25.好み
帝がドールと合間見えていた頃。
例によって、五十嵐の怪我の原因を探るべく千寿は学校に忍び込んだのだが……。
「全く、見つけたのが私でなければ、親御さんに多大なご迷惑がかかっていましたわよ。あ、新校長、お茶はまだですの?」
「ただいまお持ちいたします」
現在地、校長室。
千寿は、たまたま近くを通りかかった得子に捕獲されたのである。
「で、どうしてうちの学校に?」
「……お兄さんが、気になって……」
モジモジと告げる千寿の様子に、思わず得子は和む。
「では、一時的にですが、堂々と一緒に居られるようにしてあげましょうか?」
「?」
―食堂―
昼休みになるやいなや、五十嵐はクラスメイトと共に食堂へ来ていた。
「今日は金欠なので天カスうどん」
「お坊ちゃんが金欠って……」
微妙な表情になっている友人Aに、ピシャリと涼しい顔で五十嵐は告げる。
「金持ちがいつでも金持ってると思ったら大間違いです。財布を忘れる日だってあります」
「ああ、忘れたのか」
「じゃあ今日の昼食代は、緊急用に鞄にでも忍ばせてたって事?」
人懐っこい性格の友人Bが何気なく聞いて見た瞬間だった。
「まあ、カードを一応……」
黒いカードが懐から完全に引き抜かれる前に、友人達はお坊っちゃまの手の動きを秒速で抑えた。
「お前は馬鹿か! 普段持ってる常識どこに捨てて来たッ」
「だって前に食堂のマダムが『良いわよ』って……」
「声真似うまッ! じゃなくて、まさかの使用済みッ!!」
元々、時間の都合で賑わう食堂内だが、財力の眩さが見え隠れして、三人は何気に一番注目されている。
そんな彼らの元へ、
「あの……」
正に、天使が舞い降りた。
声は五十嵐の背後から紡がれ、その発言者を位置の関係から目にしたAとBは目を見開き固まっている。
「どうしたんです二人とも、後ろに何が――」
「お兄さん」
そこに居たのは、五十嵐にとって見覚えのある少女だ。
否、見覚えがあるはずの少女なのだが、決定的にいつもと違った。
真珠と白磁にミルクを混ぜた温かみのある白い肌。月明かりと陽の光に愛されたような橙の髪。大きくて甘そうな蜂蜜と月を掛け合わせた金の瞳。
ここまでは変わらない。だが、一七〇センチに近い身長。細すぎず太過ぎず、何より柔らかそうな美脚と普通の女子高生より明らかに豊満な双丘。夏冬問わず可愛いと評判の魔導大附属の制服。
その相違点が五十嵐の時を止め――
「どうしてそんな残念な進化を遂げるんですか!?」
人の趣味趣向は十人十色と言うけれど、寝ぼけたような感想が出た。
千寿の姿を一目見た五十嵐は、それが妖魔種の幻覚による物だとすぐに分かった。この学校内でこのクオリティを生み出せるのは小夜曲得子ただ一人。
だが、この際誰が何やらかして千寿の姿が神級美少女JKになっているのかなど、五十嵐にはどうでも良い事。しかし――――!
