宝石商と乖離
ファンタジーみが増してきました。鷹可愛い。
「はい、饅頭が二つと三色団子ね〜」
露店が立ち並ぶ通り。日は沈みかけ仄暗くなり始めている中でも、通りは灯籠に火が灯され始めて明るかった。ハクは物珍しさにきょろきょろと辺りを見回しながら饅頭にかじりつく。
「!おいしい」
「良かったね。」
美味さに目を輝かせたのをジオに見られた。幼な子を見るように笑われて、ハクは目だけで抗議する。その扱いやめてくれ。ジオとレイはハクをまだまだ子供の年頃だと思っていたらしい。道すがらにきちんと年齢も伝えたのに、態度を改められた雰囲気がないのは困ったことである。
それはそれとして、この饅頭。噛んだ瞬間に肉汁が溢れて美味い。村では肉は滅多に食べられないものだったが、この街ではそうではないらしい。テオ達ももしかしたらここで食事をしたかもしれない、と考えてハクは少し寂しくなった。
「レイ」
隣に座ったジオがレイに自分の饅頭をちぎって差した。
「ん」
受け取ったレイがかけらを口に運んでもぐもぐと咀嚼するのをジオは嬉しそうに見ている。
「美味いな」
「ほんと?いただきまーす。」
言いつつジオも饅頭を口にして、幸せそうに顔を綻ばせた。
「美味しい。この店は当たりだったね。」
「うん。すげぇうまい。」
その後はジオもハクも無言で食べ続けた。食べながら今日一日のことをぼんやりと振り返る。間違いなく今日はハクにとって、今までの人生の中で一番色々あった日だ。
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もうすっかり日の上った辰ノ刻。ハク達三人は、木々生い茂る道なき道を歩いていた。最早森である。日がさんさんと照っている。暑い。うだるように暑い。もう随分歩き通しで、疲れてきた。
森の入り口くらいまでは「乗れるなら乗っていろ」と、七に一人だけ乗せられていたハクだったが、流石に獣道と評されてもおかしくないこの道では七を引いて歩いている。手綱を引くことをレイに申し出られたが断った。ただでさえ荷物と槍を持っているレイにこれ以上負担をかけるわけにはいかない。ジオも買って出てくれたが、ジオについてはハクがどうこう言う前にレイに却下されてしまった。
「やめておけ。お喋りが止まらなくなる。」
「…お喋り?」
「そんな、ちゃんと黙って歩くよ。」
「嘘をつけ。今までそう言って毎度毎度、話が弾んでやることなすこと滞って仕方なかったろうが。」
「んん゛……。」
ぴしゃりと言われてジオが頬を膨らませてレイを睨む。妙に愛嬌のある仕草が似合う人だが、一体歳は幾つくらいなんだろう。物言いたげな目で見つめつつも何も言い返さないところをみると、本人も思い当たる節があるようだった。
そのあたりのやりとりを思い返していて、小石につまづいて我に返った。落ちていた枝を思い切り踏みつけた音で、レイが振り返る。
「大丈夫か?」
「大丈夫です…。」
「レイ、そろそろ休憩しない?」
「あぁ、もう少しだけ頑張ってくれ。馬、私が引こうか。」
「え、あっ、大丈夫、ちょっとつまずいただけで、本当に大丈夫です、すみません…。」
明らかにハクを気遣っての流れに、申し訳なさが膨れ上がる。もういっそ全て任せたほうが一周回って負担を減らすことになるのではないかという気がしてきた。
それにしても暑い。昨日の雨はなんだったんだ。ハクは八つ当たりで照りつける太陽を睨んだ。木々の葉で多少遮られるとはいえ眩しい。むしろ葉で塞がれて熱気が充満している気すらした。
