そのはじまり、はずれくじ
〈序章〉
村が燃えている。男も女も、老人も赤ん坊も、全て等しく炎の中に消える。人が作ったものも、壊したものも、一切の区別なく塵芥と化す。辺境の村のわずかばかりの命がたったの一夜で消え失せる。ここは西域との国境の小さな村。村が焼けなければいけない理由などありはしなかったが、焼けてはいけない理由もありはしなかった。
ただ、それだけのことであった。
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〈はずれくじ〉
全く、搬税の役にあたるなんて最悪だ。少年は本日4回目のため息をつきながら背負っていた荷を木陰に億劫そうに下ろした。ちりちりと日が照りつけている。羊の刻を過ぎたところだったが、いまだに暑さはましになっていなかった。
ーーー早く帰らなきゃならないのに。この暑さじゃ休みなしで進むなんてとてもできない。
暑さとだるさと、はやる気持ちを持て余しながら、手元の草をぶちぶちと抜く。昨日の雨でまだ地べたは湿っていた。馬はやっとありつけた水をうまそうに飲んでいる。コウはもう隊商に戻ってしまっただろうか。くじにさえ当たらなければ今頃は自分も西へ西へと進んでいたはずなのに。村からでて毎日毎日思っていることを、懲りもせずまた思う。村から中央へ税を運ぶ搬税の役。なぜよりにもよって今年選ばれた6人の中に含まれてしまったんだ。少年はぐっと唇を噛んだ。
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少年ーーハクの生まれ育った陸南村は都から遠く離れた辺境も辺境、この上ない田舎の村だった。‘南’といってもどちらかといえば山を隔てて西の国境沿いに面した村である陸南村は舜国にある西域の鹿華との国境の村。ハクを産んですぐに死んでしまった母の兄、つまり母方の叔父であるコウは、ハクの物心ついたときには西域の国々と舜国を行き来する隊商の一員だった。そのためコウとは3.4年に一度会えるか会えないか。会った回数で言えば両手の指の数にも満たないが、ハクはコウの話を聞くのが大好きだった。舜国はおろかこの辺境の地すら数えるほどしか出ていったことのないハクにとって、コウの話はあまりにも魅力的だった。国境の村といえど、陸南村は小さな村である。排他的で、閉鎖的。村の人間は内の人間で、その隣の村の人間は外の人間。内には甘いが、外には手厳しい。内側にいれば温かさを感じても、一歩外に出てしまえばその恩恵は得られない、というわけである。たった三里先の村すら外のものであると明確に区切りをつけ、過度な干渉は受け付けないこの村で、文化も言葉も違う異国との交流ができるはずもなかった。
そんな世界を当然のものとして受け入れて生きてきたハクにとって、コウははじめこそ理解できないものであったけれども、今や英雄にも等しい存在だった。小さな小さな場所から飛び出し、広い広い世界で己の才覚と、仲間と共に生きる。なんて素晴らしいんだろう!!小さい頃にはぼんやりとしていた感情は、いつしか歳を重ねるうちに大きな憧れとなってハクの心を占めていた。自分もコウのように外の世界へ出ていきたい。まだ見たことのない景色を見たい。食べたことのない料理を食べたい。異国の人々と火を囲んで夜通し語り合ってみたい。ハクにはいまだに信じられないが、異国の人々は自分たちとは肌の色すら違うらしい。コウに語られた外の世界は、あまりにも魅力的で、美しかった。何度自分を連れて行ってくれとコウにせがんだかわからないが、その度にお前はまだ幼いから、危険だから、と首を横に振られ続けてきた。十三の時、じゃあいくつになったら連れて行ってくれるのかとハクが問うと、コウは十六になったら隊商の男たちにハクを見習いとして連れて行くことを尋ねてくれるという。お前が十六になるころにまた戻ってくるよ、と頭を撫でて西へ向かってしまったコウをいつまでも見送りながら、ハクはあとどのくらいで十六になるのかを普段畑や家畜や天候のこと以外で使うこともない頭で必死に計算していた。この計算の仕方もコウに習ったものだ。コウを見送ったその日からハクは十六になるのを指折り数えて毎日すごした。