表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ミステリートレイン 短編集

さまよう年齢

作者: まきの・えり

     さまよう年齢

        1

 ガキと寝たりしたのが、間違いの元やった。

「ハイ。お姉さん、お茶でも飲まない?」

「いい加減にしてくれる? 仕事の邪魔、邪魔。」

「冷たいお姉さん、ホットなコーヒーはいかが?」

 私は、立ち上がって、事務所のドアを閉めた。

「関係者以外、立ち入り禁止!」

 ドンドンドン、とドアを叩く。

 一度寝たことで、増長しているのに違いなかった。


「あのね、言うときますけど・・・」

「僕、関係者。休憩時間ですよ、お姉さん。」

「・・・・・」

 時計を見ると、3時を回っていた。

 留守番電話に切り換えて、私は制服を脱いだ。

「どこに行きたいの!」

「お姉さんて、着やせするタイプやなー。」

 本当に、ロクでもないガキだ。

 突き飛ばしてやろう、と思うが、相手のほうが素早い。

 これは、年齢の差か。

 私は、完全に遊ばれているみたい。

「僕、アイス・コーヒー。お姉さんは?」

「私、オレンジ・ジュース。」

「わあ、可愛いなあ。」

 ほっといてくれ。コーヒーなんか飲むと、夜、コーフンして寝られんようになる。

 コーヒーなんか、あんたぐらいのガキの頃に、イヤになるほど飲んだわい。

「お姉さんて、初めてやったんやね。僕、カンドーしたわ。」

 私は、口からオレンジ・ジュースを吹き出した。

「な、な、何を・・・」こんなところで。


「僕、責任とって、お姉さんと結婚しよーかなー。」

 いらんわ、あんたみたいなガキ、ということばが、口から出てこなかった。

『結婚』という二文字が、私の肩に重ーくのしかかる。

「フーン。」と平静を保つ。

「結婚て、どーいうことかわかってんの?」

「僕、毎日、お勤めする。」

「どこで?」と声に刺が混じる。

「エッチやなあ、お姉さんて。」と屈託のない笑い。

 何、考えてるの、この子は。


「けど、結婚までバージンを守るやなんて、今時、カンドー巨編や。」

「何もね・・・」


 何も、あんたのために、バージン守ってきたわけやないわ。そら、最初は、意識的に 守った。

 けどね、もうええわ、思た時には、誰もいてへんかったの。

 三十過ぎたら、もう、男なんか寄ってけえへんの。

 そうか。それがアカンかったんやなー。

 珍しく酔っぱらいにからまれた。

 仕事で久しぶりの残業や。

 帰り道は、風紀の悪いとこ。

 けど、三十過ぎたら、誰も心配してくれへん。

「たまには、襲て貰いいや。」言う男までおるんやで。

 クク、クヤシー。


 いつもなら、「何や、おばはんか。」言われるとこ、なぜか、その日は酔っぱらいも、目悪いおっ

さんやったんか、

「ねえ、彼女お、ええやんか、一回だけ、ええやんか。」と しつこかった。

『一回ぐらいええかな。』と思たんも悪かったんかもしれん。

「おじさん、やめとき。相手、イヤがってるやないか。」

 オヨヨ。まさか、私に、白馬に乗った王子様が現れるとは思わへんかった。

『ええよ、一回やったら。』言う前で、ほんとによかった、と思て見ると、救世主は、十 八ぐらいのガキやった。

 目の前で、ガキは、おっさんに殴られて、鼻血を出した。

「ちょっと待って、おじさん。」と私は、仕方なく言うた。

「相手、子供やないの。」

 すると、おっさん、私の顔を一瞥して、「子連れやったら、子連れとぬかせ!」と怒鳴った。

 私は、余りのショックに、その場にへたりこんだ。

 そら、私は化粧もしてない。地味な服着てる。

 年よりは、老けて見えるのは、自覚してる。

 けどね、おじさん、私、まだ三十五なのよ。

 まだ、結婚どころか、男も知らないのよ。

 あんまりやないの。ヨヨヨ。


「お姉さん、大丈夫か? 泣かんとき。もう、おっさん、どっかに行ったから。」

 私は、ガキに肩を抱かれて泣いていた。

 こんな悲しい惨めな話、聞いたことない。

「お姉さん、僕、家まで送ってったるわ。」とガキはませた口を聞いた。

「ほっといてよ。こんな顔して、家に帰られへんわ。」


