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宝玉の道  作者: 金魚
3/7

道連れの主従

おっかない女用心棒とゆるふわな主人がでました。

朝日に照らされる女の、真っ直ぐな視線を受けて、ハクは生まれて初めて人の顔を見て惚けるという経験をした。未だに身体は思うように動いてはくれないが、先程までの恐怖心はどこかに行ってしまったようだった。今はただ、あまりにも鮮烈に視界を占めた濃紺と、鮮明に映った黒髪を持つ女に全ての意識を持っていかれてしまっている。瞬きもろくにできずに女を見つめていると、ふい、と合っていた視線を外された。目を逸らしたというよりは、視線を向ける必要がなくなった、といった雰囲気で女がハクに背を向ける。そこで初めてハクは息をついた。知らず知らずのうちに呼吸を止めていたらしい。見つめ合っていた時間は極々僅かなものだったはずだが、長い時間息をつめていたように思えた。後ろについていた手は、雨のせいでどろどろになった地面を無意識に握りしめていた。爪の間に泥が入ってしまったのか少し痛い。まだ震えの止まらない腕をなんとか動かして、泥を払い除けた、その時。

「君」

「ッ!?!?」

突然背後ーーーしかもかなり上の方からだーーーから、男の声が降ってきた。またひゅ、っと息を呑んで体をびくつかせる。遠のいていた恐怖がまたひどく全身を支配して頭の中はもう真っ白だった。

「あ、あぁ、は、ハ、ア、ァ」

動かない頭が、体に逃げろと命令する。体を縮こませながらも、地面を必死に這って男から距離を取ろうとした。さっきは混乱のあまり出なかった声が、今度は馬鹿みたいに上擦って口から漏れる。

「あ、ァ、やめ、やめて、ぁ、ころさないで、」

「違う違う違う!ごめん、落ち着いて、俺は何もしないよ。ごめん、ごめんね、驚いたよね」


 俺は君を助けたい、ゆっくり息できる?

優しい声だった。ぎこちなく頭を動かして、怖くて見られなかった男の顔を見る。男はいつの間にかハクに目線を合わせるようにしゃがみこんでいた。柔らかそうな茶髪に、少し垂れた目元。男らしい眉は八の字になっている。我を失っているハクにも、一目でこちらを気遣っているのがわかるような表情だった。どうやら害意はないらしい、とわかっても、体は中々ハクの意識の制御下に戻ってはくれない。極度の混乱で、浅い息を繰り返し続けている。震えだって止まらない。

「ごめん、ちょっと触るね。」

男が声をかけて、左手で背中をさする。その手の温かさに心が少しほぐれた気がしたが、いくら頑張っても息が深く吸えない。それどころか意識すればするほど浅くなっていく気がする。

「息落ち着かないね、ごめん勝手に貼っちゃう。」

そんなハクの様子を見てか、男が自分の懐に手を伸ばし、何か札のようなものを取り出した。ほ、と軽い声をかけながら、ハクの胸元にそれをぺたりと貼りつける。ハクの顔を覗き込んだ男の、薄い焦茶色の瞳と至近距離で思い切り視線がぶつかった。

「『息を吸え』。」

男に掛けられた言葉の意味を認識した瞬間に、今までまともに吸えなかった空気を、なぜかしっかりと吸えた気がした。

「『息を吐け』。」

平坦で穏やかな声に導かれるように今度は息を吐く。

「『五回続けろ』。」

男の指示通りに体が呼吸を続ける。あれほど難しかった呼吸が、驚くほど楽にできる。

三。四。五。数え終わった時には、もう息は荒くならなかった。男はハクの背をゆっくりと撫で続けている。呼吸は落ち着いたが、手足は痺れ、頭がくらくらしていた。

「よかった、ちょっと落ち着いたね。ちゃんと息できて偉いなぁ。」

男が目元を緩めてふわりと微笑んだ。

「ジオ」

ハクの視界を遮るようにしていた男の後ろから、女の声が聞こえた。顔を上げると、先程の女が無表情で立っている。右手に持っているのは……槍?

男ーージオは、振り向いて女を見上げた。

「もう終わったの?」

「ひとまず村にいたのはざっと片付けた。彼は。」

「さっきまでかなりしんどそうだったけど、とりあえずは落ち着いた感じ。レイ見てくれる?」

ジオが少しハクの横にずれると、女ーーレイは小さく頷いて、ジオと同じようにハクの前にしゃがみ込んだ。

「話せるか?」

「は、ゲホ、ん、カハッ」

泥々の地面になんの躊躇いもなく膝をついて、レイはハクに問いかける。答えようとしたが、声が思ったように出せずにむせた。

「声は出さないでいい。頷くか首を振るかで応えられるか?」

こくり、と首を縦に振る。

「斬られたか?」

首を横に振る。

「大きな怪我はしているか?」

もう一度首を横に振る。

「なにか(ねが)われたか?」

なにを言っているのだろう。あんな男に無事を祈られるわけが無い。希われるなんてこと、あるはずがないのはこの人もわかっているはずなのに。意図が掴めず反応できないでいると、レイはハクの横にいたジオに顔を向けた。