村の皆は外へ出て村にもほとんど帰ってこないコウをあまりよく思っていないから、そのコウに傾倒するハクにも渋い顔をしたが、ハクの憧れは薄れることがなかった。ずっとそばにいた家族同然ともいえる村の人達。胡乱げなげな顔で見られるのを気にしないといえば嘘になったが、それ以上に外の世界への憧憬の念が勝った。あとニ歳と半分、あと二歳、あと一歳と半分、あと一歳、あと半分、あと三月…。そしてついに、先の月、ハクは十六になったのだ。いまかいまかとコウの帰りを待ちわびていたところに、コウは帰ってきた!!隊商に連れて行ってくれる話は嘘ではないか、自分は本気で連れて行って欲しいのだ、と鬼気迫る勢いでコウに捲し立てれば、なんとコウは既に仲間たちと話はつけてきたと言う。生まれて初めてハクは喜びのあまり涙した。ただ嬉しかった。ハクの準備のため、一月はコウも村に滞在してくれるらしい。間違いなく十六年の人生の中で最も心躍る一月だ。ハクはこれからの日々への期待に夜も眠れなかった。
そんな毎日を送っている最中、ハクが搬税の役にくじで当たったのは、出立まであと1週間の時だった。
村の長老から伝えられた言葉をはじめハクは正しく理解することができなかった。そして少し経って、告げられた言葉の意味を胸の底に落とし込んで、その時ハクは生まれてからの十六年の人生の中で、最も強い怒りを感じた。搬税の役は都までいって、税を納めて帰ってこなければならない。ここ陸南村から都までは、天候に恵まれたとしても片道で少なくとも半月はかかってしまう。上手くいって帰ってこれても一月、一月半はゆうにかかる道のりだ。そんなことをしていてはコウの出立には当然間に合わない。あまりの理不尽だと思った。ハクは必死で長老や村大人の皆に自分はそんなことをしている暇はないのだと、どうしてもできないのだと、頼むから自分以外の誰かにしてくれと頭を地面に擦り付けて懇願した。だが搬税の役の担当者は村の人間が決めるのではなく、都の役人が戸籍をもとに決めるものであるから担当者を勝手に変えることは許されないのだ、と長老たちは口を揃えて言った。確かにその通りだが、とハクは思った。きっと自分がコウについて村を出ていくのをよく思わない村の人間がくじに自分が当たったのをこれ幸いと便乗して自分を村に引き留めようとしているのだ、と。確かに税を納める役を決めるのは都の役人だ。都の役人の決定、つまるところ国の決定に逆らうことなどあり得ない。しかし、それは嘘をつけばどうにでも誤魔化せるはずの事柄だった。どこの役人が辺境の村の小僧1人を気にかけるだろうか。散々喚いて、それでもどうあがいてもこの決定は覆らないのだと悟ると、ハクは長老たちを一瞥することもなく会所を飛び出した。長老たちはハクの代わりを立てるつもりがない。税を運ばなければ、村は国から責任を問われてそう遠くないうちに沙汰が下されるだろう。それを「知ったことか」と無視できるほど、ハクは村の人間に情を持っていないわけではなかった。それを見抜いているのだ、彼らは。
コウは悔しさと怒りと悲しさでぐちゃぐちゃになったハクの顔を見ると、男らしいきりりとした眉を下げて、宥めるような口調で三年前のように頭を撫でていった。ぎりぎりまでお前をまっていてやる、と。もし間に合わなくても、次がある。次はなるべく早く帰ってこれるようにかけあうから、と。
次の日の早朝、ハクは村の他の男衆と共に村を出ることとなった。
天気は良好。嫌味なくらいに晴れ渡った空だった。
「無事に行ってこいよ。いいか、ハク。これが最後の機会ってわけじゃない。まだ次の機会なんていくらでもあるんだからな。お前の気持ちはよぉくわかってるがそう気を落とすな。くじ引きばっかりは仕方ねぇよ。な、そうだろハク?」
「…うん。」
昨日からずっと塞ぎ込んだまま、都へ向かう段になって一層暗い表情になったハクにコウは声を落として囁いた。
「…もしかしたら、もしかしたらだが、お前の思ってるように、村の爺さん婆さん達はこの結果を嬉しく思ってるかもしれん。でもそれはお前を大事に思う故だ。そう恨んでやるな。別に爺さん婆さんが仕組んでこうなってわけじゃない。お前だってわかってんだろ。お前にとってこの村やここの連中は、お前を縛り付けるだけのものに見えてるのかもしれん。だがな、お前にとってここは家で、村の人間は家族だ。帰ってこれる場所だ。」
