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第十一話

 さりとて心構えだの気合だので問題解決できるなら、苦労は要りません。とゆうか、もし世界がそんなふうにできてたら、社会なんかとっくに崩壊してますよねきっと。

 わたしだったら、気合で腹痛の治まる世界を望みます。すると腹痛患者を失ったお医者さんが儲からなくなり、失業。その他の病気が治らなくなるので、社会崩壊に至るというわけです。でもそれだと白ちゃんが困るのでやっぱりやめましょうか。

 というか、そんなことはどうでもよいのです。

 わたしは悩んでいるのです。

 ついでに言うと、朝からお腹がごろごろしてます。

 おなかいたいとまでは行かないものの、これは危険な兆候です。いつ奈落の底に向かってまっしぐらに転がり落ちていくか分かったものではありません。いわば峠の途中にたまたまできた、平らな地面にかろうじてしがみついている状態。ちょこっと背中、というよりお腹を押されれば、あっという間に

「やあ、もーみじ」

 どーんと体当たり。前かがみで歩いていたわたしは、バランス崩して廊下に転がりました。

「何するんですかっありえませんしっ」こんなことするのは涙未すけしかいませんしっ。

「ご、ごめん。ちょっとテンション間違った」

 テンションは間違ってもいいから力加減は間違えないで欲しいです。

「というかあなたの場合間違えっぱなしじゃないですか」

「えっ、そう?」

「……」そんなショック受けたような顔されると、逆に申し訳ない気になります。

「まあ――」

 何がしかのフォローをしようとしたわたしの下腹部に、異常事態発生(エマージェンシー)

「……こっ……!」

「もみじ? どしたの?」

 涙未ちゃんが心配そうな声をかけてくれますが、正直、返事する余裕がありません。

 これはっ、直下型ですぅ――――っ!

「ね、ねえ。大丈夫?」

 直下型。

 それは数ある腹痛モードの中でも、最悪の部類に入るひとつです。何が最悪かというと、トイレへの緊急性はトップクラスであるにも関わらず、動くとお腹の痛みが増すのです。

 動けないのです。

 これぞ、まさに地獄の苦しみ。

 しかし地獄に仏と言いますか、痛みには波があるので、引き潮のときにトイレに向けて前進することが可能です。

 わたしはそのときを、じっと待ちます。

「……」来たっ! 今です!

 幸いにしてトイレは割とすぐそこ、この分なら何とか……、

 って、涙未すけ! 何してるですか!

「いや、お腹痛そうだったからさ……」

 なんと涙未すけはわたしの背中をぽんぽん叩き始めたのでした。涙未すけ的にはそれは痛みを和らげる方法なのかもしれませんが、今のわたしには全くもって逆効果。うう、腸が少しうごめいてます……まじ危険ですし……。

 わたしは必死で首を振ります。ほとんど涙目。

「ご、ごめん……」

 涙未すけを視線で退け、わたしは約束の地、すなわちトイレに向けて悲愴な行軍を再開――、

 ぁうっ! 第二波がっ!

 ああっ、この痛みと苦悩のスパイラル。これぞ地獄の苦しみという奴なのですね。もし死後地獄行きが決まったならば、こんな苦しみを永久に味わう羽目になってしまうのです。

 死にたく無い!!

 心の底からそう思います。

 念じます。

 というか、そうやって苦痛から目を背けるのです。

 冷や汗流しつつ、お腹の機嫌をとりながら、ゆっくり確実にトイレに近付きます。第三波をやり過ごした後、ようやくわたしはトイレ領域に進入することが出来ました。

 あとは個室に入るだけ、なのですが。

 問題は、デフォルト状態では個室の扉は閉まっている、ということです。

 無論鍵などかかっているわけではないですし、ノブを回す必要もありません。学校のトイレはそんなに複雑な構造になってません。

 だがっ、しかし!

 今のわたしにとっては、手を伸ばし扉を引く、たったそれだけの行動が致命傷となり得るのです! 筋肉のわずかに余分な動きでさえ、お腹に伝わればカタストロフィを引き起こす恐れがあります。確率は低くても、それは絶対に避けなければならない結末。

 となれば……。

「……、」

 わたしは後ろで心配そうな顔をしている涙未すけを見ました。いや、見たというか、わずかに頭を傾けました。

「ど、どうしたのもみじ」

 くいくいと頭を動かして、トイレの扉を示します。

「お、お腹いたいの?」

 ちがーっ! いやさすらなくていい、いいですから! 力強すぎですし!

「え、違うの?」

 さっぱり伝わりません。わたしは首を振り、そしてまたトイレの扉を開けてくださいと、無言のサインを送りました。

「も、もみじ、何が言いたいのか分からないよ!」

 涙未すけはじだんだ踏んで訴えます。なんであなたが泣きそうなんですか。泣きたいのはこっちですし!?