「どうだった」

「多分何も希われてないと思うけど、さっきまで息はあんまりできてなかったよ。俺が驚かせちゃったっていうのもあると思うけど。怖い思いしたからそれでじゃないかな。レイの札貼ってちょっと手伝ったら大丈夫になったし。」

「成程。」

またレイがハクに顔を向ける。黒曜石のように深い黒の切れ長の瞳に、こんなに近くからまっすぐ見られるとなんとなく決まりが悪くて目を逸らしたくなった。

「胸に痛みは?」

首を横に振る。

「頭は痛いか?」

もう一度首を横に振る。

「頭に違和感は?くらくらするとか」

今度は縦に頷いた。

レイが背中に背負っていた櫃を下ろして、比較的小ぶりの瓢箪を取り出した。栓を開け、ハクの口元に持ってくる。

「水だ、飲めるか?」

痺れる手で瓢箪を掴もうとしたものの、力が入らず取り落とす。レイが素早い動きで瓢箪を掴み直した。

「飲ませてやる。口を開けろ。」

顎に手を添えられ、口を緩い力で開けさせられる。女の手とは思えぬほど皮膚の硬い手だった。ゆっくりと水を口内に流し込まれる。一口飲み込むと、もう一度同じように水を飲まされる。ふぅ、と息を吐くと、生き返った気がした。

「他は手の痺れと、足も痺れているか?」

「…ん、うん。ん゛」

まだ掠れてはいるが、やっとまともな声が出た。

「無理して声を出さなくてもいい。他、体におかしなところはあるか?」

「だい、ん、じょうぶ」

「体あちこち擦りむいてるね。細かい傷が心配。」

ジオの目線の先を見てみると、腕や脚にいくつも傷ができていた。意識した途端に体中がひりひりと痛み出した気がする。

「…どこかの家に入らせてもらおう。少し見てくる。何かあったらすぐに呼べ。」

言い残して、レイは付近の家々に歩いて行ってしまった。ジオと二人で残される。

「大丈夫?」

「あ…うん…」

「すぐに戻ってくると思うから…。あ、俺はジオ。今行っちゃったのはレイ。こういう言い方もどうかと思うけど、怪しいものじゃないよ。」

苦笑いをしながらジオが改めて名乗った。そういえば助けてもらっておいて名も名乗っていない。

「あ、オレ、ハクです。あの、助けて頂いて、本当にありがとうございます。」

自分の無作法に気付いて、慌てて礼をしようと姿勢を正して地に両手をつき頭を下げる。若干ふらふらしたが、だいぶ体は動くようになっていた。さっきまで手に力も入らなかったのに、貼ってもらった札のお陰だろうか。こんな札一枚に効果があるのかハクには信じ難いけれど。

「そんな、たまたま通りがかっただけだよ。頭なんて下げないで。まだしんどいでしょ……怖い思いをしたね。」

ジオが慌ててハクに頭を上げさせた。その言葉で、さっき自分の見た光景を思い出す。静かすぎる村、真っ暗な家、折り重なる人間、血塗れの男……!

「あ、あの!家の中、人が死んでて!オレ、オレ、誰かに言わなきゃって思って、でも誰もいなくて、それであちこち扉叩いても誰も出てこなくて」

「うん」

「どうしようって思ってたら男が出てきて!よかったって思ったんだけど、そいつ、あの、そいつが人引きずってて!」

「うん、うん」

「オレ、そいつに、ころ、死ぬかと、思って…」

「うん、うん、そっか、そうだったんだね…」

この人に伝えなくては、と必死に説明しようとするが、言葉が詰まって出てこない。全部めちゃくちゃのままとにかく訴えると、ジオはうんうん、と頷きながら聞いてくれた。

「俺たちも見た。大丈夫、わかってる。わかってるよ。怖かったね。」

ジオが右手でハクの目元を指で拭った。そこで、いつの間にか自分が泣いていたことに気づいた。

「大丈夫、もう大丈夫だから。」

優しい手つきで頭を撫でられる。

「そうだよね、びっくりしたよね。訳わかんないし最悪だよね。」

「ひ、んぐ、ふっ…」

言葉にできない感情で頭の中がいっぱいになって、ハクは嗚咽を漏らしながら泣いた。


ーーーーーーーーーーーーー

「…何事だ?」

ずびずびと鼻をすするハクを見て、戻ってきたレイは無表情で戸惑った(ような気がハクにはした)。

「あははは…」

「すみません…」

「別に責めてるわけじゃない。入れそうな家があった。少し邪魔させてもらおう。君の怪我の手当てがしたい。」

「肩掴まる?あ、抱えた方がいいかな?」

「あ…いや、大丈夫…」

ジオが肩を貸そうとしてくれたが、特に問題なく立ち上がることができた。もう手足に痺れもない。

「もう歩けるのか?痺れは?」

「いや、もう全然大丈夫で…」

相変わらず無表情だが、それでも僅かに驚いたような調子でレイはハクに尋ねた。答えたハクにレイがすっと距離を詰める。滑らかな動きで、貼ったままにされていたハクの胸元の札をぺり、と剥がした。札の裏に書かれた文字を見て、レイはほんの少しだけ目を細めた。