 ガキは、しばしの思案の後、私をホテル(!)に連れ込んで、顔拭いてくれたり、鼻か ましてくれたり、色々世話やいてくれた。

「お姉さん、ビールでも飲み。」とガキは、冷蔵庫からビールを出してくる。

 こうなりゃ、ヤケクソよ。

 ビールでも何でも飲んだろうやないか。

「お姉さん、あんまり飲んだら、家、帰られへんで。」とガキは、すっかり保護者気取りや。


「家なーんか、何やのん。」と飲み慣れないビールで、すっかりロレツが怪しくなってきた。

「お姉さんて、こうやって見たら、可愛い顔してるね。」

とガキは、なぜか、ニコニコして、私の顔を見る。


「ほっといてよ、私はブスよ。ブスですよー。ブスのどこが悪いん! オバンやから、何や のん!」と自分でも何を言ってるのかわからなくなった。

「そんなことないて。けど、お姉さんて、酒癖悪いなー。」と相手の声が、遠くで聞こえる。

 オヨ。景色が、グルグル回ってる。

「私なんかねえ、私なんか、今まで、誰も相手にしてくれへんかったあーーーーん。」と 泣き上戸になってしもた。


「お姉さん、これ以上泣いたら、ほんまに帰られへんようになるで。もう泣かんとき。」

 目に靄がかかってきてたけど、よーく見たら、可愛い顔したボーヤやないのお。


「ボク、キスしたろ。」と潜在的欲求不満が爆発したものか、突如、挑発的行為にでてしまった。

「お姉さん、いいて。やめとき。」と相手は、クールや。むかつくガキめ。私なんか、相 手にできんいう顔してる。

「私、経験豊富やねん。ボクにいいこと教えたろ。」

 フフ、怖いやろ。

「ボクも、経験豊富やで、お姉さん。」と言われて、一瞬、ビビル。

 が、そこは、酔うた 勢いや。

「フーン。どっちの経験が多いか、競争してみよか。」

と勝手に口がしゃべってた。

 相手は、不気味な沈黙で応戦する。ここで負けたら、女がすたる。

       2

 「なーんや、口だけか。」ワーイ、ガキ、ガキ。

 私は、自分の勝利を確信した。

「お姉さん、本気で言うてんのか?」

「経験豊富やなんか言うて、ほんまは怖いんやろ。」

 えらいこと言うてしまった、と思ったのは、ガキの慣れた手付きを見てしまった時や。

 酒は身を滅ぼす、いうんはホンマやったのね。


「ち、ちょっと、待って。ね、ね。」と言うが、相手の動きはリズミカル。

「あ、あの、その。」と言うてるうちに、ブラウスのボタンを外しながら、スカートの中に手が入り、舌の先が口の中。

 もうすっかりガキのペースで、何も考えてる暇がない。

「大丈夫やて、お姉さん。」と耳元でささやかれてる始末。

「もっと、力抜いて。」


「いや、怖い。」と突然、我に返る。

 いや、ほんまに怖い。

 この年になって、こんな怖い目に合うとは思わんかった。

「お姉さん、ほんまは、初めてなんでしょ。」とスッカリ見抜かれてる。

「い、痛い。」

「痛くない。お姉さんが、力、いれすぎてるからや。」

 ほんまや。痛くない。けど。

「やめて、そんなもん、入れるの! 見ただけで痛い。」

「目、つむっとき。自分で触ってみ。バルトリン腺全開やで。」

 何のことやら、ようわからん。

「また、力入れてる。」

「そんなこと言うたかて。」

 ウンウン、力んでしまうもん、しゃーないやないの。

 というてるうちに、身体中が、けいれんし始めた。

「早いなー。」とガキが言うのが聞こえた。

 私は、もう、全身、汗びっしょり。

 何が何や らわからへん。

「も、もう、やめよ。」

「それは、ひどいわ、お姉さん。ボク、まだやのに。」

 そう・・・ボク、まだなの・・・それ、何のこと・・・?


 という意味が、よーくわかった。

 この世に、こんな気持ちのいいことがあったなんて、 この年になるまで知らんかったわ。

 人生、無駄に過ごしてきたわけね・・・・


「お姉さん、急に無口になったみたいやね。」

 あんなことした後で、よう平気な顔して話せるわ。

 ガキは、律儀に、家までタクシーを 飛ばして送ってきてくれた。

「じゃあ、お姉さん、またねえ。」

 私は、門の前で、茫然として、ガキが去って行くのを見送っていた。

 何がどうしてどう なった?