コウはそう言って、とっておきの秘密を教えるようにこう加えた。
「一回村の外に出ちまえばいつかきっと恋しくなる。嘘じゃないぞ、本当だ。想像できんだろ?」
ん?とコウが優しくハクに答えを促した。
「…できない。」
拗ねたように答えれば、はは、とコウは笑った。太陽のような笑顔だった。
「そうだろうなぁ。でもお前は必ず思うんだよ。恋しいって。あの村で過ごした日々が懐かしいって。」
「…本気で言ってんの?」
「本気も本気。なんせ俺がそうだった」
「…おじさんも?」
「そうとも。人間不思議なもんで、自分が持ってるときゃどうしようもなく嫌だったもんでも、一回手放すと惜しくなるんだよ。欲深くっていけねぇわな」
コウは芝居っぽくやれやれ、と首を竦めた。
「ま、そんなわけで。本来1週間後には手放すものがちっとばかし予定が延びたって思えよ。不服な旅路になるだろうがこれも天の思し召し。商人に大事なもんはそりゃあ物やら人やらを見る目だが、運だって大事なんだ。ついてるときもありゃついてないときも当然ある。さぁ出発だ!って時に大雨に出鼻挫かれて立ち往生…なんてのもよくあることだ。お前の場合はそれが今回だったってだけだよ。安心しろ、一生不運な人間なんていねぇんだ。今回は残念ながら“貧乏くじ”だったが、きっと次ひくのは“当たりくじ”だよ。商人見習いのそのまた見習いってことで、運命受け入れて行ってこい!」
先ほどまでの優しげな表情はどこへやら。コウは豪快にハクの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「やめ、やめろって!!頭もげる!!」
必死の抵抗をするもコウの腕を避けることすらできなかった。
「よし、ちっとはマシな顔つきになったな」
ひとしきりハクの髪を乱したあと、コウはハクの暴れて上気した顔を見て笑った。いつのまにか、先ほどまでの鬱屈してどうしようもなかった気持ちは少しだけ軽くなっていた。いつもそうだ。コウの話を聞いていると、いつのまにか心が軽くなってしまう。上手く宥めこまれたことはわかっていても、コウの思い通りになってしまう自分の単純さがきまり悪くて、意識してむっとした顔を作る。
「…ましじゃない。最悪な気分。」
「ふ、最悪ときたか。まいったな。お前に機嫌を治してもらわなきゃ笑って隊に戻れん。どうしたもんかなぁ」
幼子をからかうような口調になおさら眉間に皺をよせると、コウは観念したように無造作に髪を撫でつけた。
「悪い悪い。今のは俺が悪いな。仕方ない、お詫びに一月半後、もう一回ここに戻ってくるよ」
「え、戻ってくるって」
「実はな、今回はすぐに西には向かわないんだ。まず南のほうにおりて今旬の見目のいい貝やらなんやらを仕入れて、それから西に行く。頑張りゃもう一度戻ってくることも可能だろうさ。相当急がにゃならんだろうが…お前の機嫌を損ねた詫びだ。責任とって身体張ってやるよ」
「ほんとに、本当に?嘘じゃない?」
「もちろんだ。だが一月半後が悪いが限界だ。その時にお前が間に合わなきゃ今回はもう無理だな。残念だがまた何年かは待って貰わなくちゃならん。皆に掛け合って早めに戻れるようにはするが、それでも今年、来年いっぱいはあり得ん。そん時はちゃんと諦めて、次を待てるな?」
「うん、うん!ありがと、おじさん、ほんとにありがと…」
「泣くなお前は!まったく、忙しいやつだな本当に。まだ今回連れて行けるかわかったわけじゃない。喜んで泣くのは無事に帰ってきた後にしろ!」
「うん…」
「あ、一応言っておくが、無理を通して怪我するなよ。病の類も駄目だ。連れて行けん。安全に、無事に、かすり傷程度で帰ってこい」
「かすり傷はいいんだ…」
「どうせ急ぎすぎるなっつっても急ぐんだろうが。きっちり自分で手当てのできる程度の怪我までしか許さん。いいな?」
「わかった」
「よし!じゃあいってこい!!」
「ハク、いけるか?」
搬税の役にあたった他の男衆が声を掛けてくる。出発だ。
「いってくる」
「おう、気をつけてな」
かくして、ハクは税を運ぶため村を出たのであった。
