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第10片 今を縛る昔

昔々、冥界というところに、幼い王子様が住んでいました。

王子様はとても強い王様の息子として生まれたので、周りの人たちから無条件に崇拝され、甘やかされて育ちました。

そう、いわゆる世間知らずというやつだったのです。

王子様には、幼いなりに立派な角と尖った耳がありました。

鬼である以上誰しもが必ず持っているものでしたが、王子様の姿は一際目を引く美しさでした。

甘やかされているとはいえ、支配者の息子の責任は重いもの。

王子様は、将来は王様の仕事を継がなければならないと決まっていました。

しかし楽観的な王子様、王様に憧れる子どもにとっては、その責任すらも誇らしいもののように感じられました。

王子様は来る日も来る日も鍛練を積み、肉体に磨きをかけました。

満たされた生活――それでも生きていく限り欲は生まれます。

何不自由ないはずの王子様にも、足りないものはありました。

視察に行くとき、同年代の鬼と関わるとき、それはいつも彼らだけが持っているものでした。

――友達。

王子様は思いました。

友達が欲しい。

使用人たちに相談すると、皆王子様のことを可笑しそうに笑うのでした。

「あらまあ、変なことを仰るのですね」

「心配ありません。坊ちゃんには私どもが付いておりますわ」

王子様の周りにいたのは歳上の大人ばかりでした。

彼らは雇われているに過ぎませんから、王子様に辛辣な言葉を浴びせる権利はありません。

そんなことをしたらクビですからね。

彼らの言葉は、真実ではありませんでした。

彼らの笑顔は、真実ではありませんでした。

王子様はまた思います。

真実を与えてくれる存在はどこにいるのだろう。

屋敷を抜け出し、やみくもにそこらを駆け回った末に――それは見つかりました。

「殺さないで」

王子様と同じくらいの歳の、剥き出しの骨格を持つ少年がいました。

足首に絡みついた鎖。

子鹿のような頭部に、人間の胴体、爬虫類のような尻尾。

強さの象徴であるはずの角はみすぼらしく、皮肉にも弱さの象徴として頭骨の両隅にありました。

王子様は聞きます。

「お前、死神だろう?」

少年は頷きました。

間違いありません、髑髏型の死神です。

当時、被差別種族である死神と親しい間柄になることは禁止されていました。

しかしガタガタと震える髑髏の少年を見て、王子様は自分の心が大きく動くのを感じました。

だって、その怯えた態度こそが、王子様の望んでいた真実に近いものだったから。

「お前、俺のことをどう思う?」

「ぼくは……あなたが怖くてたまらない」

少年は嘘偽りない恐怖を、まっすぐ王子様に向けてくれました。

本来眼球のあるはずの場所はぽっかりと黒い空洞が空き、その向こうには恐ろしげに震える幽かな光が見えます。

あれが少年の瞳なのかもしれないと、王子様は思いました。

「殺さねえよ。友達になってほしい」

差し出した手を、五本の細い骨がおそるおそる掴んでくれました。

こうして二人は友達になったのです。



この日を境に、王子様は頻繁に屋敷を抜け出して少年に会うようになりました。

少年を呼び出すのはいつも王子様の都合で、王子様は少年とあちらこちらへ遊びに行きました。

危険な場所や人気のない場所に行くことが多かったけれども、少年は一生懸命についてきてくれました。

王子様は初めてできた友達の存在にすっかり舞い上がっていました。

「なあ、お前の名前は?」

「名前……ぼくは奴隷だから、そんなものはないよ」

「ふうん。じゃあ俺がつけてやるよ」

王子様は少し考えて、にっこり笑いました。

「お前は今日から『ハデス』だ。強そうだろ?」

ハデスと名付けられた少年は「はい」と頷いて、少しだけ笑いました。



実のところ、王子様は何もわかっていなかったのです。

