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宝玉の道  作者: 金魚
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希呪 壱

おっかないパートその一になります。治安は悪め。

今日一日のことを振り返りながら、ハクはごくりと口の中の饅頭をのみこみ、残り一口を口内に放り込んだ。隣に座るジオはもう食べ終えて茶を飲んでいる。レイは少し遅れて三色の団子を食べ始めたところだ。

 食べているうちに完全に日が暮れていた。太陽は沈み切っているが、灯籠の火があたりを照らすおかげで通りは華やいでいる。店の灯りが爛々と光って、普段夜はわずかな火の明かりで過ごしているハクにとっては少し目に痛かった。座っている長椅子の前を、たくさんの人々が行き交っている。

 ここ湖雲の街は、昔から宿屋の多い場所として有名らしい。小さな村しか知らないハクには今でも十分賑わっているように感じるが、これでも昔と比べれば随分小さな規模になってしまったのだそうだ。右を向いても左を向いても人、人、人。初めは道ゆく人々の行方を、ついつい目で追っていたハクだったが、あまりの多さに目が回りそうになってやめた。



 ごくりと最後の一口ものみこんで、茶を啜る。料理の美味い店は茶まで美味い。ほぅ、と息をついて、ハクは口を開いた。


「テオたちほんとにこの街に来てるのかな」

「泉河で別れたのが昨日の夜なんだろう?ハクが乗った船の後の船、まぁ動いてたらなんだけど、それで来たならあの雨の中夜通し馬はそう走らせないと思うんだよね。そしたら下船した後に宿に泊まるにしろ、野宿するにしろ、動くのは今日になるでしょ。きっと関所で止められる筈さ。谷奥山脈はもちろん天龍山脈には絶対に護軍が通さないだろうし、そうなったらもうこの街で関所が開くのを待つしかないよ」

 

給仕の娘に茶のおかわりをもらいつつジオが言う。ハクも流れで茶をもらいながら、不安げに眉を寄せた。

「でも、テオたちもオレとおんなじだからさ。まっすぐ村に帰れてないなら、大変な目に遭ってるんじゃないかって…」

「それはあり得るんだけど…」

湯呑みを口に持っていきながら、ジオがするりの視線を流す。ハクの顔を見て、軽く息をついた。

「大丈夫だよハク。何かあっても護軍に話が必ず行くからね。さっきレイが聞いた感じではまだ、陸南村の人っぽい人たちを保護もなにもしてないらしいけど、明日明後日にはきっと何か話が入るはずだよ。もしかしたら明日ばったり会っちゃったりしてね」

ね、と笑うジオに、そうだといいなぁ、と心の中で返して、ハクはジオに小さく笑い返した。


「おい嬢ちゃん、随分別嬪じゃねぇの。いくつだい、えぇ?」

その時、掠れた男の声がした。下卑た雰囲気の声に、ジオがぱっと顔を向ける。

「おい聞いてんのかお前さん。お前だよお前。へへ、まぁいいや、いくつでも上玉にゃ変わりねぇ。相手してくれや、なあ」

ハクもジオを避けて首だけで声の主を探そうとしたが、すぐに見つかった。ジオの隣、長椅子の端に座っていたレイの横で、顔を赤らめた男が喚いている。レイの反応がないことが気に入らないらしい。最初にやにやと近づいてきた男は、段々苛立ったように声を荒らげはじめた。

「おい聞いてんのかって言ってんだよ!ちょっと綺麗な顔してるからっていい気になりやがって。“別嬪だな“って褒めてやってんだぞオレは!笑顔のひとつくらい見せてみろってんだ!」

団子を食べながらレイは、明らかに自分に向けて捲し立てている男を見向きもしない。あれやあれやと息巻く男は、時間も早いのに既にひどく酔っているようだ。周りを歩いていた人々が、遠巻きにこちらを伺いながら通り過ぎていく。

「コケにするのも大概にしろよ小娘、オレの話が聞こえねぇのかよ!」

男はますます頭に血を上らせていて、今にもレイに掴みかかりそうだ。様子を見ていた店の主人が見かねて男に声をかける。

「あんた酔いすぎだ。いい加減にしてくれよ店の前で!そこのお客にも迷惑だろうが!」

「うるせぇオレは今この女に話してんだ引っ込んでろよ!」

店主に怒鳴り返して、男がレイに向き直る。自分に向けられたものでもないのに、ハクはすっかりすくみ上がってしまった。思わずジオの衣の裾を縋るように掴む。オレが怖いんだからレイはもっと怖いに決まってる、とレイの表情を恐る恐る伺えば、レイは三つあるうちの一番下の団子を器用に歯で抜き取って食べていた。一瞬だけ男を見やって、すぐにまた正面を向いてしまう。その様子に男の口調は更に荒れたが、いくら聞くに耐えない言葉を投げられても、それ以上レイが男に興味を示すことはなかった。


