第九話
さっきまで、友だちと遊んでたのに……。なぜ、きゅうに。
白ちゃんは、月島さんのほうを、すこし不安そうな面持ちで見ています。月島さんのおかしなオーラは察しているけど、どうしてなのかよくわからない。そんな感じでしょうか。
いえ、もしかしたら、白ちゃんも薄々感づいているのかもしれません。月島さんの気持ちに。
「最近さ」
月島さんの声が、妙にはっきり聞こえてきます。
「先輩、あんまり会ってくれないんだよね」
「せんぱい、って」
「知ってるでしょ? 夕足先輩!」
白ちゃんの肩がびくりと震えて、目が見開かれました。
「……衣花も、なんでしょ?」
「えっ」
「すぐ分かったよ。あたしとおんなじだって。あんた、分かりやすいよね」
「おんなじ、って」
白ちゃんの声は、体育館から漏れる喧騒にかき消されそうなくらい、小さくなりました。
「おんなじって……どういうこと?」
「そんなことは、どうだっていいのっ」
自分で言ったことなのに。
でも、それが乱暴な声だったから、白ちゃんは、黙りました。
「あんたたち、いつも、保健室にいるよね。放課後」
「……うん」
「そこに先輩、連れ込んでたんでしょ」
「……連れ込んでなんて」
「一緒でしょ! 先輩がいつも放課後、保健室に行ってるのは事実。違う?」
「そう、だけど」
「やっぱり、そうなんじゃない」
悪意に満ちた、声でした。ほらみろ、言わんことじゃないと。
「あんたたちがそんなことしてるから、あたしが、先輩に会えないのよ」
攻撃的な調子でした。勢いで相手を黙らせる。話し合いを拒絶して、一方的に自分の意見を押し付ける、そんな声音です。
月島さんは、怒っていました。
校舎裏で見せたような、哀しげで弱々しい雰囲気は、どこにもありませんでした。
それは、いつも元気よく教室で友達と笑いあう、活発でにぎやかな彼女のイメージに重なるものでした。静かに哀しむよりは、はっきりと怒る。そんな印象そのままに、今彼女はまさしく、自分の感情をあらわにしています。
他ならぬ、白ちゃんに。
「月島さんも……先輩と?」
「そうよ。約束して、会ってたの。でもちょっと前から、って言ってもあたし的には相当長い間だけど、付き合い悪くなっちゃって。でもそんなの理由聞けないでしょ? ずっとすごい気にしてたんだから。でもようやく理由がわかってすっきりしたけどね! ある意味!」
ねちっこいです。けっきょく何が言いたいのか分かりません。分かりたくもないですけど。
「まって、ください」
ようやく、わたしは月島さんの前に、出て行きました。もっと早く、行けばよかった。なのに、どうしてか、わたしは動けませんでした。
月島さんは軽くおどろいたようでしたが、相手がわたしと知るや態度を元に戻しました。
「……呉内。あんたには関係ないでしょ」
「なくないです」
「何がよ」
きっと見詰めてくる、月島さんの目は、すこし怖いです。
「白ちゃんはわたしの……友達ですから」
「ハッ」月島さんは、目を逸らして、わたしの言葉を鼻で笑い飛ばしました。
「トモダチのピンチに颯爽と登場ってワケ? 大したユージョーだね」
口元こそ皮肉に笑っていましたけど、目がまったく、笑ってません。
さっきよりもずっと、おそろしい表情でした。
「そうやって関係ない話に首突っ込んで、あんた楽しいの?」
口げんかなんか、わたしはほとんどしたことがありません。こんな目で睨みつけられたら、わたしは何も言えません……。
「楽しいンだろうね。ハッ。おめでたいよね。トモダチ助けて自己満に浸るんでしょ? あーあたしいいことしたな、やっぱり持ツベキモノはトモダチダヨネって。ぜんぜん周り見えてない、自分とトモダチがよければそれでいいって考え方でしょ? やだよね本当!」
「……そんなこと」
「じゃあどうして、あたしから先輩を取り上げるような真似するのよ!」
月島さんのものすごい剣幕に押されて、わたしは目が合わせられません。
「どうしてって、聞いてるでしょ」
「私たち……取り上げようとなんか、してないよ」
白ちゃんの声は、すこし震えていました。白ちゃんにとっては、まさに晴天の霹靂。無理もありません。
「してるよ」
「違うよ……」
「違わないよ。あんたにそのつもりがなくても、結果的にそうなってるの! わかってないだけでしょ!」
「……そんな」
「あんた、体弱いんだよね」
わたしは、俯かせていた顔を、あげました。
彼女は、何を?