「どうして、どうしてこんな酷い姿に……!」
よほど自分の趣味とかけ離れた事が不満らしい。
五十嵐は涙をちょちょぎれさせていた。
そんな彼の頭部に、
「「お前は目ェ腐ってんのか!!」」
「どぅおふぁっ!?」
友人A&Bが飛び蹴りをかました事は、なんらおかしな話じゃ無い。
「ちょ……ッ、君達……容赦が無い……」
「当たり前だ! こんな可愛い子どこで捕まえた羨ま妬ましいッ!」
「お前の女子の基準はこの子が『残念』に見える程って事かァ! 今度お前が合コンのセッティングしろやー!」
醜い欲望が渦巻いている。男の友情の何と儚い事。
「誤解ですよ。……俺だって彼女の可愛さが宇宙レベルで高い事は認めます。けど……ッ、譲れない大事な所が――乳がデカすぎるんです! 俺は絶壁か、並をほんのり超した美乳が好きなんです!」
この時、話を聞いていた食堂の女子全員(千寿は除く)が「舌嚙んで死なねぇかな、この変態」という冷たい視線を五十嵐に向けた。
「お兄さん、この姿……嫌なの?」
「ああ、落ち込まないでください! 嫌じゃありませんよ。出来ればもう少し慎ましやかだと嬉しいなって希望があるだけで」
瞳を潤ませる千寿に、五十嵐はなるべく優しい笑みを浮かべて「こんな感じに……」と。背後の壁をペチペチ叩き、スルッと上から下へ手を滑らせる。
「お兄さん、それ……」
「絶壁は一生垂れない最強の逸品なのです。大丈夫、今から頑張ればその双丘は消えます。この平らな壁のように」
一切後ろを見ない五十嵐は、手触りが布に似ていたため、食堂なのにタペストリーでも貼ってあるのか? などと違和感を覚えていた。
この時、ちゃんと確認しておけばよかったのに……。
「五十嵐さん……」
「ああ、リト! 今日は君も食堂でしたか? ところで随分遠くに居るのは何故ですか?」
離れた場所から拡声器を手にしている弟に彼が尋ねれば、八の字にされた眉が見えた。
「巻き込まれると大変なので。……あの、そろそろ自分が触っているものを確認してはどうかと……」
「はい?」
榊の言葉を理解するのに、どういうわけか五秒ほど時間を要した。そしてとうとう気付く。
そういえばこんな所になぜ壁があるんだろう? と。
五十嵐の立っている場所は、広い食堂の隅に近い。だが、壁とは距離があった。
ゾワゾワと、背筋が凍り付く感覚を持つ中で、五十嵐は少女のような口調で内心叫んでいた。
――ヤだ怖くて後ろ見たくない。でも気になる!
チラッと、ちょっと見てみる。
直後に出たのは、「わっはーい☆」などという半ばヤケクソが入った喜びの声。
五十嵐が触れていたのは、決して壁では無い。
人の体だ。
それも胸部だ…………帝様の。
「遺言は終いか?」
窓の向こうを、チュンチュン雀が通り過ぎる。五十嵐は遠い目をしていた。
浮かべた台詞はたった一文。
――いつの間にこんな近くに居たんだろうか?
今日ほど彼が『繰り返し』で全てが起きる前に逃げたいと思った日は、無い。
前髪の影から覗く彼の幼馴染の目は、あらゆる野山の主を手にかけ何十年も探していた親の仇を見つけた時の……狩人の目だった。
「いいですかミカ、女性の魅力は乳ではありません。慈愛に満ちた美しい心です」
やばい。マジやばい殺される。
それしか考えられなくなった五十嵐は、この危機的状況をどうにか有耶無耶に出来ないかと、とにかくペラペラ口を動かす。
「ふーん。それで?」
手応え無し。
「つまり毅然とした美しい心で、形も崩れないキミのは最強なんです。成長する余地などッ! 宇宙が崩壊してもあり得ない胸部なんですからッ!」
「分かった死ね」
デリカシーという概念の欠如が酷い五十嵐の視界は、暗転した。
それにしても、どうしてあの子はあの姿で学校の食堂に居たんだろう?
