貧乏人のチーズ
そうだったんかあ。
先日、家事の合間につけっぱなしにしていたテレビの音声を聞くともなく聞いていると「パン粉をいためて」という声が聞こえた。
パン粉を炒める。画面を見た。
知ってる、これ、わたし、知ってる!
あれだ、あれだ。
あれのことを家人に話すと、一体どこの料理なんだと笑われるけど、あれはこれだったんだ。
正式な作り方じゃないけど、わたしはこれを知っている。
子どもの頃に食べたあれはこれだったんだ……。
まさか、これがあれになったとは。
「これ」とか「あれ」とか代名詞ばかりでわかりづらいことになってしまったけれど、その時のわたしは興奮して「これはあれだ!」と叫び、脳内にもあれはこれだったんだとこだましていた。
これでは読者のみなさんに不親切なので言い換えたい。
「これ」は「貧乏人のチーズ」。
「貧乏人のチーズ」とは貧しいイタリア人が裕福な人々がチーズを食べるのを見て、パン粉で作ったチーズの代用品。パン粉、またはパンをすりおろしたものにニンニクやパセリ、香辛料などを混ぜてオリーブオイルで炒めたもので、パスタやいろいろな料理に使えるというもの。
ネットを見ると、いろいろとおしゃれなレシピがある。
「あれ」は子どもの頃に母が作ってくれたおかず。正式な名称は不明。
さて、「あれ」こと子どもの頃母の作ってくれたおかずとはどのようなものかというと……。
材料はパン粉・サラダ油・ゆでたマカロニ・ハム・塩・胡椒
分量は適当。ふだんの料理で母が計量して作っているのは見たことがないので。
作り方
1 フライパンにやや多めのサラダ油を熱し、パン粉を炒める。
2 少し色がついたら、マカロニとハムを投入し炒める。
3 塩・胡椒で味を調える。
たったこれだけである。パン粉を焦がさないようにするのがコツといえばコツかもしれない。
このおかずはわたしやきょうだいお気に入りのおかずで、これさえあれば何もいらないくらいだった。別にこれ以外のおかずがなかったわけではないけれど、子どもの頃の夕食は皿に盛ったこのおかずのイメージがある。その皿は今も実家の食器棚にあり、皿を見るたびに、このおかずを思い出す。
だが、このおかずには特に名まえはない。母は新しい料理を開拓するのが好きで、職場の人から教わった料理や保存食品はもとより、わたしが中学の家庭科の調理実習で作った料理のレシピさえ覚えて自分のレパートリーに加えるような人だった。一体、あのおかずはどこで誰に教わったのか。数年前に聞いてみたことがある。
すると、母の答えは「テレビでやってた」
テレビ? 料理番組? だが、料理番組でこんな簡単な料理紹介するのか。
それに、当時は今ほど料理番組がたくさんなかった。しかも田舎なので公共放送と民放一局しかまともに映らなかった。となると該当する料理番組は一つしかない。公共放送の老舗の料理番組だ。
こんな炭水化物と脂肪たっぷりの料理のレシピを紹介したのか?
今となっては謎だが、母本人の記憶だから間違いないだろう。母の記憶は父に比べたらずっとあてになる。
それはともかく貧乏人のチーズとの共通点はパン粉を炒めるということだけ。オリーブオイルは当時まだ普及していないからサラダ油を使うしかない。田舎なので香辛料なんてないし、パセリもない。貧乏人のチーズどころか大貧民のチーズである。
そこにパスタの一種マカロニを入れるのは本場イタリアっぽい。ハムももしこれがイタリアの生ハムだったら本格的パスタ料理になるのかもしれない。が、わたしの子どもの頃のハムは今の物にくらべてまずかった。たぶん保存料などの添加物が多かったのかもしれない。
恐らく母の見たという料理番組の料理研究家は、イタリアの貧乏人のチーズを知っていてこの料理を日本風にアレンジしたのかもしれない。あるいは母が身近にあるものでアレンジしたのか。
というわけで、母の作ったものは「マカロニとハムの大貧民のチーズ和え」とでも名付ける他はない。
「マカロニとハムの大貧民のチーズ和え」が食卓によく上っていた頃は仕事の関係で父は職場の敷地内に住み、母とわたしたち子どもはそこから少し離れた集落の借家でささやかに暮らしていた。父は数日に一日だけ家に戻ってきた。給与は銀行振り込みではなく現金支給。父と母は給料日の夜は食費、水道代、電気代、散髪代等と書いた茶色の封筒にお金を分けて入れていた。
父は高校卒業して就職、二十三で二十一の母と結婚、その後立て続けに二人の子を儲けた。職場ではまだ下っ端で給与もさほど多くなかったはずである。
父が職場に戻ると、限られた生活費の中で母は一人で家計と子どもを守っていたのだろう。
たぶん、マカロニとハムの大貧民のチーズ和えは、そんな母の生活防衛の一つだったのだと思う。
いや、母だけではなく家族全員で食糧を手に入れることもあった。
近くの浜へ潮干狩りに行ったり、家族でおにぎりと玉子焼きと魚肉ソーセージの入った弁当を持って磯に魚を釣りに行ったり、潮だまりの小エビを取ったり、今思えば遊びのようなこともすべて夕食のおかずのためだったのだと思う。貝は味噌汁に、魚は刺身や塩焼きに、小エビは天ぷらになった。
すぐそばにある海が恵みをもたらしてくれた。
買い物もスーパーはなく小さな店ばかりで母と一緒にハムは肉屋に、魚は魚屋に買いに行った。あるいは行商のおばさんから朝とれたばかりの魚を買った。思い出すといろいろなふれあいがあった。
決して豊かではなかったけれど、贅沢な日々だったような気がする。
貧乏人のチーズを使った料理はイタリアの家庭でも母親が子どものために作っていたのかもしれない。母がいなければ父、あるいは祖父母、あるいは子ども本人が作っていたかもしれない。いつかは本物のチーズを食べたいと思いながら。
本物のチーズを食べると、パン粉を炒めたものとは明らかに味は違う。
その時にやっぱり本物は違うと思う一方で、昔食べた貧乏人のチーズの存在を否定できる人は恐らくいないだろう。
なぜなら、これまで口に入れてきた料理は自分の身体の一部になっているのだから。身体を作ったものを否定するということは、自分の身体を否定することではないか。
ひいては、それを作った人の心を否定することになりかねない。無論、それは愛情だけではなかろう。様々に複雑な思い(もっとおいしい物を食べさせたかった・今日は疲れて面倒くさい等々)があるのが人というものだろう。
だが、料理する心は尊い。なぜなら、料理は他人のため、あるいは自分のために、時間を割いて作るものなのだから。たとえカップ麺でも水を薬缶(もしくはポット)に入れて加熱するのも時間がかかる。ましてやパン粉をただ炒めるだけでも、それを焦がし過ぎないようにするという配慮があるのである。そこに食べる人を思う気持ちがないわけがない。
たかがパン粉を炒めたものと馬鹿にはできないのである。
なんだか堅い話になってしまった。
要するに、「おふくろの味」の由来がイタリアかもしれないという話である。
でも、イタリアだろうがアメリカだろうが、母の手が生み出した料理というのは紛れもない事実である。
わたしの身体の一部を作ったのはその料理であり、心を作ったのは家族であり、あの頃育った小さな田舎町。
貧乏人のチーズは忘れかけていた家族の歴史の一コマを思い出させてくれた。