「これ今どこに向かってるの?」
「湖だ。」
「湖なんてあるの?」
「ある。もう着くぞ。」
レイはそう言い切った。レイもハクと同じように汗をかいているはずなのに、妙に涼しげに見えるのが不思議だった。
「レイさん、ここら辺詳しいんですか?」
「いや初めて来た。全く土地勘はない。」
「え……。」
じゃあなんでそんなに自信があるんだ。ハクは一気に不安になった。
「大丈夫だよハク。」
ハクの心境を悟ったかのようにジオが肩をとん、と叩く。叩かれた肩の方を向くと、叩いた当人はハクの後ろに回り込んで、するりと流れるような手つきでハクの手から七の手綱を抜き去った。
「お喋りは湖に行ってからゆっくりさせてもらうね。」
ねー、と七に向かってジオが、聞いているこちらがうっとりしてしまうような甘い声で言った。ぶる、と身震いをした七が、ジオに返事をしたように見えた。
「ほんとに湖着いた……!」
先のやりとりから少し。突然光が差しこんだと思ったら、一気に視界がひらけ、広い空間に出る。目の前に広がる水場は昨夜の大雨のせいか多少濁っていたが、確かにレイの言うとおり湖だった。
「すげ……湖ってでか……」
「見るのは初めてか?」
「うん……。」
初めて見る湖に、ハクは口をあんぐり開けて突っ立っていた。湖の存在についてはコウに聞いたことがあったものの、こうして見るのは初めてだ。池より大きな水溜り、というのは本当だったのだ、と呆然とする。
「座ったらどうだ。疲れてるだろう。」
「あぁ、はい…。」
レイはどこからか大きな岩や切られた木の一部を持ってきていた。出会ってからそう経ってもいないが、レイの手際の良さには驚くしかない。いつ持ってきたんだよ。
「ねぇハク、この子名前は?」
「七です。うちの村の7番の馬だから…。」
「そっかぁ七かぁ。ねぇ七疲れてない?大丈夫?」
言いながらジオが七に少し離れたところで湖の水を飲ませている。なにやらしきりに話しかけているようだ。
「気が済んだら来るだろうから放っておけ。君、腹は減ってないか。」
「はら…」
色々ありすぎて意識していなかったが、そういえば昨日の昼にテオ達と昼食をとったきり何も食べていない。
「…減ってる気がします…?」
「なぜ疑問系なんだ。」
レイが櫃を開けて何やら取り出して、ハクに差し出す。竹の皮で包まれた二つのそれは握り飯の形をしていたが、なぜか焼き目がついている。
「食べられるか?」
「えっ………いいんですか…?」
こく、とレイが小さく頷く。
「食べられるなら食べろ。遠慮はいらない。」
おずおずと受け取ると、レイも同じものを取り出して、手を合わせてから食べ始めた。口元まで持っていき静かに食べ進める動作に、どうしてか目を惹かれる。所作が美しいからだと気づくのにそう時間はかからなかった。正直空腹は感じていなかった(色々と限界で空腹を通り越しているのかもしれない)けれど、空気にのってかおる香ばしい匂いに食欲が湧いてきた。ハクも手を合わせてから小さく一口齧ると、ほんのり醤油の味がする。美味い。急に腹が減った気がしてぱくつく。一つ目の半分まで一気に詰め込んで、米が喉に詰まった。レイが栓を開けた瓢箪を渡してくれる。流し込むように水を飲んでやっと楽になった。
「ありがと……」
礼を言って、気づいた。もう彼女は食べ終わっている。一口が大きいわけでも、ハクのように詰め込んでいたわけでもないのに、どうやって食べているんだろう.
