Summerstory 引きこもりの唄 五
特になし
――もし。
というか、例えば。
『全人類を二種類に分類するとしたら?』
などと、ありきたりで定番もポピュラーもいいところの命題が……誰でもいい、家族でも友人でも恋人でも他人でも、とにかくどこかの誰かから出されたら、あなたはどう答える?
と、どこかの誰かに聞いてみよう。
とある偉い人いわく、上に立つものと下に佇むもの。
とある映画いわく、楽しく生きるものとそうでないもの。
とある頭のイカレタ戦争教師いわく、殺されるものと生かされるもの。
………………。
まあ、こんな感じ。私の人生経験からだと。
一般論の範疇かどうかは置いといて、どれもこれも間違ったことは言っていない。そもそも、この命題に間違いはないのだから。
いやいやそもそも、全人類を二つに分ける時点で必要性がまるで、てんでない。哲学だか神学だか倫理だか理論だか論理だか理性だかなんだか、ありもしない、目に見えないことについて考えることなんて無駄なのである。
ではどうしてこんなくだらないことに私が思考しているのかというと――。
いや、それよりまず、私の見解を先に言っておく。
……そうだね。
もし、全人類を二分割するとしたら、という命題に私はこう答える。
『私と、それ以外の人類』
と。
随分と傲慢で幾分も謙虚さというのがない私の見解は、しかしながら答えと必要性を有さないこの荒唐無稽で牽強不快な(あれ?字が違う?)命題に対する答えとしては一番正鵠を射っているのではないかと思ってる。
だって、そうでしょ?
私は世界の観測者で、それ以外は対象物の他人なんだから。こじつけに近い後付け説明や人を紛らわす戯言やわざわざ資料なんてアンチエコを使わなくても、自然と出来てしまう枠組みをただただ分かりやすく端的に言ったんだから。間違いない。
家族だって友人だって恋人だってオケラだってアメンボだって、みんなみんな、自分じゃない『他の人』なのだから、私はこれが正しい正解だと思ってる。
――では、じゃあどうしてこの話題に触れているかというと、真弓父が、真弓が何故学校をあそこまで嫌悪するのかをどうにかこうにか、そしてかくかくしかじかこれこれうまうま、言ってしまえば紆余曲折の私の下手くそな話術といっちょ前な献身的努力の末の結果、話してくれたことからである。
――坂下真弓はいじめにあっていた――
高校一年の頃、私のクラスに石上くんという記憶には薄いがかっこいいと思われるであろう男子がいたらしい。……らしい。まあ、案山子くん命だから、それ以外の男子はいようがいまいが、というか死んだってかまわないような存在なのであまり知らないけど、とにかくいたらしい。
スポーツ万能頭脳明晰の野球部キャプテン四番でピッチャーで心は寛容容姿は抜群。リアルデキスギくんらしく、男女の人気は天井知らずで、特に女子からの人気は重力知らずに高かったらしい。
そのリアルデキスギくんが、なぜか真弓に告白して、真弓がそれを振った……なんていうベタな話では、残念ながらそうではない。もしそういう単純な話なら、まだましであった。――まだ。
とある体育の時間。
種目は野球。
私はその日は休んでいたらしい。
石上くん以外にも野球部の生徒が多かったらしい私のクラスは大盛上がりをしたらしい。
打席に、石上くん。
ピッチャーは同じ野球部の人。
野球部同士であったため、お互い本気でやりあった、らしい。
そして――事件は起きた。
互いに本気の野球部同士の勝負。
もちろん。
石上くんが放った打球は『本物』であり、なぜか二塁を任されていた運動能力素人以下の真弓にそれが飛んできて、野球なんてやったことがない真弓は反射的に『両手』で防ごうとして、たまたま『グローブじゃない』ほうの手でボールを受け止めてしまい、だから運動や突然の衝撃に慣れてない真弓の体はボールをキャッチしたときの手の骨が、折れた。
折れて。
利き腕が折れて。
利き腕が折れたおかげで生活が不自由になった。
全治は一ヶ月だったらしい。つまり一ヶ月は字を書くことも、食事をすることも、その他もろもろが難しくなって大変になった。
そして――
デキスギくんは、罪悪感を抱いて真弓の生活の手伝いをし始めた。
信頼が高い石上くんは担任から許可を受けて席を真弓の隣にしてもらい。
ノートを写してあげて。
食事の手伝いをさせてあげて。
他のことも手伝ってあげたらしい。
積極性がなあ真弓は石上くんのお節介を断ることはせず、そのまま自分の手が治ることを待った。
――が。
――しかし。
――だが。
――けれど。
女子はそれを、許しはしなかった。
誰にでも優しい。
『特別に優しい相手がいない』
石上くんに、特別優しくされてもらってる真弓は、石上くんの特別な存在となろうとする女子にとってはトンビに油揚げを盗られたようなものだった。