支配者の家にとっては冥界全土が庭同然であるということも、奴隷にとって支配者が、支配者にとって奴隷が、それぞれどんな存在かも、何もわかっていませんでした。

以降、王子様が少年と会うことはありませんでした。

髑髏型の奴隷の一人が死んだらしいと、風の便りで聞きました。

悲しみに暮れる王子様に、王様は一言、「お前が秩序を乱すことはあってはならない」とだけ言って王子様の頭を撫でてくれました。

王子様は幼いながらに、王様が少年を殺したんだと悟りました。



長い年月が流れ、王子様はいつしか成人男性の姿へと成長しました。

角は太く大きく伸びて、切れ長の目はぎらぎらと赤く燃えています。

長年鍛練を怠らなかったため、彫刻の美しい凹凸を象る肉体は見るものすべてを魅了するほどになりました。

もちろん、見せかけだけではありません。

王子様にたった一本金棒を持たせるだけで、敵う者はいないとまで言われるほどの強さを誇り、その様はまさに「鬼に金棒」といった具合でした。

しかし王子様にはたった一つ、敵わないものがありました。

父親である王様です。

王様は強く、それでいて優しい人でした。

王子様の心の中には、早く王様になりたい気持ちと、父親にずっと王様でいてほしい気持ちが混在していました。

自分が王様になるためには、父親に王位を退かせなければならないからです。

そう呟くと、王様は苦笑して大きな王子様の頭を撫でました。

「お前はいつも通りでいい。ゆっくり大人になればいいよ」



しかし、ある日を境に王子様はいつも通りの自分を保てなくなりました。

革命が起こったのです。

発端はエネルギー革命を提案する論文で、何とそれは鬼の書いたものでした。

まるで王様に不満でもあるかのようだ、と王子様は憤りました。

王様は険しい顔をして執務室に引きこもり、ちっとも出てきません。

三日目の今日、王子様は心配になり、ついに執務室の扉をこじ開けました。

「父上」

視界に映ったのは、突如部屋を赤く染めて吹き上がる液体でした。

生暖かいそれが王子様にも降り注ぎます。

王様の血でした。

王様の巨体が床に倒れ込むと、その向こう側に人影が見えました。

大鎌を携えた、髑髏型の死神の姿です。

何種類もの動物を混ぜこぜにしたような骨格と、目の中に灯る火には見覚えがありました。

「……ハデス、お前は死んだはずじゃ」

「君といると殺される――私は怖かった、だから逃げたよ」

「どうやって……」

「殺された子には可哀想なことをした。彼は僕とはほとんど関わりのない、僕によく似た別人だよ」

懐かしむように呟くと、ハデスは足元に転がる王様の首を見つめました。

思わず、王子様はハデスに詰め寄ります。

「どうして、父上にこんなこと……!」

ハデスは少し考えてから、顎を動かして口を開きました。

「あれだけ私たちを差別していたからなあ、殺されて当然じゃないのか。それに……やはり怖いじゃないか。支配者ってものは」

ハデスの目の奥で火が揺れています。

まるで笑っているかのように、ちろちろと小刻みに震える光を見て、王子様は気づきました。

彼は幼い頃から怖がりで、自分に初めて真っ直ぐな恐怖を与えてくれた恩人でした。

彼の感情には嘘や偽りがありません。

その本質は成長した今でも変わっていませんでした。

その笑みは、恐怖の対象を排除できたという喜びから来るものだったのです。

王様が亡くなったので、王子様は王様になりました。

そして新しい王様は、父親を殺したハデスに復讐することを誓いました。

こうして、鬼と死神の約一年にわたる戦争が始まりましたとさ――。



幼い頃、手に握っていたのは柔らかなおもちゃではなかった。

固くて冷たい、ずっしりと重い鉄のぼんぼり。

ねえ、アタシはこれで何をすればいいの――大きな背中を見上げて問いかける。

ガチャガチャと金属が擦れる音を立てて、彼は振り向いた。

「殺せ」

その一言が、抵抗なく心に入り込んできた。

懸命にぼんぼりを振るって骨を砕き、肉を潰すと、彼は頷いた。