「ゆっくり食え。」
うん、とうなずいて、ハクは今度はゆっくりと味わって食べ始めた。
二つ共食べ終えたあたりでジオが機嫌良さげに戻ってきた。
「俺も食べた〜い」
ハクの膝の上の空になった竹の包みを見てジオが笑う。ん、とレイがハクたちが食べたものと同じ包みを出してジオに差し出した。受け取ったジオが包みを嬉しそうに開けるのを黙って見ていたレイだったが、突然ふっと何かに気づいたような顔をした。どうしたの、と問う間もなく、櫃から何やら札を取り出し、右腕に貼り付けだす。どうしちゃったんだろう。
いただきます、とジオが声に出して食べ始めたその時、何かが空から勢いよく降ってきた。
「わっ」
肩をびくつかせて驚いたハクを左手で抑える仕草をしながら、レイが右手を突き出す。先ほどまで黒い布を軽く手のひらに巻きつけただけだった右手には、知らぬ間に分厚い手袋がはめられていた。
「う、わなにこれ!」
降ってきた何かは、ばさばさとハクの視界を遮って動いている。邪魔だし怖い。両腕であたまを庇いながら、ハクは指の隙間からそれを窺った。そして数瞬後。差し出された腕に翼で勢いを殺しながら止まったそれは──鷹だった。じっとレイの腕に止まる鷹は、これまでに見たことがないほど美しくて、ハクはそっと両腕を下ろした。
「ご苦労。」
レイが空いている手で顎のあたりを撫でてやる。すると鷹は、レイに擦り寄るように頭を動かした。懐くんだ、鷹。ちょっと可愛いかもしれない。完全に気を抜いてそう思ったハクだったが、次の瞬間己の目を疑うことになる。
「『開示』。」
レイがつぶやいた瞬間、鷹の羽のあたりが淡い青色に輝いた。何かの模様が中心になって発光しているようにも見えるが、光がやわく広がってよくわからない。驚いて目を見張れば、なんと光った部分からするするとなにか文字の書かれた紙が出てくる。書簡のようだ。
「は……?」
口を開けたままその様子を見つめるしかないハクに気がつく様子もなく、レイは出てきた紙を慣れた動作で手にとった。そして今度は鷹の頭のあたりを撫でる。鷹はピィ、と短く鳴いてレイの腕から飛び立ち、一番近くの木の枝に止まった。
「『解』。」
短い言葉が聞こえてすぐ、レイのはめていた手袋が粘度のある液体のように揺れながら動き出した。そのままの動きで腕の中心部にぎゅっと集まりどこかへ吸い込まれていく。みるみるうちに手袋だった液体はなくなって、最後は札が一枚腕に張り付いているだけになってしまった。一連のことはハクの頭が一度に理解できる程度をゆうに超えていて、ハクはもう瞬きを繰り返すことしかできない。今オレは何を見た?
「悪いが朝霧、今日はお前にやれるものがない」
レイは何事もなかったかのように札を剥がして櫃に戻す。朝霧と呼ばれた鷹は今度は抗議をするようにピィ!と高く鳴いた。
「ごめんね朝霧、お肉ないんだ。」
握り飯を一旦置いてジオが言う。
「キィ──!」
「違うって、食べちゃったわけじゃないよ!」
「ピィ────!」
「それはごめんってば。この前は確かに俺が食べたけど、今日は元々ないんだよ」
「ピィ!」
「明日は用意できるように頑張るから」
気の所為、いや偶然の産物だろうか。ジオが朝霧と会話をしているように聞こえる。いつから人間は鳥と話せるようになったのだろう。
「ピーッ!」
「りすはなぁ……朝霧が自分で見つけて欲しいなぁ……こう、あまりにも心が痛んじゃうっていうか……」
「キィ」
「鳩くらいで勘弁してよ」
「ピィ──!」
いやいやそんなまさか。ハクは心の中で自分を諭した。確かに会話してるみたいな間で鳴いてるけど、そんなわけないぞ。これはジオの独り言みたいなものなはずだ。よくやるだろ、オレだって。暇な時七に話しかけちゃうだろ、それと同じだ。
ハクがやりとりを見ていると、朝霧から取り出した(と言うべきなのか?)書簡を黙って眺めていたレイが、また呟いた。
「『点火』。」