ましてや控え目で美少女とはいえなくて、本人は石上くんに興味がまるでないのだから尚更。
だから――。
いじめが起きた。
妬みに嫉みが合わさった、陰湿で陰険ないじめが起きた。
優しすぎる石上くんにはばれない程度の、それでいて悪意が濃い、いじめが。
「それが、坂下真弓がNHKに入った理由なのか」
「別に、入会したわけじゃないと思いますけど……」
私は今、先生が寝ていた部屋にいる。おそらく、真弓父の部屋だろうか。
布団から上体を起こして、今さっき起きた先生は眠そうな目をしていた。
先生はこの話を聞いたときは「へ−」と、意地の悪そうな笑顔だったが今はめんどくさそうに頭が女性としてはあってはならない髪をさらにぐしゃぐしゃと掻いている。
「いじめか。うちの学校も腐ってるな」
と呟く。
私もそうですね、と同意する。
「おそらく担任……あんときだから、古座川か。――は、気付いてただろうな。坂下真弓のいじめについて」
「どうしてですか?」
「普通に考えればわかる。坂下真弓でも、さすがにいじめが起きた原因くらいは分かるはずだ。いくら消極的だからって、石上に、もうこれ以上関わらないでくれとは言ったはずだろう。そしてその石上はその言う通り、もう坂下真弓との接触を絶った。が、坂下真弓はいまなお不登校中。それはつまり、そのあともいじめが続いたってことだろ?」
原因が無くなって。
理由が亡くなって。
根源が失くなって。
それでも、なぜかいじめが続いている。
「溺れているやつは藁をも掴む。わけが分からなくなっている人間ほどむやみやたらに周りにすがるもんだが、消極的な坂下真弓は担任ぐらいにしか頼れない。いじめがあるって告発したんだろう。が――」
真弓は現在進行系で不登校。
それは、つまり。
「助けなかった」
助けてもらえなかった。
「止まらないいじめ、助けてもらえない環境。そりゃさすがに嫌いになるわな」
まるで他人事のように先生は欠伸をしながら呟いた。
きっと、先生にとっては他人事で、そして私も他人事のように思ってるのだろう。
全人類の二分割について思考しているのだから。
自分とそれ以外。
自分と世界。
坂下真弓は正に、全人類を自分とそれ以外に分けている。部屋に引きこもって自分を一人にして、それ以外を拒んでいる。
私と会話しても。
親に援助してもらっても。
それ以外の存在と、分けている。
自分を優先し、他者を隔てる。二者択一。選んで、選ばないで。全人類を分け隔てる。
これは何も特別なことじゃない。むしろ普通で普遍なこと。誰だってなんだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな、無意識のうちにしていること。
誰にだって優しい石上くん。来るもの拒まず去るもの追わず。彼はつまり、優しくする他者と自分という分類を無意識にしている。二者択一。
いじめをした彼女たち。自分に得を与えるもの、自分に害を与えるもの。自分の世界とそれ以外。自分とそれ以外。二者択一。
たとえば先生。自分と他者を徹底的に隔てて戦争を起こす。
たとえば滑稽な平和主義者。私とそれ以外に隔てている。だって私以外の全人類が滅べば、世界は平和になるのだから。
だから――そう。
この物語は別に、特異な話ではないのだ。
ただ、世界を二つにわけて、真弓は極端に自分を選んでしまっただけ。
しかもほとんど不可抗力な状態で。
あまりにも――平和的じゃない。
「どうするよ。お前は」
「何がですか?」
「悲劇で喜劇で、あたしからしたら茶番劇のような出来事で心にうしおととらを持っちまった――」
「トラウマですね」
「――坂下真弓を、登校させるか否か。だ。あたしは当然登校させる。球技大会が控えてるんだ、さっさとどんな手を使ってでもやる。お前は、どうするんだ?」
嫌味たっぷりに口の端を吊り上げて。
皮肉満載に眉を吊り上げて。
先生は、言った。
分かってるくせに……。
そんなの――。
「決まってるじゃないですか」
こんなお話は、全然。平和的じゃない。
高一のときまで高二のときまで不登校なら、まだ分かる。
もしかしたらいじめてた女子がいたかもしれないから。
だけど、今年は違う。
高一のときの女子はいないし、それに、そんな下らないことをくるような人は誰もいない。
真弓にとって安心して暮らせるクラスなのに、平和なクラスなのに。
あなたは、それを否定するの?
そんなの、許さない。
私の平和を否定するなんて、許さない。
だから――。
「私は、真弓を連れていって、平和であることを証明します」
と。
私が言うと。
先生は、笑った。
「じゃあよ、始めようか?」
私は、笑わない。
「そうですね。始めましょう」
「戦争を」
「平和を」
そして、
平和な戦争を。