 後で、よーく、考えてみなあかん。


「ただいま。」と言うのは、長年の習慣。

 居間からは、笑い声が聞こえてくる。

 弟夫婦が、テレビを観ているらしい。

 夜の早い両親は、もう寝ている時間だ。


 どーせ、私は、邪魔者よ。

 皆、私の話題には触れないようにして暮らしている。

 私も、何、悪いことしてるわけでもないのに、空気みたいになって日々を過ごしている。

 わかってるて。

 私が、今使ってる部屋は、将来、子供部屋になる予定や、いうことぐら い。

『アパートでも借りようかなー。』と思いながら、冷蔵庫の中をあさる。

 案の定、何も 残ってない。

 炊飯器には、明日用の御米が、水の底に沈んでいる。

 タイマーでセット。これは、私が教えてやったのよ。

『結婚』という二文字が、また、背中に・・・

 そして、あのガキの顔が現れる。

 消えてよ、もう。

『やっぱり、アパートでも捜そう。』


 翌日は、かなりの睡眠不足。

 その上、食べるものも食べずに運動したのがたたったのか、頬がゲッソリこけていた。

「村田さん。昨日の残業、きつかったか?」と店長に気づかわれる始末。

「いいえ。今、ダイエットしてるんです。」と笑って誤魔化す。


「無理なダイエットは、身体に毒やで。ほどほどにしときや。」

「はい。」

 憧れの店長殿。

 愛妻家で子煩悩なステキな紳士。

 朝のこのステキな一時。

 永遠に時間が止まったら、ええのに・・・

「お姉さーん。」とそこに現れたのが、昨日のガキだったのだ。

「こんなとこに、おったんやね。」


 当然、ギョッとする私。

 こんなとこで、悪かったわね。

「村田さん、もう一人、弟さんがいたの?」とハンサム店長。

「いえ、いえ、とんでもない。あれは、近所の男の子で・・・」

「村田さんになついてるみたいやね。」

「はあ。」

 なついてるというか、何というか・・・

「僕、ここに雇うてもらおかな。そしたら、お姉さんと一緒に仕事できるし、それから、 帰りに・・・」

「ワアア!」と私は叫んだ。

「一緒に帰れるし。お姉さん、どうしたの?」


 もう、私、一日分のエネルギー、使い果たしたの・・・年とるとねえ、一日分のエネルギーも・・・少なく・・・なるのよ・・・と倒れてしまったものらしい。

「大丈夫か、村田さん!」と社内が、大騒ぎになったのも、無理はない。

 夕食抜きの無理な運動に、一睡もできずの一夜でしょ、朝食を作る元気もなかった・・・のよね。

 

 ハッと辺りを見回すと、誰もいなかった。

 皆、冷たく外勤に出掛けてしまったものらしい。

 ガキだけが残って、私の介抱をしてた模様。

 表向きは、航空サービス会社、裏では、悪質不動産を扱っている会社の我が極小支店。

 私は、一応『店長秘書』ということで採用されたものだった。が、実態は、お茶くみと掃除雑用係兼電話番であった。

 

 朝の慌ただしい一時が過ぎれば、夕方まで、誰も帰ってはこない会社だ。

 気楽と言えば、気楽、つまらないと言えば、つまらないお仕事なの。


「お姉さん、何、考えてるの? わかった、昨日のことや。」

 ああ、もう、私、一生、食欲が出ない。

「僕、おなかもすいたなあ。何か食べても、いい?」

 何でも食べて。

 私の分も、食べ。

 食べて太って、ブタになって死んでしまえ。

 と思って るうちに、辺りの風景がグルグルと回り出した。

 人を呪わば、穴二つ・・・・

       3

 「お姉さん、ダイエットもいい加減にせなあかんよ。お姉さんは、今ぐらいが、丁度いいんやから。」

と目の前には、サンドイッチやらスープやらサラダが、所狭しと並んでい た。

「わ、大変。今、何時?」と生き返った私。

「3時45分。」とガキは、平然として答えた。

「わ、休憩時間、終わってるやないの!」と私は慌てた。

「真面目やな、お姉さん。僕、タイム・カード押してきといてあげた。そやから、安心し て食べ。」

「タ、タイム・カードを押したあ? 勝手に、そんなことしたらアカンのよ!」

「どうせ、誰もいてないやんか。」

「どこから電話が入るか、わからへんでしょう!」

「うん。じゃあ、僕が、留守番しといたげるから、お姉さん、ゆっくり食べておいで。」


 何で、こんなにガキのペースなの? 