ボ、と低い音を立てて小さな火が現れ、持っていた紙が真ん中から燃えていく。あぁ、また意味わかんないことが起きてる。ほんとに何これ。右を向いても左を向いても理解できない。
「もういいぞ朝霧。すまなかった。」
「ピィ──!」
「なんて」
「次はうさぎ用意しとけって」
「そこら辺にいたらな。」
「そこらへんにいたらだって」
「ピィ──────!」
「ふふ、すごい怒ってる」
「わかったわかった。頑張るよ」
「レイ頑張ってくれるって」
明らかにジオが翻訳している、ように聞こえる。これは何かの冗談だろうか。ハクの混乱は極まっていた。
レイが口笛を吹く。朝霧は止まっていた木の枝から勢いよく飛び去って行った。あっという間に高度を上げて、小さな点ほどにしか見えなくなる。ハクは太陽の眩しさに目をすがめながらそれを見送った。
「さて」
とっくに朝霧が目で追えなくなり、ジオが握り飯を食べ終えた頃。レイがこちらを向いて、そう前置いた。レイに見つめられると、なぜか緊張する。十人いれば十人が美しいと評するような顔付きだからだろうか。華やか、といった風ではないのに、どこか研ぎ澄まされた美しさがある。ハクは思わず姿勢を正した。
「遅くなったが、話をしよう。何が聞きたい?」
突然来た。何が聞きたい?何を聞けばいいのかもわからない、とは思うが。まずは、
「──えっと、とりあえず、あの、お二人は、どういう……」
これだ。これに尽きる。とりあえず、何はともあれ、この人たちは何者なんだ。レイは強いし不思議な札は持っているしで訳がわからないし、ジオに至っては鷹と話し始めた。そのあたりも教えてほしい。あとどういう関係なんだろう。ジオはともかくレイのような女は、村で見たことがない。雰囲気が独特すぎる。
「何も話していないのか」
「うん、名前しか言ってない。どうしよう、改めて自己紹介でもすればいいかな」
「まぁそれでいいんじゃないか」
「はいよ」
ジオが岩に座ったまま背筋を伸ばしてこちらを向いた。
「えっと、改めて。俺はジオ。」
「……はい…?」
名前は知ってるんだ、名前は。聞きたいのはそこじゃない。同じことを思ったのか、レイが突っ込んだ。
「改めて名前だけ名乗ってどうする。もう少し何か言え」
「えぇ、なんだろ…何言えばいい?」
小さくはぁ、とレイがため息をつく。
「…私が先にやろう。──先程も言ったが、私はレイ。槍を見て驚いたかもしれないが、私は傭兵や護軍ではないし、ましてや賊でもない。そこにいるジオに雇われて用心棒をしている。君に出会った、というかあの村に行ったのは偶然だった。本来なら別の場所で夜を明かすはずだったんだが、大雨の関係で予定が狂ってしまったんだ。そこで偶々通りかかったところで君を見つけた、という訳だ。以上。」
わかりやすい自己紹介だった。なるほど、レイは用心棒だったのか。女の用心棒というとあまり聞いたことがないけど、どおりで強いわけだ。都とかに行けば割と沢山いるのだろうか。
次に、うんうんと頷きながらジオが話し始める。
「そんな感じでやればいいんだね。えっと、知ってると思うけど俺はジオ。レイの言うとおり、彼女を用心棒として雇ってる。なんで用心棒を連れてるかっていうと、旅をしてるんだ、俺たち。」
「旅?」
「そうそう。んん、なんていうか、自分でいうのもどうかと思うんだけどね。俺、言っちゃえば箱入り息子ってやつなんだ。世間知らずでさ。でももういい年だからね、ちゃんと外の世界っていうか、ふつうの暮らしを見に行かなきゃって思って。本当はもっと早くにしておくべきだったんだろうけど。」
「へぇ……?」
ジオはいいとこの出、ってことなんだろうか。
「まぁそういうわけで一人でふらふらするのが安心できない身の上なものだから、レイっていう凄腕の用心棒を連れてるってわけ」
横目でレイを見ながら、自慢げにジオが言った。ジオの視線はまるっきり無視して、レイが続ける。
「海州という場所を知っているか?」
「あ、知ってます。大きな港があるところですよね。」