それから一月と四半月を四日前に過ぎた頃、ハクは距離的には都と村の真ん中のところにいた。毎日急げるだけ急ぎ、休みも最小限での移動だったが、生憎の雨に足止めを喰らい続けていたのである。男衆の協力がなければきっとまだ都から出ることすら叶わなかっただろうが、男衆はハクの事情を我がことのように捉え早く帰れるよう手を尽くしてくれたのだ。ハクの隊商入りがふいになりそうになっていることはもう村中に知れ渡っている。男衆は、長老たちと同じくハクがそとに出ようとするのを快く思っていないだろうと思っていたから、男衆に帰路を邪魔されてしまうのでは、と実は密かに恐れていたのだが、案外そうとも限らないようだった。これはハクにとって驚きだった。
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ぶちぶちと抜いていた草をばらばらと地面に落として、木陰にやってきた男衆になぜコウと共に行くのを止めようとしないのかと問うと、年長者のテオに「俺も思ったことあるしなぁ」とどこか気恥ずかしそうに答えられる。
「思ったことあんの?」
「あるさそりゃ。でも俺らにはそんな勇気も機会もなかったっていうか…」
「踏ん切りつけられなかったんだよ」
「お前らそんな器ねぇもんな」
「うるさいな。そういうお前はどうなんだオイ」
「俺はハク坊が駄々こねてんのみて餓鬼の頃思い出した」
「結局お前もおんなじじゃねぇか」
馬に水をやりながら男衆はわいわいと好き放題言い合っている。
「ハク坊は凄いと思うよ。コウっていう知り合いがいるとはいえ異国までいって生きていこうなんてな。俺には勇気も機会もどっちもなかった…っていうかそもそも意志がなかったんだろうな、ほんとはよ。意思のあるところに道は開ける!って言うしな。」
「そうそう、だからさ、お前には勇気も機会もある。そうとわかれば行かしてやりてぇじゃねぇのよ」
「でもそんなこと、今まで言ってるの聞いたことねぇよ」
「だから言ったろ、意思がなかったって。別にこの村で一生過ごして終わるでもいいやって思ってんだよ、俺らは。それが普通だと思ってるしな。でもお前は違うんだろ?村を出たいと思ってる。んなら少しくらい手伝ってやってもいいんじゃねぇかと思うわけよ」
うんうん、と他の男衆も頷いた。
「でも、長老達は行かせたくなさそうだった」
「だろうな。一人出て行ったら他にも出て行きたがるやつが出てくるのは目に見えてる。みんなで村でちいさくまとまって生きていきてぇんだよ、年寄連中は。」
「他のみんなもそうだろ」
「そりゃそうだ、みんなでいるのが安全、安心、安定だからな。ーーーおい、そろそろ出るぞ、いけるかみんな!」
テオの掛け声にわらわらと返事がかえる。
「さ、いくぞ。早くかえるんだろうが。もう正直厳しい気もするが、これから毎日晴れればまだ望みはあるかも知れねぇ。やれるとこまでやってみるんだろ?」
ハクの馬も連れてきて、テオはそう言った。逆光で見えないその表情が、ひどく優しいものな気がした。
「なぁ」
列の先頭に向かおうとするテオの背中に声を飛ばす。
「その、感謝してる」
テオは呆けたような顔をして、それから破面した。
「いいってことよ。さ、みんな!ハク坊が間に合うように頑張っていこう!」
もしかしたら、間に合うかも知れない。ハクは暑さで少しぼんやりとしながら思った。
やっぱり無理だ。これは駄目だ。間に合わない。泥が混ざり出した道を馬に走らせながら、段々と強くなってくる雨音を聞いてらハクは泣きそうになりながら思った。ぴったり一月半まであと二日。普通に行けばギリギリ間に合うところまで、ハクたちは戻ってきていた。幸運にも晴れが続き、ほとんど無駄な時間を過ごすことなく馬を走らせることができたのだ。だが、このまま晴れていてくれというハクの願いは叶うことなく。突然雲行きが怪しくなり、しとしとと雨が降り出した。そしてその雨は徐々に強くなりつつある。陸南村に戻るには、泉河を渡らなければならない。河幅は広く、水深の深い河なので、泳いで渡ることもできないし、ましてや馬など船がなければ渡れない。普段は役場から船が出ているが、雨足があまりに強くなって仕舞えば船を出してもらえない可能性は十二分にあった。
「もうすぐ役場だ、まだ諦めんな!」
「う、ん!」
テオの強い声に涙を堪えて応える。もう雨は滝のように降り始めていた。前もよく見えない視界に、ぼうっと役場の明かりが見える。船の汽笛が聞こえた。船はまだ動いているのだ!