 わ、私は、クヤシー。と思いながら、目の前のサンドイッチをむさぼり食べていた。

 無我の境地。

 やっぱり、おなかがすいてたんやわ。


 スープを飲んでいると、周囲の視線が、目に入ってきた。

『いやあ、よう食べはるわ。過食症とかいう病気、違う?』というイヤーな視線。

「あと、追加は、よろしゅうございますか?」と店の人まで聞きに来る。

「ええ、もう、結構です。」と思わず、スプーンを置いた。

 ふと見ると、勘定書きが残っ ている。

 何? ランチにスパゲティ、サンドイッチにスパゲティの追加?

 あのガキ! と思ったが、仕方がない。


 ビクビクしながら、財布の中身と相談する。言いたくないけど、私は、家族にお金を取られてる

身分なのよ。

 住居光熱費に食費。

 何もなくても食費なの。

 ウッウッ。少ない給料で、昼食代を捻出してるの。化粧品を買うお金もないのよ。

 いくら、同じ服を着てても、たまには、服代もいるの。ウッウッ。

 給料日まで、暮らしていけ なくなるじゃないの。

 何が、アパートよ、何がホテルよ!


「ありがとうございましたあ!」と店主。

 そらありがたいやろ。

「ごちそうさま。」と小さな声で答える。


 事務所に戻ると、ガキが電話の最中だ。

「その件につきましては、担当の者が戻りましてから、お電話入れさせていただきます。」とまっとうな受け答えをしておるではないか。

 こいつは、一体、何者なんだ。

「あ、お姉さん、お帰り。電話は、全部、メモしておいたからね。それから、留守番電話 には、メッセージなし。」

「はい、はい。」

 よう気のつくことで。


「お姉さん、店長さんが、心配して、電話してくれたよ。」

「あ、そう。」

「嬉しい?」

 フン。イヤなガキ。

「そうや。店長さんは、優しいもんね。」

「お姉さん、店長さんのこと、好きなんでしょう。」

「な、な、な、何を言うの!」

「フーン。赤くなった。けど、店長さんて、年齢的に見て、妻帯者でしょ?」

「あんたに、何の関係があるの!」


「ライバルにはならへんな、思て。」

「当然よ! 当たり前でしょ! 何で、店長さんとライバルになれるの!」

「まあ、そうや。僕の勝ち。僕のほうが若くて独身で、お姉さんの肉体も知ってる。」

「な、な、何を!」

 殴り倒そうと思って、事務所中追い掛け回したが、相手の足のほうが速い。

 ハア、ハア、と息を切らしているのは、私だけ。

 相手は、平然としている。

「お姉さん、運動不足やな。もうちょっと腹筋もつけたほうが、いい。それからね。」

「な、な、な・・・」

「口紅くらいぬったほうが、いいよ。」


 ガキのポケットからは、何とリップ・スティック登場。

「はい、目をつむって。」

 はい。目をつむった単純な私。

 あ、これは、口紅ではない! と気がついたのは、かなり後だった。

「口紅ぬってしまったら、できないから。」とガキは平然と、今度は、本当に、口紅をぬり始めた。

「動いたら、はみ出すからね。じっとして・・・・はい。できた。これは、僕からのプレゼント。」


 私の手に、口紅を握らせると、ガキは、どこへともなく去って行った。

 うるさいガキが、いなくなってセイセイした。

 と思いながらも、ボーーーと物思いにふける。

 そう言えば、名前も知らなかったっけ。

「お疲れさまでしたー。」

 事務所が、急に、騒がしくなる。

 私も、急に忙しくなる。

 伝言を伝え、伝票をファイルし、明日の行動表を作成し、お茶とおしぼりを配る。


「村田さん、口紅、つけたんだね。」と店長さんがおっしゃった。

「ええ、ほんまか?」

「どれ、どれ?」

「いやあ、やっぱり、女やったんやなあ。」と男共は、急に、私の存在に気がついたように、観察

を始めた。


 いややわあ、と思いながら、悪い気持ちではない。ポケットの中のリップ・スティックを押さえ

てみる。

 毎日、口紅、つけようっと。

「姉ちゃん、姉ちゃん、お茶でも飲まへんかー。」

「×××せえへんかあ。」と帰り道も、かしましい。

 どういうことだろうか?

