第十二話
それから二日後。わたしたちは保健室に集まって、作戦会議を開きました。
白ちゃんは未だにお休み。精神ダメージの大きさが伺えます……まあ、無理に来られて余計に体調崩すよりはいいんですけれど。でも、わたしとしてはとても心配ですから、一度くらい顔を見ておきたいという気持ちもあったりします。
ともかく、早く元気になって欲しい。
それがここにいるみんなの、共通の気持ちです。
「で、どうするつもりなの? もみじ」
すこしテンションが高いのか、涙未ちゃんはタオルケットを体に巻きつけて保健室内をうろうろしています。正直子どもっぽい……。そこがかわいいと言えなくも、ないですが。
「こちらを」
涙未ちゃんの様子があやしいのはいつものことなので、わたしはべつだん気にしません。とくに突っ込まず、わたしは今日の本題に入りました。
近くに座る一咲ちゃんの目の前に、一本の瓶をぶらさげます。涙未ちゃんも餌に群がるハムスターのように、駆け寄ってきました。
「なあに、これ?」
その疑問はもっともなことです。何せ、その瓶には、ラベルなど一切ないのですから。
「これはですね」わたしは精一杯もったいつけて答えます。「微妙に体調が悪くなる薬です」
「微妙に体調が」
「悪くなる、薬?」
涙未ちゃんの呟きを一咲ちゃんが引き取るという、漫画やアニメではよく見るけど実際にはかなりありえないことを二人はやってのけました。息のあったコンビネーションです。このひとたち、本当は仲良くなれるんじゃないですかね?
「てゆうか、体調悪くなったらそれ薬って言わなくない?」
「まだ話は終わっていませんよ。それにこういう言葉もあります、『死ねない薬は薬じゃない』」
「ええー……。じゃあ薬飲むのやめようかな……」
あなた何か飲んでたんですか。見たことないですけど……。
「まあ、ふつうは気にすることはないと思いますが……要は、何でも使いようだということです」
「どこからそんな薬を」
一咲ちゃんは、そのビール瓶みたいな中身の見えない入れ物を一生懸命睨みつけながら、ぼそっと呟きました。真剣すぎてすこし怖いくらいです。看護師志望だから、薬マニアだったりもするんでしょうか?
「はい、何を隠そう、浅川先生に作ってもらいました」
「浅川先生が? 体調の悪くなる、薬を?」
一咲ちゃんは、机に座って何やら事務仕事をしている先生を見ながら呟きました。
「てゆうか、せんせ、薬なんか作れるんだ……」
「浅川先生作っていうところがポイントなんですよ。お二人とも、あの方のスキルはご存知でしょう?」
こく、と頷く二人。
その腕、正に適剤適所。先生が選んだ薬を飲めば、どんなに具合が悪くてもたちどころに元気を取り戻すという、生ける都市伝説それが浅川瞳という先生です。
「ひとを治せるということは、すなわち思い通りに具合悪くさせることもできるという理屈です」
「なるほど、それで『微妙に』体調が悪くなるんだね」
「その通り」
「先生が、そんな薬を……? そんな薬、作ってもらえるとは思えない。いくら微妙って言っても」
「はい、そこはですね」
想定内の疑問です。
「これを使って、白ちゃんに元気を取り戻してもらうって言いましたから」
「体調悪くなるのに、元気……?」
涙未ちゃんの頭上にはてなマークが浮かびます。
やがてそれが電球マークに変わりました。
「わかった怪しい薬だ! それを白たんに飲ませて、元気いっぱいだ!」
「違いますし!?」
精力増強剤か何かと勘違いしてるんじゃないですか、このひとは。
「だいたい薬でむりやり元気にしてどうするんですか。何にも解決になってませんてば」
「いや、そういうのが必要なこともあるよ?」
ふいに真顔でそんなこと言われても困ります。
「ま、まあそれはそうかもしれませんけどね」調子狂っちゃいますよ。
「うふふん、でも元気になるけど体調悪くなるってことはアッパー系……?」
と思っていたら何処か別の世界にこんにちはし始めました。なんですかアッパー系って……っていうか話聞いてないですこのひと。
もう怖いので放置です。
「白に飲ませるわけじゃないよね。それで、どうするの?」
一咲ちゃんのまともさが、今は何よりありがたいです。
「これを飲んで体調悪くなってですね、白ちゃんに助けさせるんですよ」
「それが、作戦?」
「はい。そうすれば白ちゃんは、体が弱いがゆえに身に着けることができた自分の優しさを自覚でき、元気になれるというわけです」
「……」
あれ、なんか不発です?
