第八話
「白ちゃんっ?」
わたしは咄嗟に支えます。
「……ごめ……」
「いいんですよ」
白ちゃんの顔は、すっかり蒼ざめていました。
迂闊です。
よく見ていれば、もっと早く気付けたはずだったのに……白ちゃんの様子が幸せそうで、わたしとしても楽しかったものですから、油断していました。
白ちゃんの体が弱いことは、十分知っていたはずなのに。
……わたしは、だめなひとです。
「白たん……大丈夫?」
「保健室に行こう。歩ける?」
異変を察した涙未ちゃんと先輩が、戻ってきました。
「だい、じょうぶ……です。これくらいなら。すこし休めば……」
「でも」
先輩は心配顔です。
「いえ、白ちゃんがそう言うなら、すこし様子を見ましょう。歩くのも負担ですし」
「そう、だね」
白ちゃんはゆっくりと、地面に腰を下ろします。草に覆われていて、土が剥き出しになっていないのが不幸中の幸いでしょうか。
「ちょっと、はしゃぎすぎたかな」
涙未ちゃんもしょんぼりと、呟きました。
「ごめん、僕が外に行こうって言ったから」
先輩の言葉に対し、白ちゃんがゆるゆると首を振ります。
「先輩は……悪くないです」
「白ちゃん」
彼女の言うとおり、先ほどよりはすこし、顔色がよくなっていました。
「私、楽しかったですから……私は、大丈夫です、これくらいなら」
ねこのシロが寄って来て、白ちゃんの隣で丸くなりました。
白ちゃんは微笑んで、シロの頭を撫でます。
撫でる余裕があるくらいなのだから、本当に大丈夫なんでしょう。
わたしはほっと、胸をなでおろしました。……まだすこし、顔色は悪いですけども。
「今度から、もう少し気をつけるようにするよ」
先輩はそう言って、白ちゃんの前にしゃがみました。目線の高さを合わせるように。
「私のほうこそ、ごめんなさい……せっかく楽しかったのに」
「気にしないで。衣花さんが楽しかったなら、良かったよ」
白ちゃんはこくこくと、頷きます。
(もみじ)
つんつんと、涙未ちゃんが小声でわたしを突付いてきました。
(なんです?)
つられてわたしも小声です。
(今がチャンス。二人っきりにしてあげようよ)
(なるほど)涙未ちゃんにしては、ナイスアイデアです。
(では、そろそろと)
そうしてわたしたちは、こっそりとその場を後にしました。いい加減白ちゃんも慣れてるでしょうし、二人きりになる時間があってもいい頃でしょう。それに、今は若干弱っていますから、わたしたちを気にする余裕はないわけです。体調のことは心配ですが、先輩がいれば大丈夫でしょう。
怪我の功名、と言っておきましょう。
校舎裏から出て、わたしたちは保健室への道を歩きます。
「あー、これで仲良くなれたらいいね」
「そうですね。なれますよきっと。看病なんて、近付くいいきっかけじゃないですか」
「体調崩したのがきっかけっていうのも、ちょっと微妙な気もするけど」
「いいんですよ。それくらい良いことあったって、いいじゃないですか」
「そっか。それもそうだね」
ハンデ背負ってるんですから、たまに良いことなかったら不平等です。
「――あっ」
涙未ちゃんが、とつぜん小さく声をあげて、一瞬立ち止まりました。
わたしも同じように、声をあげそうになりました。
わたしたちの前方に、ひとりの女子がいます。
微妙な茶髪に、健康的な小麦色の肌。視線に気付いたのか、わたしたちをすこし、訝しげに見ていました。
月島沙耶子さん。
白ちゃんの恋敵。
何だか水を差された気分になったわたしは、俯き加減で、ついと目を逸らしました。
彼女は、こちらに向かっています。すれ違う瞬間もちょっとこちらを気にしていたようでしたが、けっきょくは何も言わずに通り過ぎて行きました。
「……はあ。何だか、へんに意識しちゃうね」
「そうですね……」
べつに彼女の何がどうというわけでもないんですけど、そもそも彼女の纏ってる雰囲気が苦手なのと、白ちゃんのことが重なって、どうも避けてしまいます。
「――っていうか」
涙未ちゃんがきゅうに、後ろを振り向きました。
わたしも振り返ります。月島さんは、わたしたちに見られていることも気付かず、歩き続けています。
わたしたちがやって来た方向に。
つまり、校舎裏の方向に。
「もしかしてさ」涙未ちゃんが、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた気がしました。「あのひと、先輩探してるのかな」
そうかもしれません。いや、きっとそうでしょう。
でなかったら、わざわざ校舎裏なんて、へんぴな場所に行くわけないです。
「どうしよう」
「……戻りましょう」
月島さんが、白ちゃんたちと会わない可能性もあります。けど、もし会ってしまったら……いや、だとしても、わたしたちには何もできないかもしれませんけど。それでも、行かなければならないような、そんな気がしました。
白ちゃんが心配です。
わたしたちがシロと戯れていた場所へ戻ると、果たして、月島さんの後ろ姿が見えました。その向うに、並んで座る先輩と白ちゃんがいて、月島さんを見上げています。
その三人が一斉にわたしたちを見たので、ちょっとたじろぎました。
場は、ちょっとした緊張感に包まれていました。
たぶん気のせいじゃないと思います。振り向いた月島さんの顔は、結構険しかったですから。
先輩は、すこし済まなそうな顔。
白ちゃんは、何が起こっているのかよくわかっていないような、困惑顔でした。彼女は月島さんが自分の恋敵だということを知らないのです。
これは、もしや、修羅場でしょうか?