「──あのさ、彼女は俺の連れなんだ」

怯えるハクの頭を左手で軽く撫でながら、なお言い募る男に、ジオが眉間にぐっと皺を寄せて言った。露骨に険のある表情で男を睨む。なんだと、とこちらに向かってくる男に、更にジオは言葉を重ねた。


「だから、彼女は俺の連れだ。あんたの相手はしないし、させないと言ってるんだ」

「ンだと男連れだからって澄ました顔してやがったのかオイ!」

レイにまた詰め寄って男が、がなり立てる。

「俺の声が聞こえてないのか?彼女に絡むのはやめてくれって言ってるんだ酔っ払い。護軍を呼ばれたいならさっさとそう言ってくれよ。酒で正体を無くして護軍の世話になるなんて、恥を知ったらどうだい」

強い口調で言い切るジオに、周りからも援護の声が飛ぶ。周囲の人間は完全にジオの味方らしい。男は一瞬怯んで、でもすぐに顔を真っ赤にして声を振り立てた。

「うるせえぞ偉そうに説教しやがって」

男が今度こそジオの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。ハクはぎゅっとジオにしがみついて、目を瞑る。

「ぶん殴ってや──」


男の言葉は最後まで続くことなく不自然に途切れた。薄めに開いた視界に、濃い青が広がる。今朝見たものとよく似た展開だった。男が大きく体勢を崩して、ジオに庇われたハクのすぐ側を吹っ飛んでいく。

 男とジオの間にレイが入って、勢いのまま男の脇腹を思い切り蹴り飛ばしたのだ。

 

男の飛んで行った先にいた人々が、悲鳴をあげて散っていく。男は地面に倒れ込んで、口元を押さえながら悶えていた。

美しい姿勢で持ちあげていた右脚をゆっくりとおろして、レイが左手の団子の串を皿に戻す。レイ自身はもちろん、その佇まいにも一切の乱れは無かった。ハクはもちろん店主や周りの人間も皆唖然としてレイを見つめているが、レイは何事もなかったかのように口の中の団子を咀嚼して、のみこむ。そのまま傍に置いていた茶を一口飲んで、そこで暫くぶりに、

「無事か?」

とひとこと発したのだった。ジオがハクを引き寄せていた腕を緩めて、ため息をつく。

「…無事です、無事ですよ。もうほんと、もう…」

ジオの纏う空気が弛緩したのがわかった。音もなく固まっていた通りがかりの人々もわらわらと動き出す。一瞬で厄介な男を黙らせたレイに、歓声を上げはじめる者も少なくなかった。ハクもそこでやっと安堵のため息をついた。もう大丈夫だ。ジオにくっついていたことに今更気づいて勢いよく離れると、意外と緩急のあるらしい優男は今までと同じ調子で柔く笑った。




自分に向けられた歓声も無視して、長身の女は男の方へ歩いて行く。群衆に一歩引かれたところでまだ蹲っている男の側で、レイは男を見下ろした。

「なん、なんだよお前、ちょっと声かけただけでこんなにしやがって偉そうに、ふざけんじゃねえぞ!」

まだ威勢よく食ってかかる余力のあるらしい男を、レイは感情の読めない目で見つめる。男の態度が酒のせいなのか、それとも生来の気質のせいなのかは定かではなかったが、そんなことは大した問題ではなかった。

男の衣の襟首を引っ掴んで、レイが男を大して重くもなさそうに引きずり歩く。周囲の人間が誰とはなしに道を開けた。歓声はいつの間にか止んでいる。

呆然としてその様子を見ていた店主に、レイが声をかけた。

「店主はあんたか?」

「は、はい…」

「こいつ、この街の人間か?」

顎で引きずっているものを示しながら、レイが尋ねると、店主はぶんぶんと首を振った。

「いえ…初めて見る顔ですよ…」

「そうか、ならこの街の護軍を呼んでくれ。こんなのに明日も明後日もうろつかれちゃ商売にならんだろう。引き渡す」

淡々と話すレイに、一も二もなく店主は頷いた。

「は、はいただいま!」






人気のない路地裏に、女は無造作に男を放った。受け身も取れずに男は転がって、月の光を背負った女を睨みつける。逆光で表情がわからないのが癪で仕方がない。

「あんた──」

女の言葉を遮って、血の混じった唾を吐いて男がわめいた。

「舐めてんのか、ええ?こんな風に手ェ出しといて許されると思ってんのか売女め」

少し綺麗な顔をしていると思って声をかけてみただけなのに。店の人間には咎められ、女々しそうな男には恥をかかされた。その上こんな若い女にいいように扱われるなど、腹が立って仕方がない。この生意気な女に、自分の方が優れていると教えてやらねば気が済まない。