いつもなら、ションボリ家路につくはずが、男を押し退けて、歩く羽目になった。

「お姉さーん。」

 また現れた恐怖の悪ガキ。

諦めの悪いヤツめ。

今日は、あんなこと、ぜえええったい、 せえへんからな。

「ごめんね、遅くなって。」

誰も、あんたなんか待ってへん。

「この辺、怖いおじさんが多いから、送っていく。間に合う思たんやけど、ちょっと遅かった。」

「ありがとう。」と変に、素直になっていた。

       4

「僕、もう暇やから、ゆっくり歩いて帰ろう。」

「もう暇て、どういうこと?」と何となく、腕を組んでしまう私。

 私より、ずっと背が高 かったんやね、このガキは。

「何か、恋人同士みたいやわ、腕なんか組んだら。」

と私は照れている。

「恋人同士やんか。」と悪びれんガキ。

「僕、腕組むんより、肩抱くほうが、好き。」


 暗い道でよかった。ガキに肩抱かれても、人目を気にせんですむ。

「僕、家族の人に挨拶しとこかな。」

「ア、アホなこと、言わんといて!」

「何で?」

 家中、おなか抱えて大笑いやわ。

 特に、あの弟の奥さん。

「今、仕事、捜してるからね。」

 バイバーイ、と手を振るガキを、またも茫然と見送る私。


「おい、美子、喜べ。」と珍しく、父が私の部屋に入ってきた。

 何かあったに違いない。

 私の食事も、ちゃんと作ってあったし。

「見合いの話やぞ、見合い。五年ぶりの見合いの話や。」

 何や。そういうことか。

「美子。よさそうな人やで。見てみい。」と母もやってきた。

「おねえさん、いい人みたいよ。」と義理の妹。

 私が帰ってくるまで、散々、皆でアーダ コーダと言うていたに違いない。

「三十六で初婚やて。顔かて、見てごらん、男前やわ。再婚でもしゃーない思てたけど、 待ってたかいがあったなあ。」  

 と誰の見合いか、わからん状況になっている。


「おねえさん、過去のことなんか、聞いたらあかんのよ。」と弟の妻。

「それから、自分 の過去かて、言うたらあかんわよ。」

 言えるほどの過去なんか、あるかい。

「パーマにも行って、ちょっと、貴子さんに、お化粧の仕方でも教えてもらい。着物は、 成人式のが、まだ残ってるし、あれでいいか。」と母の目は宙を飛ぶ。


「おかあさん、成人式の着物なんか、派手と違いますか?やっぱり、見合いは、洋服やわ。それに、あの着物、お友達の結婚式で、着古してはるのと違うかしら。」


 ほっといてちょうだい。

「年、ごまかしといたほうが、ええかなあ。」

「けど、おとうさん、ばれた時が、大変ですよ。やっぱり、こういうことは、最初に本当のこと、言うといたほが。」

「もう!私のことは、ほっといてちょうだい!」と思わず叫んでいた。


「おねえさん。」と義理の妹、しっかり者の貴子さんが言った。

「私、妊娠してるんで す。」

『それが、どないしたん。』と言いたかったが、言えなかった。

「そう・・・・」私の部屋が、欲しいのね。

 

 事務所に行ってからも、ボーーッとしていた。

「お姉さん。」  

 別に、悪ガキが登場しても、気にもならない。

「どーしたん?元気ないね。」

「大人の悩み。」

「お姉さんの悩みは、僕の悩み。話してみたら?」

「ほっといてちょうだい。」

「僕達、婚約者同士でしょ?」

 思わず、目から涙がこぼれた。


「そんなこと、いつ、誰が決めたん!」

「僕とお姉さん。お姉さん、僕が好きなんでしょ?」

「あんたなんか嫌いよ。」

「そーかなー。」

「私が、好きなのはね、私が好きなのは、店長さんみたいな人よ!」

 