「そうだ。あそこには商家が多くあるんだが、ジオはここ十数年勢いのある店の跡取り息子なんだ。といっても、店自体はまだまだ歴史も浅いからあまり名は知れてないが」
「海州から来たんだ…!」
「行ったことある?」
「ううん、無い…」
海州の名は、コウから何度も聞いたことがある。街全体が港のようになっていて、国中の商品が一度集まる場所なのだと言っていた。商人にとっては第二の故郷みたいなところだって。
「ジオさんは商人ってこと?いろんなところに行って商品を仕入れたりするの?」
思わず前のめりになって質問をすると、ジオがふはっと吹き出して笑った。
「ふふ、ごめん。話し方、崩れるくらい興味あるんだって思ったらなんか楽しくなっちゃって」
「あ…すみません…」
「いやいや、敬語外してほしいな。そっちの方がいい」
「あまり得意じゃないようだしな」
敬語を普段使わないことは、とっくにばれていたらしい。勢いよく食いついてしまったことも含めて、ハクは恥ずかしくなった。
「うちは商家だけど、実は俺はいろんなところに出向いたりはしないんだ。だからこそ今こうしてあちこち巡ってるんだけどね。」
もうこの際有り難く敬語は外させてもらおう。開き直ってハクは質問を続けた。
「買い付けに行かないでも商売が出来るの?」
「君、商人の知り合いでもいるのか?」
「うん、おじさんが商人。」
「そうなんだ。えっと、宝石商ってわかる?」
「見たことないけど、うん。わかる」
「うちはそれなんだよ。もちろん石は仕入れなきゃいけないし、専門の人間もいるけど、俺は本家、というより本店かな?まぁとにかく、海州のうちまで来た人に売る方をやってるんだ。」
「なるほど…」
ふむふむ、とハクは納得した。確かにジオの柔らかで嫌な感じのない雰囲気なら売り手に合っているのかもしれない。それにこれだけ甘い顔立ちと艶のある声の人間に宝石を勧められたら、ご婦人なんてうっかり買う気のないものまで買ってしまうんじゃなかろうか。宝石商はおろか宝石すら見たことはないくせに、ハクはそう思った。
「ジオさんとレイさんは、雇い主と雇われた人ってこと?」
その割には親しげだし、対等に見える。というかそもそも男女だ。二人きりで旅なんて、ただならぬ仲なのかと勘繰ってしまう。村では仲のいい男女といえば血縁か夫婦くらいしか居なかったのだ。
「ん、あぁ、気安く話しているのは幼い頃から顔見知りだったからだ。さすがにこいつの生家に戻ったらこんな話し方もできないが」
「顔見知りなんて遠い関係じゃなくて友達?親友?兄妹?わかんないけどそれくらい親しかったんだよ」
「そこに拘らんでいい」
「大事なところだよ!」
小気味よく言葉が飛び交う。本当に親しい間柄のようだ。あと夫婦ではなさそうなことはよくわかった。邪推であった。
「私たちについてはこのくらいでいいか?」
「うん、ありがとう。」
「他、何かあるか?無いならあの村について話そう。もっとも、君が聞きたければ、という条件がつくが」
聞きたいことはまだある。村のことについてももちろん聞きたいが、その前に。
「えっと、あのさ」
聞き方がわからない。これ聞いて大丈夫なやつなのかな。
「うん?」
「もしかして鷹と話せる?」
────やってしまった。阿呆のような質問をしてしまった。どうしてもさっきの鷹が頭から離れず口に出したが、改めて音にしてみると正気を疑うほど頭の軽そうな質問である。話せるわけあるかバカ、お前はいくつだ、幼な子じゃあるまいし。ハクは心の中で頭を抱えたが、既に後悔は後の祭り。一度口にした言葉は二度と戻ってきてはくれない。
「うん」
ほら見ろバカ今度からもっと頭で考えて物を────待て、今この人、頷いた?
「えっ」
「え?」
「えっ?」
「そんなに驚く?」
「えっ、え?」
「まぁ珍しい方ではある?」
「まぁ珍しい方ではある。」
目の前のジオはレイと呑気に「そっか〜」などと言い合っているが、ハクは極まりない混乱の渦に叩き落とされていた。オレの聞き間違いか?
