第五話
「あの、先輩、お願いがあるんですけど」
「うん?」
「ときどきでもいいので、ここに――保健室に、来てもらえませんか?」
そう、今はまさに、チャンスなのです。
せっかく保健室に連れてくることができたのですから、これからも継続的に来てもらうようにしないなんてありえません!
「あっ、そうだね、それ、いいね」涙未ちゃんが同意してくれます。
ついでだから一咲ちゃんにも応援して欲しかったのですが、彼女は残念ながら、無言。
先輩は一瞬だけ怪訝そうな表情になったものの、わたしたちの目をちょっとだけ見て、何か理解したような雰囲気を醸しました。
「うん、分かった。あんまりしょっちゅうは来れないかもしれないけど、できるだけ」
おお。
断られたらどうしようと内心どきどきしていたわたしは、ほっと息を吐きました。
うふふん、やりましたよ。これで先輩が、ここに来てくれます。
白ちゃんの喜ぶ顔が、目に浮かびます。
あの、甘くて儚い、砂糖菓子のような笑顔が。
「いえーい」
先輩が去った後、わたしと涙未ちゃんは、この度の成功を祝ってゆるゆるとハイタッチ。普通にやると痛いので、わたしたちのは控えめです。
「やったねえ、もみじ」
「これも涙未ちゃんが、意味のわからない理由で校内を徘徊してくれたお陰ですよ」
「いや、ぼくだけじゃ話しかけられずに終わってた。もみじがいてくれたお陰だよ」
「いやいや、涙未ちゃんがいなかったらわたしも勢い足りず、無理でしたよ」
「あーいやいやいや、やっぱりもみじが」
「いえいえ、涙未ちゃんが」
「もみじが」
「涙未ちゃんですよ!」
「もみじだよ!」
「何言ってるんですか! 涙未ちゃんがラチカンキンとか言い出したのが原因でしょう!しかも肝心なところでへたれてわたしに頼った癖に!」
「なっ、何おう! せっかくぼくが椅子に縛り付けてゴーモンしようとしてたのに、もみじが口出すから普通に聞くだけになっちゃったんじゃないか!」
「変態ですっ、変態プレイです! 謝りなさい、先輩に謝りなさい!」
「なんでやってないのに謝らなくちゃいけないんだ!」
「あなたの頭の中で大変なことになった先輩に謝りなさい!」
「いいじゃないか! 考えるだけなら犯罪じゃないんだから」
「……まあ、それはそうですね」
「でしょ?」
「そういえばわたしもときどき、おかしなことを考えることはありました」
「そうそう。誰にでもあるもんだよ」
「そうですね、問題ないですね」
何の話しか分からなくなってきたので、適当に切り上げます。
わたしはベッドに寝っ転がりました。ともかく、ちょっと気分いいです。こういうときは、お腹の調子もたいへんよろしい。
「よくやる……」
一咲ちゃんの呆れた声も、気になりません。結果オーライですから。
「あんなこと聞いて。先輩もいい迷惑だったんじゃない?」
「それは、そうかもしれませんけど。でも白ちゃんのためです」
「そうだよ。白たんのコイが、これで進展するんだから!」
「それは……そうかも、しれないけど」
どこか引っかかりのある顔です。まじめですねえ……。
「ところで、もう薬棚の整理は終わったんですか?」
先輩とわたしたちが話してる間、彼女、特に何も作業してませんでした。
「え? うん」
「まだここに用が?」
ついと彼女は顔を逸らして、すこしちいさく、呟きます。
「……用というか。待ってたのよ」
「え、わたしたちを?」
「……いえ。あなたたちじゃなくて。先生を」
「ああ、そういうことですか。ご苦労様です」
「別に」
おや。ちょっと皮肉に聞こえてしまいましたかね。
「気持ちは分からないでも、ないけど。あんまり人に迷惑、かけすぎないほうがいいと思う」
「分かってますよ。あんまり調子に乗りすぎないよう、気をつけますから」
でも、白ちゃんのことですから、なりふり構っていられないこともあるのですよ。呆れられても、白ちゃんのためになるなら、べつに構わないです、わたしは。
+ + +
ちょっと早めに帰りのホームルームが終わったわたしは、保健室に向かっています。