「大方、それをダシにして先輩の同情誘ったとか、そんなんでしょ?」
――なっ。
「先輩は優しいからね。そんなふうに攻められたら、断れないよね、ぜったい」
何を……言ってるんですか。このひとは!
「そんなわけないでしょう! 白ちゃんが、どれだけそのことを気にしてるか――」
自分でもびっくりするくらい強い声が出ました。月島さんは、すこしだけびっくりした様子でしたけど、すぐに元の、攻撃的な表情に戻って反論しました。
「……どうだか。口では何とでも言えるしね。自分でも卑怯なテ使ったって、自覚あるんじゃないの?」
「何を……! 卑怯なことなんて!」
「そういえばあんた、相坂といっしょに屋上近くにいたことあったよね。ひょっとして、覗いてたんじゃないの? あたしたちのこと」
心臓を突き刺されたような気がしました。確かに、彼女の言うとおりです。
でも、わたしは、そこで黙るべきじゃなかった。
「……フン」
つまらなそうにわたしを一瞥すると、月島さんは白ちゃんのほうを見ました。
「……だいたいさ」
白ちゃんはかわいそうに、蒼い表情で月島さんを見ています。
「あんたが先輩と付き合えたとしてもさ」
そのとき月島さんはわたしに背を向けていて、だから、わたしには彼女の表情は見えませんでした。
「体、弱いんでしょ? 体育なんかぜったいできないくらい。毎日保健室行ってるんだし。そんなんで、デートとかまともに出来るわけ? できないでしょ? 行ったとしても体調崩して、先輩に迷惑かけるのがオチでしょ?
ねえ。そんなんで、先輩は幸せって言えるの? 楽しいこともろくにできないで、あなたの世話ばっかりで。それでちゃんと付き合ってるって言えるの?
ねえ、どうなのよ?」
――な。
な、な、な、なっ!
何を言ってるんですか、このひとは!
白ちゃんの、
白ちゃんの気持ちも、知らないで!
「――っ!」
きゅうに自分が、二人に別れたような感覚でした。
ひとりのわたしは手を振り上げ、月島さんを叩こうとしています。
もうひとりのわたしは妙に冷静に、その様子を観察しています。
体の主導権は、月島さんを叩こうとしているわたしに、ありました。
冷静なわたしは思いました。あっ、叩く――ひとを、叩いてしまう。
そしてまさに、上げた手が振り下ろされようとしたとき。
手首が、誰かに掴まれました。
はっとして振り返ると、そこには険しい顔をした――、
「一咲……ちゃん」
一咲ちゃんはわたしに向かってすこし首を振ると、手首を放して、月島さんの前に進み出ました。
「な、何よ」
月島さんが、一咲ちゃんを睨みます。でも声の調子はすこし弱まっていました。一咲ちゃんがどんな顔してるのか、わたしからは見えませんが、そうとう怖い顔をしてるのかもしれません。
「白は好きで体弱いんじゃない」
とてもしずかで、低い声、でした。
いつも静かに語る一咲ちゃんですが、今のこれは、とりわけ凪いだ声。
意志の力で、感情を抑えた声です。
「謝って」
「……何を」
「謝って。白に。さっき言ったこと」
月島さんに、迷いが現れたようでした。視線を揺らめかせ、白ちゃんのほうをすこし見て、また一咲ちゃんを見ます。
でも、彼女の答えは。
「……いやだよ。なんであたしが」
「謝る気、ないの?」
「ない。何度も言わせないでよ」
「まだ、白に何か言うつもり?」
「話、まだ終わってないからね」
「……そう」
一咲ちゃんは、ふう、とちいさくため息をつきました。
そして。
一咲ちゃんは、予想外の一言を放ちました。
「――先生!」
きゅうに振り返ると、体育館の中に向かって、そう声を張り上げます。
「なっ? あんた!」
月島さんが色めきたって立ち上がります。
どうした、とか言いながら体育の先生が小走りで駆け寄ってきます。
「月島さんが、捻挫したみたいで」
「なっ」
「だから、保健室連れていこうと思うんですけど」
「何言ってるんだよ! あたしは」
月島さんの言葉を遮るように、一咲ちゃんは素早く、彼女を肩で支えるような体勢に移行しました。