 相手の沈黙は、多少、私の胸にこたえた。

「あ、あなたも、もうちょっと大きくなれば、わかるだろうけど。」

「それで、ずっと、ここで頑張ってるわけか。」

「そ、そうよ。どこが悪いのよ!」


「お姉さん、憧れと恋愛を混同してるみたいやね。」

「あんたなんかに、何がわかるのよ! 出て行ってよ。いいのよ、私、そばにいてるだけで。」


「・・・・僕、しばらく、来られへんから。淋しくても、我慢してね。」

「出て行けー! 二度と来るなー!」

 誰もいない事務所で、一人で、涙を拭いた。


 見合いの話は、私の知らない間に、進んでいたようだ。

 ある晴れた日曜日。

 着古した振り袖に、義妹のしてくれたお化粧。

 相手は、確かに、いい男だった。

「どうして、今まで結婚なさらなかったんですか?」

と二人きりになると、型通りの質問が出た。

「相手がいなかったからです。」


「僕にはねえ、好きな人がいるんですよ。」と話は、意外な展開を見せる。

「でも、相手の人は、結婚してましてね。思い切るには、見合いがいいかな、と思ったりしましてね。こんな話、失礼でしたか。」


「いいえ。よくわかります。」と何となく、いいムードになってしまった。

「わかってもらえますか。」

「ええ。私も、ずっと片思いの相手がいましたから。」

「結婚なさってるんですか。」

「はい。」

「そーですか。似た者同士ですねえ。もし、僕のような者でよかったら・・・」

「はあ・・・・」

 いいムードやないか。


「お姉さーん。」

 ギョッ。

 なぜ、このような場所に、恐怖の悪ガキが。

 きっと、これは、幻覚に違いない。

 現実であるわけがない。

「こんなとこで、何やってんの。」

「お願いだから、あっちに行ってて。お見合いなの。」

と小声で因果を含める。

「弟さんですか?」といい男は、鷹揚である。

「婚約者です。」とガキは答える。


 ああ、もうだめだ。

 地面が、グラグラと崩れていくような予感。

「あっ。地震だ。」

 え? 地震? 

 地面が揺れているはずや。

 いい男の姿は、もう見えない。

 いや、見えた。

 床下で、頭を抱えている。

 私の身体をかばっているのは、いい男ではなく、ガキではないか 。

 ・・・・・溜め息が出る。

 

 結局、見合いは、失敗に終わった。

 いずれにしても、私は、家を出るべきだろうなあ。

 トホホホ・・・

       5

「村田さん、最近、綺麗になったね。」と憧れの店長様がおっしゃった。

「そうですか。そんなこと。」と内心は、嬉しい。

「恋人でも、できたんかな?」

「まさか! でも、この間、お見合いしたんですよ。この年でおかしいでしょ?」

「へえ。お見合い・・・で、どうやったの?」

「お見合いの最中に、地震がきましてねえ。その相手、床下に隠れてたんです。それまで は、い

いムードやったんですけど。」


「フーン。頼り無い男だね。」

「ま、男前で、ちょっといい男なんです。それが、また、どういうわけか、付き合いたい、て言うて

きてるらしいんです。」

「そう。村田さんのちょっといい男て、興味があるな。」

「そうですか。」

 さすがに、『店長さんが、一番いい男』とは言えない。

「村田さんて、いい奥さんになれるやろね。」

「そんなこと、ありませんって。」

「いいや。僕は、そう思う。そうそう。最近、あの子、やって来ないね。」

 やめてちょうだい、思い出すから。

 あの一夜の過ち。

「そういうたら、そうですね。」

「あの子、村田さんのこと、好きだったんじゃないの。」

「ウーン。よくわかりませんけど。」

「村田さんて、もてるんだね。」

 何となく、いいムード。

 帰り辛いムードやないか。

 暗い事務所に二人きり。後は、だーれもいない。

 皆、仕事が終わって帰った後。

 ウフフ。何か、期待してしまいそう。

「そうか。結婚か。うちも淋しくなるなあ。でも、村田さんが、やめてしまったら、どうしたらいい

んだろう。」

「私、結婚なんかしません! ずっと、ここで働きます!」と思わず言った。

「そりゃあ、うちは助かるけど。」


 というようなわけで、何となく店長様と、風紀の悪い道を、ブラブラ歩くことになった。

「いよお、いよお、御両人。」とかいう酔っぱらいのおっさんの声援が飛ぶ。

 店長さんとなら、似合いの年齢。

 ガキの時みたいに、遠慮することもない。


「僕の結婚は、失敗でね。」

 オヨ。嘘ばっかり。

 事務所の机に、家族の写真を飾っているのは、一体、誰なん。

「家に帰っても、くつろぐ場所もない。だから、仕事に情熱を捧げてみたけど、この年になれば、

虚しい限りや。」

 

 といつの間にか、場所は、スナックに移動。

「冷たい家庭生活の唯一の憩いの場が、あの事務所だった。こうなるまで気付かないなんて、うかつな話や。」と事態は、また、意外な進展を見せる。

「はあ。」と私は、単なる聞き役。

「まあ、村田さんも、もう一杯。」

「はあ。」と私も、もう一杯。


「僕はねえ、実は、うぬぼれていたんだよ。」

「はあ。」

「村田さんが、僕を好きなんじゃないか、なんて風に。」

「はあ。」

 ご明察の通りです。


「僕のことなんか、何とも思ってなかったんだねえ。」

 また、目がグルグル回り出した。

 相手のペースに合わそうとしすぎたためか、飲み慣れないお酒を飲んだせいか。

「そ、そんなこと・・・・」

 というている間に、場面は変わる。


 オヨ。この道は、いつか来た道。

 このホテルは、いつか、来たホテル。私の肩を抱いているのは、今は、憧れの店長さん。

 けどね、よりによって、同じホテルを選ぶことは、ないのではありませんか・・・

 あれだけネオンが輝いてるんやから。


『うっれしい、憧れの店長様とっ!』と思う反面、『不倫』『淫乱』『みさかいなし』などというイヤーな単語も、頭に浮かぶ。

 けどね、言うときますけど、私、これで、人生二回目のチャンスなんですからね!