たくさん殺せば殺すほど、美味しい食事が腹いっぱいに与えられた。

死神を大勢殺せること。

それがアタシの価値、たった一つの存在意義。

靄の中から意識が浮上する。

梵火里(ぼんぼり)はゆっくりと目を開いて、赤い瞳で辺りをぐるりと見回した。

全くもってひどい負け方をした。

腕を失い、ご丁寧に腹に風穴を開けられた。

生きているのが不思議なくらいだ。

「やめとけって言っただろ」

傍らから声が降ってくる。

見上げると、異様な姿の男が優しげな微笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

顔の半分は鉄板同士を打ち付けて頭の形に変形させたような、明らかに金属特有の質感を持っている。

しかしもう片方には端整な顔だちが残されており、立派な角と尖った耳が備わっている。

装甲のような金属製のボディーは顔だけでなく、着物の下、首や腕にも見受けられた。

男は梵火里の視線に気づくと、苦笑してから彼女の腕を撫で、手を握った。

違和感があった。

そこに腕があるはずがない。

双子の片割れに切り落とされたはずの左腕。

そこには男と同じ、鉄板を継ぎ接ぎして作られた金属の腕が接続されていた。

「大丈夫だ、一ヶ月もあれば言うことを聞いてくれるさ。お前が頑張り屋なのは知ってるからなあ」

「……アタシは頑張り屋なんかじゃ、」

「見えない努力みたいなほうが好きか。すまんすまん」

男は軽く謝罪をしてから、真っ直ぐに梵火里の瞳を見つめた。

「生きていてくれて良かった」

「……ごめんなさい」

対する梵火里の謝罪は心の籠ったものであった。

彼の命令に背いただけでなく、惨敗し、挙げ句の果てに彼自身の手を煩わせて生還するとは。

梵火里は大いに自分の至らなさを恥じた。

革命軍DWIB――この集団に属する者にまともな者はいないが、そんなならず者たちも唯一、この男だけには頭が上がらない。

日々迫害される鬼という種族に残された、かつての栄光の象徴。

自らの半身を犠牲にして、ハデスに最後まで食らいついたこの男。

彼の名は閻魔(えんま)――先代の冥王であり、革命軍DWIBの頭領でもある。

「そうだ。梵火里、リハビリが終わったら一つ仕事を頼みたい」

「ええ、何なりと」

閻魔は考え込むように顎に手を当て、話を続ける。

「知っているかもしれないが、俺たちの今の活動は……一人の参謀がたった一夜で書き上げたシナリオに従って進められている」

梵火里は横になったまま、静かに頷く。

革命軍の中で育ってきた彼女にとっては、暗黙の了解といった具合の内容だった。

ある日突然、革命軍にやって来たその参謀は、一晩書架に籠りきったかと思えば、翌朝には分厚い紙の束を手にして出てきたという。

あらゆるパターンを考慮し、現政府打倒を遂げた後のことまで緻密に記述されたそのシナリオに、あの閻魔でさえも舌を巻いたというのだから驚きである。

しかし、その参謀はすぐに姿を消した。

自分にしかできない仕事があるから――そう言い残して去っていった、という噂が真しやかに語られた。

ほとんど顔を出していないせいで、参謀の姿を知る者はほとんどいない。

たとえ見たことがある者がいても、そのほとんどは作戦行動の途中に戦死している。

結果、参謀の顔を知っているのは閻魔ただ一人であるとのことだった。

「そこで、お前に参謀を連れ戻してもらう」

「連れ戻す? 連絡を取ってたんじゃなかったの?」

「取ってないよ。アイツは完璧主義だからな、連絡なんかして履歴や検閲でバレたら困るだろ」

閻魔は気だるげにゴキゴキと首を回す。

「ただな、アイツの性格上これを読んだらシナリオをひっくり返しかねない」

「その書類は?」

「ほらよ。裏ルートで仕入れた。魂傷学(こんしょうがく)の権威……いや、戦乱の火種たるドニールさんの論文だよ」

ゆっくりと上体を起こしてから茶色の封筒を受け取り、梵火里は顔をしかめて書類に目を通した。

