第1話 ラングヤール伯爵家の出戻り娘
「エレノア様。そろそろ、お屋敷の方に戻りましょうか」
「えぇ、そうね、サラ」
太陽が沈み始め、辺りがオレンジ色に染まり始めた頃。私の専属侍女であるサラがそう声をかけてきた。
そのため、私はゆっくりと立ち上がる。
季節は春。淡い色合いの花々がこの伯爵家の敷地内にたくさん咲き誇っている。
ラングヤール伯爵家。
それは、このウィリス王国で中堅に位置する伯爵家。そして、私、エレノアの実家。
「エレノア様が戻ってこられて、もう半年ですか」
「そうね。今のところは、充実した日々を過ごせているわ」
私、エレノア・ラングヤールは世にいう出戻り娘。一度結婚し、その後離縁して実家に戻ってきた。
とはいっても、離縁については私側に原因があったわけではない。結婚したお相手――お名前をネイサン・クローヴ様――の不貞が原因。
私とネイサン様は、互いの家に利益があったということから婚約し、私が二十歳の時に結婚した。しかし、ネイサン様は私との結婚当初から異国の踊り子だという愛人を囲っており、彼女にしか愛情を注がなかった。
初夜は見事にすっぽかされ、私とネイサン様はそのまま二年間、白い結婚生活を続けた。
そんな日々が終わったのは、ほんの些細な事がきっかけ。ネイサン様の愛人、アマンダ様のお腹に子供が出来たのだ。ネイサン様はそれを大喜びし、しまいにはアマンダ様を正妻に据えるとおっしゃり、私との結婚生活を一方的に終わらせた。
まぁ、元より彼に愛情など期待していなかったのだけれど。だから、そこまでショックは受けなかった。いずれはこうなるだろうと予想はしていたし。
その結果、私は実家のラングヤール伯爵家に戻ってきた。両親は常々私に戻って来いと言っていたため、私が離縁して帰ってきても特に咎めることはなかった。それどころか、「落ち着くまでは実家でゆっくりとしなさい」と言ってくれた。普通ならば、「修道院にでも行ってこい!」と言って追い出すのに。
そして、実家に戻ってきて約半年。離縁された当初は二十二歳だった私も、二十三歳を迎えた。貴族の令嬢で二十三歳とも言えば、もう立派な行き遅れのはず。それに、私は世にいうバツイチというやつ。
こんな娘を娶りたいという物好きなど現れないだろう。いや、現れたとしてもそれはかなり訳ありな男性のはずだ。だから、私はあと一年ほどしたら修道院に向かうつもり。このまま実家に居座っても、いずれは跡を継ぐ年の離れた弟に迷惑をかけてしまうだけだから。
「ところで、エレノア様。エレノア様はもう一度結婚などは……」
「ありえないわよ。私はバツのついた娘だし、もう二十三歳よ。いくら前が白い結婚だったとしても、バツのついた娘に価値はないわ」
ネイサン様に未練はないし、彼と直接的な関係もない。
だけど、社交界ではこういう娘は嘲笑の的だ。今でこそ静養中という名目で社交界からは遠のいているけれど、いずれは復帰しなくちゃならない。
まぁ、それが嫌だから私は修道院に向かおうとしているのだけれど。
「……旦那様も奥様も、エレノア様に傷がついてしまったことを大層嘆かれております」
「でも、仕方がないわよ。相手は侯爵家だったもの。たかが伯爵家ごときでは、断ることは出来なかったわ」
私とネイサン様の婚約のきっかけは、相手方の強い希望。というか、世にいうお金目当て。
長年の浪費が積み重なり、借金にまみれたクローヴ侯爵家は私の実家であるラングヤール伯爵家に助けを求めた。その代わりに上流貴族とのつながりを持つと言って。
正直に言えば、お父様もお母様もあまり乗り気ではなかったらしい。それでも、家の発展のためには爵位が上の貴族と繋がりを持つのが手っ取り早い。そういうことで、私はネイサン様と婚約したのだ。
「私は後悔していないわ。それに、援助はすでに打ち切っているもの。今後のクローヴ侯爵家は苦労するわよ。いくら真実の愛が正しいと言い張っても、愛だけじゃこの世は生きていけない。お金も大切なものなのよ」
そう、貴族社会なんてそんなもの。真実の愛を取ったとしても、お金がなければ家は落ちぶれていくだけ。
ネイサン様は真実の愛が正しいとおっしゃった。それは、聞こえはいいけれど結局は実家を窮地に追いやったに等しい。所詮、彼の脳内はお花畑だった。
「いくら愛人を愛していたとしても、援助を打ち切らせない方法はいくらでもあったわ。そうねぇ……私のことを、お飾りの妻に据え続けるとか」
「……エレノア様」
「でも、彼は選択肢を誤ったの。だから、もう落ちぶれていくだけよ。私はそんな彼をあざ笑い続けるの。……まぁ、私があざ笑い続けることが出来る立場になるかは、わからないけれど」
そんな立場を手に入れることは、きっと出来やしない。
けれど、修道院で同じような境遇の人たちとのびのびと暮らして、そこそこの幸せを得るつもりだ。その後、落ちぶれた彼を見つめて言ってやるのよ。
――ざまぁみろって。
「ま、結婚だけが幸せじゃないのよ。私は、それを知っている。だから、私は強くなったはずなの。失うものがない人間は、何処までだって強くなれる」
それは、きっとただの独り言。サラには聞こえていないはず。
そんなことを思いながら、私はお屋敷に足を踏み入れる。誰もが見惚れるほど立派なお屋敷は――このラングヤール伯爵家がお金を持っているという紛れもない証拠。