黎明時の用心棒
おっかない女用心棒登場です。若干ファンタジーが入ってきました。次あたりから本格的に入ります。
馬を船頭に預け、番号札をもらう。ハクが乗り込んですぐに船は出航した。乗船時間は四半刻ほどだ。ホッと息をついていると、乗客たちがわらわらと集まってくる。
「坊主、役人に絡まれるなんぞ災難だったな」
「なにもされてない?大丈夫?」
「えっと、大丈夫。別に何もされてない。問題ない」
「ったく、こんなちっこいのにあんなことさせるなんてよ、まさに『いいご身分』ってやつだ。ほんと嫌になっちまうよなァ」
「はは…」
まったくだ、これだから役人は…とこき下ろす声があちらこちらから聞こえてくるが、ハクは乾いた笑いを漏らすしかない。正直言って、この場合絡まれた、と強いて言うなら役人の方である。ある意味“あんなこと”をする羽目になったのも役人である。しかし、ここは申し訳ないが、彼に罪を被ってもらうことにする。本当に申し訳ない。あの程度で折れるなんて、きっと割とまともな人だったのだろう、役人にしては珍しく。今度あったら丁重に礼をしなくては、と考えながら隅の方に座り込む。髪も体もぐっしょり濡れていた。風邪を引きませんように、と願った。
ぼんやりと休んでいると、役人の前でも助け舟を出してくれた中年の男が寄ってきてハクに問いかけてくる。
「それにしても、どうしたんだお前さん。」
「え?」
「いやほら、急ぎだっつってたろ。役人じゃねぇけどよ、どうしたんだ」
「あー…」
なんと説明すべきか。ハクが悩んでいると、男は声を潜めて控えめに言った。
「…こんなこと聞くのもどうかと思うんだが。お前さんも噂を聞いて慌てて里に戻るクチか?」
「噂?」
思い当たる節がなく首を傾げると、男は辺りを見回して小さい声でハクに耳打ちした。
「あれ、違うのかい…1週間くれぇ前に西の方のどっかの村が一晩で灰になったって話だよ、ここらじゃかなり噂になってる。聞いてねぇのか?」
「灰…!?」
思いがけぬ言葉にハクは目を見開いた。
「そう、なんでも村ごと焼き討ち。たった一人も逃さずただの燃えかすと炭の塊になっちまったって話だ。ひでぇもんだよなぁ。嘘かほんとかはわからんが、役人連中の間でまでこの話で持ちきりだってんだからおっかねぇ話よ。こういうわけで噂が出てから今日まで西の方に里がある連中はみんな一応無事を確かめに村に戻ってるとかどうとかっていうぜ。…余計なことを言っちまったな、おれは。お前、知らなかったんだろう」
概要を語ってから男は眉を下げて申し訳なさそうにハクの顔を見た。
一晩で村が灰に。現実味がない響きだった。
まさか、陸南村じゃないよな?
「俺たち今まですごい急いでて…まともにそこらの人と話もしてなかったから、何にも聞いてなかった。なぁ、その村の名前わからないの?そもそも灰になったなんて、そんなことどこの誰がやったんだよ。まさか鹿華の奴ら?」
うーん、と唸って男が無精髭の生えた顎をかく。
「それがよくわからねぇんだよ。噂に背鰭尾鰭ついてんだろうなぁ。みぃんな噂話って体で話すもんだから、実際どこが燃えたのかなんてちっとも話に出て来やしねぇんだ。ただ西だ西だ〜ってよ」
「そっか…」
「あぁでもやったのは鹿華の奴らに違いねぇよ。この前も北のほうで護軍とどんぱちやったって話あったろう。ありゃおれの故郷の村の3つ先の村が焼かれかけたんだ。そん時は護軍がやり返して事なきを得た…ってもんだが、今回はそうはいかなかったのかもしれん。ーーーおれの生まれは北の方でよ、今回の話にゃ関係ねぇが、一応戻るとこなんだ。」
そんな話をしているうちに、下船を告げる汽笛が鳴った。男はハクに気を付けろよ、妙な話をして悪かった、と詫びて先に降りていく。嫌な話を聞いた、とハクは思った。思いがけずに心に生まれた不安は、消そうと思ってもそう簡単に消せそうもない。いやな想像が頭によぎって、慌てて振り払った。そんなまさか。あんな端の端の隅っこの、あるかどうかもわかりやしないような小さな村が焼かれるなんて、そんなはずがない。