読み書きは嫌いだ。

できないことはないけれど、正直なところ極力避けたい。

こういうとき、自分には武器を振り回すほうが性に合っていると梵火里は思う。

長い時間をかけて読み終わると、閻魔はわざとらしく舟を漕ぐふりをしていた。

人前で居眠りなどという不用心な真似をしない男のはわかっているので、梵火里は無遠慮に「閻魔様」と声をかけた。

「これ……本当にあのドニールが書いたわけ?」

「本当、本当。もっとも学会も政府も相手にしていないらしいがな」

「当然よ。こんなの……まるでおとぎ話だわ」

論文の内容は、あまりにも無責任で非現実的なものだった。

ドニールはこの文章を通して、自らの生み出したソウル・エネルギーシステムが欠陥品であることを主張しているのである。

彼は述べる。

ソウル・エネルギーシステムは全ての魂を一律差異のないものとして分解し、大量の液状エネルギー体にしてタンクの中に収められる。

しかし一度分解してしまった魂の中に、目には見えない「不純物」があったとしたら。

融合され、無きものにされたはずの生者の思念が、たった一つでもしぶとく生き残っていたのだとしたら。

「不純物」の思念は、永遠にエネルギー体として生き、苦しみ続け、やがて発狂する。

発狂した「不純物」がシステム全体に及ぼす悪影響は計り知れない、早急な対策を考えるべきだ。

論文はそう締めくくられていた。

「……アタシ会ったことないんだけど、参謀はこんなのを信じるタイプなの?」

「信じるね。あらゆる可能性を信じ、確率がゼロになるまで潰して回るタイプだ」

閻魔は梵火里の突き返した封筒を受け取ると、遠い記憶を呼び起こすように目を閉じる。

「頭がいいやつらってのは理屈っぽい。なにか行動を起こすとき、大抵自分が正しいと思っている。反対に言えば、正しくない自分が許せないんだ」

「正しいって何よ。アタシたちはテロリスト、ただの人殺しだわ」

「そう、俺たちは正しくあることは許されない。もしもアイツの頭脳が俺たちよりも正しさを優先するのなら、その時は……」

次にあの言葉が来る。

そう理解した瞬間、梵火里の肩がビクッと跳ねた。

リーダーたる閻魔がその言葉を口にするたび、また自分の存在理由が生まれる。

閻魔の口の端に、少々黄ばんだ牙がぎらりと覗いた。

「殺せ」



近頃、ノットの様子がおかしい。

毎度の報告の際、いやに険しい表情を浮かべている。

いや、思えばあの双子の採用を決めたときからあの男はどこかおかしかった――ハデスはそう思い直す。

ヒメルとヘルメスの話を了承したとき、意外にもノットは困惑した様子で言葉を続けた。

「……あの、ハデス様、本当に採用されるのですか?」

「ん? お前が言い出したことだろう、まるで断ってほしかったとでも言わんばかりの顔だな」

揶揄すると、ノットはわかりやすく俯いた。

この男は誠実そのものといった性格で、嘘が上手くない。

「ハデス様、贅沢を言うようですが、私は……何も彼らに戦わせなくても良いのではないかと思うのです。まだ幼いですし、いくら優秀とは言えど、国からの金銭的援助があれば十分に暮らして」

「ノット、彼らの採用は取り消さない。援助もしない。わかったら今日はもう下がれ」

「……はい」

ノットが肩を落として、すごすごとドアの向こうに引き上げるのを見届けてから、ハデスは深くため息をついた。

首を傾けると、ジャラリと鎖の音が耳に心地よい。

彼は白骨の指でチェーン部分を引っ張り、くすんだ金色のロケットを取り出し、尖った指先で優しく装飾の凹凸をなぞった。

カチャリ、金属のずれる音がしてロケットの蓋が開く。

その中に収められている写真を見るや、ハデスは愛おしげに呟いた。

「ああ、臆病な私を許してくれ……」

写真の中で柔和な笑みを浮かべる、人間の姿をした女性。

ハデスは慈しむように、白い鼻先を写真に押し当てた。

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