第十五話
足りないものが分かったからといって、即完成というわけでもなく。ゆえに今のわたしの頭の中は、白ちゃんの恋文でいっぱいなわけです。
だからなのか。
「……あれ」
次の日の放課後、わたしは気付くとひとけのないところまで歩いてきてしまいました。
「むう」
ちょっと、考えごとに集中しすぎたようです。
今日はこんなことばかりです。朝は教室を通り過ぎましたし、昼休みはトイレで延々過ごしました。とうぜん授業なんかさっぱり覚えてません。むしろ、わたしならこう書きますみたいな仮想恋文を一生懸命したためていました。我ながら笑っちゃいます。誰かに見られたらどうしよう。
とゆうか、ここ、どこでしょう。そう思って、わたしは周りを見回しました。
どうやら、学校の敷地の隅のほう、以前わたしたちがねこのシロと遊んだ場所のようです。
ずいぶんへんなところまで、歩いてきてしまいました……。すぐ保健室に行かねば。
と、わたしは踵を返しかけたのですが、奥からふと人の声が聞こえた気がして、わたしは建物の影から顔を出しました。
月島さんと夕足先輩がいました。
びったーんと音がする勢いで、わたしは顔を引っ込め背中を壁に張りつけます。びっくりしました。無駄に心臓がどきどきしてます。
いや、べつに隠れる必要はないんですけど。どうもこの間の体育のとき以来、月島さんとは顔を合わせづらいです。何か言われそうで。
しかも、今は先輩と一緒ですし……。白ちゃんをあんな目に合わせたひとと、まだ一緒にいるとは。煮え切らないひとです。
当然の流れとして、わたしは影から様子を伺います。
なんだか前にもこんなシチュエーションがありましたね。涙未ちゃんが、先輩が女子と二人っきりで話してるという情報を持ってきたとき。校舎の屋上で。あのときは涙未ちゃんと二人で覗いてましたが、いまは一人。妙な心細さを感じます。
月島さんと先輩は、どうやらねこのシロと遊んでいるようです。なんと、わたしたちと同じことをしているとは。悔しい気分。
先輩め。いつか問い詰めてやろうとわたしは心に誓いました。
さて、わたしがいる位置からはすこし遠いですが、月島さんがどんな表情がしているのかは、よく分かります。
向うは自分たちのことに集中していて、つまり、いわゆる二人の世界というやつで、わたしには全然気付きそうもありません。
そのことに助けられて、わたしはずいぶん長いこと、彼女たちのことを見ていました。
というのも、月島さんの様子が、ずいぶん楽しそうだったからです。
いえ、楽しそうなのは当たり前かもしれません。月島さんも夕足先輩のことがすき。先輩と二人きり、人気のないところで遊んでる。楽しくないといったらうそな状況です。
そう、すこし遠くて表情がよく見えなくてもわかるくらいに、彼女は楽しそうで、幸せなオーラを出しているのです。
似たオーラを、わたしは知っていました。
このところ毎日のように、最近はすこし間が空きましたが、保健室でそんなオーラを出していた女のこをわたしは知っています。
白ちゃん。
いま、月島さんが周囲に振りまいている空気は、白ちゃんと同じでした。
桜色で花の香りがするようなしあわせ気分。いわゆる「恋する乙女」の気配。
だから、わたしは、目が離せなかったのです。
恋敵とは、どういうことか。
それを、わたしは今、ようやく理解した気がしました。月島さんも白ちゃんと同じで、先輩のことが、すきなのです。
あのとき体育館の外で白ちゃんを責めたひとと、今先輩の前で幸せそうにしている女のこは、同じ人物なのです。
わたしたちが必死になっているように、月島さんもまた、必死だったのかも……しれません。
しばらくすると、急に月島さんの様子が変わりました。幸せそうな感じが薄れて、別のものに。
怒ってそうな? それとも、困ってそうな?