先輩に保健室に来てくれるようお願いしてから、二日経ちました。先輩はまだ来てくれません。白ちゃんは昨日も今日も学校に来ていますし、もう早く来てくださいという感じなのですが。
まあ、生徒会の会議とか、あるのかもしれませんし……正直何やってるのかわかりませんが、生徒会って……でも月島さんと話してる暇があるくらいなんですから、保健室に来る余裕がないわけはない、はずです。
ぐるぐる考え、はあとため息をつきながら、外を見ます。
今日も青空。こんな日に白ちゃんの喜ぶ顔が見れたら、素敵なのになあ。
とか思っているうちに、保健室に到着。
「こんにちは」
「よう、ハザ」
浅川先生が椅子に座って足を組み、コーヒーなど飲んでいます。おいしそう。オトナの味でしょうか。
「なんか、今日は顔色いいね?」
「ええ、最近ちょっとやり遂げたって感じでして」
「ほう、何を」
「それは、秘密です」無駄に意味ありげに笑う、わたしです。
まあ、別にやり遂げてもいないんですが……先輩まだ来てくれてないですし。でも呼べたことじたいに妙な達成感を覚えたのは事実です。
ベッドのカーテンをめくると、いつものように涙未ちゃんがすやすやと、ねこのように体を丸めて寝ています。枕元に置かれためがね。素顔の寝顔。
わたしはすこしの間、彼女の顔を見つめました。
寝顔はかわいいんですよね、このひと。
そのせいか意外と男子に人気があります。寝すぎなところが萌え系らしいです。謎。だめな子ほどかわいいという理屈でしょうか。当の本人は男子苦手なのに、皮肉なことです。
ともかく、わたしが寝られません。
今日も突き落とそうとしてやりましょうか。……でも、あんまり毎回でもかわいそうかも。
仕方がないので、わたしは涙未ちゃんの隣にもぐりこみました。
狭い。でも保健室ベッドは比較的でっかいので、無理なほどではないです。タオルケットを整え、二人のからだにかかるようにします。はぁ、やっぱり、保健室のベッドは落ち着きます……。
秋のすごしやすい空気とか。
放課後の微妙な解放感とか。
静かな保健室に響く、涙未ちゃんの寝息と先生が書類をめくる音とか。
ときどきここにやって来る、太った白ねこがなーなー言い出すに至って、わたしの意識は急速に眠りへと落ち込んでいきます。この、うとうと感が、最高に気持ちいーです……。
しばらく夢とうつつの境を漂っていると、扉が開く音がしました。
続いて、先生と、女のこの声。
「いらっしゃい。調子はどう?」
「大丈夫です……すいません、いつも」
「いいよ、気にしないで。ゆっくり休んでいって」
「はい」
とてもとても、聞き覚えのある声でした。
カーテンをめくってみれば、果たしてそこにいたのは、一咲ちゃんに寄り添われてすこし儚げに歩いてくる白ちゃんでした。肌は白く、制服に包まれた細い手足は誰かに支えられていなければ自分自身の重みで折れてしまいそう。
もちろん、実際には、そんなことはありませんけど。
「あ、さくらちゃん。こんにちは」
弱々しく微笑んで、挨拶です。
「今日はせかいが明るいね」
確かに天気よくて、きもちいい日です。
「こんにちは。調子、どうですか?」
「うん、いつも通りだよ」
一咲ちゃんにゆるく支えられつつ、白ちゃんはいつものベッドにあがって、タオルケットを羽織りました。
「ありがとう、一咲ちゃん」
白ちゃんのお礼に、声には出さず、首肯だけで返事する一咲ちゃん。すこしはにこりとすればかわいげが出ると思うんですけどもね。余計なお世話と言われるでしょうが。
白ちゃんと、わたしと、涙未ちゃんと、一咲ちゃん。それと先生の計五名が、だいたいいつも保健室にいるメンバーです。わたしは密かに、この集まりを保健室部と呼んでいます。顧問はいますが、でも生徒数が五名を割っているので保健室同好会というべきかもしれません。
合ってるような、間違ってるような。まあいずれにしても、活動内容が謎過ぎますが。
白ちゃんは、こんこんとたまに咳をしつつ、ベッドに横たわってぼうっとなります。
「最近はちょっと、日によって気温の落差が激しくていやですね」