下船して、馬ーーー七と番号札を交換した。ここから陸南村まであと半日と少しの距離だ。
「いけるか、七。ごめんな、もうちょっとだから頑張ってくれ」
七は気立のいい雌馬で、ハクは幼いころからこの七と過ごした。急ぎの旅で疲れを見せ始めた七のたてがみを撫でる。気にするな、とでもいうように七は軽くいなないた。
雨の中泥を跳ねながら疾走する。手綱を引きながらも頭の中では先程の話が何度も何度もぐるぐると回っていた。西の村など舜国には山ほどある。陸南村じゃないはずだ、きっとそうだ。そう思っていても、あんな話を聞いた後では、もうハクの中でコウと共に隊商の一員となることは二の次だった。ただ一刻も早く陸南に戻って皆の無事を確認したい。ただひたすらに泥道を駆けていく。
雨はまだ降り続いている。
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「おいジオ。なにやってる」
「いや、なんかさっきかわいいのがいてさ」
ジオと呼ばれた青年は高い背丈を縮ませて草むらをじっくりと見回している。図体ばかりでかくなってもこういうところは変わらんな、と女は思った。
「かわいいの?草の中に?」
「そうそう。なんかこう…狸かな…狸だ多分。狸と目があったんだよ。レイ見てないの?」
「狸?」
さほど興味もなさそうに繰り返した女ーーレイは、右手に持っていた背丈ほどもありそうな槍をトス、と地面に突き刺し形の良い眉をひょい、とあげて辺りを見回した。
「見てないが。まぁこんだけ田舎なら狸くらいいるだろう。珍しくもない」
「俺が気づいてレイが気づかないなんてことある?幻でも見ちゃったのかな…」
ジオは草むらを覗き込むのをやめて諦めたように立ち上がった。
「確かにこのところまともに休めてないが流石にそりゃないだろう。どちらにせよ今晩はちゃんとした宿に泊まれる。もう少し頑張れよ」
「やった。濡れないとはいえ雨の中野宿はしんどいよね」
「気持ちの問題だけどな…さ、休憩はもういいか?行くぞ」
「はーい」
レイは笠を被り直し槍を右手でしっかりと掴んで、ふとまだ小雨を降らせている空を見上げた。風が吹いている。雨雲の切れ間から月が覗いた。
「夜明けには止むな、こりゃ」
独り言は夜の香りに溶けて消えた。
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視界と足元の悪い中七を走らせ続けたが、そろそろ限界かもしれない、とハクは思った。もうとっくに夜も更けてしまっている。自身の体力はもちろん、七ももうへとへとだった。これ以上走らせるのは流石に可哀想だ。
「七ごめんな、ほんとにごめん」
まだ陸南村までは距離がある。一旦休みを取らねばならないのは明白だった。陸南は山を超えた先にあるが、その麓にはまた小さな村がある。そこにたどり着くことはなんとかできそうだった。七を降り、ハクも歩いて村へ向かう。頭の中では先ほど聞いた嫌な話がぐるぐると巡っていたが、振り払うように歩き続けた。
雨足の随分弱くなった中、うっすらと灯が灯っているのが見える。麓の村が見えてきたのだ。もうハクはくたくただったが、最後の力を振り絞って歩いていく。村の人々は寝静まっているだろうが、どうか誰か起きて少し休ませてもらえないだろうか。そう思いながら村の中に入っていって、ハクは違和感に気づいた。
静かすぎる。
いくら夜も深まっているとはいえ、こんなにも人の気配がないものか?ハクは陸南村を思いながら辺りを見回した。当然村中に人は出歩いていないが、家々には人が眠っているはずだ。そういう気配を、この村からは感じない。まるで、この村に人が一人も存在していないようだ。目についた家の戸らしきものを控えめに叩いてみる。シン、と静まりかえっていて、反応はない。そっと中を覗きこんで、ハクはヒュッと息をつめた。