 涙未すけ使えませんです! ああもうっ、こうなったら電波の力で扉を開けるしか!?

 いい加減第五波を数え、錯乱気味の思考の中、かろうじてわたしは扉を開けることが出来ました。正直、波の数が二ケタに達すると超レッドゾーンなのですが、今回は何とかなりそうです。

 そしてわたしの目の前に現れる約束の地、苦しい旅の終着点。

 しかし!

 実はこの瞬間こそが、最も気を引き締めるべき真のクライマックスなのです!

 その ラスボス の名前は、気の緩み。

 何故かは分かりませんが、ゴールを目前にすると、いつもお腹が急に元気になるのです。本当に気の緩みによるのかは定かではありませんが、とりあえずそれ以外に考えられないのでそういうことにしています。

 ここが正念場。こんなところで決壊してしまっては、悔やんでも悔やみ切れません。

 というか、わたしが死にます。社会的に。

 まあ、これについてはもう慣れたもの。こやつの真価は不意打ちによって発揮されますが、わたしに油断はありません。気の緩みなんかにはやられませんよ。へへん。

(きゅー、きゅーっ)

 油断を封印するひみつの呪文を心中で叫びながら、わたしは最後の一動作を完了します。

 ――そんなわけで、ようやくのこと、わたしは無事にゴールに辿り着けたのでした。

「もみじ、大丈夫?」

 涙未ちゃんが遠慮がちに扉をこんこん叩きます。

「大丈夫ですよ」

 ようやく、返事することができました。



「もう、あのときにお腹叩かれたら危険なんですからね!」

「ご、ごめん。よくわかんなくてさ」

 平謝りの涙未ちゃんです。へへーとかって平伏しそうな勢い。いっそへんな気分になりそうなくらいかしこまっちゃって……。

「大体あなたには、相手への思いやりというものが足りないのです」

「はいぃ」

「道端のひとにいきなり体当たりしちゃいけませんて、先生に言われたでしょう!」

「言われてないけど」

「口応えしない!」

「ひぃっごめんなさい!」

 別に何もしてないのに、叩かれそうになった子どもみたいなリアクションの涙未ちゃん。

「まったく、これがもし白ちゃんならば……」

 わたしは、すこし前に廊下で白ちゃんに助けられ、保健室まで連れて行ってもらったときのことを思い出しました。あのときの白ちゃんは気遣いに満ち、涙未すけのようにわたしのおなかをテンパらせるなどまったくあり得ませんでした。

 そうです、白ちゃんならば……、

 白ちゃんならば?

「もみじ?」

 白ちゃんならば、もっと労わりある扱いをしてくれます。

 わたしは、そう言おうとしていたのでした。

「もみじってば?」

 何故、白ちゃんなら労われるのか?

 それは、白ちゃんがわたしと同じだから。

 わたしと同じで、体が弱いから。苦しいときのことがよく分かっているから。

 他人の痛みを、分かってあげられるから。

「そうです!」

「うわっ!」

 体が弱いから……優しくなれる!

 わたしは目をぱちくりさせる涙未ちゃんの手を取って、ぶんぶん振り回しました。

「白ちゃんのいいところ、あるじゃないですか!」

 ばかですね、わたしは。

 そんなこと、ずっと前から分かっていたことじゃないですか。白ちゃんは、困っているひとに共感できる。宝物みたいな、優しさを持っている。

 それは本当は、体が強いとか弱いとかとは関係ない、白ちゃん自身のいいところであるはずです。優しいこと、それじたいが大切なのであって、理由などは重要じゃないのです。

 だとしても。

 やっぱり今だけは、理屈が必要なんだと思います。

 白ちゃんが自信を失くして、落ち込んでしまっている今は。

 白ちゃん自身に、自分のいいところを、思い出してもらうために。

 体が弱いから白ちゃんはこんなにいい子になれたんですよと、励ます材料になってもらいましょう。

「い、いたいよもみじ!」

 気付けばわたしは、ずいぶん強い力で涙未ちゃんの手を握りこんでいました。わたし自身の腕も、ちょっと痛いです。

 わたしは、でも、腕を放さず、涙未ちゃんに顔を近づけてにやりと笑ってあげました。

「ふ、不敵だね?」

「うふふ。そうですよ」

「白たんのこと、何とかなりそ?」

「ええ。でも、涙未ちゃんにも手伝ってもらいますよ?」

「え、ぼくにも?」

 目をぱちくりさせる涙未ちゃんですが、その口元は何かを期待するように、緩んでいます。企みの香りを敏感に察知してか、それとも白ちゃんを一緒に助けられる興奮のためか。たぶん両方でしょうけども。

 そう、理屈は必要ですけど、でもやっぱりそれだけじゃ弱いので。

 実践によって、白ちゃんには理解してもらう必要があるでしょう。

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