どうしたんだろう、と耳をそばだてていると、彼女はひときわ大きな声を出しました。
「だって、あれは、衣花が!」
白ちゃんの話――。
それで分かりました。
前に月島さんが白ちゃんに言ったことについて、先輩は注意してくれているのでしょう。
夕足先輩、煮え切らないばっかりじゃなくて、やることはやってくれますね。すこしだけ見直しましたよ。
月島さんは、顔を赤くして反論している様子。彼女にとってもよほど譲れないことなのか、ずいぶん剣幕です。
でも、やがて、その勢いは萎んでいきました。
先輩が根気よく諭してくれたおかげなのか、彼女はだんだんと言葉少なになり、今はついに黙ってしまいました。
その様子、表情は。
ぐっと両のこぶしを握り締めて、唇を強くかみ、くやしそうな視線は地面に落ちて動きません。もしかしたら、震えているのかもしれません。眉根に深くしわをよせ、じっと、先輩の前に立ち尽くしています。
その頬が、何かすこし違うかんじに赤くなっていき、だんだんと、目元が……。
それを最後まで見届けない内に、わたしはその場を、そっと後にしました。
何だか複雑な気分でした。もしかしたら、見ないほうがよかったかもしれません。
+ + +
「でっ、できたよ!」
「やりましたね!」
「白たん、おつかれさま!」
「……短い」
保健室に、歓声がこだましました。
約一名未だに不満そうなひともいますが、今、ようやく、白ちゃんの恋文が完成したのです。十回を越える改稿をくぐり抜けてきた、歴戦の一筆です。
「あ、ありがとう、みんな、本当に」
いっそ泣きそうなくらい、白い頬を桃色に染めて、白ちゃんは完成した想いの結晶を抱きしめます。
「いえいえ。というか、まだお礼を言うのは早いですよ。先輩に手渡して、無事付き合うことが確定したときが真の勝利!」
「つっ、付き合っ」
目をまんまるにして湯気をふき出す白ちゃんです。
「ね、それ、けっきょくどうなったの?」
涙未ちゃんがそんなことを言いました。彼女は途中から直しに参加しなくなったので、最終形を知らないのです。
「興味あるなあ。見せて!」
でっ、デリカシーのないひとです。いくら最初、白ちゃんのほうから直してと頼んだとはいえ――、
「う、うん。いいよ」
いいんですか。おおらかですね。
「ありがとう!」
涙未ちゃんは嬉しそうに便箋を受け取ると、
「どんな面白文が書いてあるのかなあ」
などと失礼なことを呟きながら、恋文を読み始めました。
◇ ◇ ◇
夕足先輩へ
とつぜんこんなお手紙を出して、驚かれるかもしれません。でも、どうしてもお伝えしたいことがあって、書きました。
初めて先輩と出会ったのは、私が具合を悪くして、廊下で動けなくなってしまったときのことでしたね。
あのときは、助けてくれて、本当にありがとうございました。うれしかったです。私、あんな風に助けられたこと、初めてでしたから。
それからも先輩は、ろくにお礼も言わなかった私に、会うたびきちんと挨拶してくれたり、声をかけてくれました。名前も覚えてもらえて、申し訳ない気持ちになってしまったくらいです。
毎日、先輩のことを考えています。
今何してるんだろうなとか、
休みの日は何してるんだろうとか、
どんな女の子が好みなのかなとか。
先輩のことを考えると、夢の中にいるみたいに体がふわふわして、ぼんやり温かい気持ちが広がります。
私は、先輩のことが好きです。
◇ ◇ ◇
「ふえー……」
そこまで読んだ涙未ちゃんは、微妙に顔を赤くして、へんなため息をつきました。
まあ、そうですよね。恥ずかしくもなりますよね。わたしだってそうですし。
まだ微妙にポエミイな部分が残っていますが、むしろ白ちゃんの独自カラーとして有効に機能している、といいんですが……。
「まさに、ラブレターだね」
「というか、涙未ちゃん。もう一枚あるので、読むならそっちも」
「あ、うん」
そして涙未ちゃんは二枚目を読み始めました。
◇ ◇ ◇
先輩も知っていることだと思いますが、私は体が弱いです。