 男は酒でまともに回らぬ頭でそう思って、大して考えもせずに思い浮かんだ言葉を吐いた。

「その顔で媚でも売ったのか尻軽め」

「調子に乗るなよ」

「かわいげがないんだお前は」


相変わらず背負った月の光で女の顔が見えない。これではこの女の顔に言葉が蠢くのが見えないではないか。

だがそんなことはどうでもいい、と男は言葉を続ける。何か言ってやれ、この顔が歪むようなことを言ってやれ。その考えで頭はいっぱいだった。あぁ悔しい、腹が立つ。こんなに気分が悪いのは久しぶりだ。唾を飛ばしながらべらべらと言葉を繋ぐ。もうなんでもいい。


「どうせ隣の男もその顔でたぶらかしたんだ、ろ…うッ!」

そこまで口走って、男の体は宙に浮いた。

「グ、うぐ、」

女が片手で男の首元を掴み上げて、突き当たりの壁に男の体を荒っぽく押し付ける。


逆光で見えなかった表情が、やっと見えた。恐ろしく整ったその顔には何の感情も浮かんでいなければ、何の言葉も蠢いてはいなかった。ただただ、冷めた瞳でこちらを見ている。

「はな、はなせ、おい、」

「──あんた」

先程遮った言葉の続きを、女が口にする。

「口は慎めよ、あんた」

「は、はなせ──ッグ」

「口を慎めって言ってるんだ。何でかわかるか?」

抵抗する男の首に、女はゆっくりと力をかける。締め上げられている体が、徐々に壁を伝ってずり落ちた。

「あんたが言ったんだ。“相手してくれ”って。そうだろ?」

完全に見下ろされる位置になって、そこで初めて、目があっている、と思った。暗く沈んだ顔に、二つの黒目だけが爛々と光っているように見える。

「二ついいこと教えてやるよ」

女の雰囲気に呑まれて、男には最早抵抗する気力も無かった。

「一つ目。一度口にした言葉は戻らない」

至近距離で女が呟く。

「これはもうよくわかってるだろう。希うか希わないかなんて関係ない。一度口にしちまえば、今みたいなことになるかもしれないってわけだ」

耳元に注ぎ込まれるような声に、もともと動いていなかった頭は更に動かなくなった。うまく呼吸ができない。

「い、いきが、いきが、くるし、」

「二つ目」

女は男の言葉を無視して続けた。

「人の話は遮るべきじゃあない」


なんでかわかるか?

そう言う女の声は、初めから変わらぬ平坦さなのに、どこか嬲るような響きがあった。

「……人の話を遮る人間は、自分の話が遮られても当然だからさ」

そこで、ようやく男は気づいた。

 


殺される。



「は、は、は、はなせ、はなして、わるかった、わるか、」

「折角相手してやってるのにその言い草はないだろう、ええ?」

「は、いきが、もう、はなして、わるかっ」

「聞こえないなあ」

吐息混じりに女が言った。

「さっきみたいに大声で話さなきゃ通じないだろう」

女の首元を押さえつける力はゆるまない。頭が白みはじめて、もう男にはなにも考えられなかった。口元に泡をつけて、意識が落ちる直前。




「護軍を呼んできました!」

薄汚い路地に声が響いて、レイはぱっと手を離した。男が激しくむせて息を吸う。息が整うのも待つことなく、レイは男の肩を掴んで無理やり立たせた。壁にもたれかかろうとする男の腕を引いて歩かせる。狭い路地を抜けると、揃いの衣を着た男達が並んでいる。

「こいつがこのお嬢さんに突然絡んでね、怒鳴り散らかして大変だったんですよ──」

店主が護軍に必死に話す声を、男はどこか遠くのもののように聞いた。ひどく気分が悪い。酒のせいだろうか、はたまた首を絞められたせいだろうか。荒く息をしながらぼんやりと考える男は、レイに突き出され護軍に札付きの縄をかけられた。

「待ってくれ」

護軍に腕を繋がれ、引いていかれようとした男に、レイが声をかけた。

恨言の一つや二つあるだろう、と店主は護軍に待ったをかける。護軍も仕方なさげに見守る中、レイは男に近づいて、たった一言だけ囁いた。

 訝しげに首を傾げる店主と護軍に軽く礼をして、レイが背を向ける。ジオとハクが心配そうに店の前でこちらを見ているのに気づいて、レイは足早にその場を離れたのだった。








「『二度とその面見せるなよ』」

レイは一を十で返すタイプ。

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