その疑問が彼の頭に浮上したのは、それからおよそ二時間後。ぼんやりと保健室の天井を眺めていた時だ。
「はぁい、旦那様~」
「うわぁッ!!」
視界を満たしていた白い天井が青白い美ロリの顔で埋め尽くされ、五十嵐は思わずソレを押しのけ起き上がった。
「ぎゃふん」などとワザとらしい叫びと共にベッドから転がり落ちたのは、美ロリことドールだ。
「あー、ビビった……」
「もう旦那様ってば、何しやがるんです? 豆腐の角に頭ぶつけて記憶が飛んでったんですかい?」
「豆腐如きに負けるほど軟な頭蓋ではありません。キミが久しぶりな上にいきなり現れたものだから驚いたんですよ」
五十嵐の返しにドールは、「ふーん」と表情をニヤつかせる。意味ありげな表情に、五十嵐は内心で後ずさった。
「さ・て・は、考え事してましたねぇ? それも、あの小娘の事でしょう?」
ドールの言う『小娘』が、千寿の事だと分かるのが妙に彼を苛立たせた。
「んっふふ~♪ 旦那様の事ならドールちゃんは何でもお見通しですぜ? なんでしたら考え事の詳細だって当てましょうかねぇ?」
「結構です」
「ズバリ、何故とうとつに大人なボディで旦那様の前に現われちゃったのか? その目的や如何に!? ってところでしょう?」
「……」
「旦那様はお気付きで無かったようですが、あの子前から旦那様の事こっそり見に来てたんで~すよ~」
「えっ」
その発言に五十嵐が衝撃を受けるのと、ドールが顔を近づけたのは、ほぼ同時だった。
「ちなみに、校内の素材採集の場所を枯らした犯人はあの子ですぜ?」
「……何を馬鹿な事を」
「信じたくないなら結構。でも、本当の事なんで~すよ。あの子があの日、あの場所を枯らしたから、土筆寺帝は日向環菜と対立した――それは紛れもない事実ですぅ」
五十嵐は冷やかな視線をくれてる。が、ドールは一切怯まず、むしろとても楽しそうにベッドの周りではしゃぎ始める。
彼女を知らない第三者が見れば妙な光景だろうが、これがドールという悪魔だ。彼女は人の気分を害して楽しむ性悪だから。
「旦那様って、やーっぱりまだまだお子様ですよねぇ。可愛い見た目にすっかり騙されちゃうんですから」
「可愛い見た目で俺を惑わし騙しまくってるキミが言うんですか」
「キャッ♡ 旦那様に可愛いって言われちゃった」
これがミカや千住だったなら、写真構えて喜ぶところなのだろうが、赤らめた頬を両手で抑えて恥じらうドールの姿は、五十嵐の視線を更に険しくするだけだ。
「まあ、信じる信じないは旦那様のご自由。ドールちゃんは、ちゃーんと忠告してあげましたからねぇ」
「……忠告?」
「あの子と一緒にいる事を望むのであれば、絶対に旦那様の願いは叶わねぇっすよ。アレは、波乱は呼べても調和と平穏は呼べませんからね~」
この瞬間、五十嵐はようやく分かった。
何故ドールが、千寿の事を殊の外毛嫌いしているのか。
彼は、千寿がドールと同類だなんて微塵も思っていない。けれど、ドールの中では完全に、千寿と自分の在り方が似ている事になっている。つまり、同族嫌悪。親類、友人、敵問わず誰が何を言っても聞く耳を持たない、生理的に駄目なパターンだ。
「ドール」
「ん?」
「煩わしいので一人にしてください」
「わずっ……旦那様、ド直球過ぎやしませんかね!?」
目を剥くドールに、欠伸しながら「うるさい」と告げ、五十嵐は耳まで隠れるくらい白いシーツを被る。
「旦那様、旦那様ー?」
普段はこっちが無視し始めたら数秒で消えるのに今日は随分絡んでくるな。と、五十嵐は煩わしさを覚えながら目を閉じる。
「…………ふーん。耳障りのいい言葉だけ受け入れようってクチですかい? 最初それで大失敗したのをもうお忘れとは、愚の骨頂――」
刹那、保健室内で轟音が鳴った。
五十嵐が有りったけの魔力をドール目掛けて叩きつけたのだ。だが、ドールに当てる事は叶わず……。
彼の魔力が届く前に、ドールはもう何処かへ消えていた。