「鷹と話せるの?」
「話せるよ」
ジオはにこやかに言い切った。聞き間違いじゃなかった、無理。では、もしやジオは頭がおかしいのだろうか。ハクは、レイを救いを求める眼差しで見つめた。
「どうした」
「……話せるとか、そんなのあり得るの…?」
「そんなに驚いてるのか?確かに話せるとまでいくとそう居ないかもしれないが、原理としては普通に希うのと同じだぞ。」
「────。」
絶句。人間わからなすぎるとわからないの一言が出なくなるらしい。
「ハク大丈夫?」
ハクは小さくふるふると首を振った。全然大丈夫じゃない。言葉は通じているはずなのに話が全く通じていない。目の前の人間が、一体何を言っているのかがまるで理解できない。
「……今なんの話してる?」
「鷹と話せる件についてだろう」
「なんで鷹と話せるの?鳥は言葉なんてわからないでしょ?」
「希いをかけてるからだよ。流石に希わずには話せないさ」
「希いをかけてる?おまじないで話せるようになるの?なんで?」
何度かレイとジオの会話に出てきた言葉だ。希う。当然のように言われているが、ハクの知っている希いと二人の知っている希いというものの間に、何かズレがある?噛み合わない。会話の土台が致命的に違うような錯覚を覚える。気持ちが悪い。
「お前、本当に大丈夫か?熱でもあるんじゃ」
レイが立ち上がってハクの前でしゃがみ込み、ハクの額に触れようとした。
「──ッ」
思わずその手をはたいて遮る。触られるのが嫌だったのではなく、混乱しているが故の反射だったが、やってしまった、と思った。
「すまない、不用意だった。」
特に動じた様子もなく、レイが手を引っ込める。
「ごめ、」
「大丈夫だ。それより、気持ちが悪かったりぼうっとしたりはしていないか」
「それは全然……」
「それならいい。だが、少し無理をさせすぎたのかもしれん。頭がまともに動いてない自覚はあるか?」
「頭は動いてる、つもりなんだけど」
「普通今の会話でおまじないの話にはならない。自覚していないかもしれないが、君、今少しおかしいぞ。少し休もう。」
「え…?え、え…。ほんとに何言ってんの?」
「『平癒』の弊害かもしれん。ハク、少し休めば大丈夫だから、一旦とにかく休もう。寝た方がいいかもしれな」
「レイ」
レイの話を遮って、ジオが彼女の名を呼んだ。ついさっきまで笑みを浮かべていた瞳は、今は真面目にこちらを見据えていた。柔らかな灰茶色が瞬く。
「ハク、本気でわかってないんじゃない?」
「そんなまさか──いや、お前、あの時もわかっていなかったな」
レイが目を瞠る。驚いているように見える。会って初めて見る、確かな心情の変化かもしれなかった。
「ねぇハク、ハクにとっての『希い』って何?どうすることが『希う』こと?」
またジオが表情を和らげて、恐らくわざと、明るく、軽く声を出した。
「……おまじないすること。無事に帰ってきますように、とか。雨降りますように、とか。」
「さっきレイがやってたみたいな、手袋外したり、火をつけたりするのって、ハクにとっては『希う』に入らないってこと?」
「うん、うんそう。あれもわかんなかった。あれなに?どうやってる?オレ全然わかんなくて…」
「う〜ん」
ジオが少しだけ笑みを深めた。どの種類の笑みかはわからなかった。他に視線をずらすこともなく、ハクの顔を微笑みながら見つめている。ふと気がつくと、レイの表情も元の人形のように一点の歪みもないものにもどっていた。レイが、静かに口を開く。
「その説明をする前に、君の話も聞かせてもらいたい。私たちの常識の間には、何か大きな差異があるようだから。」
どうやら、致命的な違いは錯覚ではなかったらしい。
次回こそいろいろすすみます。