でも、予想に反して、そうはなりませんでした。
少なくとも、表面上は。
月島さんはすばやく二度、先輩、白ちゃん、わたし、涙未ちゃんの顔を見渡すと、さっと踵を返してその場から去っていきました。
何も言わずに。
「白ちゃん、大丈夫ですか?」
「えっ? ……うん、もう体調はすっかり治ったよ」
事情のいまいち飲み込めていない白ちゃんは、すこしずれた答えを返します。
「何も言われませんでした?」
「月島さんのことなら、何も。さくらちゃんたちとほとんど同時だったから」
「そうですか」
正直、すこし意外でした。
彼女なら、もうすこし攻撃的なかんじになるのかと思っていました。文句言ったりとか。
「何か、あったの? 月島さんと」
「いえ。何にもないですよ? 気にしないでください」
「なら、いいんだけど……」
月島さんがすぐに戻っていったのは、確かに予想外でした。
でも、もっと意外だったのは、去り際ちらっと見えた、月島さんの表情です。
てっきり怒るのかと、思ってましたけど。
まさかあんなに――哀しそうな顔をするなんて。
「それじゃ、戻りましょう?」
「うん」
まだすこし不思議そうな顔をしている白ちゃんの手を引いて、わたしは保健室へ歩き出しました。
わずかに、胸騒ぎがします。
さっきのことで、何かもっとよくないことが起こるような気が、していました。
――そういう予感に限って、当たるものなのは、どうしてなんでしょうね。
+ + +
体操服のみんなが元気に歓声をあげ、体育館の中を縦横に駆け回っています。
体育の時間。
わたしと白ちゃんは、そんな喧騒を、端っこに座って眺めています。
「ねこのシロ、かわいかったよね」
「そうですね、今度保健室に来たときのために、ねこじゃらしを用意しときましょうか」
「うんそうだね、そうしよう」
基本的に、見学です。
白ちゃんが隣の組でよかったと思います。体育の授業は数クラス合同で行われますが、白ちゃんがもし四組とか五組だったら一緒になれませんからね。ちなみにわたしは一組で白ちゃんは二組です。
白ちゃんがいるから、一時間も退屈しないで済むわけです。
「うわーすごい、めちゃくちゃ跳んでるよっ」
「リアルダンク……。女の子なのに」
ここ数回の体育は、バスケットボールです。いちおうチーム組んで試合ということになってるのですが、みんなあんまり聞いてません。ちゃんとやってるひともいますけど、端っこに固まって適当にパスしたりシュートしたり、座り込んでお喋りしてるひとたちもいます。
「……む」
そんな集団のうち、ひとつがあやしげな動きを見せています。
「あ、あぶない」
何を思ったのか、ひとりの女子がバスケのゴールによじ登っています。回りを数人の女子が囲っていて、ふざけ半分にボールを投げたりしていました。上の女子も、ときどき下に向かって手を振ったり声を返したりしているので、いじめとかではない様子。罰ゲームでもしてるんでしょうか。
「ていうか……」上のひと、月島さんじゃないですか。
白ちゃんはそれに気付いているのかどうか、あ、あぶない、とか小声ではらはらしている様子。わたしは何だか微妙な気分になります。放っておけばいいのに、とか。
そのとき、てん、てん、てんてんてん……、と、バスケットボールがわたしたちの目の前を転がって、開きっぱなしだった体育館の扉から外へと出ていきました。
「あーもうっめんどくさいなーっ」
ボールが転がってきた先から、どうやら受け損ねてしまったらしいクラスの子が、大声でぐちりながら歩いてきます。
「あ、いいですよ、わたしが取ってきますからー」
ちょっと気分転換したくなったのと、どうせろくにすることもない気安さから、わたしはそんなことを言いました。
「あ、ほんとに? ありがとう葉 桜!」
感謝の言葉に、軽く手を振って答えるわたしです。
「というわけなので、ちょっと行ってきますね?」
「うん」
そう言って、わたしは外に出ました。
白ちゃんをひとりにするのは、わずかな間とはいえ、ちょっと忍びない気もします。涙未ちゃんが居てくれればいいんですけど、運動ギライなので体育の時間は百パーセント学校にいないか保健室で睡眠です。健康なので、見学してると怒られるのです。かわいそうな涙未ちゃん。
っていうかボールはどこまで飛んでったんでしょうね。なぜか無駄によく転がりますからね、外に出てったボールって。それで茂みの中とかに好んでダイブするわけです。人間には見えづらいところに。まこと憎々しいやつばらです。
なんて、すごくどうでもいいことを考えながら、ボールを捜し歩きます。まじ見つかりません。
見捨てられた水道の影にそやつを発見したときには、もう十分くらいも経っていたでしょうか。めちゃくちゃ遥かなところまで転がってますし……。
「はあ」
思わずため息も出るとゆうものです。とっとと戻りましょう。
白ちゃんお待たせー、と心の中で呟きながら体育館の入口まで戻って来たわたしは、目に飛び込んできた光景に足を止めました。反射的に、物陰に隠れて様子を伺ってしまいます。
二人の女のこが、体育館の外で話しています。
一人は白ちゃん、そして白ちゃんの前にもう一人が立っていて、彼女をじっと見つめていました。
ただならぬ雰囲気。わたしの背筋が、ひやっと粟立ちました。
それは、月島さんでした。