 それも、長い長い間、憧れ続けていた男性と、やっとコ レカラ!というとこなんです。


 どーか、邪魔が入りませんように、アーメン。

 さすがに、身体はこわばり、歯はガチガチと鳴る。

 まさか、同じ部屋ではあるまいな。

「怖いの?」

「こ、怖くなんかありませんっ!」


「震えてるね、可愛いよ。テレビでも付けようか。」

 ???なぜ、こんな時に、テレビ?

「何かで、気を散らしたほうが、いいんだ。」

 フーン。そんなもんなんかな。


「ニュースしか、やってないね。」

 と言いながら、店長さんは、私の服のボタンに手をかけた。

 何となく、経験者らしい鷹揚な手付き。


 イカン、イカン。比較したらあかん。

 あいつは、ほんのガキやった。

 だから、手付きが 焦って早かっただけ。

「シャワー、浴びてきたら?」

 シャ、シャワー?


「そのままで、いいの?」

 ウーン??? よくわからん。

 何しろ、一回しか経験がないもんやから。

「いいんだね?」と念を押されると、どうしようか、と迷ってしまう。


「後悔しないね?」

「はい。」という以外、ないんじゃないだろうか、こうなっている場合。

 濃厚なキス。

 キスばっかりという感じがしないでもない。


「へええ。村田さんて、着やせするタイプなんだね。」

 はて? どこかで聞いたような・・・

「もっと早く、村田さんに会っておきたかった。」


 何となく勝手が違うような気がするのは、あのガキの印象が、強烈すぎたせいか。

 あのガキ、どこで何してんのやろ。

 まさか、本気で、仕事捜してるんと違うやろな。


 とあらぬことを考えていると、店長様は、しげしげと私の身体を眺めている様子。

「同じ年でも、違うなあ。」と溜め息をついている。

「うちのは、本当に、肉がついてしまってねえ。村田さん、こんな身体してたんだねえ。」

 と突然、私におおいかぶさってきた。

「や、やめて。」と思わず、身構えてしまう。

「今更、やめては、ないだろう。」

「でも、そんな乱暴な。」

 まるで、私が、物みたいな扱い方やないの。


 これが、憧れていた店長さん?

 あの優しくて親切、愛妻家で子煩悩なステキな紳士?

 どこかで、「お姉さーん。」というガキの声が聞こえたような気がしたのは、幻聴か?