「そうだね……夜寝るときなんか、とくに気を遣うよね」
「うん、夜暑くて朝寒かったりすると、危険ですね。うっかり布団剥いで寝ちゃった日にはもう、一発でアウトですよ」
「実はこのあいだ、その罠にはまっちゃって」
「ああ、そうだったんですか。それでお休みを」
「うん。私、ちょっと寝相悪いみたいで」
「保健室だと、そうでもなかった気もしますけれど」
「家と学校だと、ちょっと違うみたい」
寝る場所によって寝相が違うですか。まあ、落ち着く場所で眠ってるときのほうが、からだがよく動くのかもしれません。わたしとしても、学校のトイレと家のトイレではずいぶん勝手が違いますし。
「お互い気をつけましょうね……」
「うん」
病弱トークで、わたしたちの絆は深まります。
「この季節は、普通の人でも体調崩しやすいからねえ」
浅川先生が話に加わってきました。
「まあ、きみらは年季入ってるみたいだから、ある程度は大丈夫だと思うんだけど。体調崩しやすいと、普段から気をつけるからね……どっちかというと、そこで寝こけてる相坂のほうが、あたしなんかは心配だよ」
横向きに寝てるせいでよだれ垂れ流しの涙未ちゃんは、何にもかけないで眠っています。今はいい気候なので問題ないでしょうけども、わたしや白ちゃんだったら怖くてちょっと、できないですね。
「まあ、涙未ちゃんは風邪ひかないですよ、きっと」
「どういう意味だい、それ」先生、苦笑い。べつにナントカは風邪引かないって言いたかったわけでは。
白ちゃんはちょっと首をかしげてます。意味がよくわかっていないようです。そのほうがいいかもしれませんけども。
「元気が一番だよね……」
実感のこもった、呟きです。安らかに寝ている涙未ちゃんを、白ちゃんは何か眩しいものを見るような、うらやむような視線でみています。
気持ちは、わからないでもないです……というか、元気が一番だというのは諸手を挙げて同意するんですが、涙未ちゃんみたいに寝てばっかりというのはいかがなものかと思います。
「でも心配だから、ちゃんとタオルケット、かけてあげようよ」
白ちゃんは優しいですね。
そう言われたら、わたしとしては従わざるを得ません。……とゆうか、元々わたしが奪ったんですけどね。タオルケット。
すると、
「うにゅ」
へんな声を出して、涙未ちゃんが目覚めました。
「……呼んだ?」
「呼んでないです」
「そっふぁああああああ」途中から巨大なあくびに吸収されました。
「……夢と現実が、ごっちゃになってるんじゃないですか?」
「うーん……そうかも」ぼけっと、自らが作り出したよだれの染みを見詰める涙未ちゃん。
「どんな夢を?」
「えっとね……」よだれ放置ですか。
「なんか、川があって」
「ええ」
「お婆ちゃんが、向こう岸からぼくを呼んでた」
三途ドリーム。眠り深すぎですし。
「で、そっち見てたら、後ろから呼ばれたような気がね?」
「はあ……それは、よかったですね」
「あ、信じてないね? 本当のことなのに!」
「はいはい、お花畑が見えたんですよね?」
「誰が電波だ!」
言ってませんし。なんで怒られなきゃならないんですか。まあ白ちゃんが差し出したティッシュを取って口まわりのよだれを拭きながらでは、ぜんぜん全く怖くないんですけどね。
そんなわたしたちを、一咲ちゃんは、ちょっと離れたところに座って見たり。あるいは視線をはずして、外を見たり。彼女はいつも、そんな感じです。白ちゃんを連れてはくるんですが、その後はわたしたちの話しに加わるわけでもなく、帰るでもなく、しばらく保健室に留まります。わたしたちより、先生と話してる時間のほうが長いかもしれません。
さて、そんないつもの保健室風景なのですが、わたしは先輩の件でそわそわしているわけです。
まさか、忘れてるわけじゃ、ないですよね。いやあの先輩に限ってそんな。それとも無自覚なじらし上手なんでしょうか。いい加減にしないと、こっちから乗り込んじゃいますよ。
とか、考えていると――。
がらりと、保健室の扉が、開きました。