真っ暗な家の中で、人が二人折り重なって倒れている。
七を家の前に放置して、ハクは思わず駆け寄った。
「おい、あんた、あんた!!」
うつ伏せになって女の上に覆い被さっていた男をどうにか仰向けにして、ハクは叫びそうになったのを手で口元を抑えてなんとか堪えた。男は胸から腹にかけて血に塗れていた。男の目は虚ろで、最早何も写すことがないのは、死体をそう何度も見たことのないハクにも直感的にわかった。どくどくと、心ノ臓が脈打つ。吐き気が込み上げてきて、耐えきれなくなってハクはその場で吐いた。寒気が込み上げてくる。女の生死を確認する度胸はハクにはなかった。必死に体に力を入れて立ち上がり、よろよろと家を出ていく。ハクは外にいた七に縋り付いた。なんだ、あれ。なんで死んでるんだ。人、人を呼ばなきゃ。誰か、誰か助けてくれ。冷静になることもできずに、村を歩く。誰が殺したのか、殺したとすればその下手人はどこに今いるのか、なんてことはハクにはもう考えられなかった。
「誰か、誰か!!」
手当たり次第に戸を叩く。さっきのような控えめな叩き方ではなく、殴りつけるようなやり方だった。
「誰か!!人が死んでるんだ!!助けてくれ!!」
叫びながら戸を叩き続けて、突然ある家の戸が開いた。ぬっ、と黒い影と共に出てきたのは、大柄な男。一瞬安堵して、次の瞬間この男が何者なのか見当がついた。男は片手に大きな太刀を、もう片手にはおそらく先ほどまで生きていたであろう人、だったものを握っていた。
身体が恐怖に震える。目眩がするほど怖いのに、目の前の男から目が離せない。
しくじった。殺された人間がいるなら、殺した人間もいるに決まっている。加えてこの村の異様な雰囲気。
みなごろし、というやつだ。
ハ、ハ、と浅く息をする。死ぬんだ、俺。殺されるんだ。あぁ、死ぬ。絶対死ぬ。少しずつ後ずさるが、男はゆっくりとこちらに近づいてくる。涙が滲んだ。怖くて怖くて叫び声も出ない。足元の注意なんてしていなかったから、少しの段差に足を取られて思い切り尻餅をついた。そのままの体制で、男を見上げる。男はとっくに引きずっていた人を離して、両手で太刀を振り上げていた。全ての動きが緩慢で、ゆっくりと見える。男を見上げてはじめて、夜がもう明ける直前だったことに気づいた。空が白み始めている。
何も考えられない。かたかたと震える体を馬鹿みたいに縮こませることしかできない。死ぬ、死ぬ。怖い。まばたきもできずに、太刀を見つめて、男が太刀を振り下ろした、瞬間。
「『神速』。」
驚くほど澄んだ声が遠くから聞こえた気がした。決して大声ではないのに、なぜか意識の全てを持っていかれるような、そんな声が聞こえた気がした。視線は目の前の自分に迫る太刀に吸い寄せられていたが、気づけば視界は深い濃紺でいっぱいになっていた。あまりにも鮮烈に見えて、何が起こっているのかも分からずまばたきをした。次に目を開けると、濃紺に黒が差しているのが見えた。それが人の髪の毛だと気づくのに、呆けていて時間がかかった。
遅れて、ギィンと鋭い音が聞こえた。それが男の太刀と何か硬いものがぶつかった音だと理解するのにも、また時間がかかった。目の前の濃紺は、あっという間にハクから遠ざかっていく。もう一度だけギィン、と同じような音が響いて、なにかが宙を舞った。少し離れた場所に落下して地面に深々と突き刺さったそれを、先ほど見た男の太刀だとハクの頭は認識して、認識した瞬間に心ノ臓が先ほどとは全く違う感情でどくどくと打つのを感じた。
訳がわからない。わからない。怖い。何が起こってる?
頭は恐怖と混乱から抜け出していない。何も考えられない。けれど、今感じているのは、恐怖だけじゃない。
濃紺がこちらを振り向く。結われた長い黒髪が、さらりとそれに伴って動いた。
目が離せない。
濃紺の衣を纏った女の、驚くほど整った顔が、今まさに登ってきた日に照らされる。夜が明けたんだ、とハクは女の顔を見つめながら、ぼんやりと思った。
次回、ゆるふわな主人が出ます。