『バイバイ、お姉さん。』

「やめてください!」と思わず、店長さんを突き飛ばしていた。

      6

 「ほらほら、美子、早しいや。」と朝から何となくせわしない母。

 婚約に結納と話はトントン拍子に進んだ模様。

「うん。」

「何してんの。遅れるで。別に、私らに挨拶なんかいらんから。」

「うん。」

 別に、そんなこと考えてるわけやない。


「お姉さん、私、こんな身体やから出席できませんけど、あんまりガツガツ食べたらあきません。」

「うん。」

「美子おー。」と父まで現れる。

 ま、そらそうか。父は父やもんな。

「よかったなあ、美子お。」


 ギョッ。まさか、目に涙なんか浮かべてるのと違うやろな、思たら、ほんまに浮かべてた。

「うん。」はあ、しんど。

 タクシーに押し込められ、私は、一路『会場』に向かった。

 貸し衣装屋さんが、待機してるらしい。


「この年で結婚するんやから、あんまり派手にはできへんなあ。」と両親としっかり者の 貴子さん

が言うているのを聞いた。

「老後の蓄えもいるし。」

「私も、子供生まれますし。」

「これぐらいのとこで、どやろ。」

「いいんちがいますか、そこらへんで。」


 私の口出す余地、まったくなし。

 で、今日に到ったというわけや。

 はあ、しんど。

 などと言うてられへん。

 会場に着いたら着いたで、衣装やメイクやと慌ただしい限り。


 何で、こんなことになってしまったんやろなあ。

 自分でも、ようわからん。

「美子さん、綺麗ですよ。」と言われ、ニコッと条件反射的に笑ってしまう。


 花嫁いうんはやね、どんなブスでも綺麗に見えるもんなの。

 それは、友達の結婚式で、イヤというほど知っている。

 ま、人生で最初で最後の主役やからね。

 後は、苦役が待ってるだけよ。

 それも、友達の例で、よう知ってる。

 私も、今から、ああいう道を歩むのね・ ・・・


 グエ。何ちう重たい着物にかつら。

 皆さん、こんなもん着けて、よう平気でいたもんやね、と今更ながら、先輩達の大変さに、音をあ

げかける。


「花嫁・花婿の入場です。」

 ようやく、『式』が終わると、まだ、『披露宴』が待っていた。

 ま、しんどいことはしんどいけど、悪い気分やないのは確かや。

 皆が、私のために拍手して、私に向かってフラッシュがたかれる。


「ま、知ってはる方は知ってはるけど、知らない方はご存じないんですから。」という当たり前みた

いな、アホみたいな理由で、私の年は、『式』と『披露宴』の間だけ七才ほど 若くなることになっ

た。 

 七才やて。すごいサバ。

 しっかり者の貴子さんが欠席で、本当によかった。

「お姉さん、私より年下でしたっけ?」とか「オホホホホホ。」とか笑われてしまうとこやった。


 おなかがすいて倒れそう。

 目の前には、ご馳走の山。

 けど、着物が苦しくて、何も食べられない。

「美子さん、大丈夫ですか?ちょっと何か食べたほうが・・・」と相手は、優しく気づ かってくださる。

「いえ、ちょっと食欲が・・・」

「そうですか。女の人は、そうなんでしょうね。」

「はあ・・・」グーー、グーー。


「ここで、お色直しのため、花嫁花婿は、退場いたします。」

 親戚のおじさんが、しゃべってる最中やった。

 私、結婚式慣れしてるのよ。

 列席の友人達の結婚式に、それこそ成人式の着物が擦り切れるほど、出席したからねえ。


 ホエー。やっと、着物の責め苦から解放された。

 私、着物はイヤや言うたけど、誰も聞いてくれへんかったん。

「一生に一度のことやねんから。」らしい。


 はい。純白のウエディング・ドレスに変身。

「美子さん、ほんとに綺麗ですね。」と優しい相手。

「(ほんまかいな。)あら、そうですか?そんなことっ。」

「ほんとですよ。けど、僕は、お化粧していない素顔の美子さんのほうが、もっと好きで すけどね。」

 唖然とする私。

 そこまで言うて、ええもんやろか。

 何ぼ、一生に一度らしい『結婚式』でも。

 それに、私、素顔なんか、あんたに見せたことないわ。


 グエ。悪趣味。

 ドライアイスにゴンドラやて。

「すてきですねえ、ロマンチックで。」

「はあ・・・・」アホか、こいつは。

 しかし、まあ、白のタキシードも、よう似合う。

 友人共が、羨ましそうな、恨めしそうな顔で、こいつのほうを見ている。

 と、急に、いい買 い物して褒められたような得意な気分がわいてくるから、不思議なもんや。


 ま、多分、一番無難な線やったんやわ。

 そこらあたりを走り回って、騒いでるのは、店長さんちのガキ。奥さんは、貴子さん同様、おなかが大きくて来られなかった模様。

 憧れ続けた店長様も、ただのスケベなおっさんやった。


『あの晩』

 私は、夢中で、店長さんを突き飛ばし、走って家まで逃げていったものやわ。

 そやから、私は、前科一犯なだけなの。残念ながら。


「む、村田さん、昨日のことは無かったことにしよう。な、な。」と卑屈に頭を下げた店長さん。

「昨日のことて、何ですのん?」て言うたら、ホッとしたように額の汗を拭ったっけ。

 ほんま、青春を棒にふったようなもんやわ。


「やっと、二人きりになれたね。」

「はあ。」

 場面は変わっても、相手は変わらへん。

『新婚旅行』先のホテル。

 つまりやね、これから『初夜』が始まるわけや。

 相手の手は、さり気なく私の肩を抱いている。

 こういう夜が、これから毎日始まるわけや。

 毎日、同じ顔を見て、同じ家で暮らす。


 相手の唇が近づいてきた。

「ね、ちょっと待って。」と私は言うた。

「う、うん。」と相手は、ムードを壊されて、ちょっと不機嫌な顔。

 私は、ハンドバッグを持って、洗面所に立った。

 疲れたような、哀しい顔をした女が鏡に写っている。


 待ってたことは、何も起こらへんかった。

 私は、震える指で、リップスティックを持ち、唇だけに注意を集中しようとした。


 鏡の中の私の顔が歪み、目の端から生き物のように、塩辛い水が流れてきた。

             



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