先輩のことを考えるとき、どうしてもそのことを思い出してしまいます。
最近、先輩は、よく保健室に来てくれていました。
だけど、本当は迷惑なんじゃないかなって思うことがあります。本当は、私のほうから会いにいきたいです。でも、それはできません。
こんな私に好きだと言われても、先輩は困るかもしれません。
でも、私にだって、ひとに負けないことがあります。
それは、楽しいことを、楽しいこととして受け止めることです。
体が弱い私だから、みんながふつうにやっていける楽しいことを、私はあまり経験できませんでした。
だから、みんなにとって平凡で、何でもないことでも、わたしには幸せだと感じられたりします。
みんなが知らないちいさな幸せを、私はたくさん知っている、つもりです。
私は夕足先輩と一緒に、そんな幸せを感じたいです。
だから、こんな私でもよかったら、付き合ってください。
衣花 白
◇ ◇ ◇
これが、白ちゃんの恋文です。
二枚目は最後を除いてあんまり恋文っぽくないかもしれません。でも、必要な一枚だと思います。やっぱり一枚目だけでは、片手落ちというものでしょう。
これが、初めの恋文に足りなかったもの。
二枚目には、白ちゃん自身の、けして目を逸らしてはいけない大切なことが書いてあるのです。さらに、そのことを逆手に取っていいところをアピール。かんぺきです。
「……」
涙未ちゃんは、言葉もなく便箋を見つめています。読み返しているようです。とくに二枚目を。
その目は、ずいぶん真剣になっていました。
「……うん。いいね、これ」
やがて目を離すと、一言だけ、感想を述べました。白ちゃんは安堵のため息をもらします。
一咲ちゃんは便箋を一瞥し、
「……短い」まだ言いますか。
「いいじゃないですか。長さよりも内容ですよ」
「それは、そうだけど」
「これじゃだめそうですか? 一咲ちゃん的には」
「そんなこと、ないけど」
すこしずるい言い方かもしれませんけどね。だめなんて、口が裂けても言えないでしょうし。でも、そうじゃなくても、だめ出しはしないはずです。
「よしっ」
みんなが見終わったのを確認した白ちゃんは、便箋の封入を始めました。
薄い桃色地に、ちいさな花がたくさん散ったかわいらしい便箋。
その上に整然と並んで先輩の目に触れるのを待つのは、白ちゃんが想いを込めてひとつずつ綴った、手書きの文字たちです。
いま、二枚の便箋が、対となる封筒に収められていきます。
それが終わると、花を象ったシールで、白ちゃんはそっと封をしました。
すると出来上がるのは、正真正銘白ちゃん謹製、伝統的な乙女結晶。
すなわち恋文です。
「あとは、渡すだけですね」
白ちゃんは不安と緊張と期待と決意と……、とにかく色々なものが混じり合った表情で、大切な封筒を抱きしめて、頷きました。
はっきりと、力強く。
+ + +
次の日のこと。
「う、う、う、うっ……」
わたしの目の前には真っ白に塗られた木の扉。
「ううっ」
その場に満ちるのはすこしきつめの、シトラスの香り。
「うーっ!」
足元には清潔感のあるタイルが敷き詰められています。
「……はぁ」
おなかいたいです。
ゆうべの食事が原因です。白ちゃんの恋文完成記念で、調子に乗ってお肉を食べ過ぎました。ちょっとくらい大丈夫だろうと思ったんですけど、やっぱりだめ。この体質が恨めしい。
今日は白ちゃんが先輩に恋文を渡す、大切な日。
なので無理して来ましたが、けっきょく朝からトイレに引きこもりっ放し。もうお昼休みです。保健室登校ならぬトイレ登校。何者ですか。
この学校のトイレはとても素敵なので、助かってますが……。掃除のおばちゃんが潔癖らしく、常に極めて清潔なのです。流石に我が家の城には及ばないものの、十分に及第点と言えるでしょう。まあ、その辺りも含めて学校選びしたんですけども。
進学するときも絶対トイレはきれいなところにしよう、とわたしが決意を新たにしていると、数人の女子が話し声が聞こえてきました。