「そんなにうまく行くかな?」
「だめですかね?」
「だめっていうことは、ないけど」そんな不安そうな顔で言われると、自信なくなってきます。
「それで、誰が飲むの? その薬」
「それは、涙未ちゃんしかいないでしょう」
「ぼくなんだ!?」
肝心なところだけちゃんと聞いてるひとですね。
「何を言ってるんですか当然でしょう?」
「当然!?」
「驚くとこじゃないですよ。一咲ちゃんには『介抱するけどうまくいかないひと』の役をやってもらうんですから」
「そんな役が」
「ええ。一咲ちゃんがやってもうまく行かない、だけど白ちゃんがやったらうまく行った!となれば、白ちゃんもずっと元気になれるはずなのです」
「……なるほど」一咲ちゃん、微妙にほっとしてるように見えるのは気のせいでしょうか。
「いや納得しないでよ! ぼくが体調悪くなってもいいの?」
「白ちゃんが元気になれなくてもいいんですか!?」
「逆ギレ!? ねえこれって逆ギレだよね?」
「大丈夫ですよ、浅川せんせが作った薬ですから。ちょこっと頭がぼーっとして悪寒がして、もしかしたら熱が出るかもしれないくらいですから。ええと、マックス七度五分でしたっけ?」
「十分イヤだ!」
「飲みなさい!」
ぐいと薬瓶を涙未ちゃんに突き出します。ひいとお間抜けな声を出し、タオルケットを翻して涙未ちゃんは逃げ出します。追っていったらタオルケットでひっぱたかれました。ぜんぜん痛くはないですけど、なんか子どもに叩かれたみたいで屈辱。
「もみじが飲めばいいじゃないか!」
「わたしが飲んだらだめでしょう」
「なんで?」
「だって、わたし、体弱いですし」
「まあ、……そうだね」
納得しちゃった。
「あれ? リアルにぼくしかいないの!?」
「ようやく自分の置かれた立場が分かってきたようですね。さあ!」
部屋のすみっこに追い詰めてやりました。もうやつに逃げ場はありません。
「ひいーいやだー」
タオルケットかぶってもだめです!
「やっやめてぇ」
「往生なさい!」
「ひっひとでなし!」
「何ですとう! 白ちゃんを見捨てるっていうんですか!」
「それずるい!」
「ずるくても正義!」
タオルケットを引っぺがしては取り返されるという、一進一退の激戦です。
「はあ、はあ」
いつまで経っても勝負がつきません。疲れました。
これ以上やってたらわたしの身が、もちません……。
「かっ、一咲ちゃん、この薄情者に何か言ってやってくださいよ」
一咲ちゃんは無言で、こっちに歩み寄ってきました。
どこか思いつめたような、すこし険しい表情。
「一咲ちゃん?」
「……しが飲む」
「え?」
「それ、私が飲む」
「ええっ」
にょっと手を差しだす一咲ちゃん。予想外の展開です。
「で、でも」
「それ飲めば、白が元気になれるんでしょ?」
い、いつものクールな一咲ちゃんはどこ行っちゃったんでしょう。ついさっきまでまともだと思ったのに、なんか言ってることへんですよ。
「誰かが飲まないといけないなら、私が」
じりじり近寄ってくる一咲ちゃんは、やたらと威圧感があります。
今度はわたしが、部屋の隅っこに追い詰められました。
ぺたんと座り込むと、隣にはタオルケットを頭からかぶった涙未ちゃんが。
「涙未ちゃん、涙未ちゃん」
「な、なに?」
「入れてください!」
返事も聞かず、わたしはタオルケットをめくって中に入り込みました。
「ちょっ狭っ! いきなりどうしたの、もみじ」
「緊急避難です! 一咲ちゃんが壊れました!」
「ええっ!」
もぞもぞごそごそ。暗闇の中で二人、タオルケットの取り合いです。更に外側には、薬を奪い取ろうとする一咲ちゃんの存在。
絶対絶命!?
「さっ、さっちゃんも意外と面白いね!?」
「わたしだってこんなの初めてです!」
いや待ってください。なんでわたし逃げてるんでしょう。べつに一咲ちゃんでもいいはずです。わたしでなければ。
頭は冷静になってしまいましたが、一度始めてしまったものは止められません。なんでこんなことしてるのかも分からないまま、わたしたちは三つ巴の陣取り合戦を繰り広げました。
そんなとき、扉が開くがらがらっとした音が聞こえた気がしました――が、誰だろうとか気にする余裕もありません。というか見られたら恥ずかしいので止めて欲しいんですけど、他の二人はそれすら分からないほどヒートアップしちゃってるんでしょうか?
「白のためなら薬飲んで体壊すくらいなんでもない!」
こんな状況でなければ格好よかったに違いない台詞を叫びながら、一咲ちゃんが一際強くタオルケットを引っ張りました。
するりとわたしたちの手を抜けて、取り払われる掛け布。
開けた視界に移るのは、肩をいからせて立っている一咲ちゃんと――
「……白ちゃん?」
今日は休んでるはずの白ちゃんが、いました。