「『平癒』なんて使ったのか。『息ノ緒』で十分なのはお前がよくわかってるだろうに。」

「あはは…ごめんごめん。つい焦っちゃって駄目だった。あれだね、自分がなるのと人がなってるのを見るのは全然違うね。冷静のれの字も無かったよ。」

「どおりであっという間に動けるようになる訳だ。その分だと傷ももう塞がってるんじゃないか?」

少しいいか、とレイに促されて腕を見せる。先ほどまで確かにあったはずの擦り傷は、綺麗さっぱりなくなっていた。

「え、なんで」

「かなり強い札貼ったからね。流石レイお手製、効果抜群だ。」

「効かなきゃ困る、全くお前は…」

そこまで呟いて、レイは手に持っていた札を軽く振った。その瞬間、札が黒く染まる。かと思いきや灰のように霧散した。ハクは何が起きたのか理解できずに灰の散って行った空を見上げる。もうどこにも札の残り滓も見当たらなかった。

「体に不調は?」

「あっ、いや、ない、ないです」

「そうか…すまない、名を名乗っていなかった。私はレイ。君は?」

完全に意識の持っていかれていたハクに、レイが突然問いかけた。つい吃って返事をする。

「は、ハクといいます。」

「そうかハク。唐突で申し訳ないが、君の体の具合、というより君の横の馬鹿の手違いによって、こちらの状況が変わった。身勝手な話だが、どうしても君に頼まなくてはならないことがある。聞いてもらえるだろうか。」

「はい、えっと、オレに出来ることなら。」

そうか、と答えてレイは真っ直ぐにハクに視線を合わせた。

「これから一刻半もすれば、護軍がこの村に到着する。この村の惨状は、言ってしまえば賊によるものだ。君は賊に襲われた張本人として、私たちは賊を一旦片付けた者として、護軍に話をするなり、君に至っては保護を受けるなりするのが筋であろうと思う。」

「え…はい、そう、ですね?」

突然の情報に頭がついていかない。全て初耳だし、なぜ目の前のこの人が護軍がこの村に来ることを事前に把握しているのかもわからない。

「しかし、だ。私たちは護軍に会いたくない。事情は後で話すが、少し面倒なことになるから、とだけ今は伝えておきたい。ここまでいいか?」

「えっと…はい、とりあえず、はい…」

なにもよくない。よくないが、返事は「はい」以外認められていない気がする。

「あらゆることが突然で、頭と心の整理がついていないことはわかっている。本当に申し訳ない。だがここからが本題だ。」

「はい」

「君にも護軍に会ってほしくない。一時的に、あくまで一時的にで構わないから、共に来てくれないだろうか。」

「…え?」

「今は時間が惜しい。細かいこと、君の知りたいと思っていること、私たちの事情についてはこれから話すから、どうか今は何も聞かずに、わからないままに私たちに着いてきて欲しい。」

この通りだ、と跪かれ、頭を下げられる。説明とも言えぬ説明も、命の恩人にこんなことをさせてしまっているという状況も、全てに混乱する。

「お願い、ハク。もう全然何が何だかわからないとは思うんだけど、とにかく頷いて欲しいんだ。こんな弱いところに付け込むような真似、卑怯だってわかってる。全部俺が悪いし。君には申し訳ない。でもお願い、どうかわかったと言ってくれ。」

隣のジオにも縋るような目で懇願される。レイは一向に頭を上げようとしない。

「困ります、頭上げて…」

「それは私たちの頼みを受け入れてくれるということだろうか。」

跪いたまま、レイが平坦に応える。困る、どうしよう。これきっと諾と返すまでこのままのつもりだこの人。助けを求めてジオを見れば、なお一層縋るような視線を向けられる。駄目だ、どうしようもない。

「うぅ…わかりました、わかんないけどわかりました。行きます、行くからもうそんなふうにしないで…」

「ほんと?」

「ほんと、ほんとだから!」

「それは有難い。」

ジオに念を押され、諾と答えた途端にレイが顔を上げて立ち上がった。もしかして、オレは嵌められたのだろうか。あまりの切り替えの速さに、ハクは一瞬全てを疑った。

 あぁもう、どうなってるんだ、全部。

次もいろいろ大変です。

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