ。……使えるようには、しているだろ?」
「はい。かしこまりました」
その後カーティス様は持ち直されたのか、ニコラにそんな指示を出していた。
その指示を受けたためだろう、ニコラは私の方に近づいてきて「では、エレノア様。客間に案内させていただきます」と言ってくれた。そのため、私は素直に立ち上がる。
「おい、エレノア」
「……はい」
私がニコラに続こうとしていれば、不意にカーティス様に声をかけられた。だからこそ私が怪訝そうに返事をすれば、彼は「……お前、どうしてこの婚約を引き受けた」と問いかけてこられた。……ご自分で提案されておいて、そんなことをおっしゃるのね。
「簡単でございます。この婚約は私側にも相応のメリットがある。そう判断したから、です」
なので、私は笑顔でそれだけを返して、ニコラに続いて応接間を出て行った。
正直なところ、長旅で疲れているのだ。今は少しでも、ゆっくりとしていたかった。