大急ぎで役場に滑り込むと、役場は人々で混雑していた。この船がどうやら最後の便らしい。
「頼む、乗せてくれ。急いでるんだ」
「そう言われてもね…もう出航だし、あんたら何人いるんだい。定員超えちまうよ」
忙しそうに役人が書類を捌いている中、テオが必死に役人に語りかける。
「そこをなんとか…ほんとうに急を要するんだ。頼む、この通りだから…」
「うーーん…急ぎってのはなんだい。あんたら全員急ぎなのか?」
「違う、この坊主だけだ。こいつとこいつの分の馬だけでも乗せてやってくれ。」
眼鏡をかけた役人がハクを疑わしげに見た。どうしてこんな小僧に急ぎの用事が、とでも言わんばかりの視線である。
「こんな子供になんの急ぎがあるんだ。無理だよ、乗せられない。ほら帰った帰った。」
「子供だろうがなんだろうが急ぎは急ぎなんだよ。なぁ頼むよあんた…」
テオが掛け合ってくれるが、役人は取り合おうともしない。これだけ混み合っていれば当然だが、こちらもこれだけは譲れないのだ。ーーーここは誠意を見せねばならない。やるときはやるのだ、俺は。
ハクは出来る限りの大きい声で膝と手をどろどろの地面につけ、頭を下げた。
「お願いします!!乗せてください!!お願いします!!」
全力の誠意、とは土下座であった。なりふりかまっていられないのである。人目が気にならなくはないが仕方がない。お願いするときと、謝るときと、感謝するときは全力で。礼節をなにより重んじろ…というのが長老の教えであった。…もっともこんな時のために教えたわけではないだろうが。
「ちょっと、お前…!」
「お願いします!!なんでもしますから!!お願いします!!!」
ざわざわと周りがハクと役人をみて話し始める。なんてひどい。まだまだ小さいじゃないか。子供にこんなことさせるなんて。人をなんだと思ってるんだ。これだから役人は…
「やめろ、話なら聞いてやるから、ほら…」
何やら予想外の方向に話が運び始めた。
これはもしや、好機なのでは?
途端に狼狽だす役人は無視して一層声を張り上げる。
「お願いします、お願いします、お願いします!!」
「おい、子供になんてことさせてるんだ!」
「船くらい乗せてやりなさいよ!」
「子供に頭下げさせて気分がいいのかお前は!!」
「お願いします、お願いします、お願いします!」
周りの人々が役人を詰り始める。完璧に無理を言っているのはこちらなので、人々の文句はまったく見当違いだ。弱さという名の暴力を奮っている自覚はある。正直かなり申し訳ないが、許してほしい。
「どうか!お願いします!!!」
「〜〜〜わかった!!」
気合を入れて叫べば、役人はとうとう折れてくれた。
「お前とお前の馬だけ乗せてやる!それでいいんだろ!?」
「ありがとうございます!!!」
まだまだ伸び途中の背丈を初めて得だと思った。もうハクは元服しているのでまったくもって子供ではないのだが、この際使えるものはなんでも使わせてもらう。
子供じゃないのだ、俺は。ハク坊と言われようとも。コウに餓鬼扱いされようとも。少なくとも形式上は、子供じゃない、はずだ。ハクは心の中で自分に言い聞かせた。
「急ぎな!もう出航するよ!」
役人に急かされてハクは大急ぎでテオや男衆に向き直った。
「ありがとうみんな…ほんとにありがとう…」
「かまわねぇよ。これで間に合うかどうかも怪しいが、かけてみる価値くらいはある。ダメだったらまたしばらく俺らと農作業だ!それが嫌ならいそげ!!」
「うん!」
男衆に手を振られ、ハクは馬を連れて船に大急ぎで乗り込もうとする。と、
「ア、待て!!忘れてた忘れてた」
テオが声を上げハクを呼び止める。懐から荒っぽく取り出したのは、糸の通された古びた小石だった。なんだこれ。
「こりゃおれのカミさんが持たせてくれたやつでよ、古いお守り石なんだ。道中安全に行けますようにーって、しっかり希ってくれたんだぜ。ドシロウトのやることだからな、そう強い効果はないと思うが、まぁ、その、なんだ?」
テオが気恥ずかしそうに言葉を区切った。
「愛はこもってるはず!だからよ!ないよりマシって訳だ!貸してやる、持ってけ!」
恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに笑うテオを見て、ハクも笑ったが、そんなに想いのこもったものを借りてしまってもいいのだろうか。
「いいの?ほんとに?」
「いいさいいさ!後から俺たちも着いていくしそんとき返してくれりゃ…おっと、上手く行けばしばらくは会うこともないんだったな。まぁそん時はそん時だ。またいつか返してくれ!ハク坊のためならカミさんも許してくれるさ!」
「そっか…ありがとう。ほんとにほんとにありがとう」
「おうよ、いけいけ!きぃつけてな!」
「うん!!」
テオに守り石をぐい、と手渡され、ハクは急いで馬を連れ船に乗り込んだ。
読んでいただきありがとうございます。少しでも楽しい時間を過ごしていただけたなら幸いです。