「ちょっ! あたしは何ともないってば!」
「いえ、見た感じ腫れてましたから」
一咲ちゃんは真顔で、大嘘をついてのけます。
体育の先生は、その言葉を信じたようです。おそらく、一咲ちゃんが真面目な保健委員であることが効いているのでしょう。優等生の立場を、最大限に利用した行動です。
それとも、案外、本当にケガしてたんでしょうか。……月島さん、さっきおかしなことしてましたし。
「じゃあ、行ってきます」
頼んだぞ、と言ってから、体育の先生は去って行きました。
「あんた……」
月島さんが、恨みのこもった視線で一咲ちゃんを睨んでいます。
一咲ちゃんはそれをものともせず、月島さんを連行していきました。
……一咲ちゃんに、感謝です。
彼女が来てくれなかったら、わたしたちは好き放題に言われて、どうなっていたか分かりません。
無愛想でも、わたしたちの話しに滅多に入って来なくても、一咲ちゃんは、確かに白ちゃんを大切に思っているんです。だからこそ毎日保健室に付き添って来てくれるし、連れて来るだけじゃなくて、その後も保健室に留まっているんです。
普段は言葉すくなな一咲ちゃんは、まるで、白ちゃんの守護天使のようなひとで。
肝心なときには、必ず助けに来てくれるんです。
彼女のお陰で、当面の危機は去りましたが――、
「……白ちゃん。大丈夫ですか?」
さっきから俯いて、一言も喋らない白ちゃんが心配です。
どう考えても、月島さんの言葉は酷すぎます。体が弱いから、先輩と付き合うな? そんなばかな話が、あってたまりますか。体弱かったら幸せになっちゃだめなんですか? そんなはず、ないです。絶対に。
でも、白ちゃんは……。
「……さくらちゃん」
白い顔で俯いたまま、細い細い声で喋りだした、白ちゃんは。
「私……。先輩のこと、好きでいちゃ、いけないのかな」
「え?」
「そんな資格、ないのかな」
……ごめんなさい、一咲ちゃん。
どうやら、すこしだけ、遅かったみたいです……。
いえ、それを言うなら、わたしがもっと早く出ていっていれば。そしてもっとうまくやって、月島さんがへんなこと言うのを阻止できていれば。
「そんなこと、ないです。月島さんの言うことなんか、気にしちゃだめです」
「でも、月島さんの言ってることは、正しいと思うんだ」
「そんなこと」
白ちゃんは、わたしの言葉が聞こえてないみたいに、喋り続けます。
「私は体が弱くて、すぐ体調崩して、だから外はちゃんと歩けない。すこしはしゃいだだけで気分が悪くなって……この間、ねこのシロと遊んだときみたいに」
「白ちゃん……」
「そうだよね。私なんかが、先輩のこと、好きになっちゃいけないよね……。月島さんの、言う通りだよ。……あはは」
白ちゃんは、笑ったような声をあげました。
とても乾いた――笑っているような、かなしい声。
それを聞いたわたしは、強烈に思いました。
何か、声をかけたい。
慰めてあげたい。
白ちゃんは先輩を好きでいてもいいんですと、分からせてあげたい。
だけどわたしは、何も言うことができませんでした。
何故なら――
わたしも、少しだけ、
白ちゃんの言葉は正しいと、思ってしまったからだと……思います。
認めたくない。ですが、わたしも保健室に通う身。体調崩すことなどしょっちゅうで、他のひとに迷惑をかけた経験など、数え切れないほどです。
だから、白ちゃんの言葉は、わたしにとっても他人事とは言えないんです。
あるいは、今はそんなこと無視して、訴えるべき場面なのかもしれません。白ちゃんは先輩を好きでいてもいいんだと。体が弱いことなんか関係ないんだと。
でも、わたしには、どうしてもそれができませんでした。
そんな、自分でも信じていないことなんか、言えませんから。ましてや相手は白ちゃん。嘘塗れの慰めなんて通じないでしょうし、したくもありません。
でも……。
嘘塗れの慰めと、何も言わないことでは、どっちがマシでしょうか?
今のわたしには、分かりませんでした。